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第00話 五月祭の悪役令嬢

 

「両家の姻戚は今日ここで断たれる」


「ラングリー家とアルバ王家は、これ以上に血を交えることはない」


 公爵令嬢ピュリス・ラングリーにとって、婚約者から告げられた婚約破棄の宣言は、青天の霹靂であった。


 貴族である有爵位の子供がこぞって籍をおく学園での一幕である。五月祭を祝うため催された、”妖精王の戴冠式”の仮装パーティー会場には、集まった大勢の参列者でごった返していた。そうして見物客のほとんどが貴族の縁故者であった。すぐにでも噂は広まる。


 つまり、この瞬間、実質的に両家の絆は絶たれたことになる。

 表向きは良好であった関係が、ことさらに険悪なものとなるのだ。


「リチャード様、戯れがすぎます……いくら祝祭の趣向であっても!」


「戯れではない。皆の胸にも留めてほしい。これは私の決意であると」


 円形の舞台上から見おろされるように、そうして宣言された言葉は、彼女にとって「最悪」は、と予想されていたものだった。


 婚約者の背後には、五月祭の主役を務める愛らしい妖精王の姿があった。腰までながれる金髪のかづら、小花を挿したリースの葉冠、輝くほどに白いモスリンの内衣、小さな手に黄金の錫杖を携えた娘。天窓から降りそそぐ月光をあびて、まさに守るべき儚い存在として、そこに降臨している。


 稀に見るみごとな適役者だった。


 はたからすれば、彼女の視線を遮るように婚約者の背中にかばわれている。誰の目にも明らかに。二人が懇意な間柄であることは、学園の生徒ならびに、彼女の知るところであった。


 人目をはばかり逢瀬を重ねるようになったのはつい最近のことだが、それ以前から男女の垣根なくして交友を深めていた。婚約者である王子の取りまきではなく。娘の出自が特殊であるため、王家の恩恵を求めて媚びへつらったりせず、ただただ親しげに隣に座していた。


 しょうじき彼女はこの娘に一目置いていた。


 婚約者は社交的ではあったが人間関係に難儀せざるを得ない立場であった。将来の不安や批評に対する本心を、しんしに晒せる友人がいなかったのだ。その席に誰もが座りたがったが、ついに許されるものはなく、十四年の月日が流れた。そうして庶民出の娘、メリジューヌ・アルバニーが現れた。


 この娘は生まれながらの身分に疑問を投じていった。


 入学当初からあけすけな態度で礼儀がなく、不躾な会話で貴族の生徒に悪知恵を与えては、貴賎の貧富差、ありとあらゆる話題で注目を集めた。婚約者が娘を諌めたのをきっかけに交友関係がはじまり、そうして一番影響を受けたのが彼こと、第二王子リチャード・ガンドルフ・アルバであった。


 二人は見聞を広めるために、足りない部分を補いあい、庶民と貴族の意見交換から、生まれが隔てる価値観、絶対的な違いを学んでいった。


 彼女は彼女で、婚約者の友人ならばと声をかけ、不便はないかと心砕いていた。その身が公爵令嬢であるゆえに、王族の婚約者でもあった立場からも、まことの友人を得るのには至らず、無二の友人という存在には一種の憧れを抱いていたのだ。


 それが女であれ。一線を越えてしまうことはない。そう信じていた。


「私はメリジューヌを愛している。彼女のためにも、君のためにも、私は心から正直でいたい」


「リチャード様……殿下、そのお心がけは立派なものです。ですが……」


「ピュリス、すまない……だが君とは、愛のある結婚はできない」


「愛のある結婚……?」


 愛のある結婚。そんなものは必要ではない。彼女が生まれる以前より、女児が産まれれば王家に組みいれるよう、そのように決められた家同士の約束事であった。


 ラングリー家とアルバ王家の途方もない因縁は、ひとつの王座をめぐって、血みどろの争い陰謀を繰りかえし、長いながい諍いの渦中とされていた。いくら血を交えても、ラングリー家の男児が、悲願である支配者の座を得ることはなかった。だから手打ちとしよう。従兄弟である両家の当主が、内心はどうであれ、敵を身内に持つものではない、そうと決めたのだ。


「貴方はなにを、おっしゃられているのか……わかっておられるのですか?」


「両家の諍いをおさめるには、結婚という形にくくらずとも、手立てはある」


「……リチャード様、この話はここまでにすべきです。もっと相応しい場で」


「いいや、今日この時にほかはない」


 彼女から目をそらして婚約者が身をひるがえす。舞台袖にさがった彼に代わって前に歩みでたのは、背中にかばわれていた娘、婚約破棄の当事者、妖精王に扮した勇ましいメリジューヌであった。


「メリジューヌの勇姿には、身分の差が以下に愚かであるか、身内の諍いが如何に害をなすか、一目瞭然とされるだろう」


 妖精王の娘はゾッとするほどに美しかった。静かに口を閉ざしている、まるで他人事のように。


「妖精王の戴冠が、なにを意図するか、皆もその目でしかりと見届けてほしい」


 進みでた娘は手にした錫杖を天上に掲げた。月光に輝いた錫杖の輪は、妖精王の戴冠式の演目に定められた演出”雷光”の柱となって、彼女ピュリス・ラングリーの足元に差しこんだ。


 舞台を円状に囲んでいだ、参列者と見物客が、一斉に視線をそそぐ。光の柱は、さながら天使の梯子のごとく、上から下に薄らと垂らされている。彼女は一人で身を震わせた。断じて大衆にさらされた羞恥心ではない。これは絶対の支配者を前に傅いたときの畏怖心そのものだった。


 娘は庶民出の貴族の庶子だ。後ろ盾は一切ない。あるとすれば、その身ひとつ。あふれんばかりの神聖性だった。


「ラングリー様、この場をおさるためにも、どうか一時、身を引いてください」


「……!?」


 今なんと言った。彼女ははっとして顔をあげた。


 妖精王の娘は儚げな笑みをたたえながら、したたかな視線でもって、エントランスホールの出口に錫杖を向けていた。もはや取りつくろうことすらできない。婚約者と彼女の失態は決定づけられてしまった。


 議会の派閥はいたずらに乱れるだろう。「最悪」は、大衆は見かえりのために暴動をおこし、結果、ラングリー家の王座は脅かされることになる。


「わかりました。では後ほど……今宵はこれまでに」


 彼女はいたたまれずに駆けるようにして踵をかえした。愚案が高じた時流に市民が陽動されて、乱暴にあつかわれることを、婚約者はつねづね気にかけていたし、もっとも危惧していたはずであった。


 彼女は道先わからぬ暗闇に一人放られたような思いにかられた。去りぎわに見たのは、婚約者の哀れむような憂い顔。彼女はそれが大の苦手だった。


「私メリジューヌ・アルバニーは、貴族御方々と我ら市民による絆のため、リチャード殿下の心清き理想を尊び、ここに両者をつなぐための使者として、愛を誓いあうものとして立つことを宣言します!」


「五月祭の妖精王が、平和の名のもと人々をひとつにまとめたように、私もそれを望みます!」


 会場には、五月祭のはじまりを告げる、高らかな声が響きわたった。見物客が感嘆の声をあげ、絶えまなく手を拍てば、その後に参列者が聖歌のハーモニーを奏でだす。それを合図に”妖精王の戴冠式”の役者が、ぞくぞくと舞台に出そろった。


 主役の娘を中心に据えて、輪っかになって踊りはじめれば、会場に控えていた演奏者が美しい旋律を披露した。


 退出した彼女は胸を押さえこんで身を縮めた。喉に絡みついた熱い咳に息もままならず、喘ぐようにあふれてくる涎を拭いながら、どうにかラングリー家の御者を見つけだして家路を急いだ。


 さわぎに乗じて会場をでた存在に、彼女は気づいていた。どの家も迷っている暇はなかった。はやく知らせなければと、夜の闇を駆けぬけている。



 ***



「よし! これで剥奪ルートのモブキャラに落ちたな」


 婚約破棄の騒動は、五月祭の一幕を騒がせたが、妖精王の娘の宣言と、宴の華やかさによってうち消されてしまった。


 婚約破棄された公爵令嬢は、その身分にあぐらをかいた典型的貴族令嬢として、口さがない噂話の物種にされてもよかったが、当事者である第二王子リチャードの哀れみと憂いをおびた美しき顔色に、あえて話題にあげる者はおらず。


 参列者はひょうきんな仮装姿で、見物客は美酒をかたてに酔いしれて、老いも若きも踊りあかすばかりだった。


 それを支柱の影から、こっそり眺めていた金髪の少女がいる。胸元に拳を掲げて、してやったり顔で微笑んでいた。


 背後につき従った僧侶の青年が「姫様、声にでてますよ」とたしなめると、肩を震わせながら「ようやく動きだせるんだから冷静でいられるもんですか」と、柱にかじりついた。


「はあ……ほんとう可愛いから無理」


 少女は、もうずっと前から第二王子しか見ていなかった。そんな彼が、落ちるところまで落ちるのを、大ヘマをやらかすのを、地位すらなくなる好機を、もうずっと待ちつづけていた。どうしてそんなことになったのか。理由はただひとつ。


「あの顔が好きすぎてつらい……結婚する」


 そういうことだった。


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