【魔術師編】Lost Number
【魔壺の谷】――
【アルト】にある、誰も入れぬ場所に隠された、一つの穴。
過去、最悪の魔族がその地に落とされ、以後、誰にも開けられずにあった場所。
そこへ杖を持ち、カンテラで暗闇を照らす、灰色のローブを着た老人が訪れた。
『地上が騒がしくなったが、貴様が原因か?』
「貴方に会いに来る為、致し方なく無用な混乱を呼びました。まあ、実は私もコレほどの規模になるとも思っていなかったのですがね」
穴の底、地の果よりも暗き場所にて、老人は誰かへと言葉を投げかけていた。
「……どうやら、その様子では意識があるようですね。さすがは十三魔人将、最優の一角【無刃の龍騎士】ムントだ」
『お前は……。隠者の爺か』
お互いが旧知の存在であったが、ムントと呼ばれた人物は少し老人の事を忘れかけていていた。
ムントは無数の穴を空け、朽ち果てた肉と骨をさらし、それでも尚、意識を保ったままそこに居た。
『久方ぶりではないか。いや。こんなところまで何をしに来た』
ムントは体も動かさず、ただ声だけでいぶかしむ様子を老人に印象付けた。
「実は、貴方がお持ちになられていた死の神器【無刃の大鎌】をお返し頂こうと思いまして訪ねてきました」
『なぜ、今になって必要なのだ?』
「長らく眠っていた【賢奴の赤旗】が動きました」
老人の答えに対し、ムントは感慨深げに声を吐いた。
『それが今になって【無刃】を取りに来た理由、か』
「えぇ。全く持って厄介な遺体故、仕方がなく貴方に預けたままでしたが、事態が動きましたのでね」
『さてな……』
ムントは鼻で笑った。どころか、それは含み笑いをした。
『それでは私もなんと返して良いのやら、困ってしまうな』
「どういう事でしょうか?」
『残念ながら、最初からここに【無刃】はない。信頼できる小僧にくれてやったわ』
「……なんと――」
老人が驚く様子と共に、何かを納得したように笑みを浮かべた。
「――それでは、今は何処にあるかも御主には判らぬというのだな」
『すまんね。だが、きっと無事だろう。あの男は強くなる』
ムントは、いつか見た小さき勇者の未来を想像しては、いつか自分を葬ってくれるだろうと信じていた。
そのためだけに、彼はいつまでもその意識を体に宿し、じっと耐えていた。
『――して、その【赤旗】とやらはどんな奴が持っているのだ?』
「……それは、些かお答えしにくいですね」
『いつもの答えは自分で得ろというのは勘弁願いたい』
「別段、隠し立てしたいわけではないのですよ」
ただ――と、老人は頬を指で掻いて、困ったように言った。
「彼はそうですね。貴方の期待する英雄には、いささか程遠いでしょうね」
『それは何を意味する? 力か? 意思か?』
「両方ですね。彼の本質はおそらく恐怖です。恐怖するからこそ、立ち向かう」
『……矛盾しているぞ』
「いいえ、彼は常に恐れているのです。失う事、弱くなる事、諦める事。それ故に立ち上がるのです」
『その者には師が必要だな』
「そうですね、どなたか知り合いを存じませんか?」
『……自分でやれ、爺ぃ』
【魔術師編】終幕




