【魔術師編】Lost → 14①
超重力空間。
確かに銀の鎧の化物はそう言った。それが奴の【始祖の眷属】としての能力なのか。
そうなのだろう。でも、今の俺にはそれがわかったところで、何もできなくなっていた。
重い。服が、体が、頭が、とても重い。自分の重さで体の中の内臓の位置が変わるかと思う程だ。足で踏ん張れない。
ナクアが下になると潰れるかもしれないと思って、自ら下敷きになる。
だが、終わらない。暗黒空間の世界は、まだ広がり続ける。
狂えるほどに息が詰まった怨念の様な世界が、街を呑み込み、全てを踏みつぶした。
家屋が倒壊する。連続して何度も繰り返し聞こえてくる。地面が沈んでいる事にも気づかずに、大地が圧縮される。
まるで大地震だ。
いつまで続くのか。いつになったら終わりが来るのか。
耐え続けていると、視界に真っ青な空が見えた。
死ぬかと思った。死ぬかもしれないと、本気で恐怖した。死なないはずなのに、炎の海でも死ぬなんて考えなかったのに、確実に俺の心には新しい恐怖が埋め込まれていた。
ナクアが腕の中で咳をした。血を吐いて腕の中から這い出た。
「あ、ありがとうございます。ちょっと、本気で死ぬかと思いましたけど」
「悪かった……。間に合わないと思って、つい」
立ち上がり、周囲を見渡した。
酷いありさまなんて言葉では言い表せなかった。これは、世界の終末だ。
街が月のクレーターの様に沈んでいる。
こんなのに巻き込まれたんじゃあ人間なんて、あっという間に死んでしまう。それに気が付いて、ロインや他の連中の姿を探した。
全員、地を這って、それでも動いていた。生きていた。盗んだ荷物も、全部転がして、潰れて、それでも彼らは次の場所へ向かおうとしていた。
ロインに話しかけようとした。でも、何を言えばいいのか、怖くて何も思いつかなかった。
「行くぞ……次が、ある」
だがロインは去りつつあった。俺の待って欲しい気持ちなど知りもせず、過ぎ去っていこうとする。
その時、足を引きずってでも立ち上がる仲間を率いていたロインが最後だとばかりに、俺達に振り向いた。
「ガイア、ナフカ……。お前らにとってすれば、俺達はさぞ惨めだろうよ。だけど、それでも――死にたくないんだ」
行ってしまう。行ってしまった。止めなければいけないのに。
なにも解決できないまま、全てが過ぎ去っていこうとする。もう俺には、何をどうする事も出来なかった。
体も、心も、動かなくなっていた。考えたら止まると気づいていたのに、考えが巡ってしまったから、立ち止まってしまった。
「大智! 目を覚ましてください! しっかりしてください!」
ナクアに肩を揺らされた。しっかりって何だ。これ以上何をどうすれば良いっていうんだよ。
「俺、どこで失敗したんだ」
「落ち着いてください。今の大智は冷静ではありません」
「ナクア、俺はどこで、何を失敗したんだ。俺は何処で間違えたんだ」
「……落ち着きましょう。でないと、何もいい案は浮かびません」
「落ち着いていたら何もかもが間に合わないだろうが‼」
いや、もう手遅れだ。全てが壊れて逝く。倒壊は始り、全てを飲み込もうとしている。
「聞いてください。お願いします」
今度は頭を抱きかかえられた。耳にナクアの心臓の音がする位置で。
「まずは、頭を冷やしてください」
なんだ、この体勢。やけに恥しくなる。子どもを慰めているみたいで、こんな事をされて羞恥心が苛まれた。ジタバタしようと考えると、余計に自分が子どもみたいに思えて、どうすれば良いのかも分からずに、ただ鼓動するのを聞いた。
早かった。今にも死ぬんじゃあないかという程に、脈打つ様に心臓が跳ね上がってた。いや、これはナクアの心臓ではない。
死にそうな音を出していたのは、俺の方からだった。
いつから、こんなに不安定になっていたんだろうか。
わからない。分からなかったけど、自分でも異常だとわかると、肩の力を抜くことができた。
息を吐いた。疲れがどっと込み上げてくるように、胸の中の鈍痛を認識した。頭痛が鳴りやまない事も、今になってわかった。
全部、わかってから、心を静める努力が出来た。
どうやってナクアから離れられるかもそれで理解した。
「もう、大丈夫。落ち着いた」
胸の内から解放されると、真剣な表情をしたままのナクアの顔があった。
その顔を、真面に直視するのが、怖くなって視線を外した。
「大智……。どうして、ロインにあんな事を聞いたんですか?」
そのキツイ物言いは、戻りの船の中で言われた時、フローラ姫に正直に話した事に対して、異議を唱えた時と同じものだった。
「……答えは明白でした。ロイン達は、自ら悪に手を染めたのです。自分達が生き残る為に」
期待。希望。都合のいい解釈。
俺は、本当は気が付いていたはずだ。ロイン達は、盗賊だったんじゃないのか、と。
でも言い訳して、俺はそれを認めたくなかった。生き残る為の手段であるならば、それも致し方ないのかとも考えた。
生きること、生きたいと思う事、それ自体に善悪はない。それはきっと間違いじゃあない。
そうやって誤魔化してきたこと自体が、間違いだった。
「……どうして、ロインを殺す事を許してくれなかったんですか?」
殺す、その単語を聞いた瞬間。息が乱れた。
「大智、まさかとは思っていましたが――人の命を奪う事が恐ろしいのですか?」
なにも言い返せず、言い返す必要も感じず、沈黙で肯定した。
「ずっと違和感がありました。不死者の相手をする時は果敢に挑んでいたのに、生きた人間を相手にすると【賢奴】は使わず、簡単に逃がしました。人と戦う事を意図して避けているように」
「……それは、いけない事か?」
「この場合においては最悪です」
断言された。
「大智のその博愛精神は構いませんが、戦場では最も愚劣な思想です」
「……悪かったな。でも、しょうがないだろ。俺の世界では……もっと平和だったんだ。人を殺すなんて、最も遠い世界だったんだよ。人を殺すのは悪。例えそれが合理的で同情の余地があったとしても、罰するのが当たり前。怪我をさせるのだってご法度だし、武器を持つのも許されない。そういう、場所で育ってきたんだよ」
だから、無理なんだよ。そう言い訳をするのか。
この世界の常識では、通用しないんだぞ。何を甘えているんだ。
「……これはもう無理ですね」
ナクアが諦めたように宣言した。
「大智、この街は捨てて逃げましょう」
「ま、待ってくれ‼」
思わず口が飛びだした。
何を待ってくれというんだと顔をされる。結論を出すことに決まっているだろうが。
「このままじゃあ、【始祖の眷属】がッ! ジェラルド達が危ない! あいつ等には【死の神器】がない! あんな化け物を相手にするのは不可能だ!」
「では、ロイン達を殺せますか?」
「ッ――……それは、説得をして……」
「ロイン達は止まれません。アレは死の淵に追い込まれた人間です。止まれば死ぬと理解しています。止まる訳にはいかないんです」
「だ、だったら、どうすれば良いんだ! 俺は、何をするためにここまで来たんだ」
「大智、状況は二者択一です。どちらか片方しか選べません。そんな訳も聞かない子供みたいにごねないでください!」
「俺は――」
だって、そんなの選べるわけがないだろう。
なんで、どうしてこうなる。この街を、ジェラルド達はまだ戦っている。早く行かないと、手遅れになる。皆、殺されてしまう。
でも、銀の鎧に辿り着くには立ちはだかるロイン達をなぎ倒さなくてはいけない。それはロイン達にとって死を意味する。
どっちを選んでも、どちらも選ばなくても、俺の知っている人たちが死んでしまう。
答えを出すなんて、無理だ。
それでも、俺は――逃げたくない。逃げたら、もう取り返しがつかない。
「――逃げたく、無いんだ」
「いい加減にしてください‼」
ナクアの怒鳴り声が耳を撃ち抜いた。
「私は、大智が傷つくのを見たくありません。これ以上、大智が苦しむのを見ているのは辛いんです。なんで目の前で、いつも苦しんでるんですか。自罰的で、何をしても物足りなさを見せつけて。誰かに心配されている事なんかお構いなしで、自分がどれほど愚かな事を言っているのか、解ってるんですか!?」
そんな事を言われても、困る。だが困らせていたのは、俺の方だ。
いつから心配されていたんだ。ずっと前からか。それとも初めからなのか。スタート地点からなのだろうか。
ああ、ナクアは怖がっているフリをしていたんだ。頼るフリをして、俺に自信を付けようとしていたのか。頼られていると思えば、それが糧になるのだと。
俺は……全部、間違っていたのか。
また気づかない内に失敗していた。なんで、こうもまた不安にさせていたのか。どうして、人の真意に気づけないのか。
「大智、人には自分の行える限界があります。大智はその許容範囲を大きく上回って背負い込もうとしています」
以前にも聞いた言葉だ。
「今回の件は大智には、無理です」
無理。不可能。手の届かない領域。だから諦めろ、と。
わかってるって、以前なら簡単に口に出せそうだったのに。
いまでは、解っていなかったのだと強く認識させられた。
「逃げましょう」
「……逃げて、いいのかよ」
「逃げるしかないじゃないですか。他に方法がありますか?」
理屈の上で完全に逃げ場がなかった。
今の俺には不可能で、だからジェラルド達を見捨てて、ロインから逃げ出して、それで全部おしまいだと……。
どこかで、同じような事があった。
赤子地蔵から逃げ出して、ナクアを見捨てて。
その結果、俺は強く後悔した。もうあんな後悔をしたくないのだと。だから頑張ろうと心に誓ったはずなのに。
結果はごらんのありさまだ。
ここから先は、どのような選択をしても後悔が生まれる。
後悔は、害虫の様にいくらでも湧いて出てくるものなのか。
……子供の様に、嫌だと叫ぶ自分がいる。あっちもこっちもと、なにも選ぶこともできない自分がいる。どちらも欲しいと駄々を捏ねる幼い、醜い自分がいる。
考え自体は立派かもしれない。どちらも救いたいなんて、まるで仏の様ではないか。でも、それは単なる理想で、夢想で、夢物語だった。
夢物語――都合のいい事ばかりを描いた世界。そんなもの、異世界だってありえない。
今回は、諦める。
次、頑張ればいいだろう。今回はダメだったけど、次に生かせばいいだろう。
そんな風に考えたら、力が抜けてきた。魂が死んでいく様な気がした。それが今回においては、正しい選択なのか。いや正しくなんかない。
俺が不甲斐ない為に起こり得てしまった、そういう下らない結末。
「――行きましょう」
ナクアに手を引かれる。
立って、歩こう。止まることは出来ないんだ。
俺にはナクアを故郷に送り届ける義務がある。義理や人情などではなく、これは責務だ。誰にも代わってはいけない、俺の大事な罪だ。
でも、最後の最後で、足が竦む。立ち止まる。
これ以上は、時間の無駄なのに。
「どうしてですか?」
わからない。もう頭の中が真っ白だ。どうしてこう、俺はいつも頭の中で思っている事と行動する事がチグハグなんだ。
「迷っておられるのですね」
『コンッ!』と、小気味のいい木の棒が地面に叩く音がした。
それはどこかで聞いたことのある老人の声だった。
「さて、地の果てもさながら。人の死が渦まく場所で動けずに立ち止まって迷う少年がいる。ここは知恵の宝庫たる老人の出番だと思うたが、私では力不足かな?」
いつかの夜の様に、カンテラの付いた杖を片手に、手綱を手にしたジャック・Oと名乗った老人が、馬を引き連れて登場した。




