【愚者編】18
【賢奴の赤旗】
『異世界戦線日記』における七つある最強武器の一つである。
別名【死の神器】。
この世に七つあるとされているが、実際に詳細な設定が組まれているのは三つだけだ。なぜなら七という数字の語呂がよかったからで、中身は考えられていなかったからだ。
その【死の神器】の中で設定が確立されているのが【破滅の戦斧】【滅穿の白牙】【無刃の大鎌】の三つ。【賢奴の赤旗】は名前だけ作り、特に出す予定も使う機会もなかった代物だ。
そんな代物を、まさか自分が使う事になるとは思わなかった。
死の神器は全てが【死】に対する絶対的な能力が備わっており、それは他の武器にも言える共通項目だった。
【破滅の戦斧】その刃で斬れば、対象は肉と骨と魂を砕かれ、存在を破壊される。
【滅穿の白牙】その弓矢で射られれば、その一線上の存在はすべからく、この世から消滅を果たす。
【無刃の大鎌】その鎌は見えず、姿を変え、空間を裂き、知らぬ内に魂ごと首を狩られる。認識不可の死神の大鎌。
以上が作者の定めた【死の神器】の略説だった。
【賢奴の赤旗】を含め、他四つの武器は名前だけか、名前すらも考えていなかった。
名前に反して、その浅はかさがこの結果だった。
「それが、この、ボロ布なのか」
石の棺桶の蓋が、何か不思議な力でも働いたように自動的に開かれ、その中に眠る存在を見せた。
それが、赤黒い色のボロ布であった。
血や土で薄汚れたような汚い色、カビでも生えているかの様に埃が積もり、端は破られ焼かれたみたいだ。
こんなものが武器なものかと俺が聞きたいくらいだった。
作者が逆に驚かされるという状況だが、しかし俺の中では藁にもすがる思いだった。
何が何でも、どうにかして、奴を倒さなくてはならない。何か盛大に騙されているんじゃないのかって気にもなってくるが、もうココまできたら道化役になりきるしかない。
毒を喰らう気分で【賢奴の赤旗】に手を伸ばした。瞬間――
「イッ―――――――――痛ェ!」
触れた指が針に刺さるように痛かった。それどころか腕が麻酔でも打たれたように感覚がなくなった。体が条件反射で後ろに下がるが、布は手首に絡まり、右腕がミイラの包帯のように巻かれた。
こうなると腕だけのアイアンメイデンでもされているようで、針串刺しでもされたように鋭い痛みが永続的に襲ってくる。
「く、くっそ、は、離れろ!! 痛い痛い痛い痛いッ!!」
ボロ布はその面積が計り知れなかった。初め、マフラーくらいの布に見えたのに、今では全身が布に食われ、気がつけば布は旅人のローブマントだ。
赤黒いボロ布が身体を包み、全身が刺されたり焼かれたり斬られたり噛まれたり絞められたり、ありとあらゆる痛みが支配していた。
歯を食い縛ろうとすると歯が溶け落ちノドを塞ぎ、手を握って自我を保とうと思えば手が砕けて砂になり、せめて倒れずにいようと思えば腰は砕け、膝が折れていた。
地面に身体を擦ると皮膚が剥がれ肉が削げ落ち、首を擡げれば首は落ち、心臓が動けば破裂して動かなくなった。
(だ、だめだ。殺される。コ、殺されている! 俺は今、殺され続けている!)
素晴らしきかな。俺が死なないのが最大の不幸だ。死んだ先から生き返り、再び殺される。
『ゥンンンンンンンギャアアァァァ』
そしていよいよ奴が、赤子地蔵が長い階段を登り終え、そのご尊顔を覗かせた。
(うるさい、いましゃべるんじゃあない)
喋ったつもりが顎が動かなかった。何故か考えることもままならなかった。脳ミソが蕩けそうだった。いや、既に溶けて原型もなかったかもしれない。
『ウ、ウレ、ウレシイ、ナアアアアアア』
(うるさい。だまれ。ころすぞ)
目の前に置かれたご馳走に心躍らせるような赤子地蔵の顔に、心底嫌悪した。
『イマ、カイホウ、シテ、アゲルルルルルルル!!』
耳障りだった。
「うるさい……て言ってんだろうがああああ!!」
気がつけば、考えなく、奴に向かって拳を放っていた。
「なんだ。何が起きたんだ。一体、何が起きて……?」
わからない。今まで起きていたのが幻覚だったように、記憶だけがハッキリと残っていた。
全身の痛みはなく、顔も崩れてなければ足も折れてない。拳には【賢奴の赤旗】が包帯のように巻かれている。聞こえてくるは赤子地蔵の醜悪な絶叫。そびえる祭壇から見下ろせば、そこには悶え苦しむ奴の姿があった。
何が起きたのかは以前としてわからなかったが、何が出来たのかだけはよく理解した。
痛みが失せていた。かわりに、自分の顔が酷く醜い顔で頬を引き裂き、歯をケタケタと叩かせ、高笑いしていた。
自分の肌の色が、血の固まったような赤黒に染まっているのにも気付かずに、祭壇から飛び降りて一直線、赤子地蔵に向かって拳を叩き落していた。
『イギャアアアアアアアアア』
奴の背中に振り下ろされた拳は背中どころか裏側の腹にまで及び、叩き折った像の如く胴体と腰に折れて別たれた。
コレは、想像以上だった。この武器は、間違いなく最悪の凶器だ。「触れた物を破壊する」を実践しているかのようだ。
赤子地蔵は狂った獣のように前足だけで暴れ回り、俺から逃げ出そうとしていた。
「なんだよオイ、おいおいおいおいおい圧倒的じゃあないかああ♪」
【賢奴の赤旗】で殴ると面白いように奴の身体が砕けて散っていった。そのたびに今まで恐れていた存在が逆に恐怖の形相で俺から逃げて行く。
「なんだかわかんねえけど楽しくなってきた。面白くなってきた。笑いがとまらねえよ♪」
ついつい狂喜していた。心が高ぶって理性が吹き飛んでいた。
だから赤子地蔵が辛うじて算段した物質への同化能力をしたときも、俺は頭がバカになっていた。
「おいおい、今更壁と同化するのか? 逃げるにしちゃあ遅すぎるだろ。ところで聞いてくれよ。俺なりに考えてたんだ。どうして地面から現われた時に床を割ってきたんだろうってさ。お前もしかして、二種類以上の別の物質には混ざれないんじゃないのかって。今それを実験させてくれよ。なあ、オラ、オラオラ、オラオラオラオラア!」
もはや楽しみすぎていてタガが外れていた。
それからオマケ程度の解説だが、奴は俺の仮説通り壁の奥、土中の中へはいかず、壁の表面を殴れば悶えて現われた。
「死ねよ。さっさと死ねよ。死ね、死ね、しね、シネ、シネシネシネシネシネシネシネ永遠に死に続けろぉ!!!」
もはや怪物の絶叫など耳にも届かなかった。楽しくて嬉しくて、笑いが止まらなかった。
殴って殴って殴って、どこまでも殴り続けられそうな気分になって、もはや永遠に同じ作業が出来そうな気がした時に――
――ありがとう、などという幻聴が聞こえてきた。だが妙に耳馴染みのある声の気がした。その声の主が、ナクアのものではないだろうかと思えた時、目の前に青白い光のようなものが、霧散して消えて逝くのを感じた。
ふと、赤く染まった己の手を見て、自分の異様で醜悪な笑みに気が付いた。
「……馬鹿じゃあないか、死に続けるとか。文章としておかしいだろ。何を夢中に死んだ奴殴ったり蹴ったりして。どころか、先に心配することあるだろうが」
何の為に俺はがんばったんだ。こんな所で圧倒的力に酔って「俺強ぇ」を実践して快楽と高揚感を満たす為じゃあなかっただろうが。
ナクアを連れて行く為だっただろうが。本当なら殴ってる時にでもナクアを引き合いにでもすればまだ俺自身にも言い訳ができただろうが、それはなかった。
「俺は完全に最低のクソ野朗だったって証明できたよ。自分が自分で嫌になってきた」
どうでもよくなった赤子地蔵だった石ころを後に、ナクアの横たわる中央にまでやってきた。
どうみても、瀕死など通り越していた。
足の一本がへし折られて見るのも耐えない。腹の一部は奇妙なほどに沈み、血が滴り流れている。両目には黒い痣がハッキリと残っておりゾンビのように顔が扱けている。
最後の希望とばかりに、そばまで寄って膝を屈して息の音を確認しようとした。だが呼吸など、している筈もなかった。
「ああ……そっか。そうだよな。そりゃあそうだろうさ。生きてる訳ねえじゃあねえか」
最初に、彼女を囮として見捨てた時点で、こうなる事くらいわかっていたはずだ。なのに、目の前にその結果があるだけで、胸に罪悪感が突き刺さる。
気が付けば頭の中が、彼女の死で埋め尽くされていた。
この世界の摂理である、死体のゾンビ化のことなど、完全に抜け落ちていた。
だから無意識に、ナクアの顔を手でなぞってみた。そしたら今まで考えてもなかったような事がわかった。
「小さい。こんなに、コイツ。体も小さいのに、俺は――こんな奴を、囮にしたのかよ!」
いつもでかい態度で、自分よりも何十年も生きていて、頼りにしていて、そいつを俺は生け贄にした。それだけでもう十分だった。十分に俺は俺が嫌気が差した。差してなお、自分の恥を上乗りし続けた。
「ごめん、ごめんよ……ごめんなさい! 俺が、俺が悪かった。頼む、生き返ってくれ! お前がいなかったら、俺は、俺はどうやって、現実に帰ればいいんだよ! お前がいなけりゃあ、もうどうすればいいのかわかんねえよ! 俺はこんな目に遭っても死ねないんだぞ。もうこの先何があっても死ぬ自信なんかねえよ! もう嫌なんだよ、無意識に人を裏切ったり、その所為で恨まれたり、知らない間に誰かに憎まれてたり、いるだけで怖がられたり、初めて会った奴に裏切られたり、こっちに来てからお前が初めて気のあった友達なんだよ!! お前がいなくなったら、もう無理だよ……耐え切れねえよ……。死にたくなるんだよ。死ねないから余計にどうしていいのかわからないんだよ。頼むよ、死なないでくれ……」
気がつけば死体を抱き寄せ、涙していた。
すると何故か、別の感情が生まれていた。
「満足かよ……。レイレナード。コレがお前の見たかったモノかよ。死んだぞ。死んじまったぞ。お前の仲間だろうが。こんなもの、何が面白いんだよ!!」
それは怒りだった。
これが自分の心を守る為の心理的防衛の一種なのだろうか。自分の失態を、悲しみを、誰かに擦り付けようとしているのに気がついて、やめた。
「なんでいきなり人に責任押しつけるんだ。だから俺は、俺が嫌いになるんじゃないか。くそ、最悪だ。俺の頭、超が付くほど面倒クセえ」
思考が渦を巻くように自己嫌悪のスパイラルと化していた。
次第に、コレが自分への罰だと思えてきた。だが罰だったとしてそれをどうすれば清算できるのか。
罰であるなら制裁があるべきだ。それがナクアの死であるというのならばそれはおかしいじゃあないか。それではまるでナクアへの罰だ。
だがもし、本当にこれが俺への罰だったとしたのなら、ナクアは完全にただのとばっちりだ。
そう思うと、余計にうな垂れたくなった。
「―――――すぅ」
「え?」
抱き寄せた体にうな垂れた耳が捉えたのは、空気の吐くような音だった。
何かの間違いではないのかとも思えたが、しかしもう一度、静かに声を待った。
間違いない。聞こえてくる。呼吸の音、心臓の鼓動、ポキポキと骨が、ミシミシと肉が、身体が修復されるような音がどこかしこから聞こえて――
「うん? マジか。バケモノかよ……。いや魔人将で魔族だったか。まったく、生きてるなら生きてるってそう言えよ‼」
ナクアの抱きしめながら、泣きながら笑った。
だが、さっきよりマシなのは間違いない。
そして心に誓った。
俺はもう、二度と、彼女を見捨てないと。
最初から諦めたりなどしない。後悔しないように生きよう、と。
これから先にあるまだ知らぬ苦難に対して、俺は強い思いを新たにして立ち向かうと決めた。
だが俺は色々な事を忘れていた。
だからこの後すぐにやって来る悲劇を、想像もしていなかったのだった。
どうやっても後悔など、害虫の如く、それこそいくらでも湧いてくるものだというのに。




