【愚者編】4
深い森の中に、ぽっかりと光が差し込む村があった。といっても、到着は夕刻。もはや空に燈色と夜色のコントラストが映る程度だ。
村の外側には柵が設置してあり、罠があちこちに設置されていた。迂闊にここまで進んでいたらまた怪我をして痛い思いをしていただろう。早めに彼らに見つかってよかった。
怪我は治るがやはり痛いのは嫌だからな。
外から帰ってきた彼らは住人たちに迎えられ、俺は奇異の眼で見られていた。彼らは一様にして視線を合わせようとはしなかったが、俺の存在には興味があるらしい。
住んでいる人の数は家の数からして五十人以上百人未満と言ったところか。子どもも大人も多いが、年寄りの姿は全く見なかった。人工年齢ピラミッドが今の日本とは逆だな。
ところで、人と出会って心にゆとりが生まれたお蔭か、現在の自分の服装が気になり始めてきた。後でいらない服でももらえたりしないだろうか。
案内されたのは牢屋ではなく、民家だった。たぶんこの村には牢屋というのがないのだろう。
「長を連れてくる。しばらくゆっくりしていてくれ」
「ぜひそうさせてもらいます」
もはや何でもいい。安心して横になれる場所なら地べたでも泥の上でもいいとさえ思った。やっとホッとして体を横にした。体は一切疲れている様子をみせないが、心の不調は全く隠れていなかった。
深く息を吸って、静かに吐いた。それだけで表情が緩んでいくのを実感した。
「……気分はどうだ?」
「えぇ、落ち着きます。ありがとうございます」
エリルと呼ばれた女が今のところ見張っている。警戒はしているが、俺はそんな事一切気にしなかった。草原にいた規格外の魔物等に比べれば、理性的で文化的かつ社会的な人間相手なら、もはや剣を向けられても平然としていられる。
「一応聞きたいんだが、どうやったらそんな恰好になるんだ」
「この服装? あぁ、もう散々だったよ。何度死んだことか」
「その割に元気じゃないか」
「いやいや、もう血風舞う大惨事の連続でしたよ。地面と衝突事故した後にゾンビ共主宰による御馳走パーティ、突如現れる化物達によるサプライズイベント、そして空まで吹っ飛ばされたあとは五日間も単独でサーチ&ランですよ。俺じゃなかったら死んでますね」
冗談っぽくなってはいるが、誇張なく告げた今までの経緯を彼女は『なに言ってるんだ?』と冷ややかな目で答えてくれた。
そりゃそうだろう。俺だって彼女側ならまともに相手しない。
「まあ、いろいろあったんですよ。だから見つけてくれたあなた方には本当に感謝しています。本気で訳の分からないまま彷徨うんじゃないかって不安だったんですよ」
エリルは怪しげなモノをみる眼で俺をずっと監視していた。それを他所に部屋の奥で横に寝っ転がって、安心するように目を瞑った。
このまま眠ってしまえるんじゃないかと思ったが、一向に眠る様な微睡みを感じない。たぶん、不老不死の呪いのせいなんだろう。今更だが、【異世界戦線日記】の世界に来てから、俺は一睡もしていなかった。
夜も朝も昼も夕も関係なく逃げ続けていた。だから喰われたのは最初のあれ一回きりだ。それ以外は要領よく逃げ切れた。
そういえば食事もとっていない。腹が減ったと感じていなかったから忘れていた。まあ考える暇もなかったけれど。
(睡眠欲、食欲。人間の三大欲求の内、二つが無くなったとか、不老不死凄いな。いや、もしかしたら性欲も既にないのか?)
そういえば、完全生命体は生殖活動の必要性がなくなるので、性欲がないという話を聞いたことがある。不老不死であるなら、種を残す必要性が無くなるのではないか――と考えた時、この話は考えないようにした。なんだか不毛な気がする。今は辞めておこう。
そんな事を考えていたら、入口から三名入ってきた。当然座りなおして彼らを見る。
一人目は俺をこの村に案内してくれた中年男。弓は持っていないが、腰に短剣を帯刀している。今更だが少し物騒だな。
その次に入ってきたのは中年男性と同じくらいの歳、背が少し低く髭の長いオジサン。着ている服の紋様がエリルや中年男性と比べて複雑で少し多い。位が高い服なんだろうと少し感じられた。
その後ろから二十代後半くらいの青年がいる。三人目のオジサンとやや雰囲気が似ているのと、同じく髭を伸ばして整えている。どことなく不機嫌というか、常に睨みがきいた目が怖い。
「ふむ、この方がかの異世界から訪れた者か。随分とまた、年若いのがきたのですな」
開口一番、値踏みするように若い男が俺を見て言った。
それを二番目に入ってきた背の低い男が止めさせた。
「デクレロ。あまり失礼な事を言うな。かの【破刃の英雄】も十五だったと聞く。見た目や若さだけで力量を推し量ってはいけない」
続いて最初に入ってきた中年の男が。
「あの【聖獣の婿】様とはずいぶんと雰囲気が違いますがね。彼はなんというか、もっと軟弱っぽさがします」
思い思いに喋り出すので詳しく話を聞きたかったが、今はやめておいた。自己紹介すらまだであった。
「初めまして。異世界から来ました、明坂大智といいます。この度は助けていただき誠に感謝しております」
あんまり丁寧な言葉選びがわかっていないが、なんかこう言っておけばいいような気がしたので口が勝手に動いた。
すると背の低い中年男性が口を開いた。
「いや、失敬。我々も名乗らねばな。私はこの【封魔の森】の管理をしている守護者の長をしているデュラン=レイ。それからこちらは我が息子のデクレロ=レイ。それからアキサカ様を確保したのは戦士長をしているフロウェンです」
「ちなみにそこのエリルは俺の娘だ」
フロウェンが釘を差すようにしていった。その目は「娘に手を出したらただじゃおかねえ」と言っていた。目は口ほどにとはよく言う。
しかし俺、彼らに嫌われているのか?
……なんだろう。そう言えば彼らは最初から態度がどこか棘がある。疑っているというか、怖がっているというか――恐れている感じだろうか。
バカな。万引きすらできない人畜無害である俺の何処に怖い要素があるのか。精々ピンポンダッシュくらいだ。
いや、被害妄想が過ぎるか。異世界から来たとか、よくよく考えたら正気のセリフじゃないよな。コイツ頭ぶっ飛んでる、とか自然に思うはずだ。俺だって普通は信じない。
「さて、いろいろ聞きたい事もあるでしょうが、まずは我々の質問に答えていただきたい」
「えぇ、構いませんよ」
とりあえず無害アピールをしなければ。案外簡単に「出ていけ!」とか言われる気がした。別段、この村に腰を据えるとか長居するという気持ちはないが、しばらくはゆっくりしたかった。
「まず、貴方はどこから来たのですか? 北の方角から来たとフロウェンより聞いておりますが、まさかアスハーラ平原から来られたのですか?」
「あー、えっと。まあ北の方角から来たのは間違いないんですけど。地名まではわからないです」
「ではその地に【不死者】はおりましたか? 奴らに襲われたりはしませんでしたか?」
「不死者?」
あのゾンビ共の事を言っているのだろう。意味合いは同じだし。
「大勢いましたね。もうあんなところに二度と行きたくないですね」
「……よくご無事でしたね」
「全然無事じゃなかったですけどね」
「詳しく聞いても?」
「あー……あんまり聞いても面白くないですよ」
思い出すのも憚られる。できれば思い出したくない。ただ襲われて、喰われて、吹っ飛ばされて、逃げ回って。
と、舌の回りが悪くなると、デクレロがいきなり怒気を吐いた。
「おい、正直に言えよ。返答次第じゃお前ひとり駆除するくらい――」
「デクレロ。落ち着け」
長が息子を手で制した。
「すまない。この村は少々、よそ者に厳しくてな。コレも悪気がある訳ではない」
「えっと、そのすみません」
何が悪かったのか理解する前にとりあえず謝っておこう。
「貴方が来た異世界ではどうだったのかは知りませんが、普通あの平原を無事に生きて脱出できるものなどいないのです」
「いや、だから無事じゃないって言ってるじゃないですか」
「いえ、現に怪我などしておられないではないですか」
「そりゃそういう呪いを受けたからです」
俺以外の全員の雰囲気が変わった。
「……呪いだと?」
なんだ。マズイ気がする。言うべきではないと直感した。が、その直感は少々どころかもう遅すぎた。
そして気が付いた。フロウェンの手が腰の短刀を常に触れている事に。そして俺を挟んで反対側のエリルも常に緊張している。
どこでミスった?
いや、まだわからないだろ。何を怯える必要がある。落ち着けよ。俺は不老不死だぞ。大丈夫だ、何があっても死にはしない。
「ぜひとも聞かせていただきたい。その呪い、どういったもので?」
「不老不死です。空高く地面に激突しても数秒で生き返ったり、不死者に喰われても元に戻ったりする呪いです」
「ほう。それはまた、素晴らしい呪いですな」
「普通はそうかもしれないんですけど。ただ、不老不死の体でちゃんと死ぬ事ができないと俺は現実に帰らせないって。いや、それはいいのか。とにかく死ねない体だから襲われても治るし、ここまで何とか逃げてこれたってだけなんです」
「なるほど。貴方も災難な方だ」
そう言ってもらえるのが本当にうれしかった。思えばこっち来てからずっと一人でどこに行けばいいのかわからず彷徨ってきたんだ。少しくらい優しくしろよ。デュランさんがこの世で最も頼りになる存在に見えてきた。
……。
これが尋問のアメとムチってヤツなんだろう。あるいはストックホルム症候群の前兆だろう。俺は何も考えていない馬鹿だった。
なぜ、もっと思慮深く物事を考える事ができなかったのだろうか。考える必要もないとでも思っていたのだろうか。もっと上手くやれば、もっと柔軟に動けば、もっと状況を理解していれば――
「で、その呪いを掛けたのは誰なんです?」
デュランの言葉に俺は迷う事無く答えた。
「【次元の魔女】レイレナードって奴です」
――俺は、あんな後悔をする事も無かっただろう。