【愚者編】3
頭の中が真っ白だ。
つい先ほどまで起きた事を頭で理解しようとして、笑いが込み上げてきた。
「なんなんだよ、化物共は……」
笑いながら、震えた。歯がカチカチとうるさい。
冷静になればなるほど、余計に頭が可笑しくなりそうだった。
「ゾンビ共に襲われたと思ってたら、突然現れたモンスターが強襲? それに吹っ飛ばされて無事に脱出? いや、無事じゃなかったけども」
不老不死の呪いがあるから五体満足で生きているが、本来なら絶対に助からない。今でも怖くてたまらない。ほんの数分の出来事だったとしても、心にはちゃんと強烈なトラウマが刻み込まれていた。
大体なんだ、あの魔物というかモンスター達は。
「あんなの、俺は知らないぞ」
世界戦線日記にゾンビなんて出したことはないし、あんな奇抜なモンスターの数々を創造した憶えがない。青鬼やら狼男ならまだわかる範囲だが、超速度で動く棒人間やら石の巨大赤ちゃんなんて気持ち悪すぎる。
魔物は確かにいるけど、精々が野生動物と同じカテゴリー。ゾンビは死霊術の産物で術者が居ないとダメって考えの筈だ。というか、もともと戦争がメインなのだ。魔物の設定などそこまで深く練っていなかったはずだ。
「戦争でゾンビを大量生産したとか……? いや、そんな話、さすがに忘れるか?」
じゃああのゾンビの大群はなんだ。
考えてみるが、まったく答えなんてでてこなかった。
次第に考えるのが嫌になった。
正直、疲れたのだ。面倒だった。
誰かに説明してほしかった。
「……まずは人を探そう」
未だに心の中で「どうにかなるだろう」と呟きながら、奴等から逃げるようにさらに南へと移動し始めた。
まともに現状を直視する事を拒絶したくなったのだ。
それからは草原の中を腰を低くして、地面を探る様に、隠れて移動した。
魔女に落とされた場所と比べると、まだゾンビ共はそれほど多くは無かった。が、多くないというだけだ。あんな恐ろしい事をしてくる奴等を無害などと思う訳がない。奴等は物音にはそれほど敏感ではないようだが、俺がどこに居るのか、というのはなんとなく察知するみたいだ。
奴等は皆一様に、黙ってこちらを見てくるのだ。
ジッとして顔を俺に向けている。
それがわかるとやっぱり全力で走った。
そうしてやっとわかったのだが、この体には疲労感がない。
どういう理由なのかはわからないが、いくら全力で走っても息が切れたり、足が限界を迎えることは無かった。夜になっても朝を迎えても、疲れを感じなかった。だから全力で走り抜けることにした。そしてしばらくしたら、また索敵しながら歩き始めた。
そうでないと走ってる間にまた足を取られるかもしれないからだ。
そうやって危険回避していたおかげで、あれから一度も噛まれたり喰われる事無く五日が経過した。
やっと、草原の終わりに辿り着いた。
草原よりも深い緑、ため込んだような濃い草木の臭い。
陰湿な森だった。
普段ならこんな場所に足を踏み入れようなんて思わない。が、ゾンビ草原地帯と幾分もマシだった。ゾンビ共はどういう訳か、南に移動するほど数が減っていた。ならばこのままさらに南下した方が奴等との遭遇率も減るだろう。確証はないが、今はそう思うしかなかった。
迷いなく、俺は森に逃げ込んだ。
それから無心で森の中を歩き始めて三時間ほど経過したころ。
この森の異常性にやっと気が付いた。
(静かだ)
自分の呼吸と地面を踏みしめる音か、風にあおられる木の葉の波音しか聞こえない。生物の気配がまったくない。まるで初めから生きている存在などどこにもいないかのようだった。
(引き返すか)
行き当たりばったりの行動の結果。俺はやはり迷い始めてきた。
道に、という意味もあるが……根本をいうと行動方針だ。
ここを突っ切れば人がいるのかというのも当然不明だ。じゃあ引き返して草原地帯に戻るなんて論外だ。あんな場所を歩くくらいなら不気味なだけの森の中の方が危険ない。ならばまだ森の中を移動するしかない。そもそも引き返す道も覚えていなかったのだが。
進めば進むほど光が減っていく。
木々の深緑が徐々に濃くなり、進めば進むほど不気味さが増す。本当にこのまま進んでもいいのだろうか。いや、どこへ行けというのだ。
もはや真っ直ぐに進んでいる感覚すらない。完全に遭難していた。
浅はかな行き当たりばったりの思考の結果、気が付いたときには何も選べない状況に陥っていた。その事にいまさら気が付いた。
汗は出ない。
喉も乾かない。
足は今のところ動く。
だが呼吸は荒い。
指先が震えている。
不安でしょうがない。
このまま進んでもいいのか自信がない。
もしかしたらこのまま永遠に帰れないかもしれない。
自然と、弱音が心を支配していくのが手に取る様に分かった。
恐怖と焦燥が同時に精神に負担を掛けてくる。
気がつかないうちに視線は下ばかり向いていた。
まともに顔を上げられる気分ではない。
だから足元に突然、弓矢が突き刺さったのにもすぐに気が付いた。
「止まれ!」
そんな女性の声が聞こえた。
耳を疑った。疑ったがすぐにハッと沈んだ気分が浮上し始めた。
「キサマ、どこから来た!」
声の先を探した。目の前には誰も居ない。声は上の方から聞こえてくる。
ならばと更に上を見て、木の枝の上に人影がいるのを発見する。
「ここを【封魔の森】だと知って来たのか⁉」
(封魔の森? 聞いたことのない単語だ)
「し、知らない!」
「ならばなぜここへ来た!? 返答次第ではただではすまんぞ‼」
「偶然だ! コッチに来てから右も左もわからないんだ!」
とにかく人と出会えて、まともな会話ができてうれしかった。武器を向けられている事実など気にもしなかった。
「動くな。……おかしな格好だな」
そう言われて自分の恰好を確認する。来ているのは高校指定の学生服だが、喰われたり吹っ飛んだりで破れたり千切れたりで、無人島生活十年目って具合だった。
女は訝しんだ目でじっくりと観察している。
それと同時に木の陰から姿を現した。茶髪で肩口までのセミロング。町娘という感じの軽装の服の上に胸当てとベルトにポーチ、弓を構えてと弓筒を腰にしている。耳が長ければエルフだと思う処だが、耳は普通に人型のそれであった。
「フム。黒髪に黒い目……。異世界の住人によくいると言われている特徴だな」
今度は男の声が聞こえてきた。違う木々から目をのぞかせていた。見つけた時はびっくりした。どこの暗殺集団かと深読みしそうだ。
「貴殿、名は何という?」
「明坂大智、です。俺は確かに日本からきた異世界人です」
何から説明すべきか逡巡したが、ウソをつく理由が思いつかなかった。全部正直に言うつもりで話しをする。
「エリル。弓を収めろ」
「よろしいんですか?」
「昔、ニッポンという世界があると聞いたことがある。そこには奴の様な黒髪黒目の奴が多くいるそうだ」
「……得体がしれませんよ?」
「心配するな」
男は木の上から俺の目の前に着地する。
動物の毛皮のベストを着て、髭を蓄えた野性的な格好。まさに狩人と言った様相だ。白髪も混じっているのでいい歳なのだろう。顔のシワと相まって渋さがある。
「助けてくれるのか?」
「ちょっと違うな」
腰からある程度の長さのあるロープを取り出した。
「悪く扱う事はしないと約束しよう。抵抗しないでいただけると助かる」
「あぁ、そういうことね」
どうぞお縛り下さいと両手を突き出す。
化け物に襲われるくらいなら人に捕まる方が何十倍もマシだ。
「もうなんでもいいよ。牢獄でもなんでもいいから休ませてくれ。死にたくなるほど疲れたんだ」
そう言うと、目の前の二人は何か微妙な表情を浮かべて手を縛って村まで案内してくれた。