【愚者編】19
赤子地蔵は倒した。ナクアも生きている。戦果は上々と気分は軽やかだった。
戦闘後の状況確認として、俺が放ったフレアラの有無を確認した。が、どうやらフラッシュバンの際に砕け散ったのか、首にかける紐しかなかった。
しばらくはナクアのフレアラを借りて行動する事にした。
【賢奴の赤旗】こと、触れたら死ぬ布はどうすべきだろうか。
俺にとっては最初の武器であり、唯一の戦闘手段であり、恐らく加減の効く武器ではない。今は感じないが、触れた対象を死に至らしめるものなのだろう。それなら服の内側に隠しておかねばならない。
ナクアを担いでたらうっかり当たった、なんて事になれば全てが水の泡だ。どうやら、俺が触れても大丈夫なのは、単純に不死身だからなのだろうな。
特に何かを説明されたわけでもないが、そう考える他に理屈は思い浮かばなかった。
「死神なのか。それ以外の似て非なるものか。それより、あの奇妙な毛先が金の黒髪ロングの男がなんだったんだ」
落ち着いて考えてみても、心当たりはなかった。強そうではあったが、あんな人物は見たこともないし、物語の中で登場させた覚えもない。あれだけ強そうな存在であれば作中に登場させている可能性もあるのだが、しかし名前も能力も思いつかない。
「結果として助けられたってことなんだろうけど、また現われたりするんだろうか」
よくわからない事だらけだった。
それからしばらく、俺は一人もくもくとナクアを背中におぶって地下神殿の一本道を歩き続けた。
疲れを知らないから時間経過の感覚も薄く、とにかく歩き続けた。
途中、自分達が侵入してきた穴を通り過ぎた時に、ふと思い出して【魔壺の谷】の底まで戻り、ナクアの食料である僅かな肉(皮を剥いだ蛇肉)と雑草を回収した。
まだまだ歩き続けると、大広間があり、階段があり、上っていけばまた通路があり、しかし最深部と違って部屋が幾重にも並んでいた。中を覗けば棺桶の列。
「……墓所か」
【死の神器】の眠る場所に墓地とは、ここは死の神を祭る聖地みたいだ。あながち、間違ってなさそうなのが恐ろしいところだ。
自分なりの納得をすると、やはり歩き続けるだけだった。
墓所が何十箇所もあり、それが何十階層もある、そういう場所だった。
歩いて。上って。歩いて。上って。歩いて。上って。
その間、いろいろなことを考えていた。考えはしたが、決まって問はナクアに対するものだった。
ナクアは未だ目を覚ます様子もない。そもそも起きたらまず何を話せばいいのか。それより一番は謝罪からだろうか。でも何から謝るべきか。
でも口だけの謝罪など意味はないだろう。言葉ではなく行動で示すべきだ。だとしたら、俺はどうすればいいのだろうか。直接本人にでも聞くべきか。
意味の無い自問自答を繰り返し、同じ光景の退屈を紛らわしながら、それだけで歩き続けていた。自分がどこにいるのか、地上に出ようとしているのか、それとも通りすぎて天国へ目指してるんじゃないかと疑っていた頃、ナクアが目を覚ました。
「ここは、どこ?」
ナクアだ。間違いなく、ナクアの声で、背中で寝ていた奴の声だった。
「やっと起きてくれたか。体は大丈夫か? まだ痛むか?」
「いえ、大丈夫です。その、あの……一旦降ろしてもらえますか?」
「なんだ、その畏まった口調。まあ降ろすのはいいけど」
ナクアを適当なところで背中から下ろしたところ、普通に二本の足で立っていた。体は大丈夫みたいだが、どうにも調子が変だった。
具体的には、いつもの豪胆らしさがなかった。アイツはもっと馴れ馴れしい感じで近寄ってきて会話のキャッチボールを素早く返球する奴だった。それが代わりに、借りてきた猫みたいに大人しさがあり、目は未知のモノに対する疑いの眼差しがあった。
俺には、それがまるで恨みがましい顔をしているように思えた。囮にして逃げた俺を責めているのだろうと、そう思ったんだ。
「俺を、恨んでるのか。いや、考えて見りゃそりゃあそうだよ。あのナクアさんでも流石に怒って当然だよ。俺、最低なことしたもんな」
「……なにをお話になっているんですか? 質問に答えてください。ここはどこで、貴方は誰なんですか?」
ひと時だけ、心臓が止まった気がした。心臓が再び動き出す前に、条件反射で聞き返した。
「――誰、だと?」
そんなバカな、と。そりゃあ絶交させられても文句は言えない立場だが、口調といい、態度といい、冗談以上の性質の悪い状況に思えて来ていた。何かとんでもない、思い忘れをしているんじゃないだろうか。思い返すと、心当たりは簡単に行き当たった。
「俺は、明坂大智」
「アキサカダイチ? おかしな名前ですね」
「日本では普通の名前だよ」
「ニホン? 聞いたこともない土地、なのでしょうか?」
異世界渡航による記憶もない。まさかという疑問が、確信に変わっていった。
「……お前は、自分が誰かを覚えているのか?」
「――え?」
ナクアは口を出そうとすると、しかし言葉に詰まって、いや記憶が空っぽで、次第に困ったように、焦るように、何かを出そうと必死になっていたが、回答は帰ってこなかった。
その理由はわかっていた。あの赤子地蔵が記憶を奪った。自分も、同じように記憶を強奪されかけたのだから。
俺は助けてもらえたから無事だった。だがナクアは助けてもらえなかった。そうでなければ、餌になど、されている訳がなかったのだ。
いままで、俺は何を勘違いしていたのだろう。
ピンチの女の子を助けたスーパーヒーローにでもなったつもりか。いいや違う。断じて違う。
報奨や名声が欲しかったわけではない。だが、それなりの努力の結果が欲しかっただけだった。ナクアに帰ってきてほしかっただけなのだ。
だのに、それがこの結果だ。
助けたと思ったのに、助けたのは肉の殻だけで、中身の魂は救えていなかったなんて。俺は、また無意味だった。
「……私、わたしは――? わたしは――……わたしは――」
懸命に思い出そうとするナクアを見て、自分の至らなさで首を絞めそうになっていた。
頭で浮ぶのは「なんでだ。どうしてこんな、上手くいかない。どうしてこんな状況になる」となるばかりだった。
答えはわかっている。全て、俺が悪いんだ。俺が彼女を囮にしたから、こんな事になったのだ。
さらに追い討ちを掛ける様に『なんて都合がいいんだ』と心の中で悪魔が囁いた。
(都合がいいじゃあないか。忘れたんなら忘れてるんで使えるじゃないか。良かったじゃないか。これで今までの負債が全部ご破算だ。むしろ、利用できる。上手くいけば俺は自分の世界に帰れる。それが目的だったんじゃないか)
心底恨んだ。自分自身。まだそんな事考える虫の悪さがあったなんて。これはもう性分かもしれないと認めるしかなさそうだ。
(ふざけるなよ。そんなの、死んでもお断りだ)
「ナクアだ。お前の名前は、ナクアテッド。お前は、記憶を奪う化け物に襲われた。たぶん、二度と記憶は戻らない」
「な、なんでですか!? そんなの、わからないじゃないですか!」
「奪った敵は、俺が殺した。だから、もう記憶は何処にもない」
絶句していた。当然だと思った。どう気持ちを整理していいのかも分からないだろう。どうしていいのかも、わからなくなる。
存在がカラッポになると、わからない事が多すぎてどうにもならなくなる。そう言うのは、少しだけわかる。
これが贖罪なのか。そう思った。
「ナクア。俺を恨め。俺の所為だ。お前が一人でそんな化け物と戦ったのも俺の所為だ。お前の記憶が戻らないのも、俺の所為だ」
「……」
「お前がこんな目に会う全てが、俺の所為だ。だから、俺を恨んでくれ」
「……」
「ナクアが危険になったら絶対に助けるから。ナクアの言うことは何でも聞くから。だからどうか、お願いします。生きてください」
憎しみで心を満たす。それしか、方法が思いつかなかった。そうでもしなければ自己の喪失感で自殺でも考えてるかもしれない。
今、彼女を失う事に耐え切れそうになかった。失えば、俺とて心が死んでしまいそうだった。
別にナクアの為に死に物狂いで脅威に立ち向かった訳じゃない。自分が寂しかったから助けようと努力しただけだ。それなのに、手元に何もかもが残らないなんて、あんまりじゃあないか。
全て自分のエゴだ。最低最悪の人間だ。ドブの様な汚い匂いが染みついてる最低な男だよ。
本音では嫌われたくなかった。だけどそれこそが自分への罰だとも考えれば、これはもうしょうがないことなのだ。
こんな蹴飛ばせば軽く飛んでしまう頭でも、地面に叩きつけて頼み込んだ。
「お断りします」
だが、返答は更に軽く、俺の謝罪と誠意は無碍にされてしまった。
「そんな顔をした人を、責めたりなんか出来ません」
細い指が顔に触れられた。自分の顔の形を知らせるように、なぞって教えてくれた。
「今にも死にそうなほど苦しそうなのに、責めたらわたし、凄くイジワルな人じゃないですか」
逆に慰められてしまった。
「よくわからないけれど、事情があるんでしょう? それに真実はわからないけど、貴方が誠実な人だという事がわかってよかった」
「それは違う! 俺は――」
お前を囮にして逃げた卑怯者だと言おうとして、指で言葉を切られた。
「違わないです。少なくとも今のわたしにとっては。それにアトラクチヤナ教の高位神官服に免じて、貴方を信じます。これ以上の異議はわたしの意志を尊重しない事とします。この意味がわかりますか?」
そんな風に言われたら、どうしようもなかった。そもそもこの服を作ったのはナクアだ。勝手に入信させられて、こんな所で信頼獲得に援護してくるなんて、アイツはどこまで俺を助けるつもりなんだ。
「――いや、ちょっと待て。聞き捨てられない事を今、お前は言ったぞ!」
「え!? 今の、結構会心の一言だと思ったんですけど」
「そうじゃなくてお前、アトラクなんちゃら教って奴だ! お前、記憶は全部消えた訳じゃないのか?」
「あ、そう言われてみれば。お母さんの事とか、村の風景も覚える……覚えてます!」
全部ではなかった。彼女の記憶は多くを失っているが、しかしまだ欠片でも残っていた。
「わたし、帰りたいです」
「だろうな。気持ちはわかるよ」
「すみません。わたし、村より外に出た記憶がないので、無知なんです。だから――」
「言われなくても付き合うよ。でないと釣り合いが取れない」
もう自分の事は勘定には入れない事にした。余計な事で一番大事なモノを見失うかもしれないと思うから。
そして今度は……今度こそは、ちゃんと彼女を助けようと。
その誓いこそが、この長い、本当に長い、俺にとっての旅の始まりだった。




