【愚者編】7
「【次元の魔女】レイレナード、奴が俺をこっちの世界に連れてきたんだ。で、不老不死の呪いを俺に掛けて、無事に死ねたら現実に返してやるんだと。だけど俺はそんなモノに付き合うつもりない。死ぬのは痛いからな」
彼女は目を光らせていたが、俺の言葉に何かしら納得の表情を浮かべ、考え込んだ。
正直、次元の魔女の名前を信用材料みたいに使うのはどうかと思ったが悪い選択ではなかったらしい。
「へえ。あの偏屈魔女がねえ」
「やっぱり知り合いなのか?」
ナクアの物言いは、奴と知古であると感じ取れる。
俺が書いていた話の中で、ナクアと【次元の魔女】の接点は全くと言って無かった。そもそも【次元の魔女】という人物設定を作り上げてすらいない。けれど奴は勝手に十三魔将の一人になっていた。俺の知らない設定が勝手に増えている。気に入らないが、そういう事になっているのならば少しは把握しておいた方が良いだろう。
「同じ十三魔人将だからね。とはいっても私は奴の顔もしらないけど」
「そうなのか」
「うん。だから私個人としては奴は信用していないし、これからも頼る事は無い。アイツは大事な場面でさえも、捨て石の如く見ているだけの傍観者だったからね。はっきり言えば、何のために魔将の一人になったのかわからない奴だった」
全然仲間と思われてないじゃないか次元の魔女。でも「ざまあみろ」って気持ちにもなるけれど。
「だから今回、奴がキミを何の陰謀に付き合わせているのか、私にはそっちが気になってしょうがないね。キミ、どうして自分がこんな目に会されているのか心当たりはない?」
それは――と、口を動かしたく無かった。
思い当たる事は一つある。というか、それ以外にない。
俺はあの魔女に恨まれている。じゃなきゃ、こんな手の込んだ嫌がらせをしてこない。
それに理由もある。あいつは俺がこの世界の作者だと知っているし、物語を放棄した所為で滅茶苦茶になってしまった事も奴は認識している。
その事を、俺は言いたくない。知られたくなかった。
「……さあな。そこんところ、俺もさっぱり見当がつかないな」
だから平気な顔して、平然と嘘を吐くことにした。
それをナクアは変わらない表情で聞いていた。なんというか……こう、目を光らせている様な、探りを入れているみたいな感じでだ。
「つまり大智くんは理由もなく、経緯もわからず、偏屈魔女の手下にさせられてこっちの世界にきちゃった。で、運悪く封魔の森の守護者共に捕まって、魔壺の谷に落とされた、と。何か間違ってる?」
「いや、それで大筋通りだ」
これでこちらの事情は把握して貰えた。
さてと、これからだ。ここからどうやって彼女に異世界転移術について交渉を振ってもらうかだ。
どう切り出せば違和感なく自然に、元の世界に帰るのに協力させられるだろうか。無難に、普通に、無知な感じで聞いてみるか。
「なあ、ナクア。どうにかして元の世界に帰る方法とか知らないか?」
「……ふーむぅ」
ナクアはどういう心境なのか、考え込む様な声を出して難しい顔を浮かべていた。あるいは、困っているというべきなのか。
「大智くんは少し常識というか事情というのが呑み込めてないからそういう事を聞くんだろうけどさ。大智くんはもう二度と元の世界に戻れないし、それどころか地上に出ることもできないんだよ。まずはそれを理解しようか」
……どころか、呆れた物言いであった。
俺も言われてから気が付いた。
もしも異世界転移ができればここにナクアが居る訳がない。即座にこんな場所から脱出しているだろう。
「異世界に飛ぶにはまあいろんな条件と知識が必要になるんだけどさ。その内の一つに世界の歪を意図して創り出す必要があるのね。その為には莫大なエネルギー……魔素が必要になるからまずそれが必要になる。でもこの【魔壺の谷】はその魔素を浄化させる呪いが施されてあるからそれができない」
「だから不可能だと?」
でも、それは【魔壺の谷】だからできないだけで、外へ出れば可能になるんじゃないだろうか。
「まだ絶望してない表情だから言っておくけど。私がここに閉じ込められてもう十数年以上経つのかな? まあ、だからここから脱出するって方法もハッキリ言って不可能だ。出来てたらこんな所に居ないしね」
言葉にされて初めてわかる衝撃だった。分かっていたことではあったハズなのだが、心ではどうにかなるだろうと侮っていた。
いかんな。これは全くもっていけない状況だ。
「やっと状況が呑み込めてきたようだね。余裕のない顔になって来た。普通は今のキミと同じ顔になる」
「あー、えっと。なんか魔法の一つでも使って……脱出とかは? こう、空も飛べるようになるヤツ」
「そもそも魔素が散らされるから簡単な術の一つだって発動しないよ」
「じゃあ壁をよじ登るのは?」
「不可能だ。壁自体に忌々しい浄化の属性があるから触るだけで壊されるのが目に見えている」
理不尽すぎないか、それ。
ちょっと現実味がないので試しに触れてみる。するとどうだろうか。見事に手がひび割れていき、粉々になったコンクリートの様に砕けてしまった。
「おい、文字通りじゃねえか!」
「実際に試すバカ者かキミは!?」
「まあすぐに治るのだけどな」
不老不死の呪いを自慢げに見せてみる。瞬時に再生していき、元の手の形が再現される。一発芸みたいだ。ちょっと気持ち悪いが、他人が驚くのをみると少し楽しい。
その様子にナクアは驚きつつも、呆れていた。
「キミの回復力は常識の範疇を越えているよ。はっきり畏敬すらするよ」
「やっぱり異常なのね、この再生。でも慣れてきたら段々面白くなってきたけどな」
「だけれど――」
ナクアは少し声を深く、まるで語り聞かせる様な面持ちで忠告した。
「特別な力には絶対に代償が伴う。あまり過信しすぎない方が良い。それに、今の瞬間再生でキミの魔素濃度が上昇している」
「魔素濃度?」
「……キミ、本当に何も知らないんだな。まあ元人間で異世界人ならそれも当然かな。――うん?」
ナクアは突然、何を思いついたのか……俺が落下した時に飛び散った肉片を回収し、それを興味深そうに見つめていた。
「――……これは。まさか……いや、いけるのか? いや、どうだろうか。試すか? 理論上は不可能でもないが、無限再生可能であれば? いや、倫理として問題はあるけど――」
何かナクアの脳内だけで会議が進んでいるようだった。
「キミの肉体の残りだが、少しもらってもいい?」
「あぁ、構わないよ。というか確認いるのか?」
するとナクアは緊張した顔で俺をにらんだ。さっきまでの楽しそうな態度はいずこへ消えたのか、強い意志で俺を非難していた。一体なんだっていうんだ。
「あぁ、すまない。私も少し真剣になってね。まあ、追々説明しよう。その前に実践だ」
ナクアは俺の肉片を握り絞り、血を滴らせた。絞りカスになった肉は捨てて、溢れ出た血だけをすすり、飲み込んだ。そうすると、何故かナクアの周囲が光った様な気がした。閉鎖的な空間に軽やかな風が生まれ、それが少し心地よくあり、何かを期待させた。
ナクアの肢体に巻かれていた包帯に見えていたそれが解かれ、色白の肌が現れた。いったい何のためにしているのか、俺にはわかった。これは俺が小説を書いていた話とはそれほど変化はない。包帯の様に見えたそれは布ではなく、彼女の触手なのだ。
「一の線、始の理」
彼女を中心に一本目の線で輪を生み出した。
「二の線、流命の橋」
その内側に正三角形の図形が収まる様に二本目の触手が伸びる。
「三の線、星の頂点」
一本目の輪と二本目の接点に三本目の線が走る。この時点で彼女を中心に蜘蛛の巣の様にも見える魔法陣が完成している。さらに触手ではない赤い光の線が勝手に円の中で繋がってゆく。
こうしてナクアは全四本なる触手を使って、何処でも魔法陣を作りだし、様々な術を巧みに編み出し、紡ぎ、発動する事ができる。どうやら四本目の触手は使う気はないらしいが、それでも目の前で立体魔法陣を見ると、想像だけで考えていたモノとはいえ多少感動を覚えた。
「我至る処に恐神の意思あり、我命ずる源は祖と同義なり。僕たちよ、我が命を成せ。“契約の断ち切る刃となれ”ラーマ・デカディメント!」
ナクアが創り出した魔法陣の内から、赤い針が射出された。それが壁に突き刺さるが、赤い針はガラスでも割れる様な音と共に砕けて霧散した。
俺にはわからない何かが、ナクアにとってはとても信じられない事だったんだろう。自分がやったことに対して、大変驚いている様子だった。
「……凄いな……。キミ、本当にすごい事だよ、コレは!」
「何が凄いんだか、俺にはさっぱりなんだが……」
「ここで魔法を使えることがだよ! しかも結界破りが効いている!」
ナクアは喜々として宣言した。
「喜べ大智くん。我々はこの魔壺の谷から出られるぞ!」