【愚者編】1
俺がそれを書き始めたのは14歳の頃だったか。
中学時代、2、3年生の間を跨いで書いていた作品だった。簡単な切欠はそのころに流行っていた深夜アニメやライトノベルだろうか。自作小説と謳っているが、その頃に見ていた作品の影響が色濃く見えるものだったはずだ。
詳しい事は全く覚えていないが、どうせそんな感じだった。
はっきり言って目新しい事など何もない、つまらない物語だった気がする。
よくある剣と魔法のファンタジーだ。『なぜ』とか『どうして』とか、超越した――いわゆるご都合主義の詰め合わせの世界観。
平凡な現実世界に生きる【浅見隆也】という少年が、異世界の白い聖獣で幼女設定の【フィ】を助けてしまい、【十三魔人将】と名付けた敵から助ける――というのが大筋の物語だ。……概略を思い出すだけでも浅はかさが漂ってくるのは我ながら恐ろしい。
一年間かけて書き続けていたのだからそれだけではないのだが、まとめるならそういう物語だ。そして自分の中でも思い入れの深い作品だった。
書いていた当時は……気分だけはそれはもう自らが時の人、ブームの真っ只中に居る気分でノリノリであった。周囲の全てを放棄する勢いでパソコンの前に没頭して活字と戦闘していたモノだ。我が世の春と言わんばかりに楽しんでいた。
ただそこはやはり中学生の凡人……文章も無茶苦茶でお世辞にも他人の目に触れて無事なモノではなかった。覗くだけでも憚られるほどの酷い妄想と文字の羅列の数々。当然、人に見せた事もないし、読んで貰いたいなどと一切思えないモノだった。
そういったことで、完璧に自己満足の世界を作り上げた結果、一年にも続く妄想の物語は突拍子もないオチで締めくくられた。いや、文章中に何も書かれていないでオチすらない。
飽きたのだ。
一年間続けていた趣味と妄想の塊、魂の黒歴史を、「飽きた」の一言で全てが終わったのだ。
色々な思い入れがあったのに、終わらせてしまったのだ。
主人公の隆也と、ヒロインのフィが運命の出会いを果たし、十三魔人将の一人を撃破し、そいつから奪い取った最強武器を手にして異世界に殴り込みを開始する。人間と魔人の戦争にて、劣勢を強いられている人間を救い出し、各地に散らばった勢力を吸収、統合させ、大軍勢率いる十三魔人将を倒し、世界の中心【アスハーラ草原】にて勝利を収め、さあ魔人共を駆逐していくぞッ! ……なんていう時点で熱が冷めたのだ。
まあ自軍勢力が劣勢からの優勢に――というのは燃える展開ではあったが、その後の意欲まで燃やし尽してしまい、俺は逃げるようにキーボードから手を引いたのだった。
まあ受験も控えていたし、ちょうど都合もよかったんだと当時は考えていたかもしれないな。
その後、高校生になってからいくつかの別の話を作っては放置し、構想を練っては凍結し、終ぞまともな完結作品は現れることは無かった。そもそも『異世界戦線日記』以上に長く続いた作品自体が無かった。そう言った意味でも、このタイトルは俺にとっても特別と呼べるような作品ではあった。……まあ、二度と目を通すとも思わなかったのだが。
そんな世界に、自分が現れる。
お空の上に。
普通は慌てる。でも俺は普通じゃなかった。正確に言えば精神状態が普通じゃなかった。『もう訳が分からないよ』って具合に理解することを放棄したのだ。
たぶん地面に激突して死んだら目が覚めるんだ。これはそういう夢なんだ。案外、俺は落ちる夢という奴を今まで何度も観てきた。決まって激突した瞬間に目は覚める。そして目を開けると夜中か朝で、深いため息を吐くのだ。
「あぁ、もう一回寝よ」
とか言って今度は熟睡するのだ。
などと大地激突まで自由落下していると、一面ゴアステージに変わった。
頭が割れた。比喩じゃなくて文字通り。首が折れて体がスーパーボールみたいに跳ねる。ついでに穴とか裂け目から血が飛散する。
声を上げる暇も無かった。痛いなんて言う暇もない。呆気ない死にざまだった。
落ちた瞬間の痛みというのは、全身の骨に直接ダメージを与え、息も出来なくなるくらい内臓が働かない。全身が硬直して脳みそが機能停止したように何もできない。この感覚をまさに「あ、俺死んだ」と思う瞬間だろう。
というか絶対に死んでいる。
でも、目が覚めない。あの魔女、嘘つきやがったな。死んだら現実に帰れるっていってたじゃないか。いや、不老不死の呪いがあるんだったか。
思い出すように息をしてみると、海中から浮き上がった時と同じぐらい息を吸い込んでいた。
「生き……てる……。死んで、ないじゃん」
全身の肉と汁があちこちに飛んでいる草原の中で、俺は確かに生きていた。腕は動く。足も動く。胴体はまだ動きそうにない。頭は働いている。首は動かない。
試しに地面に激突した際に粉々になった頭に触れてみる。
頭蓋骨がせんべいを割ったみたいに動く。指で押しただけで深く奥に入る。同時に思考がとろけるチーズみたいに落ちていきそうだったので、すぐに手を退けた。
口から吐き気を感じたのでとりあえず思いのまま吐き出す。黄色い吐しゃ物だと思って吐いたモノは鮮やかな赤い液体と、破裂してヒモ状になった青色みたいな気持ち悪い何かだった。……たぶん臓器の内のどれかだと思われる。
「どうなってんだこりゃ」
少し考える。
口から出た物が何かを考える。とりあえず形はわからないが臓器っぽいのはわかる。落下した衝撃で体の中身のどれかが破裂したのだろうか。それを口から吐いた。気色悪いなぁ。
いや、そこまで起きていて無事で済むわけがないのだが、生きているのだからたぶん大丈夫なのだろう。
もしかしたら奴の言っていた不老不死とは、相当やばい領域の呪いかもしれない。
しばらくして落ち着いてくると、全身の痛みも消え、思考も随分とまともに働くようになってきていた。それでようやく周囲を確認。
飛び散った肉片の中には、わたくしのクリッとしていたであろう御目眼があったり、折れた歯であったり、血であったり……まあ要するに落下した際に欠損した我が肉体があちこちにあったわけだ。勝手に消える訳でも無く、その場に残り続けている。ここが屋外で良かった、掃除する手間がいらないな。
対して、俺の両目はきちんとあるし、歯も全部揃っている。骨はもう折れてないし、奇妙なことに肉がごっそりと減っている部分も無い。これでは質量保存の法則が乱れるぞ。
「嘘だと思うが聞いてくれジョニー。俺は今確かに死んだはずだ。その証拠に見てみろよ。この青く碧い美しい草原の真ん中で、真っ赤な肉片の花に囲まれてるんだ。これ、全部俺のお肉とお汁なんだぜ? はは、笑えるね。だのにどういうこった。全身がプラモデルみたいにバラバラにならずに、俺はこうして無事なんだ。ジョニー、俺はいったいどうなっちまったんだい? ハハ、マイケル。何を驚いているのさ、ここは夢なんだ。どんなことがあっても死ぬわけがないだろう? まったくマイケルはおっちょこちょいだな。おっと俺としたことがあまりのショックに気が動転してたみたいだ、センキュージョニー。良いってことマイケル」
「ずいぶんと楽しそうだね、マイケル君とジョニー君」
俺が一人ジョニー&マイケルを遊んでいると、頭上から魔女レイレナードの声が聞こえてきた。奴は空中に膝を組んで椅子にでも座っているようにして浮いていた。ずいぶんと偉そうにして見下してくれる。
「愚かな貴様の事だ。そうやって永遠と遊び続けるかもしれないと思っていたけれどね」
「……正直、面倒だし、どうせ夢だと思ってるさ」
「だろうね。ま、好きにすればいい。いずれ分かる事だけど、どうやったってキミは死ねないし、現実には帰れない。老衰すらできない。ただし、死んだ痛みは発生する。死ぬことの出来ない貴様はいつか世界が崩壊した時、永遠と死ぬ痛みを受け続ける事になるだろうな」
「世界崩壊って、そりゃまた気の長い話だな。それって何千、何万年後の話だよ」
「そう遠くでもないけどね」
吐き捨てるように言葉を投げると、魔女レイレナードはさらに続けた。
「もう終末は始まってるんだよ。この世界はお前が遊んでいた頃とはもう違う。歴史の修正改変から始まり、コトワリすらねじ曲がっている。お前が管理していた頃とはもはや根本から違っている。だから期待などしていない。私が望んでいるのは、精々お前が最大限苦しむ姿を拝むことだ。が、せめてこの草原地帯からは脱出してみせろ。興にもならんからな」
奴は言いたい事を終えると右手を横に振った。それだけで空間に亀裂が生まれた。その亀裂に吸い込まれるように姿が小さく消えていき、気が付けばあっという間にいなくなっていた。
「……意味わかんねえし、どうしろってんだよ」
軽く舌打ちし、憤りが少しだけ表に出てしまった。
いけない、少し深呼吸して頭をリセットしよう。
とりあえず現状の確認をしましょう。
何処を見ても青と碧の大草原の中に立っている。雲ひとつない晴天、太陽は傾いていて、今が朝なのか夕方なのか、判別できない。
場所も時間もわからない。
どうしよう。マズイって状況なのはわかるんだが、あまり危機感を覚えないな。やはり自分で作った世界だからだろうか。
「……といっても、実物は違うな。ここまで想像したことなかった。まるで碧の海みたいだ」
風が生い茂る草の葉を掻き分け、小波の様な心地よい音が耳に響いてくる。
見渡す限りの大草原。腰ほどにもある高い草が海波の様になびく様はある種の感動すら感じる。
草原の向こう側は遠く、澄み渡る青空との間には白んで薄く見える山脈がコチラを覗いている。あんなに遠くの山から不定期な突風が吹いている。
草の臭いがする。鼻に付くような強烈な臭いではない。自然体で受け入れられるような、それと特別に居心地がよく感じれられるような。田舎の祖父の家を思い出したが、それと近いのかもしれない。
「すげえ見晴らしのいい場所だ」
まあなにも無さ過ぎてこれからどうしようか何も思いつかないのだけれど。本当、これからどうしたらいいんだろうか。
考えると同時にあくびでもしたくなった。そういう気分だ。
能天気だと言われるかもしれないが、しかしどうしても危機感や焦燥感が湧いて来ない。と、なるともう理由は一つだろう。
不老不死の呪いがあるからだ。
決して死ねないのであるならば、死ぬ要素に対する危険性が丸でないのだ。
「そっか。不老不死っていうくらいだから餓死するってことはないだろうし。時間は無限にあると思ってもいいか。あの魔女、なんか焦らせる風に言っていたけど……それほど気にするほどでもないか」
そんな風に、当初は考えていた。
後にして思えば、馬鹿なもんだ。俺は奴の忠告を聞いていたようで、全く覚えていなかったのだから。そもそも聞き流していたのだから始末が悪い。
奴の言葉を真に受けていれば……この【アスハーラ平原】がこの世界で最も危険地帯だという事に気が付きはしなくとも、用心くらいの心構えができるはずだったのだから。