ある日の学校 劇場版
「よーし、それじゃみんな、配ったプリントを見ろー」
ぼんやりした先生の声が小学校の教室の中をゆっくりと伝わっていく。
「このクラスは赤ずきんの劇をやるぞー。台本は先生が三日徹夜して書いてきた」
今日は学芸会で何をするか話し合う学級会……と聞いていたような気がする。
僕は机の上に置かれた、国語の教科書の倍はありそうな厚さのプリントを見た。
赤ずきんってこんなに長い話だっけ。
一番上に置かれた紙の真中には、大きな字で赤づきんと書いてある。
休んだ方がいいと思った。
「クラスの全員に見せ場を用意したぞー」
あまり目立ちたくない僕はびっくりしてプリントをめくる。めくる度にばさばさと紙がばらけていく。綴じてください。
配役表と書かれた中、森の木1という所に僕の名前があった。
森の木の見せ場って何だろう。
「先生、タンス2って何ですか?」
タンスまでいるのか。それに2って。よく見たらタンスは3まであった。
「んー、台本見ろ台本。先生入魂の台本を」
ずっしりとした紙の束をぱらぱらとめくる。
家のシーンでタンス2の台詞を見つけた。
タンス2「ぎいいい〜、バタン」
……ドア?
気になって配役表を見ると、ドア役が5まであった。
これだと家の役があるんじゃないかと思ってさがしたら、屋根と壁の役を見つけた。
佐藤君と島田君も大変だ。
どんな台詞なのか気になったので探してみる。
ぱらぱらとめくっていると、タンス2の近く、最初の方の家のシーンにあった。
壁「僕が君を支えている。これは運命なのだろうか」
屋根「運命なんかじゃない、これは僕らが自ら選択した世界のありようだ。そもそも」
とりあえず佐藤君と島田君が気の毒だという事はわかった。
ふと不安になって僕の台詞を探してみる。何を言わせられるのだろう。
森の木なので、多分家のシーンの後だろう。ぱらぱらと無駄に分厚いプリントをめくる。
あった。
森の木1 “舞台中央でアドリブ”
僕はそっとプリントを元に戻した。どうしよう。とんでもない手抜きだ。
大体森の木がなんでアドリブを。しかも中央で。
「先生、アドリブって何をすればいいんですか?」
学級委員を務める、お嬢様のような雰囲気の高嶋さんが、真面目な顔で先生に向かって質問した。
高嶋さんにもアドリブがあるのか。何の役だろう。
配役表を見ると、赤ずきんになっている。主役だ。
自称台本をめくる。
赤ずきん “舞台中央でアドリブ”
大変だ。僕のと全く同じ。とんでもない手抜きだ。
試しに邪魔な紙を適当にめくると、どのページにも三回は書いてある。
「先生!」
全く反応のない先生に、高嶋さんが少し怒ったような声を出した。
先生はどこか遠くを夢見るような表情でぼんやりとした後、ゆっくりと高嶋さんの方を向いた。
「んー、お前達の奥底に眠る感性そのものを出せばいい。世界を揺るがす魂の輝きを見せてくれ」
何を言っているのか良く分からない。休んだ方がいいと思った。
「先生ー」
またどこかから声がする。見ると、勉強が出来てスポーツもそこそこ、おまけにかっこいい顔でクラスの人気者になれそうなんだけど、ゆがんだ笑顔で性格の悪さをアピールするせいでそうでもない柳君だった。
柳君は何の役だろう。配役表を見ると、狼の役になっている。
「空中でアドリブってどうするんですかー」
何を言っているのか良く分からない。不愉快な紙の束をめくって狼の台詞を探す。
狼 “舞台空中でアドリブ”
別バージョンだ。しかし先生は小学生の学芸会に何をさせるつもりなんだろう。
「猟師と狼が空中でお互いの存在理由を巡って火花を散らすんだ。レゾンデートルは空中にあるというのが先生の持論だ」
本格的に何を言っているのか分からなくなってきた。早いところ休んで欲しい。
「それはいいんですけど、空中と言われても僕飛べませんよ」
それはそうだ。大概の人は飛べないと思う。
「……んー、あー、そこで特殊効果だ。弓塚頼むぞ」
クラスの視線が一点に集中する。その先にはポニーテールの冷たい美少女。誰もが天才と認める天災、この学校の隠しボス、弓塚さんだ。
配役表を見ると、弓塚さんのところには特殊効果と書いてあった。これは役なのだろうか。
「……なんですか」
無表情の弓塚さんの冷たい言葉が先生に向けられる。先生は特に気にしていない。
「あれだ、弓塚はたしか手を触れずに物を動かせたよな」
「テレキネシスです」
「そうそれ! それで役者を空中に浮かしてほしいんだができるか?」
「やった事ありません」
それはそうだ。
「……うーん、じゃあ先生で練習してみてくれ」
勇気があるのか無謀なのか分からないけど、止めといた方がいいと思った。
「わかりました」
相変わらず弓塚さんはあっさりしている。
「よーし、それじゃ先生を空中に持ち上げたあと、ぐるりと教室を一周させてみてくれ」
何も考えていない事が確信できる先生の言葉に、弓塚さんは片手の手のひらを教卓の先生に向けた。
「はっ!」
気合の入った言葉とともに、先生が天井に激突した。凄い音がした。
「えい!」
次の気合とともに、ぐったりした先生が天井を擦りながら僕らの頭上をゆっくりと移動していく。
なんか怖い。
ガリゴリと音を立てながらぐるりと回った空中の先生が教卓の上に戻ってきた。
「先生、次はどうするんですか」
「う……う」
意識不明だった先生が教卓の上でうっすらと目を開いた。弓塚さんの冷静な言葉に、先生の意識がもどったらしい。
なんだかぼんやりと遠くを見ているような先生の目に、突然光が宿った。
「見える……! 遥か遠くまでいける!」
「やっ!」
気合一閃、先生が教室の窓を突き破って出て行った。ここ三階なんだけど。
「よーし、それじゃ練習するぞ練習」
先生ののんきな声が体育館にこだまする。
一日入院しただけで先生は元気になって戻ってきた。ありえない。
「それじゃあまずシーン1、赤ずきんの旅立ち、スタート!」
壇上で赤ずきん役の高嶋さんが一歩前に出る。
「……えーと、さあいこう」
「カーット!」
先生の容赦ないカットが入った。
「駄目だ駄目だ、魂がこもっていない! もっとおばあさんの家へ行くという意志を台詞に表情に手足に雰囲気に表現させて」
普通に何を言っているか分からない。可燃ゴミでこのシーンがどうなっているか確認してみた。
赤ずきん “舞台中央でアドリブ”
パラパラと何枚かめくってみると、アドリブか良く分からない台詞の二択。
改めて思うけど、これで劇になるのだろうか。
「よーし! 次はシーン2、赤ずきんの帰宅、スタート!」
何でもう帰るのか。おばあさんと狼はどうしたんだろう。
斎藤君が折り紙にしている紙で確認すると、やっぱりアドリブとしか書いていない。
「……えーと、さあ帰ろう」
「カーット!」
先生の容赦ないカットが入った。高嶋さんも大変だ。
「駄目だ駄目だ駄目だ、帰るように見えない! もっと家へ帰る、その気持を前面に押し出してこう、すぱっ、ぴゃーって感じを出さないと観客に届かないぞ!」
日本語ですらなくなってきた。高嶋さんはこわばった顔をしている。
「どうした高嶋! お前の本気を見せてみろ!」
「分かりました。帰ります」
「オッケェェェイ! それだ! その感じを忘れるな!」
ハイテンションの先生を無視して、高嶋さんが体育館から出て行った。
「よーし、いい感じになってきた。それじゃ次はシーン3、王子様登場だ!」
もう脱線が始まった。赤ずきんに王子様はいないはず。
赤木さんが落書き帳にしてしまっている紙束で確認すると、王子様役は斎藤君だった。場面を見ると、めずらしくアドリブじゃない。
「斎藤、いいかー、スタート!」
「赤ずきんちゃん、リンゴはいかがかな」
別の線路に合流してしまった。先生はどこに行くつもりなんだろう。
そもそもそれは王子様じゃない。
「うーん、まあ悪くはないけどな。もっと赤ずきんに対する嫉妬をリンゴを差し出す右手の角度で表現してくれ」
どうすればいいか分からないし、王子様が赤ずきんに嫉妬する理由もわからない。
「まあ、練習しておいてくれ。よし、次はクライマックスの舞踏会のシーンだ」
さあどうしよう。赤ずきんからどんどん遠ざかっている。
「ここはクラス全員で舞踏会を表現する。特殊効果頼むぞ」
先生が弓塚さんに話し掛ける。弓塚さんは表情を変えずに冷たい視線を先生に向けた。
「なんですか」
「クラス全員を空中でこう、舞踏会って感じにしたいんだが」
「無理です」
「そうかー、じゃあ主役だけ頼む」
「わかりました」
相変わらず弓塚さんはあっさりしている。
「よーし、高嶋ー、ん? 高嶋はどうした。斎藤、高嶋は?」
「帰ったみたいです」
「なに帰った? しょうがないな。じゃあ次のシーン、討ち入りだ」
改めて思うけど、これはもう駄目だ。
「特殊効果、舞台を爆発させてくれ」
「わかりました」
逃げよう。
瓦礫の山になった体育館。
救急隊員が下敷きになった先生を掘り出している。
弓塚さんは涼しい顔でその様子を見ている。一応原因なんだし、助けたりしないのかな。
試しに聞いてみる。
「分かった、やってみよう」
相変わらずあっさりしている。
弓塚さんが手のひらを瓦礫の山に向けて目を閉じた。
「えい!」
力のこもった声とともに、救急隊員と瓦礫と先生が宙に浮いた後落ちた。
びっくりして弓塚さんを見ると、額に人差し指を当てている。
「力を使いすぎた。少し休む」
それだけ言うと、弓塚さんはとっちらかった現場を後にした。
「助けてくれー」
どこかから先生の叫びが聞こえたような気がした。