第13話
二日間の登校日が終わると、今度は四連休がやってくる。文芸部のゴールデンウィーク中における活動は先日のバザーのみなので、この四連休はゆっくりと羽を伸ばせる。
だが連休二日目であるところの今日、5月4日だけは、僕にとって羽を伸ばしてなんかいられない日だ。
僕の住んでいる浅木市は、隣接する市に比べるととても小さい。東西2キロ、南北に9キロしかないのだ。海と山に囲まれた、と言えば聞こえは良いか。
そして今日、僕は浅木市をバスでひたすら北へと進み、山の中にある墓地へやって来ていた。そんな僕の目の前には、『夏目家之墓』と書かれた墓石がある。僕の父と母が眠っている場所だ。
「久しぶり。父さん、母さん」
今日は僕の両親の命日だ。
前に来たのはちょうど一年前。それなのに墓石が綺麗なのは、叔母が定期的に来ているからか。多分、僕が来る直前にも来ていたのだろう。供えられたばかりであろう花が置いてあった。今は正午を回って少ししたところだから、時間的猶予は十分にある。
綺麗だと分かっていても、墓石に汲んできた水をかけ、丁寧に磨く。一年に一度しか来ないのだから、これくらいはしておかなければ。
一通り磨き終わったあと、しゃがみこんで合掌し、黙祷を始める。心の中で、ここ最近起きた出来事を報告した。
文芸部に入ったこと。小説を書くことになったこと。罰ゲームのこと。それと、白雪のこと。
二人が生きていたら、白雪の話を聴くとどんな反応をするだろうか。僕に漸く春が来たとか言って喜ぶのは母だろう。父は、女には気をつけろ、とか言いそうだ。
しかしそんなことを考えたところで、所詮は僕の妄想でしかない。二人は既にこの世にはいないのだし、僕は今、親不孝なことをしているに違いないのだから。
「野球、まだ出来そうにないよ」
それだけは、言葉にして伝えた。
両親が死んだあの日から、野球をすることはおろか、グローブやバット、ボールに触ることすら出来ない。それらの道具を未だ捨てずに置いているのは、先日白雪が指摘した通りなんだろう。僕は、野球というスポーツを諦めきれていない。
簡単に諦めることが出来れば、どれだけ楽だろうか。あれだけ情熱を注いだからこそ諦められなくて。だからこそ、トラウマになってしまっている。
「じゃあ、また来るよ」
立ち上がり、墓に背を向けて歩き出す。次に来るのは、また一年後だろう。
バスで駅前まで戻ると、時刻は昼の2時を回った頃合いだった。なんだかんだで、随分と墓地に長居してしまっていたらしい。
このまま帰っても良いのだが、折角なので外で昼を食べることにしよう。ついでだから、三枝でも呼び出してやろうか。どうせ暇してるだろうし、彼にならどれだけ迷惑をかけようが、罪悪感なんて毛ほども湧いて来ない。
携帯を取り出し、ラインで三枝に駅前まで出て来てくれと送る。休日は基本的に直ぐ既読がつくのだが、おかしな事に全く既読がつく様子がない。もしかしたら珍しくもなにかの用事中なのだろうか。もしくは、文化祭に出すエッセイを書くのに集中しているとか。
まあ、反応がないのなら仕方ない。一人で近くのラーメン屋にでも行くとしよう。そう思い歩き出そうとした瞬間、目の前に見知った顔を発見した。向こうも僕を視認したのか、随分と嫌そうな顔をしてくれる。
「げっ」
「うわっ」
僕もなかなかのものだったが、目の前にいる、白いワンピースに身を包んだ彼女、白雪桜は随分と失礼な反応をしてくれた。うわってなんだよ。そんなゴキブリを発見した時みたいな反応しないでくれ。
「おいおい、随分とご挨拶な反応だな。流石の僕も傷つくぜ?」
「こんにちは。あなた、まともに挨拶も出来ないのね」
「挨拶する前に嫌そうな顔して来たやつには言われたくない。こんにちは」
と、ここで白雪の隣にいる少女の存在に気がついた。少女は僕と白雪の顔を不思議そうに交互に見つめ、やがて得心がいったような表情をする。
「あなたが夏目智樹さんですね!」
「まあ、そうだけど······」
「お話はかねがねお姉ちゃんから聞いてます!」
「ちょっ、小梅!」
白雪をお姉ちゃんと呼んだということは、この子は白雪の妹だろうか。その少女をよく見てみると、なるほど確かに、顔立ちはよく似ている。髪型こそ白雪の黒髪ロングストレートに対して、超ショートカット。神楽坂先輩や小泉よりも短い髪は、姉と違って快活な印象を与える。
それより気になるのは、白雪が僕の話をしているということだが。
「初めまして! 妹の白雪小梅です! 中学三年生です!」
「夏目智樹です。白雪とは、友達、かな?」
「あなたの友人になった覚えはないんだけど」
「じゃあ彼氏さん⁉︎」
「安心してくれ。君のお姉さんに手を出すつもりなんてないから」
今のところは、だけど。罰ゲームの行方いかんによってはその限りではない、と心の中で注釈をつけておく。
「それにしても」
「なによ」
白雪の方へ視線を移すと、ギロリと睨み返された。彼女の私服は初めて見たのだが、清楚でお淑やかな感じの衣装と着ている本人の中身が全くの真逆で、これは新手のギャグか何かかと勘違いしそうになる。
まあ、可愛い事に変わりはないのだが。
「いや、君と正反対だなと思って。君の100倍は可愛らしいじゃないか」
「小梅に手を出したら容赦しないわよ」
「生憎と、年下は趣味じゃないんでね。で、君が僕の話を妹にしてるって本当か?」
尋ねてみれば、白雪はスッと僕から視線を外した。
「そんなわけないでしょう」
「毎日のように聞かされてますね」
うん。どうやら本当らしい。
なんか恥ずかしいのでやめてほしいのだが、それを言ったところで、白雪はそもそも僕の話をしているということを否定し続けるだろう。
「ところでお兄さん」
「お兄さん······?」
「この後お暇ですか?」
「まあ、暇っちゃ暇だけど」
昼食を摂る予定ではあったけど、中途半端な時間だし、予定のうちには入らないだろう。
「それよりそのお兄さんって呼び方は······」
「気にしないでください」
そう言われても気になると言うものだ。年下の女の子からお兄さんと呼ばれるとか、下手したら事案だし。警察のお世話にはなりたくない。なにより白雪の妹の小梅ちゃんから呼ばれていると言うのが、どうにも周りから変な誤解をされそうだ。
イマイチ納得しかねるのだが、それでも小梅ちゃんは構わずに話を続ける。
「もしお暇なら、今からうちに来ませんか?」
「は?」
「ちょ、小梅⁉︎」
慌てる白雪。そんな彼女の姿はとても珍しくはあるのだが、小梅ちゃんはにっこりと笑顔のままだし、僕はその言葉の真意を測りかねていた。
僕を家に呼んで、小梅ちゃんにどのようなメリットがあるのか。まさか僕のことを、本気で姉の彼氏だと思っているわけではあるまい。僕と白雪のやり取りを見ていたら、そんな関係ではないと分かるはずだ。
ならばここは断るのみ。
「悪いけど、遠慮させてもらうよ。誘われたからってほいほい同級生の女子の家に上がるほど、図々しい男になったつもりはないんでね」
「両親なら夜遅くまで帰ってこないから、大丈夫ですよ!」
「全くなにも大丈夫じゃないわよ!」
「えー。だって折角お姉ちゃんのはつふぉふ」
小梅ちゃんが何か言いかけようとして、白雪が咄嗟にその口を手で塞いだ。なにを言おうとしていたのかは分からないが、どうやら白雪にとっては余程言われたくないことらしい。
「小梅、いい加減にしなさい」
「はーい」
ニシシ、と笑っているのを見る限り、あまり懲りてる様子はなさそうだ。白雪の咎めるような声も、普段僕に向けられるものよりもかなり優しいものだし。どうやら、この二人はとても仲の良い姉妹らしい。
「じゃあじゃあ、お兄さん。代わりに一つだけ聞いてくれますか?」
「言うことを聞いてくれ、って事じゃないなら」
小梅ちゃんは白雪の隣から離れ、僕に近づいてくる。そして姉には背を向けて、僕に手招きした。どうやら、彼女には聞かれたくない話のようだ。
そして内緒話のように声のトーンを落として、白雪に聞こえないように話し出す。
「お姉ちゃんのこと、ちゃんと見ててあげてください」
「それは、どう言う意味で?」
「お姉ちゃんと関わってるなら分かると思いますけど、お姉ちゃんって、無用に人と距離を取りたがるじゃないですか」
言われてみれば、確かに納得のいく話だった。白雪桜が校内において有名なのは、その毒舌、延いてはその影響による周囲からの孤立が一端を担っている。時に過剰とも思えるくらい、白雪は周囲に対してキツく当たるのだ。
その口の悪ささえ改善してしまえば、いくらでも周りに受け入れられるはずなのに。
「そんなお姉ちゃんが、自分から関わりを持ったのはお兄さんが初めてなんです。この前も、文芸部に入部しようかどうか、すっごい悩んでましたから」
「そうか······」
「だから、もし入部してもしなくても、お姉ちゃんとは仲良くしてあげてください」
「仲良くできるかは分からないけど、まあ関係がなくなるってことはないと思うぜ」
さしたる根拠はないけど、少なくとも卒業までの間は、白雪との関係は続くのだろう。なにより、僕には罰ゲームもあるのだし。
小梅ちゃんは僕の言葉に満足そうな頷きを見せ、姉の元へ戻って行く。随分と姉思いの良い妹のようだ。
「それじゃあ、僕はそろそろ」
「あっ、いけなーい!」
そろそろ頃合いかと思って、帰る旨を告げようと思ったのだが、それに被せるようにして小梅ちゃんが大きな声を上げた。一体何事かと僕も白雪も揃って小梅ちゃんの方を見る。
「あたし、お母さんに頼まれごとしてたんだった!」
「そうなの? ならそろそろ帰りましょうか」
「いやいや、あたし一人で大丈夫だから、お姉ちゃんは引き続きショッピングを楽しんで! お兄さんと一緒に!」
「いや、なんで夏目と一緒なのよ」
「じゃああたし先に帰るから! ではお兄さん、今度また会いましょう!」
「え、ああ、そうだね······」
「さようなら!」
怒涛の勢いで姉をまくし立て、小梅ちゃんはあっという間に改札の方へと消えていった。本当に、姉妹で性格が全く違う。
そして取り残される僕と白雪。一緒にショッピングの続きをしろと言われても、困るとしか言えない。
けれど、直前の小梅ちゃんの言葉が、どうしてか脳裏にこびりついていて。
「あー、白雪」
「なに? まさかあの子の言う通り、本当にショッピングに行こうなんて言うんじゃないわよね」
「違うよ。僕に女性をエスコート出来るほどの甲斐性はない」
「でしょうね。ならなんの用?」
「これから、うちに来ないか?」
「は?」
だからそんな提案をしたのも、きっと小梅ちゃんのせいなのだろう。そう言うことにしておこう。