【魔術師編】16②
いつからか、風刃が止んでいた。
広場を覆っていた爆煙は既に消え去り、目の前には沼の底から剣を引き抜くジュリアスの姿があった。
『……次は二人で我に挑むか』
「悪い。どう足掻いても一騎打ちじゃあ勝てそうにない。ハンデくれ」
『く……くくく。良いだろう。お前達二人で挑むが良い。さすれば一矢報いることも叶おう』
やはりジュリアスは騎士であると同時に武人だった。俺との力量差も既に理解している。数の差よりも、同等の戦力での戦いこそを善しとする。
お優しいことだ。だが、一対一最強の設定は伊達や酔狂じゃあない。一人増えたところで――そもそも俺がいたら邪魔になるだけだ。
本来、万に一度しか勝てる筈がないのだ。その一度を今、引き寄せる。
「ガイア、キミを見るなってどういう事だ?」
ジェラルドが先の言葉を気にしていた。
「言葉通りだ。俺を見ると、多分覚悟が鈍る」
右手を左人差し指に手を掛けた。指輪に触れ、それを外した。自分でもわかる。
己の変貌した姿を、見せ掛けだけの……ペテンの姿を脱ぎ捨てたのだと。
「なッ!?」
『……ほう。それがキサマの真なる姿か』
周囲が騒がしくなった。どこかのオッサンが叫び声を上げている。多分、この声はジェイド伯のだな。
「ジェラルド。コイツを付けて、奴に切りかかれ。全部、話はその後だ」
初めて聞くハズの声だが、ジェラルドは無言で指輪を受け取った。
『来い、人間に歯向かう愚かな魔族よッ!!』
ジュリアスが地面を蹴って突進を仕掛けた。対して俺は杖を左手に、布を右手に巻き、ジェラルドの盾になるように前に出る。全身を地面に固定するつもりで、敵と一撃の斬撃を交し合った。
だがジュリアスの左の剣はフェイントだった。槍で大薙ぎに払われる。杖で辛うじてそれ防ぐと、今度はジュリアスの左の剣が自由に暴れようとする。
「ジェラルド!!」
「わかった!!」
雄雄しい返答とは裏腹に、可憐な女性の声が広場に響いた。
女の姿が視界の端に現れる。ハルバードを手に、右からジュリアスに襲い掛かる。
咄嗟に左の剣でハルバードの一撃を防ぐジュリアス。だが、その動作に先ほどの精細さや機敏さはない。
明らかに動揺していた。
『――――エメ――リア』
渾身の一撃――そんな言葉が脳裏を過ぎった。
赤い布を巻いただけの拳を無遠慮に、ただの素人の拳一つ、鉄を粉砕する音と共に鎧を撃ち砕いた。
鈍い衝撃が拳に留まらず、肩を伝って、全身にまで伝わった。
【賢奴の赤旗】の拳が、鎧の中のジュリアスを完全に捉えていた。
決着はあっけなく迎えた。
ぶち抜いた鎧の中から、黒い粘液がドロドロと流れ落ちていく。恐らく、魂のような物だろう。濁った、怨念の魂。
「……悪い。こんな最低な策しか、思いつかなかった」
すまないという気持ちはある。やり遂げなければいけなかったのだと言い訳も出来る。だが死者に――高潔な騎士に対して、この策はあまりにも冒涜していた。
『構わない……』
鎧が――ジュリアスが、なけなしの言葉を届けようとしていた。
『憎くて、憎くて、憎悪が止まらなかった。奴をこの手で裁き、血の一滴まで絞り取るのだと、そんな事ばかり考えていた。だが……エメリアが、止めてくれた。目の前で、会わせてくれた』
ジュリアスはジェラルドの今の姿を指していた。
【イデアの指輪】――もしもの世界。違う選択をした場合における違う自分の姿。その幾数多の可能性から女性の姿を選び取り、周囲を、自分にも幻惑させる、宝石を使った魔道具。
視覚だけでなく、香りも、雰囲気も、声も、触覚以外を全てを惑わす。そういう魔道具だ。
エメリアの息子であるならば、ジェラルドがそれを装備すればきっとこの結果になるだろうと、思いついてしまった。
ひどい話だ。
愛した女が自分に襲い掛かるなんて、最悪最低だ。
なのに、ジュリアスはそれを善という。
『ありがとう……この奇跡に、感謝を……――』
鎧の中の黒い泥は落ちきり、【始祖の眷属】は完全に沈黙した。鎧の中に残っていたのは、戦士の服を着た男性の死体。多分、これがジュリアスだ。
首がない。それがどう意味するのか、俺にはわからない。
でも想像する事はできた。たぶん、これはジュリアスの死んだ際に起きた悲劇の象徴なのだろう。
「……奇跡なんてものは、奇術師のペテンか」
全く持ってその通りだ。こんなのは奇跡でもなんでもない。ただの悪知恵と、奇策以下の何かだ。
全てを終えた気持ちだったが、この場に残った問題はまだ解決されていなかった。
周囲を見渡す。
奇異の視線。いや、恐怖の対象としての眼だった。
誰も彼もが同じような眼で俺を見ている。
見覚えのある女性が、俺を怖い目で睨みつけている。その手のハルバードを決して離さず、力強く握っている。
「き、きみは……魔人だったのか?」
ジェラルドが咽喉を震わせていた。腹の中の虫が納まらないといった風に、突然激昂した。
「答えろ!! ガイア!! キミは、ずっと僕を裏切っていたのか!!」
ハルバードの先端を俺に突き出した。
どう言い訳するか。
いや、言い訳なんてする必要を感じなかった。
俺は裏切った。裏切り続けて、隠し通そうとした。
ジェラルドはきっと、俺が魔人だったことが許せないのではない。
騙していたと。偽っていたと。でも、それは仕方がないことだったハズだ。
本当の姿を晒して人の前に出ることが不可能だったと思っていたから、【イデアの指輪】を装備し続けていたんだ。
事実、人間は魔族憎しって思っているのは、全然間違っていなかった。
だからこれはしょうがない事だと言える。
こんな言い方をするのはいささか自分勝手だが、騙そうと思って騙していた訳じゃあない。
俺だって普通の姿だったら、こんな回りくどい事なんてしなかった。
それに俺は魔人かもしれないが、人間だ。人間でありたいと、まだ思えている。
人の心を持っている。それが答えでいい気がした。
「……俺は――人だ」
「人間じゃあなかったんだろうが! こんなものを付けて!!」
ジェラルドが指輪を外して、俺に突き出した。
言葉が痛い。
でもわかってもらいたかった。
過去、魔人に救われた彼ならば。
俺の友達ジェラルドなら。
俺は、友情に甘えようとしていた。それに気がついたのは、終わった後だった。
「……ジェラルド。そもそも魔人ってなんだ?」
「な、なにを――! 言い逃れするつもりか!?」
「魔人って言っても結局は人だ。人間も人だし。魔血種だって、人だ。獣人も人だし、どいつもこいつも、魂持ってたら、それは人だ。それじゃあダメか?」
「そんなのは戯言だ‼」
「……まあ、そうだよな。俺が悪いのは理解してる。悪かったよ」
ダメだった。
裏切りの代償は大きかった。
ジェラルドには納得してもらえない。それならばもう、しょうがないことだ。飲み込むしかない。
人に自分の価値観を押し付けるのには限度がある。これ以上は無駄だろう。
俺とジェラルドでは違う物が多すぎる。生きてきた世界も、価値観も、常識も、立場も、誇りも、誠実さも。
こればかりは奇跡では――偶然ではどうにもならない。
「なぜ……僕らを、人を助けたんだ」
「助けた訳じゃない。自分の責任を果たしただけだ」
「嘘を言うな‼」
嘘ではなかった。純然たる事実を伝えていた。だのに、ジェラルドは納得しなかった。
言葉に、真実を乗せられていない。信じてもらえない。
仕方がないだろう。ウソついてたんだから。信じてもらえなくて当たり前だ。
もう、仲良くはできないな。
友達失格なんだから、当然だ。
「……何故、嘘をついていたんだ?」
「知るか。自分で考えろ」
ウンザリする気分になって、答えを返すのも諦めた。
今のジェラルドには何を言っても、全てが疑われてしまう。
時間の無駄だ。
そんな事をしてたらこの場にいる騎士や天聖術士達に囲まれてまた【魔壺の谷】行きだ。
ジェラルドには悪いが、俺にはやるべき事がまだ沢山ある。ここへ着て、沢山増えてしまったのだ。
ナクアも、そして今はロイン達も待ってる。
途中で脱線する訳にはいかない。
「指輪、返してもらうよ」
ジェラルドの手から指輪をひったくった。
大事な貴重品だ。これがないといけないって訳じゃあないけど。いつかまた役に立つだろう。
「じゃあな。ジェラルド。お前は良い友達だったよ」
返事はない。ジェラルドへの衝撃はとても大きいものだったのだろう。
信じていたのに裏切られた。ひどく傷ついただろう。
最悪の別れ方だ。
でも、最悪の結末は避けられた。
友達と思っていた奴に恨まれるのは正直辛いが、まあ死ぬよりかはマシだろう。
俺はまた走って北へと向かった。街の中はまだ不死者との戦いが続いている。だが、これ以上の危機はもうないだろう。見知らぬフリをしてさらに歩を進めた。
歩いて。走って。飛び越えて。振り返らずに、周りの景色にわき目にもせず。
全力で走った。走った後に、何もない……誰も居ない場所だと思って、立ち止まって、声を上げて叫んだ。
強敵を倒した。街の崩壊は防いだ。ロイン達も命を奪わずに済んだ。ジェラルド達も生き残った。
俺の願いは叶った。俺がやり遂げた達成感はある。俺にしてはよくやったと褒めても良い。
だが何故だろう。女の子みたいに泣きたくなった。きっと見た目の所為だろう。ずっと女の姿でいたから、心まで女々しくなったらしい。




