黄金の果実を求めて・1
快晴の空から降り注ぐ日差しは、真夏の暑さを思えば随分と和らいだように思う。空を見上げれば、雲の形は様変わりを始めている。秋が訪れようとしていた。
石畳で作られた頑丈な街道は人々が開拓していった足跡だ。周りにはなだらかな平原や丘があり、街や村のそばには管理された森林が生い茂り、野生動物の楽園を築き上げている。
清流を覗き込めば、そこには魚が悠々と泳ぐ姿を見ることができる。遠くを見渡せば隆起した山々の姿もある。天気が良い時は山間に作られた街並みを望むこともできた。
幌馬車を走らせてランズベル王国の街道を行く。その傍らには三人の冒険者、“太陽の槍”が早歩きで追従していた。呑気な道中だった。
もちろん開拓された地域を行くからこその呑気な旅路に過ぎず、少し見晴らしのいい場所へ上って遠くを見渡せば、近づきがたい、恐ろしげな印象を与えてくる未開拓の地域が見えるのはどの国も同じだとエリチェーンは言っていた。
眺めるだけならその雄大で美しい自然が目を楽しませてくれるに過ぎない儲けものというものだ。
“太陽の槍”の面々にあの未踏の地はどのように映っているのかルナは道中尋ねてみた。かの地に人の手を入れる、その先陣を切るのは冒険者だと教わったことがあったからだ。
しかし意外なことに、彼ら全員が"好んで行きたいとは思わない"と答えた。
「そりゃ、ああいう場所の探検は良い報酬だけどね? その分めちゃくちゃ危険なんだよねぇ。間違いなくヤバい魔獣がいるし、そいつの討伐が大体仕事の内容に含まれててさぁ」
いつもなら真っ先にうまい話に飛びつきそうなミルローネですら苦笑している。その理由はクリフとルドリアが答えてくれた。
「冒険者の間じゃ周知の事実だけど、ああいう仕事は冒険者は半ば使い捨ての駒なんですよ。まず冒険者が行って、現地の情報を死ぬような思いをしながら持ち帰って、次に国の騎士団がその情報を持って開拓の準備を進めていく。色々冒険者の仕事ってあるけれど、あの仕事の危険度は別格なんです。報酬もですけどね」
「いくらアタシ達が稼ぐために冒険者になったからっていったって、向こう見ずなワケじゃないもの。自分達の命は常に天秤にかけてるわ。お金も大事だけど、いちばん大事なのは全員無事に帰ることだからね。あの手の仕事を請け負うのは、もっともっと強くなってから。アタシ達の最終到達点ね」
大切な友を救うために冒険者の道を選んだ。それは十分な金を稼ぎ、全員が無事な姿で戻って初めて完遂となるのだとミルローネは言う。
「ボク達の内誰かが一人でも死んじゃったら、それはもうダメなんだよ。危険と隣り合わせの商売ではあるけど、それでも可能な限り安全に稼げるよう色々考えてるんだー。常にボク達の力量で無理のない仕事を選んでるつもり!」
夕食の席で聞かされる彼らの武勇伝は、“黄金の子鹿亭”で聞かされた他の冒険者のそれより地味なものが多かった。驕らずに慎重に力量に見合った仕事を選び続けたためだろう。
「じゃあミルローネたち、盗賊ぐらいにゃらへっちゃらににゃったんだね!?」
それでも昨夜聞かされた最新の武勇伝は、他の冒険者と組んで山間に潜む盗賊の一味を見事一網打尽にしたというものだった。
萎縮して簡単な仕事ばかりしていたわけでもないのが彼らの凄いところだとルナは思った。日を追うごとに彼らの武勇伝は、少しずつ少しずつ、そのスケールが大きくなっていたのだ。それはつまり、彼らの力量がそれだけ上がっているという証左に他ならない。
「へへ、そんなとこだねー♪」
「人間を攻撃するってのは何回経験しても慣れないけどね……。害獣や魔獣なら遠慮なくぶっ叩けるんだけど」
「ああいう仕事に首突っ込んでると嫌でも弓の腕前が上がるよ。殺しても咎められるわけじゃないけど……心が痛むし」
「平気な顔して斬ったり殴ったりできる人は特別だよねー。ボクら、賞金稼ぎにゃ向かない質だよ」
久しぶりにその単語を聞いた気がして、ルナは少し考え込んだ。
「賞金稼ぎって、悪いことした人を捕まえたり、殺したりする専門の狩人……だっけ?」
「そそ。賞金は魔獣に掛かることもあるから必ずしも人間相手ってわけじゃないけどね」
ミルローネが頷き、それから少し声を潜めて言った。
「……でも噂によると、賞金稼ぎのランク付けって、その人が狩った人間の賞金首の数とその賞金の総額で決められるらしーよ? 魔獣の賞金首をいくら狩っても考慮されないんだってさ」
「それってつまり……」
「高ランクの賞金稼ぎはそれだけ人間相手の戦闘も、殺すことも慣れてるってことね。アタシ達には想像付かない世界だわ。……一番高いランクの賞金稼ぎが『女神の猟犬』って呼ばれるんだっけ?」
自分の想像は正解だとルドリアが補完して、それからクリフに尋ねている。彼は少し考えてから答えた。
「だったかな。審判の女神リューネの審判を受けさせるために、犯罪者を殺して女神の元へ送り込んでしまうとかなんとか、酒場で酔っぱらいが言ってたのを俺、覚えてるよ」
「犯罪者の扱いか。私が聞いたのは確か……」
自分の隣で手綱を握り、馬をゆっくりと走らせていたエリチェーンが静かに口を開いた。
「罪を重ねに重ねた、私達の裁きですら手に余るような大罪人はあえて丁寧に埋葬されるらしい。わざわざ共同墓地に運び込んでね。これはもう一度その大罪人を女神リューネに裁いてもらうためだと教わったことがあるよ」
「へぇー……。どれ位悪いことしたらそうなるんだろ?」
「基準は結構曖昧らしいよ? 運び込まれた街の聖職者や裁判官の裁量次第とか」
「適当ねぇ」
ルドリアは苦笑しているが、ミルローネは納得したようだった。
「ま、しょーがないんじゃない? 極悪人運んでくる度に女神様の所にいちいち『この人はどうしましょうか?』なーんてお伺いしにいってたら、人間も亜人も滅んじゃうよ」
ヘイズベルトの街への道中は平和なもので、宿駅で仕入れる噂の中にも不穏なものなど一つも混じっていなかった。今こうして崖下へ続く道を下っていても、特に不審なものは見当たらない。エリチェーンの表情もいつものように穏やかだ。
しかし護衛を引き受けてくれた“太陽の槍”は警戒を緩めたりはせず、雑談に興じつつもその視線は鋭い。これなら何が起きても大丈夫だと、ルナはすっかり彼らに信頼を置いている。
ランズベル王国はプレナス王国よりやや温暖な気候が特徴とされているが、その景色に差異はさほど見られない。小高い丘一面にオリーブの木がずらりと生えている光景はこの国独自のものだが、今となっては見慣れてしまい、驚きはもう無い。
「……あっ」
しかしついに、もう一度ルナを驚かせる大きな変化が現れた。前方に広がる雑木林の先にキラキラと白く輝く光が見えたのだ。
「ねぇ、あれ見て!? 前!」
ルナはその輝きを指差し、皆に伝えた。ミルローネがそれに反応し背伸びをして、額に手を当てて遠くを見渡す仕草をしながら言う。
「お? なんか光ってるねー?」
「海が太陽の光を反射してるんだ。いよいよ私達は南の端に到着したってことだね。ほら、ヘイズベルトの街の城壁が見えてきた」
「ほんとだ!」
下り坂の街道は雑木林を撫でるように緩やかなカーブを描きながら平坦に戻っていき、エリチェーンが前方を指差した先には、確かに街の城壁や門前市の様子が見て取れた。
ルナはその光景を一瞥して、すぐに視線を左手の雑木林に戻す。今は遠くに見える街並みより、間近に広がる見たことのない風景の方が大事だったのだ。
「わぁ……!」
やがて開けた視界に、ルナは感嘆の声を上げた。
そこにはどこまでも広がる巨大な水面があった。遥か彼方に視線を投げかけても果てが見えず、ただただ光を反射して美しく輝く水面が続くばかりで、ルナはあまりの大きさに唖然とする。
幌馬車が静かに停車したことで我に返り、ルナは興奮に駆られるまま皆に言った。
「すごい! おっきい! こんにゃおっきい泉? 湖? 初めて見た! すごいよみんにゃ!?」
“太陽の槍”の三人もまた、目の前の光景に感動しているようだった。彼らは皆興奮に頬を赤らめ、笑みを浮かべていたのだ。
「うんうん! すっげー! これが海かぁ……!」
「壮大な眺めね……。こんな景色があったなんて」
「すごい。……としか言えないな。他に言葉がないよ……!」
絶え間なく水際は寄せては引いて、ざぁざぁと音を立てている。大きく息を吸い込むと、潮の香りがはっきりと届いた。
今までも少しだけ、プレナス王国とは空気の香りが違うと感じていたのだが、その正体をついにルナは悟った。水面に白い線を描く泡飛沫が風に乗って運ばれてきているのだ。これは、海の香りなのだ。
「喜んでくれたみたいだね」
エリチェーンは何度も海を見ているのだろう。目を細め同じ景色を眺める姿は驚きや感動ではなく、懐かしい友に出会った時のような感慨に溢れていた。
「これだけ広いと、いくらルナでもそう簡単には魚を捕まえたりはできないだろう? 深さだって相当だからね」
「え? ……あ!?」
それから彼女はいたずらっぽく笑ってそう言って、ルナは思い出した。エルフィトの街で海について少しだけ聞かされた時、華麗な狩りを披露してあげるのだと胸を張った。しかしエリチェーンはそれを聞くと笑いだしたのだ。
その理由をその場で話すことはついに無かったが、今の彼女の言葉で全てを悟った。
「それであの時笑ったんだね、エリチェーン!?」
「ごめんね、場面を想像してつい……。あの大海原を腕一本で引き裂いて、海の魚を掬い上げちゃうような」
「そんにゃの無理だよ!?」
勿論悪気があったとは思わない。初めて海を見る楽しみや驚きを損ないたくはないからと彼女はあえて口をつぐんだに過ぎないのだから。
「え、なになにー? ルナがあの海に飛び込んで魚獲ってくるの?」
「腕の一振りで水面割っちゃうんですって?」
「で、魚が何十匹も放り投げられてきて……ですか?」
「我ながら無茶苦茶な想像だよね……ふふ、あはははっ」
「みんにゃまで!? できにゃいからねー!?」
冗談を言い合って笑う皆を見るとルナもなんだか楽しくなってきて、いつの間にか全員で笑いあってしまっていた。
ひとしきりそうした後はヘイズベルトに幌馬車を進め、ついに到着を果たす。門前市で幌馬車を停めて、護衛は無事に完遂されたと、エリチェーンは“太陽の槍”に報酬を入れた革袋を手渡していた。
「護衛ありがとう。これが報酬だ、確かめてくれ」
「どういたしまして! 何事もなくってよかったよー。えーと……うん、45ゴールド確かに受け取ったよ!」
「また機会があればよろしくね。アナタ達の護衛は待遇もいいし、喜んで引き受けさせてもらうわよ? 宿代持ってくれる雇用主なんてそう無いもの」
「はは……。ご迷惑でなければ、よろしくお願いします」
「みなさんなら大歓迎さ。ルナも喜ぶからね」
「うん! また一緒に旅しようね、みんにゃ?」
「もっちろんさ!」
彼らとはここでお別れのはずだが、どうしてかその場を立ち去る気配がない。
「……どうしたの?」
「何か忘れ物かい?」
不思議に思ってエリチェーンと顔を見合わせ揃って首を傾げると、ミルローネがぱちりとウインクして言った。
「ああいや。ボクらも街の中に入るから荷物降ろすの手伝おっかって思ってさ。市場に行くんでしょ?」
「いいのかい? 助かるけれど」
ルドリアもクリフも小さく頷いて言った。
「護衛が済んではいさよなら、なんて薄い間柄でもないでしょ。皆でやれば早く片付くし、アタシ達もすぐここを離れるわけじゃない。2、3日ゆっくりしていくつもり。だからもし二人の都合が良ければ、折角だし一緒に街を見て回ったりとかどうかしら?」
「俺達はこの後、宿を見つけて荷物を置いて、それからは特に予定も無いですからね。護衛は必要ない所に来ましたけど、もう少しだけご一緒できれば、と」
ミルローネの申し出にルドリアもクリフも驚いていないところを見ると、おそらく3人で事前にそうしようと相談していたらしい、ルナは勿論この申し出を二つ返事で引き受ける腹積もりだった。彼らと一緒に過ごせるのであれば、それはきっと楽しいものになると確信していたから。
「……エリチェーン、エリチェーンっ」
期待を込めてエリチェーンを見て呼びかけると、彼女もすぐに頷いて微笑んだ。
「わかった。それじゃあ荷降ろしの手伝いをお願いするね。私は何度かここに来たことがあるから、お礼はこの街の案内で返させてもらうよ」
「やたっ! いこいこっ!」
「うん」
幌馬車は門前市を通り過ぎ、番兵の守るヘイズベルトの入口へと差し掛かる。彼らは止まるように指示をしてきて、それに従うと何人かが近づいてきた。
「どのような目的で来たのだ?」
「交易です。商品は木材、薬草、シルクの3品目です。積荷の確認をお願いします」
「よろしい。では改めさせてもらおう」
エリチェーンがスラスラと答えると、番兵は早速検品を始めた。
彼らは随分と時間を掛けている。危険な品物を街に運び入れないために力を尽くしているのだ。どの街に行っても入り口で待たされる時間は長いので慣れたものだ。
「申請に偽りは無いな。6ゴールド7シルバー払いなさい」
しかし検品が終わり、番兵に告げられた通行税の額は異様に高くて、ルナは驚いた。
「えっ。そんにゃに高いの!?」
「む? 当然だろう?」
何を言っているのかと彼らは呆れたような顔を見せている。訝しんでいると、エリチェーンが小さく声を上げたのに気づいて、彼女の方を見た。
「ごめんルナ。説明するのすっかり忘れてたよ」
「えっ?」
「通行税については前に少し話したよね? 実はこうして沢山の商品を運び入れるときにも税金がかかるんだ。こうやって交易に来た商人は勿論、近くの村から野菜を大量に売りに来る時なんかも税金は追加される」
「そうにゃんだ……?」
「両手に抱えて街に持って入る分には税金はかからないけど、そのための人を雇うとまたお金が出ていくし、随分な数雇わなくちゃいけないから、交易商人でやる人は居ないね」
エリチェーンの説明に番兵は頷いていた。
「その商人の言うとおりだ、フェルパーの娘。大きな利益を上げる者からはその分税を多く取るという決まりなのだ。これも街の発展と生活の維持のためだと考えてもらおう」
「は、はい! わかりました! えと、あの、その……ヘイズベルトの街が、もっとよくにゃりますように!」
「うむ。この街はお前達のような善良な人々のおかげで発展する。感謝するぞ」
知らなかったこととはいえ少し気恥ずかしくて、そんなことを言ってみせると、番兵は胸を張ってそう答えてくれた。
「では、これを。お収めください」
エリチェーンが言われたとおりの税を番兵に渡すと、彼らは道を開けて言った。
「ようこそヘイズベルトへ。我々はお前達を歓迎する」
7シルバーは通常の通行税だろう。自分とエリチェーンの二人で2シルバー、馬一頭で1シルバー、幌馬車の車輪が4つで4シルバーだ。6ゴールドは、おそらく1品目で2ゴールド取られているのだろうとルナは計算する。
ルナ達は街へ入場することを許された。“太陽の槍”の3人もそれぞれ通行税を支払って後についてくるのを確認してから、エリチェーンは馬車を市場へ向けて走らせていく。
ここに来るまで随分お金を使っている。交易品の仕入れに200ゴールド近くつぎ込んでいるし、護衛の報酬、道中の宿代も彼らの分まで負担した。
「利益はざっと120ゴールドってところだね。悪くない稼ぎだよ」
「そんにゃに!? すごい……すごいよエリチェーン!!」
果たしてきちんと利益が出るのだろうか。その疑問と小さな不安は綺麗に払拭されることになった。
市場で交易品を売り払い、そうして手に入れたお金――全て手形だった――を見せてもらえば、あまりの驚きに尻尾を膨らませてしまったほどだ。行商での稼ぎなんて比較にならない。
それを見てようやく、ルナはエリチェーンの慧眼に狂いはなかったことを確信することができた。
「いつもこんなに儲かるわけじゃないけど、この国の中だけで交易をやっても多分この半分ぐらいは手堅く行けると思う。私の考え方は合ってたみたいだ」
「すっごいなぁ」
「学があるのが大前提だけど、それ以上に商売のセンスってやつが必要なんでしょ? アタシたちには真似できそうにないわねぇ」
「弓の達人で商才にも恵まれてる……うーん、羨ましいです」
冒険者も実力が高まるほどその利益は莫大なものになるといつかミルローネが話していたが、そうなるにはまだまだ実力が足りないからと彼女達も羨望の眼差しを向けている。
「師匠に恵まれたんだ」
そう言ってエリチェーンは微笑んでいた。彼女の言う師匠が誰かは、ルナには明らかだった。