【愚者編】10①
最悪だ。
誰か、こんな予想をした者がいただろうか。
なんだってこんな超閉鎖空間にあんな化け物を落としてくれたんだ。
「なんでこんな所にあの野郎が!」
「大智くん、あれを知っているの?」
「ここに――こっちの世界に来た時にアスハーラ平原で襲ってきた化け物だ! あいつ、見境なく襲ってきやがって……なんであいつがこんな所に!!」
「――……」ナクアは一瞬、訝し気な目で俺を見たと思うと、冷静なふるまいをして続けた。「とにかく、落ち着いて大智くん。あの図体だ。奴はこの穴を通れない。私はあんな魔物を見たことがないが、普通あの高さから落ちれば生きてる生物は居ない。私かキミ位なものだ」
そのセリフに俺はゾッとした。何故かはわからないが、俺は今しがた死んだのだと説明された化け物に対して、新たに恐怖を覚えた。
土煙のベールに隠れた先に、奴はきっと蠢いている。そして俺達を知覚しているのだと、被害妄想さながらに感じているのだ。どうしてそう思うのかはわからないが、そう感じて仕方がないのだ。
その予感が的中したかのように、新たに激震が伝わってきた。何かが、このトンネルに体当たりでもしたかのようだった。
『あがああ――あがあああ――マああああ‼』
地獄の蓋から響いてきた声の様に、怖気すら伴う音が魔壺の谷全てを支配した。
「……来るぞ」
直感した事がそのまま口に出た。
「嘘でしょ?」
土と暗が支配したトンネルに『ぞぶり』と異物が無遠慮に侵入してきた。
『ああああ――ああああ――マアああマアあああ!』
腕を掻き分け、自分の体の事などお構いなく、一心不乱になって穴に入ってくる。醜く歪み切った双眸で俺達を捉えながら。
「にげろぉッ‼」
冗談なんか言ってる場合じゃなくなった。
俺たちはどちらも理解した。アレに道徳とか人間性とかない。野生の害獣と同じだ。ただ襲うためだけに居る様な存在だと。他でもない本能で理解した。
見た者にならわかる。見なければわからない。
あれは、見ただけで危機を本能に刻み付ける存在なのだ。
「な、なんなんだッ!? あんなのほとんど邪神じゃないか!」
ナクアから聞いたことも無いような声で言い寄られた。俺だって知らないと叫びたいが、それすら余裕がない。
赤子地蔵は象をもある巨体では直系2メートルの穴など侵入できないかと思われたが、奴は順調にこちらに向かって這い寄ってきていた。
「というか、何であの図体で入ってこれるのさ!?」
「あの野郎、顔面の上部分とか肩とか削れてなかったか!?」
「あ! そうか、天聖術の結界! 穴に入らない部分だけキレイに削られたのか! というかキミそこまで観察できたね!?」
「自分の手が消されたから設定覚えてるだけだ! クッソ、最悪だ! そもそもなんで結界壊してねえんだよ! お前やってたじゃないか!」
「こんな状況になるなんて想定する訳ないじゃん! 制約があるから必要箇所以外やってなんかないよ!」
「そりゃそうだ!!」
あまりにも恐怖が勝ちすぎているのか、簡単に納得してしまった。そもそも今はそんな取り返しのつかない事など気にしている暇がない。
無我夢中で全力疾走できた俺たちはトンネルの最奥まで到着した。
「どうする!? 選択肢は三つ! 穴掘って上に行くか、壁破壊して中に入って逃げるか、後ろの化物を撃破するか!?」
「その前に状況確認、大智くんあの化け物、初見じゃなさそうだったよね。その時のこと早く教えて!」
「知るかよ! 俺だって何が何だかわからない時にいきなり現れて! ほかにもいろいろ出てきて、何をどう説明すりゃいい!?」
「まず、何処から現れたの? ほかにも同じような奴がいるの?」
「同じじゃなかった、なんか個性的な奴等がいっぱいいた。棒人間みたいな細い奴とか鬼みたいな奴もいたし――」
説明途中にもかかわらず、ナクアから、闘気のような、静かな怒りの様な雰囲気を出してた。その様子に俺は口が止まってしまった。
「……もしかしてと……まさかとも思ってたんだけどさ。大智くん、何かに自分を喰われたりしてない?」
「それが、なにか関係あるのか?」
「……喰われたの?」
「……喰われたけど、それがなん――」
何かを考える前に、首を絞められた。鋭く、早く、ナクアの白い触手が俺の首を絞め付けていた。
「キミは、キミって奴は! どうして先にそれを言わない! キミみたいな【始祖の因子】が他にもわたっていたら、あんな化け物が生まれるのは決まってるだろ! それを、あろう事か複数だと? この世界を地獄にしたいのかキミは‼ 軽率にも程がある‼」
いきなりだった。
そんな事言われたってと思いが走る。
(し、しるかよ……。知らない事でなんでここまで俺が怒鳴られるんだよ……。俺が、俺が悪いのかよ。俺だって、あの時は何がなんだかわからなかったのに、俺が責められなくちゃいけないのかよ。こんなの、理不尽じゃないか)
「……あぁ、そうだね。キミは何も知らない。何もわからなかった。だからしょうがなかった」
「……え?」
いきなり怒髪天まで到達したと思ったら、今度は深くため息を吐いて苦虫を噛んだように怒りを飲みこんでいた。
「うん。ごめん。ちょっと大人気なかった。そうだ。キミは悪くない。悪いのはあの魔女だ。まったく、厄介事ばかり増えていく。とにかく、あの赤子地蔵? でいいのか。奴の存在が【始祖の眷属】程の強敵だと言うのがわかった。なら絶対に戦ったらダメだ。私程度じゃ勝てない。反抗戦は却下だ」
「あ、ああ。わかった」
理解が追い付かなかった。
なんでそんなに怒っているのか。どうして俺に対して持った怒りを唐突に収めたのか。
何から聞けばいいのか、気になる事が多すぎる。
「―――――ッ」
しかし考えにふけるよりも先に、背後より追い掛けてくる悪夢を再現した様な呼び声が響いてきた。
色んな事象が大事なピースの様に散らばっているのに、考えも一緒になって散っていく。本当、なんだってこの世界に来てからこんな目に会わされなきゃいけないんだ。
最近まで順調に事が進んでいただけにこのタイミングでの横やりは、いくら温厚な俺だって手を振るわせて怒りを露わにするほどだった。
(あぁ、チクショウ。ここまで掘り進めた穴の距離は1日10メートルを七日分、俺が掘り進めたのが大体で10メートルだとすると約80メートル。ここまで全力で走ってのタイムが10……いや、傾斜だから12秒くらいだったとして、奴の速度は見積もって秒速1~2メートル。ここまで到達するのに早くて40秒、遅くて1分半。さっきので20秒つかった。残り時間は30秒と見ていい。それで全てを決めろってことか)
「ナクア。今から俺の血を吸って魔法で穴あけながら進むか、壁壊して進むの、どっちがいい?」
「前者の魔法で進むのは……ある程度なら進める。具体的にはいつもの5回分かな。けど、それじゃあ途中で魔素濃度が限界を迎える結果が待ってる。そうなればどの道行き止まりだ」
「なら後者だな。壁に穴あける方法で行くぞ」
「どうやって?」
「いや、お前、言ってただろ? この壁にはほころびがあるから簡単にこっちから壊せるって――」
「今さっき気が付いたんだけど、ツルハシとスコップ、下の広場に置いて来ちゃってるのよね」
……なんてこった。
「魔法じゃ無理か?」
「説明忘れた? 緑剛石は魔素に高い耐性がある」
「……ここで道具は創れるか?」
「魔製の道具だと結局はじかれる。キミに渡したのは上から落ちてきた動物の骨やその辺の石なんかを使ってたから可能だったの」
「――嘘だろオイ」
なんてこったってどころじゃない。大問題だ。
どうしようもないんだと言わんばかりに俺達に無音が支配した。その静寂の中を無遠慮に背後から怨怨とした鳴き声が近寄って、俺たちにすぐそばまで来ていると教えてくる。
「ふざけんな――ふざっけんなよ!」
思わず震えていた握りこぶしを壁に叩き込んだ。当然だがビクともせず、思ったよりも酷い鈍痛が帰ってきた。
だが痛みなど、知った事ではなかった。とにかく力一杯殴りつける。殴り続ける。
もう必死になるしかなかった。これでダメなら本気で奴のエサだ。
「こんな所で押しつぶされてたまるか!! クソ、脆い所ってどこだよ!」
痛みも忘れて夢中で殴り続ける。そんなものを感じている余裕はない。
だが、まだ十回も殴る前に手首から右手が折れた。不死身と言っても、体が再生すると言っても、基本強度は人間のそれと変わらないのだと思い知らされた。こんな時なんかに――
(どうしろって言うんだよ。今度は左手か? 無理だろ。じゃあ肩から体当たりでもするか。拳と対して変わんなさそうだな……。こうなりゃ一旦ナクアに土を掘ってもらって穴を【魔壺の谷】の底につなげてもらうか? そうすりゃ道具を取りに行ける。いや、さっき穴を掘る魔法はいつもの5回分――要するに50メートルほどしかできないって言ってたな。じゃあ掘った穴の途中に繋いで円にしてあの赤子地蔵を撒くか? それで道具を取りに行って――)
「……大智くん。ちょっといい?」
何もせずにただ立っているだけだったナクアが話しかけてきた。いや、妙案があると言いたげな面持ちだったので、一旦鬼ごっこ作戦を考えるのは辞めた。
……その後、ろくでもない作戦が決行されることとなる。




