黄金の果実を求めて・3
明けて翌日、窓の外には相変わらず雨が降りしきる光景が広がっていて、ルナ達はもう一日宿駅に滞在することになった。
それは予想していたことだったのだが、問題が一つある。
「ルナー? 中の掃除終わった?」
「終わったよー。そっちは?」
「こっちも終わっちゃった。馬も元気そのもの。……日頃やってるからあっという間だね」
――。
「街でルニャ達が飛び入りで参加できそうにゃお祭りの情報を集める、って決めちゃったから、相談することもにゃくにゃっちゃったね」
「可能性として一番高いのがそれだと思うしね……。これ以上考えても、この案を超えるものは出てきそうに無いかも」
「うーん、そしたらにゃにしよっか?」
「……カードで遊ぶ?」
――。
「暇だね……」
「うん……」
時間の潰し方だ。
幌馬車の手入れは日頃こまめにやっているせいでほとんどやるべきことがなかった。
"どのようにして大人と認めてもらうか"という相談は一応最良と思われる候補が出てきてしまったために、顔を突き合わせて新たな案を考え出す必要性が薄れてしまい、ならばとカードで遊んでみるも、二人きりだとどうにも行き詰った感がある。
女神の話は昨日たっぷりしてもらったために種が切れていた。
他に滞在者が居ればまた違うのだが、残念なことに宿には自分達しか泊まっていない。結局最後には二人してテーブルに突っ伏して、ぼんやりと窓の外を眺めて時間が過ぎるのをひたすらに待っていた。
「お客さん、そろそろお昼ご飯作りましょうか?」
雨脚が弱まってきて、明日には止みそうだとぼんやりと思っていた所に、宿の主である男が昼食の時間を告げてくれる。
「あぁ……もうそんな時間ですか。軽めの食事をお願いしようかな。見ての通り、朝からほとんど動いてませんから」
微睡みに身を任せていたらしいエリチェーンが大きく伸びをしながら起き上がり、それからおどけたように肩をすくめて笑っていた。
その日の昼食は今朝産みたての卵にたっぷりのバターとミルクを使ったオムレツに、小ぶりの黒パンが一つ。さして空腹でもない躰には十分な献立だ。
時間が静かに、ゆっくりと過ぎていく。そんな宿駅に突然沢山の人が訪れたのは、ルナが熱々のオムレツを頬張り、その素朴な味わいを楽しんでいるときだった。
「……んっ!?」
何気なしに客達の姿を見てルナは驚いた。彼らは昨日の夜、深刻そうな表情で何かを話し合っていた男達だったからだ。
その格好は昨日より汚れが酷くなっていて、生傷をこさえている者ばかりになっていた。
「いってて……」
「さぁさ、座った座った」
それだけならまだしも、足を痛めたか骨を折ったのか、肩を借りて引きずられるようにして宿に入ってくる者までいた。
「おいおい、ノルさんどうしたんだ?」
「足を滑らせちまって……いってぇっ……」
宿の主にそう答えた男、ノルは痛みに悶え苦しんでいる。
「今日も皆で山に入ったんだが、見ての通りだよ。俺達まで遭難しそうになって帰ってきたんだ」
「じゃあ、あの二人はまだ……?」
「見つけてない。一体どこに行ったのか……」
「こりゃ、祭りどころじゃないな……」
男達は肩を落としため息をついている。重苦しい沈黙が宿の中を支配していた。
「おぉ、皆。捜索ご苦労だった」
その沈黙を切り裂いたのは、新たに宿に入ってきた、白髪に髭を蓄えた初老の男性だ。開口一番男達に労いの言葉を掛けている。
「村長」
村長と呼ばれた初老の男性は、テーブルの一角に集った男たちに近づいて言った。
「これはもう儂らの手に負える事態ではない。今から街に使いを出して、捜索を請け負ってくれる者を雇うことにした」
「し、しかし間に合いますかね? あの子達が山に入ってもう丸一日です。ろくな食べ物も持っていってないと聞いています」
その言葉に、村長はため息をついた。その表情には他の男達と同じように疲れの色が濃く表れていた。
「だが、何も手を打たないわけには行くまい。……判断を誤ってしまったが、やれるだけのことを我々もやるしかないのじゃ。あの子達の命が尽きる前に、なんとしても助けなければならん。成人の儀という祝いの日を、前途有望な若者の葬式に変えることなど誰も望んではおらんだろう?」
男たちは俯き、やりきれないように拳を握りしめるものも居た。
「あぁ……ウィル、リテルス……」
片手で額を抑え、誰かの名前を呼んだノルの表情は悲しみに歪んでいるのがルナにはよく見える。この村では何か大きな、誰かの命に関わるような事件が起きているようだ。
ルナは視線をエリチェーンに向ける。既に食事を終えていた彼女は、一連のやり取りを全て目に収めていたようだった。
「疲れているところすまんが、誰か馬を使って街まで使いに行ってくれぬか。事態は一刻を争う。依頼書と前金はここに用意した」
「それなら、俺が……」
その時だった。
「あっ」
突然エリチェーンが席を立って男達の元へ大股で近づいていったのだ。彼らの集まりの中に物怖じすること無く入り込むと、彼女は言った。
「その話、詳しく聞かせて頂けませんか?」
男たちは突然割り込んできた彼女に驚きの目を向けている。
「あんたは……?」
「私は交易商人のエリチェーンと言います。盗み聞きするつもりはなかったのですが、耳に入ったもので。私達ならお力になれると思いますよ」
どのような考えに至ったのかは判らなかったが、彼女がこの問題に首を突っ込む気になったのは明らかだ。
ルナは成り行きを見守ることに徹した。もしこの事件に関わることになっても、いつでも出発できるように気持ちを整える。
「……あんた、山を歩けるのか? そうじゃないなら無理だ、怪我するだけだぞ」
懐疑的な目を向けられても、エリチェーンは涼しい顔をしてこう返していた。
「私の父は狩人でした。山の中に家を建て、私はそこで育ちました。山での振る舞いは全て父に教わっています。ですからお役に立てるはずです」
男達は顔を見合わせ、どうしたものか悩んでいるように見えた。
「……今から街へ使いを出しても辿り着くまでに時間が掛かるし、すぐに捜索を請け負う人が見つかる保証も無い。儂はこの方にお願いしてもいいと思うが、どうじゃね?」
その悩みを断ち切ったのはやはり村長だった。彼の言葉に、周りの男達も少しずつ頷いていく。
「村長がそう言うなら……」
「では、決まりじゃな。エリチェーン殿、貴女に事態の解決をお願いしたい。どのような事が起きているのかかいつまんでお話させて頂こう」
「ありがとうございます。私達のテーブルでお話を伺いましょう。……あぁ、この子はルナと言います」
「はじめまして、ルニャです!」
「儂は『ウルク村』の村長を務めております、コリンズですじゃ」
挨拶もそこそこに自分達のテーブルに着いた村長、コリンズは、村の抱えた大きな問題について静かに語り始めた。
「ウルク村は近々、新たに成人になる子供たちを祝う祭りを開く予定でしてな。その準備に追われておったのですじゃ。ただ、三週間ほど前にある問題が起きてしまいました。成人を祝う儀式に必要な『黄金の果実』を採ってくる者が病に倒れてしまったのです」
「……黄金の果実とは、なんですか?」
「女神ルク様の祝福を受けるために必要なものでして、儀式には欠かせぬものです。その果実をつける木はウルク村の近くにある山にあるのですが……これがかなりの奥地なのですじゃ。何より、あの山は女神ルク様の領域。許可なき者は立ち入ることを許されません。ですから我々は毎年、村に住む狩人に果実を採ってきてもらうようお願いしていたのです」
「その狩人が、今年は病に倒れてしまったと」
「はい。事情が事情ゆえ、果実がなくともルク様はお許しになられると、儂はそのように指示をしたのですが……」
「皆さんの様子を見るに、その果実が採れなくなった事自体が大きな問題になったというわけではなさそうですね?」
エリチェーンの質問に、コリンズはため息をついてから再び話し始めた。
「我々が頭を痛めているのはその後に起きた問題ですじゃ。……祭りで儀式を受ける子供が、自分の弟を引き連れて山の中に入ってしまったのです。他の子供達に問いただしてみると、黄金の果実を手に入れるために入ったと」
「それがなければ儀式が成立しないから。……ということですか」
「そう考えたのでしょうな。しかし道に迷ったか、怪我をして動けないのか……何れにせよ二人とも村に戻ってこないのです。失踪が発覚した昨日から今まで村の男手を総出で捜索をしたのですが、皆山歩きには慣れておらず……加えてこの天気で、怪我人が増えるばかりでして……」
「なるほど。事情はわかりました。すぐにでも支度をして山へ向かいましょう」
待ってましたとルナはエリチェーンと一緒に席を立つ。足はもう宿の入口の扉に向いていた。
「エリチェーン、にゃにが必要かにゃ?」
「馬車にある寝袋2つと火口箱を持っていこう。コリンズさん、水と食料を4人分用意して頂けますか?」
「すぐ手配しますじゃ。……それと報酬ですが――」
コリンズは懐から貨幣がたっぷりと詰まった革袋を取り出そうとするが、それをエリチェーンは手で制した。
「お金は結構です。代わりに一つ、お願いがあるのですが」
「なんでしょうかの?」
「私達が無事にその二人の子供を連れ帰ることができたら、ウルク村で行われる祭りに……成人の儀式を、この子にも施して頂きたいのです。……どうでしょうか?」
コリンズや村人達の視線が一斉に自分に向いたことをルナは感じた。皆が呆気にとられた様子で、エリチェーンの頼みを理解するのに時間がかかっているようだった。
すぐに理解できたのはルナだけだ。出発に備えていた気持ちは一気に熱を帯びた。
「それは……もちろん喜んで受け入れましょう。しかし、よろしいのですかな? 本当にそれだけで?」
ようやく我に返ったコリンズの問いに、エリチェーンは力強く頷いていた。
「えぇ。私達にとってはそれこそが、お金より大事なのです」
ルナが必要な道具を全て身につけ、エリチェーンと並んで山の入口に立つまでに、きっとオムレツが焼きあがる程度の時間しか掛からなかったはずだ。
後ろには不安げな表情の村人達が自分達を見送ろうとしている。
「では行ってきます。遅くとも三日後には戻りますね」
「わかりました。どうか女神様のご加護があらんことを。……お気をつけて」
エリチェーンの予告は、例え子供達が見つからなくとも三日後には切り上げるという意味でもあった。失踪した彼らの分も考慮した水と食料は、二人で運ぶには三日分が限界だったのだ。
見送りの中から、一人の男が杖をついてよろよろと歩き出てくる。それは山の捜索で足を痛めた男、ノルだった。
「……息子達を、頼む」
居なくなってしまった二人の子供の父親、それが彼だったのだ。
「全力を尽くしましょう」
エリチェーンの言葉に、ルナも絶対に連れ帰ると千切れんばかりに首を縦に振ってみせる。そして、第一歩を踏み出した。
女神ルクの領域とされる山の中は木々が生い茂り、地面には落ち葉が絨毯を作っている。少し奥に入り込むと辺りからはすっかり人の名残が消え失せてしまった。
「ウィルー! リーテールースー!」
行方不明の子供二人の名を呼びつつ、緩やかな傾斜の、踏み固められた道を歩いて行く。背負った水と食料が肩と背中にずしりとのしかかって、じわじわと汗をかいているのがルナにはわかった。
「返事にゃいにゃぁ……。エリチェーン、どうやって探そう?」
昨日から続く雨で地面は滑りやすい。一歩一歩確実に踏みしめながら、ルナは寝袋を背負い弓を手に進むエリチェーンを追いかける。
「まずは私達も黄金の果実が実る木のところまで行こうと思う」
「いにゃくにゃった子達もそこを目指してるはずだもんね……。でも、どうやって?」
「病気で倒れた狩人さんが残した目印を辿っていくよ」
「目印? そんにゃのあるんだ?」
「いくら山を知り尽くした狩人だからって、何の目印もなしに奥深くまで行ったら迷っちゃうからね。傍目にはわからないように、ちゃんと目的の場所までの目印をつけていく。ほら、あの木の枝を見てご覧?」
「んー……? あれ?」
エリチェーンに示された木の枝を凝視してみると、それは何か鋭いもので切り落とされていて、布切れが巻かれていることがわかった。布切れは古びてはいるが、明らかに人の手でしっかりと巻きつけられている。
「これが目印にゃんだね。じゃあ……あの道が正解だ!」
山道はいくつも枝分かれしているが、それが獣道かどうかを判断する目はルナも培っている。目印と照らし合わせれば、どれが正解の道かは明白だった。
「目印さえ見逃さなければ夕暮れまでには着くと思う」
「じゃあ、今日はその木のところまで行ってキャンプだね! ……いにゃくにゃった子もそこまでに見つかるといいんだけど」
「そうだね。その可能性は高いから期待しよう」
「高いんだ?」
「うん。その子達もなんのアテもなく入ったとは考えにくいんだよね。少なくとも果実が手に入る場所までの道の見つけ方は知っていたはずだ。狩人さんから聞き出したか、何かしてね。そうじゃなきゃいくらなんでも無謀すぎる」
「あ、そっかぁ……」
狩人の残した目印を辿りながら、ルナ達はどんどん奥へと入り込んでいく。
「ルナ? 大丈夫?」
「ちょ、ちょっと休憩したい……かも……」
道のりこそ順調ではあるが、大荷物を背負って山を歩いた経験などルナには無かった。加えて居なくなった子供の名前を呼びながらの登山だ。体力の消耗が思ったより激しく、しばらく歩き通した後には肩で息をする羽目になっていた。
「うん。焦らず行こう。こういうのは慌てちゃ負けなんだ」
腰を下ろすのにちょうどいい場所をエリチェーンが見つけてくれて、二人で座って休憩を取る。木々に阻まれて気づかなかったが、どうやら雨は上がったらしい。外套のフードを脱げば、汗の滲んだ肌に微風が吹き付けて心地よかった。
「はい、お水」
「あ、ありがと」
水の入った小さなカップをエリチェーンが手渡してくれる。そこにはいつもの微笑があった。
ルナはふとその顔を見て思い出したことがあった。
「ねぇ、聞いてもいいかにゃ?」
「うん?」
「エリチェーン、お父さんが狩人だ、って言ってたでしょ?」
彼女が宿駅で話していた内容だ。ルナは今まで何度かエリチェーンの事を知りたいと思っていたものの、日々の勉強や商売に追われてなかなか機会に恵まれなかったのだ。
こうして商売からも勉強からも離れ、ある意味のんびりと二人きりで過ごす時間を得たことと、宿駅での彼女の言動がきっかけとなって、ルナはようやくエリチェーンという人物に深く踏み込もうとしていた。
「うん、そうだよ。弓の扱いだって父さんから習ったのが最初なんだ」
「へぇ~。すごいお父さんにゃんだね! エリチェーンったら弓は百発百中で、こんにゃ深い山を、ひょいひょい歩いていっちゃうんだもん! ね、ね。エリチェーンの家族のこと、聞いてもいーい? 前から気ににゃってたの!」
「私の家族、かい?」
その時、ルナはエリチェーンの顔に戸惑いの色が表れたのを見逃さなかった。それはほんの一瞬で、すぐに彼女は平静を取り戻してしまったが。
「それじゃあ、さっきも話に出てた私の父さんのことから話そうか」
「う、うん!」
それが一体何だったのか、考える時間は無かった。
エリチェーンは足を伸ばして寛いだ姿勢を取ると、語り始める。
「さっきも言ったように、私の父さんは狩人でね。ちょうどウルク村のように、山の管理を任されている人だった。きっと狩人としてすごく腕が良くて信頼も厚かったんだと思う。なにせ山の中に家を建てることを許されていたんだから」
「エリチェーンは、その山の中で育ったんだよね?」
「そうだよ。物心ついたときから、山は私の遊び場だった。父さんはなんでも教えてくれたよ。狩人の知恵、動物と触れ合う楽しさ、植物のこと、それらの恐ろしい一面も、生きるために彼らの命を殺める必要すら含めて全部。初めて弓を持ったのが8歳で、初めて獲物を仕留めたのが、10歳の頃だった」
水で喉を潤してから、エリチェーンは続けた。
「でも、父さんはちょっと変わった人でね」
「変わった人?」
「うん。すごく無口なんだよ。母さんともほとんど喋らないし、娘の私となんか、おしゃべりを沢山してくれるのは山の中で物を教えてくれている時だけだった。とても静かな人だった。まるで喋ることを忘れちゃったみたいにね。……めったに笑いもしないんだけど、一緒に狩りに出かけて、私が獲物を仕留めると、『すごいぞ、よくやったな』って言って笑ってくれたな」
目を閉じて、エリチェーンは想起しているようだった。まるで、ここには居ない誰かの声を思い出しているようにも見える。
そして突然、彼女はくすくすとおかしそうに笑い始めた。
「エリチェーン?」
「あぁ、いや。今思えば私がちょっと無愛想なのも、父さん譲りかもしれない。と思ってね? ……さぁ、そろそろ行こうか?」
話を聞いている間に、疲れはすっかり取れてしまった。ルナはエリチェーンに倣って立ち上がってみせる。
「うん! 次に休憩するときは……お母さんのはにゃしをしてくれる?」
「ルナが望むなら、もちろんだよ」
再び、ルナはエリチェーンの背中を見ながら山を登り始めた。
「(さっきのはにゃし……)」
彼女の父親の話に何か引っかかるものを感じつつも、もう彼女の過去に立ち入るのは止めることはできないと、一縷の後悔と不安を抑えながら。