黄金の果実を求めて・4
木を登り、枝葉を掻き分け顔を出すと曇り空が見えた。空の果てには雲間の切れ目が見える。きっと間もなく、太陽の光があの切れ目から筋を描いて大地へ降り注ぐのだろう。
それから大地に目を向けてみると、左手にウルク村が見えた。篝火が輝いている。行方不明になった子どもたちのために目印を作っているのだ。
ルナは最後に山の方へ顔を向けた。三色に色づいた山は美しくて、いくら眺めても飽きない。しかしすぐに自分の役目を思い出し、じっと目を凝らした。
「……あっ!」
黄金に輝く大木が見える。他にも同じ色を持つ木々は沢山あるはずなのに、一瞬で目を奪われてしまった。
「きれい……」
それほどまでにその大木は美しかった。自然を超越した、神秘的なものを感じるほどに。
ルナは枝を伝って素早く降りて、地面に華麗に着地した。そうして、報告を待っていたエリチェーンに満面の笑みを向ける。
「見えた! 見えたよエリチェーン! あっちにね、すごーくきらきらしてきれいにゃ木が見える! 金色に光ってた! きっとあそこだよ! あとちょっとだと思う!」
「ありがとう。もうひと頑張りする前に、ここで一休みしよっか?」
「う、うん!」
エリチェーンの一休みの提案にルナはどきりとする。
小休止を取ることに異論は無かった。木を登る前に息を整えたほどだし、少し体力を取り戻さなければ途中で足が動かなくなるのはわかりきっている。妥当な判断だ。
「……えっと、私の母さんの話をするんだったよね?」
「そ、そうだね。聞かせてくれる?」
「うん。喜んで」
しかし休憩をするということはエリチェーンの家族の話、つまり彼女の過去に触れるということでもあった。
彼女の父親の話を聞いた時、ルナには引っかかるものがあった。それが不安という名のしこりとなって心の中に残っている。
それでも一度踏み込んでしまった以上最早戻れないと覚悟は決めていたものの、いざその時が訪れるとルナの胸中はざわめいた。
エリチェーンに倣って腰を下ろし、ルナは水の入ったカップを受け取る。カップを差し出してくれた彼女はもう足を伸ばしてくつろぎの姿勢を取っていた。
「……私の母さんは、とても明るい人だった。父さんが無口な分、母さんが代わりに沢山喋ってくれてね。だから私は普段、母さんとばかり話していたよ。私が山で体験したことは全部、母さんが聞いてくれた」
「それじゃあエリチェーンが男の人っぽく喋るのって、お母さんの影響?」
自分のカップに水を注ぎながらエリチェーンは答えた。
「ううん。母さんはずっと女性らしい口調だったよ。私がこういう風に喋るようになったのはガープさんの所に長く居たせいだね」
「そうにゃんだ?」
「男ばっかりだったんだもの、ガープさんの商隊。がさつにはならないよう気をつけたけど、それでも暮らしてる内にどんどん女性らしい言葉遣いとは離れちゃって。……でも嫌に思ったことは一度もないんだよ。私は自分の話し方、気に入ってるんだ」
"男の人に舐められることがほとんどないし"と、エリチェーンはいたずらっぽく笑っている。言葉に偽りなく、彼女は今の自分自身に満足している様子が見て取れた。
カップの水を飲み干してから、彼女は続ける。
「……父さんは山との付き合い方を教えてくれた。人との付き合い方を教えてくれたのは、母さんだった。私の考え方や言葉の選び方は、母さんの影響が強いんだ」
「エリチェーンを見てるとお母さんのこともわかるってことだね!」
「そういうことになる……のかな?」
「当ててみせよっか? エリチェーンのお母さんはねー……、すごく優しいけど、大事にゃところではちゃんと厳しい人、だよね?」
「……それ、ルナが私をそんな風に見てるってことだよね?」
「間違ってにゃいと思うよ?」
満面の笑みを浮かべてじっと見つめていると、エリチェーンは"まいったな"と呟いて、視線を地面へ逃して頬に手を当ててしまう。
「ルナがそう思ってくれてるのならとても嬉しいよ。……面と向かって言われると、流石に照れくさいけど」
「えへー♪」
「でも、そうだね。ルナの言うとおり、母さんはとても優しい人だった。私が悪いことをしたら、私の目をじっと見つめて、何故いけないのかをきちんと説明して、叱ってくれてね。それが終わればいつも母さんは私を抱きしめて、頭を撫でてくれた」
父親の話をしていたときのように目を閉じて、過去を思い返しているのがわかった。
「(あっ……)」
しかし彼女が再び目を開いた時、横顔には隠しきれない憂いと陰りが見えて、ルナははっとする。
「私は母さんのように愛嬌がある方ではないけれど、出来る限り見習って生きたいと思ってる。母さんが私の手本になったように、今度は貴女の手本に私がなるように、精一杯。……さ、そろそろ出発しようか、ルナ?」
「えっ? あ、うん!」
その横顔を目にした瞬間頭の中で思考が渦巻いてしまっていて、どうやら呆けた顔を晒していたらしいことにルナは気づく。慌てて返事をしてみても、エリチェーンは首をかしげるに決まっていた。
「……大丈夫? もう少し休んでいく?」
「大丈夫! ルニャは体力の回復早いんだから!」
「ん。ならいいけど……無理はしないようにね。山でそれは禁物だよ?」
「うん! 辛い時はちゃんと言うよ!」
「いい子だ。それじゃ出発しよう」
明るく振る舞ってごまかしたものの、渦巻く思考は止まらない。
「(やっぱり、そうだ)」
"とても静かな人だった。獲物を仕留めると褒めて笑ってくれた"
"とても優しい人だった。叱った後は必ず抱きしめて、頭を撫でてくれた"
エリチェーンが話してくれた両親の話は、もはや彼女の中では遠い過去の人物に成り果てていた。
長い間交易商人ガープのところに世話になっていたとも言う。そして隠しきれなかった、悲しみを感じさせた横顔。
それの意味するところは、ルナには一つしか思いつかない。
「(エリチェーン……)」
けれどその答えを本人に突きつける勇気は湧かなくて、ルナは先行するエリチェーンの背中をじっと見つめることしかできなかった。
「誰かいないかー!」
「ウィルー! リテルスー! いるにゃら返事してー!」
居なくなった子供たちに向けての呼びかけを再開して、お喋りをする余裕がなくなったのが幸いだった。声を張り上げれば少しは気も紛れる。
「……見えた。あの木だ」
呼びかけに返事が返ってくることはやはり無く、そんな調子で山を歩き続けてしばらくのことだった。エリチェーンの言葉にルナは顔を上げて正面を見た。
「やっと着いたんだね……!」
そこには先程木に登って見つけた、あの黄金の大木が聳えている。大木の周辺は開けていて、裏手には泉もあるようだ。
泉から溢れた水がぐるりと大木の周囲を囲むような道筋を描いて浅い川を形成しているが、これは自然に作られたようには見えない。
「……あっ!」
もう一度大木に視線を戻し根っこの周囲に目を凝らしてみると、何かがうずくまっているのに気づいてルナは思わず驚きの声を上げる。"それ"を指差し、エリチェーンに知らせた。
「あれ! あそこ!」
「行こう!」
駆け寄ってみると果たしてそこには、二人の少年が身を寄せ合いながら眠っていた。二人の顔立ちはよく似ている。兄弟なのだろう。
兄と思われる少年の背はルナより少し高いぐらいだ。彼は弟と思われる少年を抱きかかえ、少しでも寒さを和らげようと苦心した名残があった。
彼らの顔は青白い。疲労と寒さと飢えに苛まれているのがひと目で分かる。
「あにゃたたち! 起きて! ねぇ! 助けに来たよ! 起きてっ!」
「寝ちゃダメだ! 起きるんだ!」
「う、う……」
少年たちの頬を軽く叩きながら必死に呼びかけると、幸い彼らは二人とも反応してぼんやりと目を開けた。呆然とした様子でこちらを眺めている。
「私達の事がわかる? 貴方達、自分の名前を言えるかい?」
「あ……あ……」
エリチェーンの問いかけに小さい方の少年が目を見開き、突然起き上がってエリチェーンの胸元に飛び込んでいく。
「うわぁぁぁ……!! わぁぁぁっ……!!」
「大丈夫。よく頑張ったね。もう安心だよ……」
恐怖が一気に爆発したのだろう。エリチェーンの質問に答える余裕すら無く、小さい方の少年はひたすらに泣きじゃくっていた。そんな少年を、彼女は優しく抱きしめて何度も何度も背中を撫でている。
ルナはもう一人の少年の方を見た。彼も状況を理解したようで、少し涙ぐんでいる。
「あにゃた、ウィル? それともリテルス?」
「……ウィル……。リテルスはそっち……」
この二人の少年が、ウルク村から居なくなった兄弟だという事が確定した瞬間だった。
そしてウィルは兄という立場上、弟のように泣くことはできないと強がっているのもルナはなんとなくわかった。
「よかった……! ほんっとによかったぁ!!」
無事に二人が見つかった嬉しさと、強がる必要はないのだと示すため、ルナはウィルを思い切り抱きしめてあげた。
腕に伝わる震えは寒さによるものか、それとも。
「ほんと……よかったよぉ……」
なんだかそれがひどく胸を打って、ルナはいつの間にかぽろぽろと涙をこぼしてしまっていた。
無事に二人を見つけ出したものの、まだ安心はできない。もうすぐ日が落ち冷え込みが厳しくなる。そうなる前に彼らを苛む全てを取り除いてやらなければならなかった。
開けた周囲は野営地に最適で、持ってきた荷物を全て下ろして支度に取り掛かる。
ウィルとリテルスの濡れた服は脱がして、代わりに自分たちの使っていた外套を着せて寝袋に潜り込ませた。こちらも乾いているわけではないが、昨日の雨をまともに受けてずぶ濡れになっていた彼らの服は、もう躰を温める役目を果たさない事を思えば何倍もマシだった。
それから黒パンとチーズを少し切り分けて、干し肉も少し千切って食器に入れて兄弟に手渡した。
「はい、どうぞ!」
何でもない食材だが、今の彼らにとっては何よりのごちそうのようだった。虚ろな瞳に一瞬で輝きが宿ったのだから、どれだけの希望をもたらしたか想像に難くない。
「ひとまずそれを食べておいてね。……昨日から殆ど飲まず食わずだったようだから、慌てて食べないように。ゆっくりとよく噛んで食べるんだよ?」
手際よく火をおこして衣服の乾燥と調理の準備に取り掛かりながらエリチェーンは言う。
兄弟がちゃんと言いつけを守っていることを見届けてから、ルナはあちこち駆け回って枯れ枝を集める仕事に専念することになった。
一晩越すのに十分な量をかき集めた頃には、エリチェーンが火にかけた鍋がぐつぐつと煮えたぎり、中で干し肉が踊っていた。熱々のスープの出来上がりだ。
「躰は温まるけど気に入ってくれるかな……水を沸かす中に塩と干し肉放り込んだだけだから」
「野菜は持ってこれにゃかったもんね~。……味見していーい?」
「うん、お願いできるかな? 私もさっきしたんだけど、いまいち自信が持てなくて。火傷しないようにね?」
器に少しスープを注いでもらい、ルナは息を吹きかけながらそれを飲んでみる。
塩気の利いたスープに、煮込まれて少し柔らかくなった肉を噛みしめれば旨味がじわりと染み出して、なんだか落ち着く味だ。
流石に宿で食べるシチューと比べれば差は歴然だが、疲れた躰には十分染み渡る。これならウィルとリテルスも心地よく躰を暖められるに違いない。
「いい味にゃの! 宿のシチューに比べたらそりゃ物足りにゃいけど……悪くにゃいと思うよ?」
率直な感想を述べると、エリチェーンが安堵したように表情を綻ばせた。
「そっか、よかった。……そうだね、乏しい材料でこれだけの味なら上出来だと思おうか。ルナ、あの子達に持っていってあげて」
「はーい!」
ルナは熱々のスープの入った器を持って、兄弟のところへ向かう。
「おまちどうさまっ。熱いから気をつけてね?」
「あ、ありがとう……」
「おねえちゃん、ありがとう」
彼らもスープを気に入ってくれたようで、その熱さに目を白黒させながらも器を口元から離すことはなかった。
「パンとチーズもここに置いておくから、しっかり食べるんだよ」
「「うん!」」
熱いスープが食欲を刺激したのか、彼らは新たに切り分けて用意されたパンとチーズもすっかり平らげてしまった。
「美味しかったぁ……」
「おなかいっぱい……」
食事が済んだ後にはもう衰弱していた姿はどこへ行ったのかと思えるほどに元気を取り戻していて、改めて大事にならなくて良かったとルナはエリチェーンと顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「あの……お姉さんたち」
「ん?」
「にゃあに?」
そんな時改めて声をかけてきたのはウィルだ。顔を向けてみると、彼は少し気恥ずかしそうにしながら言った。
「助けてくれてありがとう。……でも見たことない人だから最初はびっくりした。この辺りの人じゃないよね?」
「うん! あたし達たまたまウルク村に来てて……あっ!? にゃまえ教えてにゃいよね!? あたしはルニャって言うの! よろしくね!?」
「『ルニャ』お姉さん?」
「あ、いやそうじゃにゃくて。ルニャにゃんだけど……」
「正しくはルナ、と言うんだ。この子は喋り方にちょっとした癖があってね。……私はエリチェーン。たまたま私達はウルク村の宿駅に泊まっててね。貴方達の探索の手伝いを申し出てここまで来た。よろしくね」
「そうだったんだ……。もう知ってるだろうけど、僕はウィル。こっちが弟のリテルス。よろしく」
リテルスは目を輝かせている。もう山での遭難の恐怖が楽しいキャンプの時間に塗り変わっているらしいことが窺えた。
「お姉ちゃんたちすごいね! ここ、狩人のお爺ちゃんしか知らない秘密の場所なのに……どうやって来たの!? それに……ルナお姉ちゃんみたいな人、ボク初めて見た! 猫さんなの!?」
「猫さんとはちょっと違うかにゃ~?」
ルナはリテルスの側に座り込んでにっこりと微笑んで見せた。耳をぴこぴこ動かして、頭を撫でたくなるように誘ってみる。
するとルナの意図した通り、リテルスの小さな手は頭の上に伸びてきて優しく撫でてくれたので、ごろごろと喉を鳴らしてみせた。
「……やっぱり猫さん?」
「違うよ~。ルニャはフェルパーにゃの。こうやって耳を動かして頭をにゃでてもらうのは、フェルパーの友好の証にゃの~。あにゃたを信用します、って! ウィルもにゃでて?」
「え!? や、えっと、それはちょっと……」
ウィルにも視線を投げかけてみるも、彼は顔を赤くして目を逸らしてしまった。恥ずかしがっているらしい。
「え~」
「そ、それより本当にどうやってここまで? ここまでの道を知ってるのは狩人の爺ちゃんだけのはずなのに……」
「ん? それはねー。エリチェーンのおかげにゃの! ね!」
ルナはエリチェーンに笑顔を向けた。自分たちの食事の準備をしていた彼女はパンを切り分けながら言う。
「やったことは貴方達と一緒だよ。事前に目印について本人から聞いたか、自力で目印を見つけたかの違いはあるけどね」
「自力で見つけた!?」
予想通りウィルは大いに驚いて、ルナは誇らしく胸を張った。
「エリチェーンはね、狩人さんとおにゃじことできるの! 凄いんだよ!」
「必要に応じてルナが木に登って周りの地形を確認してくれたし、順調にここまで来れたよ。……でも、貴方達も大したものだよ? 事前に聞いていたとはいえ、いきなり山でそれを実践出来る人はいない。さては日頃からこっそり山に入って遊んでただろう?」
エリチェーンの指摘にウィルは明らかに狼狽えている。図星を突かれたに違いなかった。
「い、いや……それは……」
「別に叱ったりはしないさ。それは私達の役目じゃないからね」
“叱らない”という言葉に、今度はリテルスが表情を暗くする。
「……ボクら、村に帰ったら叱られるの……?」
ルナはその質問に“そうだよ”と答える代わりに、リテルスの両肩に手を置いて微笑んで見せた。
「それだけのことをしちゃったんだから、叱られるのはしょうがにゃいよ。でも、村の人達もあにゃた達を大事に思ってるからこそ叱るんだとルニャは思うの」
「……うん……」
「怖いかもしれにゃいけど……大丈夫! ルニャとエリチェーンが一緒についていくから!」
「一緒に?」
「うん。4人みんにゃで謝りに行こ? それにゃらちょっとは安心じゃにゃい?」
「いいの……!?」
リテルスの顔がぱっと明るくなった。ルナは同意を求めるようにエリチェーンを見る。
「もっちろん! ね、エリチェーン?」
「お安い御用さ。決して貴方達が悪戯でこの山に立ち入ったわけじゃないというのも私達の方から説明すれば、少しは理解を得られると思う」
「儀式のために、二人はここまで来たんだよね? 村の為に! ルニャは凄いと思う!」
更にルナはウィルとリテルスの行動を褒めてみせるが、これにはウィルが表情を暗くする。
「……確かに村の儀式のために山に入ったよ。あの果実がなかったら、僕を含めた今年の儀式を受ける子はずっとそのことを引きずることになると考えたから。けど……こんなことになっちゃったから、褒められないことだと思ってる」
今となっては、彼も自分の行為を恥じているようだった。
「そっかぁ……」
なんと取り繕えばいいのかすぐには思いつかず、ルナは話題を切り替えて暗い雰囲気を吹き飛ばそうと試みた。
「……ねぇ、ウィル? ルニャずっと不思議だったんだけど、あにゃたたちここまでの道はちゃんと知ってたんだよね?」
「うん」
「じゃあ、どうして村に戻ってこれにゃかったの?」
「ここに来るまでは良かったんだ。狩人の爺ちゃんに聞いた通りに山を登って。だけど……」
ウィルの後を引き継いで、リテルスが言う。
「降りようとしたら、道がわからなくなっちゃったんだ……」
「それでずっとここにいたの?」
「下手に動き回るよりはいいと思って。でも、お姉さん達が助けに来てくれなかったらダメだったと思う」
ルナは首を傾げた。
「行きはよかったのに……? そんにゃことあるの、エリチェーン?」
エリチェーンに尋ねると、彼女はスープを一口飲んでから答えてくれた。
「よくあるよ。山で遭難するのは行きより帰りの時なんだ。登ってきた道の光景を覚えてないし、下から見上げるのと上から見下ろすのじゃ景色も違ってくるから」
「そうにゃんだ……!?」
「雨も降っていたし、視界も悪かったはずだ。そんな中でまた目印を探しながら降りるのは結構難しい。……ここに留まる判断を下したのは正解だよ。もし闇雲に動かれていたら、私達でも探し当てることはできなかった」
判断を一つ間違えればどうなっていたか、それを想像したのかウィルもリテルスも顔をさっと青ざめさせた。
「きっと女神ルクが、『ここに居なさい』と貴方達に教えてくれたんだろうね」
そんな二人を落ち着かせるように、エリチェーンは黄金の大木を見るよう促した。皆で大木を見上げる。
空はもう暗かったが、星空が雲の切れ目から覗いていた。月はまだ隠れているが、不思議と大木は明るく浮かび上がっていて、眺めていると心が落ち着いた。
「……そういえば。おにゃか空いてたんにゃら、あの木の果物食べにゃかったの?」
沢山実った果実が静かに揺れているのを見ているとそんな疑問が浮かんだので口に出してみたら、ウィルもリテルスも顔をしかめてしまった。
「あっ……ご、ごめんにゃさい!? 大事にゃ儀式に使う果物だもんね!?」
「いや……食べてみたんだよ。神聖な物だって知ってたけど、どうしてもお腹が空いて。でも、とても食べられるようなものじゃなかった」
「すっごく酸っぱかった。飛び上がっちゃったもん……」
思い出しただけでも表情が歪んでしまうほど凄まじい味だったらしい。全く想像がつかなかった。
「そ、そんにゃに……?」
「儀式が終わった後、使った果実は畑に埋めてたんだけど……その意味がよくわかった」
「だからお姉ちゃん達が用意してくれた食べ物、すごく美味しかった!」
「えへへ。よかった!」
食事が済んだ頃には彼らの服も乾いていて、すぐに着せた。飢えと寒さはこれで完全に取り除くことができた。
彼らはまだ話し足りない様子ではあったが、満腹感と温もりに包まれていよいよ眠気が襲い掛かってきたようだった。ほとんど満足に眠れず夜を明かしたのだから無理もない。
焚き火の温もりがお互い届くように寝袋を配置し直して、改めて潜り込んでもらう。ウィルの寝袋はエリチェーンの傍へ、リテルスの寝袋はルナの傍だ。
「寒くはないかな? 大丈夫?」
「うん。……でも、お姉さんたちはどうするの?」
「私たちはこれがあるから大丈夫さ。気にせずおやすみ」
二つある寝袋は兄弟に貸し与えたので、ルナとエリチェーンは返してもらった外套を身にまとって寝るしか無い。とはいえ、焚き火もあるし一日の辛抱と考えれば大したことはなかった。
「今日は安心してぐっすりおやすみしてね? ちゃーんと傍にいるからね」
「うん……。おやすみなさい……」
頭だけ寝袋から出しているリテルスをルナは優しく撫でた。既に微睡んでいるリテルスは、うっとりとした表情で目を閉じていく。
「おやすみにゃさい。いい夢を見てね」
そのままゆっくりと頭を撫で続けているとすぅすぅと小さな寝息が聞こえてきたので、ルナはそっと手を離してウィルの方を見やると、彼も夢の世界へ沈み込んでいた。
そっくりの寝顔は彼らが兄弟である何よりの証しで、その表情には微塵も恐怖や絶望が残っていないことにルナは安堵する。
それからエリチェーンの横に改めて腰を下ろして、ぱちぱちを音を立てる焚き火を見つめながら食事を始めた。新たに太い枝が何本か追加されて、火の粉の赤が夜空に溶けていく。
「ルナ、小さい子を寝かしつけるの上手だね。私の出る幕が無かったよ」
スープをゆっくり飲んでいると、エリチェーンにそう言われたので、ルナは笑った。
「にゃに言ってるの、エリチェーンを真似したんだよ?」
そう返してみせると、彼女は驚いたようだった。
「え、私の?」
「エリチェーンに初めて『黄金の子鹿亭』に連れていってもらった時、ルニャはああやってもらって眠ったんだもん。だから、エリチェーンが上手にゃんだよ?」
彼女と初めて出逢った日、彼女に救われた日、彼女に名前を授かった日、ルナは泣き疲れてからベッドに潜り込んだ後は、エリチェーンに同じようにして寝かしつけられたことをよく覚えている。
片時も休まずに頭を静かに撫でられて、少しずつ気持ちが落ち着いて楽になった経験から、ルナは同じことをリテルスに施しただけだったのだ。
それを説明すると彼女は合点がいったように頷いて、そして嬉しそうに微笑んでくれた。
「そっか……なるほどね。あれは私の母さんの寝かしつけ方だよ。気に入ってくれたんだね」
「すごく安心できたから、ルニャも真似しようかにゃって。あ、でもルニャ流の寝かしつけ方もあるの」
「どんな方法?」
「ぎゅーって抱きしめて、お休みするまで見守るんだけど……寝袋に二人もはいんにゃいからしにゃかった」
「……それ、ウィルにやったら眠るどころじゃなさそう」
「え~、どうして?」
「ウィルぐらいの年頃の子で、しかも男の子だろう? 気にならない筈がないからね。……見たところルナと歳も近いし」
「そういえば、頭をにゃでるのも渋ってたにゃあ……」
「恥ずかしいものなのさ。あのぐらいになるとね」
そう言われてルナは少し考えた。記憶を辿り、異性の反応を探りあてる。
「じゃあ男の人って、リテルスぐらいのときは平気で、ウィルぐらいににゃると恥ずかしくにゃって、ガープさんぐらいににゃるとまた平気ににゃるんだね?」
身近な人に例えてみると、エリチェーンは呆気にとられてしまったようだった。
「……えーと、ル、ルナ? それってどういうことかな……?」
「んっと、里に居た時はガープさんぐらいの男の人、抱きついてあげるとでれでれしてたもん。喜んでた」
「あぁ……確かフェルパーは、里に来た人間相手にそういうことをしたりして取引を進めるんだったね?」
「うん。12歳ぐらいににゃったら里に来た人間さんをおもてにゃしするのに参加して、傍にいてあげたり、ご飯の準備したり、お酒を注いであげたりとかルニャもしてたよ。一番大事にゃことは、おとにゃににゃらないとだーめ、って言われてたけど」
説明を続けていくと段々エリチェーンに冷静さが取り戻されていくのがわかった。
「まだまだ私もフェルパーの文化には疎いな……。いきなりガープさんを例に挙げられたから面食らっちゃったのもあるけど」
「ガープさんにおもてにゃししたらやっぱりでれでれするのかにゃ?」
「ふっ――!?」
しかしこんな質問を投げかけると吹き出して顔を隠してしまった。肩が震えている。
「……そ、それ、いいね。ふふっ……! 今度どこかで会ったら、ルナ、や、やってみてよ? く、ふっ……!」
「いいよー、やったげる♪」
必死に声を上げまいとお腹に手を当て、もう片方の手で顔を覆い隠したままエリチェーンはうずくまっている。よっぽど可笑しかったらしい。
ルナはそんな彼女の背中をぽんぽんと叩いて、落ち着くのを待つことにした。
それから暫くして、なんとか大声で笑うことを耐えきったエリチェーンは目尻を指先で拭いながら言った。
「ああ……よかった。お酒が入ってたら大笑いしてたよ」
「えへへ♪」
「それで、だ。真面目な話に戻るね。危険な生き物は居ないとは聞いているけど、念のため見張りを立てようと思う」
「賛成にゃの」
「それで交代のタイミングだけど……」
エリチェーンは袋から小さな木箱を取り出し、その中の蝋燭を取り出してみせた。どこにでもある普通の蝋燭だ。
「この蝋燭が燃え尽きたら交代としよう。朝になるまで十分数はあるから心配はいらないよ」
「わかった。じゃあ最初はルニャが見張りをしよっか? 夜目は利くから」
「いや、最初は私が見張るよ。慣れない山登りをしてルナも疲れただろう? ひとまず躰を休めるといい」
「大丈夫だよ?」
「だめだめ。意外と疲れてるものなんだから」
「でも……」
自分より山に慣れてるとはいえ、エリチェーンの疲れがそれで減っているわけではないとルナは考えた。しかし彼女はどうあっても自分が最初に見張りの任に就くことを譲りそうにない。
「夜は長いんだ。ルナの夜目ももちろん信頼しているよ。その力を存分に発揮するためにも、今は先に躰を休めて備えてほしい。……いいかな?」
こう説得されるとルナも反論のしようがない。大人しく彼女の言うことに従うことにした。
「……わかった。にゃにかあったら起こしてね?」
「もちろん。私達で、この子達を守るんだ」
ルナはここまでの道のりで汚れた足を洗うため、大木の周囲を巡る小さな川へ向かう。水に足を浸けてみると氷のようにとまではいかないものの、少し身震いしてしまう程度には冷たい。
あまり音を立てないよう、水の中で足を左右に振って泥を落とし、布切れで細かい汚れを拭い落とした。
その最中考えるのはエリチェーンのことだ。彼女の考えに不満がないわけではない。しかし間違っているわけでもない。
「(ルニャが子供だから、にゃのかにゃあ)」
彼女がここまで自分を優先して楽させようとしてくれる理由は、結局のところそれだと行き着く。血の繋がりはなくても彼女は親で、自分は彼女の子供だ。
その関係性が何においてもまずは彼女が矢面に立っている原因になっているのは、ルナはあまり良く思えなかった。
もちろん彼女が嫌々そんなことをしているわけではないと理解はしている。彼女にそれを助けも借りず涼しい顔してやってしまうだけの強さがあるのは自分が一番知っている。
「(でも……)」
一つの疑問が、思わず口をついて出た。
「――エリチェーンは、誰に甘えたらいいの……?」
彼女を導いた師匠とは別々の道を歩んでいる。
彼女を育てた両親はもうこの世には居ないのだろう。
あの時見た切ない表情。あれこそが彼女が隠し持つ弱さであり、誰にも甘えられないからこそ、どんなに辛くても強くなるしか道がなかったのだ。
「(そんにゃの、寂しい、辛い、苦しい。……かにゃしい)」
ルナはそうあり続けることが正しいとは決して思わなかった。
彼女にも甘えられる身近な人物が絶対に必要だと考えた。その人物こそが、彼女の新しい家族である自分だとも確信していた。
どんな声をかけていけば、頑なに強くあろうとする彼女を改めさせることができるだろうか。そう考えて、ルナは行き詰まってしまう。
「ルニャは、どうしたら……」
足を丁寧に洗いながら、答えを求めるように星空を見上げた。
けれど眩く輝く星々は、決して答えてはくれなかった。