第06話 阿鼻叫喚する者達
「リチャードお前の今後について話しておきます」
「……はい」
薄暗いうちに軽食を済ませた第二王子は、精神の休息を挟んでから学園に向かうはずだった。しかし宮殿から抜けだす間も与えられずに、王妃の従者に留められてしまった。
連行された場所は、宮殿にもうけられた、豪華爛漫、栄耀栄華極めた均整たる客間であった。王家の親族にかぎった来賓用の部屋である。広間には孔雀扇子を握りしめた年齢不詳の美女が佇んでいた。彼の母親である。
王妃マーガレットは、宮殿につかえる者から宮廷に参じる者にまで、なべて苛烈な気性だと認識されていた。反して愛らしい容貌のまま年齢を重ねていたので、一見してうかがい知れぬ底深さがあった。
けぶる早朝、初夏を迎える独特な空気の中、王妃は凛とした佇まいで厳粛たる雰囲気をいや増していた。
「あたしの言うとおりなさい。いいわね?」
息子である第二王子は、至宝と讃えられる美しい瞳を前にして、うっと息をつまらせた。実子である彼ばかりが、彼女の魔力に逆らえることができたのだ。
「当面の間は、継承順位の変動については口を噤むようになさい。それと継承権剥奪などという戯言には耳をかさないように」
「…………え?」
「誰がなんと言おうとも、王妃の息子である貴方が存命であるかぎり、それは不変不動のものです。お前が生まれた時に定められたの。言っている意味がわかりますね?」
「恐ろしい話です……」
「他人事のように言わないでちょうだい。だいたいね、腑抜けにもほどがあります。遊ぶならもっとうまいことおやりなさい。なんですかあの醜態は」
「…………」
「五月祭の演説にしても妖精王の仮装を利用するのはまだいい。けれど納得せざるをえない下準備ってものがあるでしょう。こともあろうに、その相手に手のひらかえされて悔しくはないの?」
「悔しい……といいますか、私は自身を恥じて」
「あたしは悔しいです! あたしの自慢の息子が、あの顔だけ頭からっぽの、出自を鼻にかけて好きかってに風紀をみだすとか、そういう典型的な悪女に食いものにされて! 分が悪くなったらぽい捨てされるなんて! まるであたしが捨てられたみたいじゃないの!」
「は……はあ、すみません」
「それに当事者たる貴方に制裁だなんだといって、事後報告になってしまったこと、これはあたくし共の手抜かりですが……あのラングリーの狸、兄であるクロスに諭されなければ“お前を追放処分にしないうちは定例会に参じない”とまであざとらしく言いしぶって、あたしをねめつけんばかりに謁見の間から動かなかったのですよ」
「兄上には……、感謝の言葉を送らねばなりませんね」
「はあ……ねえリチャード、あたしはお前の兄のことを大きな声ではいえませんけど、信用していないのですからね。お前を貶めた相手に協力者がいたとすれば、それは公妾であるイグレインにおいて他はない。つまりクロスが次期王になることは将来的に……将来的に確定されたようなものッ!」
王妃は息子の足元の、床にむかって孔雀扇子を投げつけて絶叫した。勢いづいて揺らいだ身体を、側に控えていた侍女が二人がかりで支えているので、第二王子は慣れた様子で一歩も身動きしなかった。
王妃マーガレットは気性の激しさゆえに年中憤怒にかられている。不都合な事がおこらずとも、第二王子に関わりある瑣末事には特に目ざとかった。
「たしかに、あたしはメリジューヌ・アルバニーとの交際について口やかましく言いませんでした。でもねそれは若いうちにちょっとくらい好きにしたって、貴方の重大な何かが損なわれるわけじゃないと、そう信用していたからよ。ええ、母以上に貴方を信用している人間は、この国にいませんッ」
「おっしゃるかぎり……」
「ここのところ、あの女の高笑いが聞こえてきて、夜も眠れないの」
「え……イグレイン様の?」
「リチャード、その口であの女の名前を呼ばないでちょうだいッ」
喧喧囂囂責めたてて、終いには己の人生設計に不手際などなかったと宣言して満足したのか、王妃は清純な微笑みを浮かべた。そうして腹が減ったからと客間から退いた。
残された息子、第二王子リチャードは盛大に溜息ついて、次に待ちうけるだろう怪しげな娘に備えて、乱れた精神を立てなおすのだった。
***
「――!?」
第二王子は、近衛である護衛役を伴わず、学園に出向いた。すると待ち伏せていたヘーゼル・ミュレックスに袖を引かれた。正門を抜けてそこそこに、エントランスガーデンの茂みに転げて、制服の背広で柔らかな芝生を潰している。
十四の薄い胸板に同年齢の少女の体重がのしかかり息をつまらせるが、そこは礼節を押してやり過ごした。
「お、まえなッ!」
「お静かに。やつが通りすぎます」
「やつ……?」
少女は声を潜ませると武官さながらの眼力で、這いつくばった茂みの隙間から、校舎につづくエントランスガーデンの参道をうかがった。
気圧された第二王子は息を呑んで天を仰ぎみた。朝から散々であった。
「キルヒャーメイト家のアーベル。昨日まで殿下の護衛をしていましたが、役目を辞してラングリー家に癒着した不届き者です」
「あ、ああ……だがこそこそと姿を隠しても、どうせ教室は一緒だから」
「殿下一人、校舎まで歩かせるわけにはいかないのです」
「なにを大袈裟な」
「いまだもって、れっきとした王族であるので、ふさわしい行動というものが――」
少女は、当面の学園生活のお膳立てに、臨時の護衛役を用意したのだといった。第二王子はそれに目を瞠る。無理からぬことだった。新しい護衛役を精査しろと言われもしたが、しかし昨日の今日である。
呆気にとられていると「昨日の今日ですから王妃様に告げ口する暇もなかったでしょう。ですから臨時役に声をかけておきました」と、少女は言ってのけた。
「ははは……」
「ご安心めされませ。彼は完璧に適役です」
「……でも、今更じゃないか?」
「ひとときの護衛騎士としてご命じください。きっと殿下のお目にかないます。お二人の性格は似ているので、近しい主従になれるでしょう」
「そ、そうか……たびたび感謝するよ、ミュレックス嬢」
「いいえ、これがわたしの夢への第一歩、といったところですから」
少女は畏れもせず、腹這いになったまま見くだすように、第二王子の顔にじっと視線をそそいでいた。そうして純真素朴を装って、えへっと笑ってみせた。
企みを隠すためか、そっと薄められた目はまるで、薄い白紗をかけたよう。
幼い顔つきに怪しげな雰囲気をはらんでうかがい知れない。
第二王子は叱責すべきかの判断つけられず、その本心がわからなかった。
さらに言えば、頭部を挟みこむように左右に付きたてられた少女の細腕が、彼をもっとも戸惑わせていた。恥じらいではない。高みから望まれる畏れだ。
本来ならば少女が抱くべきものが逆転していた。実際、第二王子は押し倒されてもいるので、少女の輝かしい金髪から仰ぎみた空はいっそう眩しかった。
「……いつまでこうしていればいい?」
「もう少し。まもなく現れるとおもいます。待ちあわせは、丁度ここですから」
「ここで!?」
直後、待ち人あらわる。