【愚者編】5
空気が次の段階に移り変わった。
全員が同時に息を殺した瞬間というのはまさにこんな感じだろうか。
そして一人、腰を抜かして尻もちをついた奴が居た。……エリルだ。
その表情に余裕はなく、まるでこの世の終わりにでも直面した様な反応だった。言い過ぎかと思うかもしれないが、それほどまでの顔を彼女はしていた。
「奴が、ついに動いたか」
口を閉じていたフロウェンがやっと開いたと思えば、意味深なモノで俺には要領を得られない話だった。
次元の魔女はそれほどまでに恐れられているのだろうか。俺自身はアレに関してそれほどリスぺクトしていなかったので印象が薄い。だがこの世界の住人たちにとってはスーパースターほどにも知名度が高いのだろうか。などと、呑気にも状況を遅れながら把握していた。
「くたばりやがれ、クソ野郎!」
「え?」
気が付けば、俺は胸を撃たれていた。左胸、ちょうど心臓のあたりに拳大ほどの大穴が貫通した。衝撃はなかった。ただ、気が付いたときには殺されていた。痛みなど感じる暇も無かった。そして遅れて状況を把握していき、息ができないという苦しみを生んでいた。
「痛――――!?」
そしてやっと、長の息子のデクレロが俺に向かって手のひらを向けていたのに気が付いた。彼の手のひらから光線が出ていた。
魔法か、魔術か、よくわからないが奴に撃たれたのだという事だけは理解した。
「バカな……天聖技を受けて何故消滅しない!」
「デクレロ! 奴は普通の【魔血種】ではない! あの【次元の魔女】の使徒だ! 魔将クラスは覚悟しろ!! エリル、お前はデクレロの援護を!」
「は、はい!」
意味が解らない。いきなりなんで攻撃されたんだ。傷は治るが痛いのは変わらない。これ以上殺されるのはごめんだ。次はきっともっと痛いだろう。
「ま、待ってくれ! いったい何だってんだよ!? 俺は戦うつもりなんてない! 助けてほしいだけだ! 何が気に障ったのか教えてくれ!」
この期に及んでもまだ俺は言葉で場を収めようとした。状況が全く見えていなかった。
「皆、やめなさい。不死の加護を持つ彼に、剣も弓も天聖技も無意味だ」
だからこそ、この時のデュランは俺にとっては唯一の救いにしか思えなかった。
「すまない。アキサカ殿。異世界から来た貴殿には状況が全くわからないでしょうが、ひとまず私について来て下さいませんか? 悪いようにはしません」
そうして言われるがまま、二つ返事でデュランに付いて行く事にした。
後ろからフロウェンが付いてくる。それには少し納得がいかなかった。コイツは俺を村に案内してはくれたが、結局俺に刃を向ける側の一人だ。というか縄で縛ったりしてくれてるし、最初から善意なんて一ッ欠片だって見せていないけれど。
とにかくあの場ではまた殺されてしまうのは俺でもわかる。死にはしないが、やはり痛いのは嫌だ。何が不老不死だからなんとかなる、だ。そんなので何とかなる訳がないだろ。
これからどこへ行くのかはわからないが、しかしデュランに任せておけば、なんとかとかなる様な気がした。
しかしただ黙って後ろを付いて行くのも辛いので、何か話題を作ろうとした。と、同時に押し溜めていた疑問が次々と出てきた。
俺は異世界戦線日記という駄作を作った張本人で、いわばこの世界の創造主だ。その俺が【封魔の森】【天聖技】【魔血種】と言った単語を知らなかった。地名などはまあ忘れてもおかしくはないだろうが、【天聖技】という単語は明らかに忘れる要素など無さそうなモノだ。聞いたら思い出すだろう。技なんだから。
それに【魔血種】なんてもっとわからない。何だ、その言葉。聞いたことも考えたことも無い。
いや、まず【封魔の森】について最初に聞くべきだろうか。この森事態に何か嫌な予感しかしない。
「あの、いろいろと聞いてもいいですか? その、さっきの天聖技とか魔血種とか、この封魔の森のこととか」
「えぇ、いいですよ。それとも貴方が今置かれている状況を説明してあげた方が良いかもしれませんね」
彼が最初に口にしたのは、この世界における神話だった。
そしてその話は、俺の知らない設定でもあった。
この世界の大陸は神々が耕し、動物を産み落として世界を成した。やがて人族が現れ、穏やかに繁栄していったそうだ。
そんな折、悪神と呼ばれる魔神が世界に現れた。人々は魔神に対抗すべく、神々の加護により、神技【天聖技】を授かった。人々は天聖技を駆使し、魔神と対抗した。そして長きに渡る戦いの末、魔神を倒すことに成功した。
しかし、それは新たな戦いの幕開けでしかなかった。
倒れた魔神から、瘴気が溢れ出したのだ。
世界中が魔神の瘴気により汚染され、魔族や魔獣が生まれた。その瘴気こそ【魔素】であり、魔素に汚染された生物を【魔獣】、人を【魔血種】と呼び、彼らは人族の敵なのだそうだ。
そしてこの【封魔の森】は魔神の遺体の一部を封じている神聖な場所の一つだというのだ。
作った覚えのない、知らない設定だ。
本当にこの世界は俺の作った【異世界戦線日記】なのか。
おかしい。俺の書いた話と言えば、剣と魔法の目新しさの無い物語だった筈なのだ。そもそも物語の主観以前の神話なんて作った覚えもない。誰かが勝手に作ったんじゃないのか? と疑うモノだった。
「……そして十五年前の【アスハーラ平原】での人魔戦争で、世界中に災いが降り注いだ」
そして俺の知っていそうな話がやっと出てきた。
【アスハーラ平原】で【人魔戦争】と言えば、俺の書いていた小説の主人公とヒロインが登場する。あの戦い事態はよく覚えている。隆也と魔人将の一人の一騎打ちから始まり、魔術戦を経てさらに空からのもう一人魔人将が現れ、そのすべてを隆也は撃ち破り勝利した。最後にフィと熱い抱擁をした後、その後……俺の創作意欲が燃え尽きたのだった。
「うん? 十五年前?」
そういえば俺はレイレナードの奴から現在、物語のどのタイミングなのかを聞いていなかった。そうか、あれから十五年もたった未来なのか。
「あの人魔戦争が起きてから、人々は神の加護を失ってしまった。死者は眠る事を許されず、理性を失った魔物に堕ちるようになってしまった」
「それが、デュランさんが言っていた不死者?」
「はい。不死者は決して通常の方法では死にません。心臓を貫いても頭を潰しても、体をバラバラにしても、燃やそうとも、土に埋めても、決して死にません。唯一、天聖技だけが彼らに安らかな眠りを与えられるのです」
絶句した。
なんだ、その無敵存在。そう言えば平原に居たゾンビ共、どいつもこいつも五体満足だった。もしかして俺の不死性と同じでボコボコと治ったりするタイプなんだろうか。燃やしてもダメってのがさらに絶望的だ。それじゃあ天聖技が使えない一般人では対抗手段がない事になる。この世界、かなりハードだ。
「なぜ、こうなったのか、どうして神々の加護が無くなったのか、その理由はわかりません。ですが、それでも我々は生きていかねばなりません」
えぇそうですね……とは言えなかった。そんな他人事が言える様な感じではなかった。それに、どうしてか、その理由という奴に、心当たりがあった。だって、時期が重なり過ぎている。
そしてレイレナードの言っていた言葉を、いまさら思い出した。
『もう終末は始まってるんだよ。この世界はお前が遊んでいた頃とはもう違う。コトワリすらねじ曲がっている』
この世界にゾンビが蔓延った理由――
それは、俺がこの物語を書くことをやめたからなのでは――
「着きました」
そこは村から離れて三十分も歩いた位置にある開けた森の中だった。
その空間だけは周囲に木々が生えず、背の低い雑草だけが辺り一面を覆っていた。そして気が付いた。
その中央だけは草もなにも生えず、ただポッカリと空間の無い虚無があった。
「……こ、これは?」
「【魔壺の谷】です」
谷というには広くない……亀裂の様な穴だった。中を覗くのも恐ろしくなるほど、底が知れない空間だった。
アレに入ったら絶対に脱出できない。そんなの想像するまでもなくわかることだった。じゃなかったら封魔の森など言わない。
アレは、魔血種を閉じ込める監獄であり、処理できない者の投棄場だ。
「我々の天聖技では通用しない魔血種、あるいは魔族や魔獣を封じる場所です」
「俺は違う!!」
とっさにそんな事を言った。
こんなはずじゃなかった。こんなつもりじゃなかった。何度目の『いまさら』が頭の中を通過した。
しかし俺の言葉をフロウェンがさえぎった。
「何が違う! お前は化物だ! 不死者が蔓延るアスハーラ平原を生きて脱出するなど、不可能だ。それにあそこは高濃度の魔素が支配する場所でもある。無事だったとしても、魔血種になるか体が拒絶反応で不死者になるしかない場所でもある。つまりお前はどの道――」
「待ってくれ!! 俺は違うんだ! だから、それも多分不老不死の所為で!」
「【次元の魔女】、レイレナードの仕業だと?」
「そ、そうだ!!」
どうにかして身の潔白を証明しなければいけない。それだけを考えた。だがもう、遅すぎた。手遅れだ。
「まだ状況が理解できていないらしい。魔女レイレナードは魔族側である。そして奴こそが、最後の十三魔人将の一人である。魔族最後の最悪【次元の魔女】である。お前は奴から不老不死の加護を受けた。お前は間違いなく、かの魔女の使徒だ」
「……は?」
初耳だ。知らなかった。なんだよ、その話。
「あいつが、十三魔人将の最後の一人? 冗談だろ?」
そんなの、間違っても、考えてない。設定していない。有り得ない。
作者の俺が言うんだ。創造主である俺が言うんだ。間違いない。絶対、そんなの、間違ってる。
『私が望んでいるのは、精々お前が最大限苦しむ姿を拝むことだ』
再び、脳裏にあの魔女のセリフを思い出して、発狂したくなった。
「嵌められたんだ……」
小さく震える声だが、確信めいた言葉だった。
「なに?」
「俺は奴に嵌められたんだ! こんなの絶対に間違ってる! 俺はこの世界を作った創造主だぞ! この世界を書いたのは俺だ! あの野郎が全部おかしくしたんだ! 絶対にそうだ! 魔血種だ神話なんて絶対にない! 俺はそんな話作ってない! 俺が書いてたのは隆也とフィの物語だ! こんなふざけた気持ちわりい世界は知らねえ! 俺じゃない! 頼む、信じてくれ!!」
「気でも狂ったか?」
「違う! 俺は本当のことしか言ってない! 俺はこんな酷い話しは考えねえ! こうなったのは全部、次元の魔女のせいだ! あいつならきっと出来るし、やる! あの性悪女は絶対にする! だから俺の所為じゃないんだ!」
「フロウェン、落とせ」
「おい、おいおいおいおいおい! 頼むやめろ! デュラン、アンタ! 俺を騙したな!? 何がついてこいだ! こんな事、異世界人にしていいと思ってんのかよ!?」
「貴殿が異世界人ということで、コチラの世界の勝手に巻き込まれるというのも、いささか同情する。ですが、これが我々の秩序を守る手段なのです。それに、魔族に類するものは、すべからく滅ぼさなくてはなりません」
怒りで我を失いそうだった。どうしてこうも上手くいかない。何故これほどまでに理不尽なんだ。納得なんてできない。
だが、俺には対抗する手段なんて一つもない。
俺は不死なだけで、力も技術も何もない。ただの学生だった。
フロウェンは俺の前に堂々とやってくると、強い力で穴に突き落とした。
「絶対に、許さねえぞ! デュラアアアアアン!!!!」
バカみたいに叫んで、お門違いな怒りの咆哮を上げ、俺はやっぱり、頭から落ちた。
そして、彼女と出会った。