第02話 怪しげな少女
「帰宅したら、まずはお母様にチクったほうがいいですよ」
「…………え?」
「それで新しい護衛役をちゃんと精査してもらって」
「ちょっと待ってくれ、その前に君は一体何者なんだ」
「ヘーゼル・ミュレックスです。殿下とおなじ学年の。貴族令嬢です」
第二王子は少女を連れて噴水をでると、エントランスガーデンの裏手にある中庭にやってきた。学園の校舎から死角にあるため、授業中であれば人目を盗んで秘密の逢瀬を重ねられる。以前までは元恋人の娘と仲睦まじく会話に興じていた場所でもあった。
エスコートされた少女は第二王子に勧められるまま、木陰に隠された真鍮細工のベンチに腰かけて、えへっと笑ってみせた。
「ミュレックス……すまない聞いたことがない家名だ」
「わたし連れ子なんです。母は田舎領主のアルゴード家に嫁ぎまして」
「田舎領主って、ボルヴォ・アルゴードはブレイスの辺境伯じゃないか」
「今は一身上の都合で、後見人のアルブ子爵の屋敷でお世話になっています」
少女は微笑みながら、隣に腰かけた第二王子を、じっと見つめていた。
貴族令嬢ぜんとした細指が、第二王子の膝上にそっと乗せられている。端からすれば、親しげな間柄であると錯覚させる、意味深長な触れあい。しかし第二王子本人はそれどころではない。混乱極まり考えあぐねいている。
少女ヘーゼルは、たしかに貴族令嬢であった。口さがない者に見咎められれば、為政の場から弾きだされる可能性は十分にありえる。廃嫡はせずとも、将来を閉ざされたといっても過言ではない哀れな王族に、誰が好き好んで擦りよるだろう。
アルゴード辺境伯は地の果てブレイスを守護する国境防備に奉じられた称号。世襲の一族。平定された大国において形骸化した役職でありながら、依然として施政方針上は重要拠点に数えられる。アルブ子爵にしても、官職貴族(法衣貴族)でありながら、国に仕えること三百年の旧家であった。
少女の言動は十分な身分を保持する貴族令嬢の考えとしては正気の沙汰ではない。
「要するにお世話になっている家がすごくても、わたし自身としましては殿下にお声がけをするなど、おいそれとできるような身分ではなかったので。ついさっきまでは」
「ああ……」
「この日をどれだけ心待ちにしたことか」
「気でも違ったのかと思っていたが。本心から口にしていたのか……」
落ちぶれるのを待っていた。少女は暗にそう言ってのけた。第二王子が侮蔑をこめて呆れた物言いでかえしても、えへっと笑ってみせるだけ。恐れしらずの豪胆無比、考えなしの軽挙妄動である。
「とにかく殿下はご家族に今日のことちゃんと報告してくださいね。あったことあるがままに」
少女はつらつらと対策を講じた。現在の状況において第二王子が取るべき態度について。それは失態を認めず、対応を改めずに過ごすこと、だった。反省の色を見せない。これが最たる方法であると。
第二王子は一層意味がわからずに唖然とした。それをみて少女は笑いを止めた。恨みがましく眉を顰めて、元婚約者である公爵令嬢と元恋人である娘の、勘違い、誤った考えを並べたてた。
「なにが継承権破棄だア、なにが身分に関わらずに責任だア、なにが私の人生に貴方はいらないだア、どの口が言ってるんだって話で、」
「…………」
「彼女たちの価値観は、学園の外では通用しません。もちろん学園の内でだって論外で、みんな空気に流されているだけにすぎません」
「どういうことだ……」
「どういうこともなにも、貴方は帝国アルバロンガの第二王子、現王妃の長子であられます。これ以上の理由がありましょうか。王妃様はケーニッヒ・ラグナリア家、現当主の御息女。ラグナリア家といえば王家を輩出した血統の大本」
「しかし……小父上は、ラングリー家当主は帝都に留まり、自所領は代官任せ。対してラグナリア家は領地を離れず、中央政権から遠ざかっている。名実ともにつくべき方は明らかだ……」
「おっしゃるとおり。ピュリス・ラングリー様のご実家は、たしかに王家の枝葉ではあります。だからこそ今回のことは枝葉末節、些末ごとで押しとおさなければ、示しがつかぬという話です」
「示しがつかないと言うのなら……私の身勝手なふるまいこそ責められることではないか」
突拍子もない話に反して首をふれば、脳裏をよぎるのは五月祭の惨たらしい醜態である。エントランスガーデンにおける制裁は、両家の都合上、事態をおさめる最善策として行われた、一種の禊の儀式であった。それを濡れた髪の乾かぬうちに反省するなと言われる。第二王子は混乱していた。
そんな苦悩を知ってか知らずか、少女は臆面もなく言ってのける。
「責めるって、もう責められたでしょう。他にだれが責めますか?」
「しかし……」
「殿下が反省している姿をみせたところで、それが手のひらかえした、彼らの将来のなんの役に立つでしょう。なんにも役に立たない。彼らにしてみれば、恐ろしいほど、どうでもいい……」
「そ、そうか……」
「とにかく、貴族の模範たれとか、人格者たるはとか、そういうことは忘れてください。殿下は、そうと振るまわなくても、元来人がよすぎるきらいがあるのでは?」
困惑した相槌に、少女はそれでも満足したのか、微笑みを取りもどした。第二王子は少女の意図が読みきれずに目を瞬かせる。
「わたし、それだけは、ラングリー様にひどく同情していました」
少女は腰かけていたベンチから立ちあがり、それから噴水の時と同じように、彼の腕を掴んで、ぐいっと無理矢理に立ちあがらせた。
「殿下、今日はもうお帰りください。門までお送りしますので」
第二王子は過去の言動、共々反芻させて言葉もでなかった。それは自戒自粛の問題である。
心からの理解者をえてひどく浮かれきっていた。その昂ぶりは客観性のかけた夢をみせつづけた。結果、無知蒙昧な判断に繋がり、愚かしい決断をくだしたのだ。悪気はなかったとは、絶対に口にはできない。
「つらいでしょうが明日もお休みしないで登校してください」
「ああ……そうだな」
「このベンチで待ってますから」
「ああ……うん」
「お弁当つくってきますから」
「……え?」
二人は中庭の小径を抜けると、人目を避けるため裏門にやってきた。垣根の陰にはアルブ家の馬車が二台も着けられていた。少女は事前に脱出の手筈を整えていたのだ。用意周到で満遍ない。第二王子はうすら寒さに襲われた。
早手回しに用意された足は辻馬車程度の様式で、今を時めく議論の対象、王家の誰がしが乗車しているなどとは思えそうになかった。
少女は今日おこるだろう事態を知っていた節がある。五月祭に居あわせた者であれば、彼に対する制裁の有無は予想するに容易かったろうが、しかし決行する日付ばかりは、当事者でなければここまで見当つけられるものではない。
「護衛不在の今この馬車なら学園の生徒だって誰も気づきません」
「あ、ああ……しかし、君は一体……」
「それでは殿下。明日またお会いしましょう。今夜はご自愛ください」
「感謝する……今日のこと、君が声をかけてくれたことは、決して忘れない……」
第二王子は躊躇する間も与えられずに、背中から馬車に押しこめられた。
そうして、怪しげな少女、ヘーゼル・ミュレックスに見送られて、無事帰路につくことができた。