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LUNAQUEST  作者: 昼空卵
フェルパーと文明
19/24

フェルパーと文明・6

 酒のつまみもそこそこに、テーブルで向かい合った男女二人がひたすら杯を重ねていく。

 エールを飲む速度はお互いほとんど同一で、一気飲みだ。水かなにかのように飲み干しては、空っぽのジョッキをテーブルに勢い良く叩きつけてお代わりを注文する。

 先にこの競争についていけなくなった方が食事代全額負担という敗者の烙印を押される、1対1の戦い。

 この勝負の発端が間違いなく自分にある以上、ルナは気が気ではなかった。

「お、また一気にいった!」

「すっげぇなぁ、勢いが全然落ちてねぇぞ」

 飲み干す姿を見るたびに周りから歓声が上がった。いつの間にか自分達のテーブルはすっかり周りを取り囲まれ、見世物の様相を呈していた。

 もうどれだけお互い飲んだのだろう。10は数えたはずだが、二人の雰囲気に圧倒されてしまってそれも定かではなかった。

「お、お!?」

 更に杯を4つ重ねた末、俄に周りが騒がしくなってきて、先に折れたのはガープだということがルナには判った。眉をひそめ気怠げにエールを飲み始めるも、飲み切ること無く彼はテーブルに突っ伏してしまったのだ。

「男のほうがヘバッたぞ!?」

「マジか! あの女やっべぇな!」

 そんな彼を前に、エリチェーンはジョッキに残ったエールを一息で飲み干してみせる。賞賛に野次馬が湧き立つ。まだ彼女はその表情を欠片も崩していない。

 空っぽになったジョッキを乱暴にテーブルに叩きつけて、背筋をしゃんと伸ばしたまま真っ赤な顔の彼女は言った。

「どうしたのガープさん。次を頼みたいんだけど? 残ってるじゃないか」

「ぐ……」

 挑発するような声にガープが同じように赤い顔を上げ、ジョッキを手に取り中身に口をつけるが、彼はそれ以上飲み込むことができないようだった。それを見たエリチェーンは、冷ややかな笑みを浮かべて言う。

「あぁ、飲めないんだ? そんな状態で私と張り合おうなんて無駄だよ。もうやめておけば?」

 何もわざわざ挑発しなくても、と無言の抗議をルナは送るがエリチェーンはどこ吹く風だ。おそらく気づいていないのだろう。彼女の顔はずっと目の前の男に向いている。

「このヤロウ……」

「無駄口叩いてる暇があったら飲みなよ。それともここで貴方が代金を支払って終わるか。時間は金貨より貴重だと貴方だって知ってるだろう? 早く決めてくれ」

 エリチェーンの目は据わっていて、その口調もいつもより乱暴だ。どうやら二人が競って飲み比べるあの液体は、飲みすぎると理性を少し欠けさせてしまうらしい。自分にはまだ早いからと飲ませてもらえないものだが、ルナは例え許可を貰ってもあれを飲みたいとは思わなかった。

「オメー……! いつの間にこんな強くなりやがった……!?」

「飲みすぎて頭がはっきり動いてないみたいだね。私に酒を覚えさせたのは貴方だ。そして毎回毎回酔い潰れた貴方を介抱してたのは誰だったのか思い出してごらんよ? これぐらい水みたいなものでしょ、だらしない」

「な、生意気言いやがって。待ってろ、すぐ追いついて……!」

「おー! 持ち直したぜ!」

「いいぞいいぞー! 女に負けたらかっこ悪ぃもんなぁ!」

 周りがガープを煽り、応えるように彼は再びジョッキに口をつける。そして立ち上がって目を見開き、一気に中身を煽った。もはや気力だけで競い合っているのはルナの目から見ても明らかだった。

 空っぽのジョッキがテーブルに叩きつけられる。これで飲み干した数はお互い同等に戻った筈だ。

「お代わり」

 無感動にその光景を眺めたエリチェーンが、当たり前のように要求する。ガープの顔がさっと青ざめていくのがはっきりと判った。

 宿の主も給仕も戸惑っているが、注文された以上は出すしか無いのだろう。再びエールがなみなみと注がれたジョッキが二人の前にやってくる。

 流石にエリチェーンもすぐに手を付けたりはしなくなった。

「フェルパーは金が他の連中より多くかかる。だから雇わない。……それぐらい知ってるよ。貴方が教えてくれたじゃないか」

 頬杖をつき、テーブルを指先でとんとんと叩きながら気怠げに話している。表情は相変わらず平静を保ったままだが、彼女も限界が近いのかもしれないとルナはまた肝を冷やす。

「で? その娘が『亜人狩り』に遭ってかわいそうだから雇うことにしましたってか? このクソ馬鹿が。テメー……俺から何を学んできやがった……!!」

 テーブルに片手をついて躰を支えながらガープは指差してきて、それにルナはびくりと体を震わせてしまった。

 エリチェーンは彼のその言葉と仕草に心底不愉快そうに眉をひそめていて、それは今まで決してルナの前では見せたことのない表情だった。

 彼女は再びジョッキを手に取り、一気にエールを煽った。歓声が上がる。空っぽのジョッキを叩きつけ、乱暴に袖で口を拭う彼女の姿にガープは唖然としている。

「あぁそうだよ? 私はこの子を助けたかった。それ以上の理由は無い」

 ジョッキを苦々しく見やるだけでガープは動こうとしない。

「それが貴方は気に入らないんだね? 見捨てたほうが賢明だったと? 生きがいを見失ったこの子を娼館に預けて、定期的に顔を見せてあげて『大丈夫、ここにいれば貴女は生きていける。希望があるさ』、なんてゴミのような気休めの言葉を掛け続けてやるのが正解なんだ?」

 その光景を見ながら、エリチェーンが畳み掛けていく。

「……そうだろうさ、それがきっと貴方からしてみれば正しい判断なんだろう。商人ならそれが正解なんだ。だけどね」

「お、おまっ――」

 そのまま彼女は一口もつけられていないガープのジョッキまで手に取ると、ガープの制止を無視して一気に煽って飲み干していく。

 歓声は起きなかった。空のジョッキを叩きつける音だけが酒場にやけに大きく響いた。

「金のことばかり第一に考えて冷酷な判断ばかりするようなヤツは私は大嫌いだ。反吐が出る。そんな生き方1カッパー分の魅力も感じないし心底軽蔑するよ」

 再び袖で口元を拭いながら、彼女は続ける。

「指差して私を笑おうがアイツは馬鹿だと私を侮辱しようが好きにするといい。それは自由だ。もう私は、貴方の仲間じゃない。自分自身のやり方で生きていく商売敵だからね。……だけど一つ気に食わないことがあるから今はっきり言っておく」

 彼女はゆっくりと立ち上がり、ガープと睨み合いを始めた。

「この子が毎日どれだけ頑張って考えて学んで来たのかも知らないくせに――!!」

 どん、と突然大きな音が立って、ルナは尻尾を膨らませてびくびくと怯えた。

 エリチェーンがテーブルに両手を思い切り叩きつけて怒りを露わにして叫んだのだ。

「もう一度そんな馬鹿げた理由でこの子を蔑んでみろ、ガープ! その時はもうお前に遠慮も容赦もしない、お前を師匠とも恩人とも思わない!! この子の親として、私はお前と徹底的に戦うぞッ!!」

 だが、彼女の純粋な怒りはずっと自分を思ってのものだということにすぐ気づいて、ルナは恐れをあっという間に霧散させた。

「ぐ、ぅ……」

 気迫に押されたのか、ガープはよろめいて尻餅をついてしまった。

 エリチェーンは口を真一文字に結び、座り込んだガープをじっと見下ろしている。しばらくそうしていた後、彼女は口を開いた。

「……約束通り支払いはガープさん、貴方に任せる。行こう、ルナ」

「う、うん……」

 決着は着いたと、二階の部屋に戻ろうと手を握る彼女の力はいつもより強かった。

 階段を登る途中、静まり返っていた酒場に少しずつ喧騒が戻り始めるのを背中で感じる。多分、何事もなく時間は過ぎていくのだろう。

 部屋の前で、ルナは手を引っ張り彼女を引き止めた。

「待って」

「ん……?」

「ありがと……。ルニャのために、本気で怒ってくれて」

「当然さ。……ごめんね、怖かっただろう? ルナの事、あんなに悪くいうから頭に血が上っちゃって」

「ううん。大丈夫」

 赤ら顔に、いつもの微笑みを携えてエリチェーンは自分を見てくれていた。

 あの液体は理性を欠けさせる物ではなかった。本心を曝け出す魔法の液体なのだ。ルナは認識をそう改め、そして本心を吐き出したエリチェーンの手を強く握り返し、自分もまた思いを吐露することにした。

「ねぇ。エリチェーンは交易商人ににゃるの、嬉しい? 無理してにゃい?」

「もちろん嬉しいし、無理なんてしてないよ。どうしたの、急に?」

「だって、交易商人ににゃるのはルニャのせいでしょ? 行商人じゃ、お金が足りにゃいから……」

 彼女は黙って聞いている。

「ルニャがフェルパーじゃにゃかったら、にゃらにゃくて済んだんだよね?」

「ん……」

 自分がフェルパーでなければ。そんな後悔の念がふつふつと沸き起こってしまう。

「ルニャは……他の人よりいっぱいお金がかかって、だからっ、エリチェーンに迷惑ばっかりかけてっ――」

 その時、ルナは突然抱きしめられてしまって言葉を中断せざるを得なくなった。

「……それは違う。違うよ、ルナ」

 トントンと背中を軽く叩いてから、エリチェーンが離れた。

「確かにお金が必要だから交易商人にならないといけない。それは事実だ。だけどね、ルナ。もっと大事なことがある」

「大事にゃ、こと……?」

「うん。もっとお金を稼がなくちゃいけないっていうのは私にとって建前に近い。……ほんとはね、貴女と一緒に色んな経験をしてみたいんだ」

「ルニャと、一緒に?」

「そうだよ。もし行商人のままで生活が成り立っていても、私は交易商人の道を提案したさ。もっとルナに色んなことを知ってほしいから。それを隣で一緒に経験したいから。だって私は――」

 彼女は壁に背を預けて、朗らかに笑って言った。

「ルナの、お母さんだもの」

 その言葉に、涙がぶわりと溢れてくる。

 ルナが優しさに触れて涙を流すのは、これで二度目だった。

「っ……!!」

「泣かないでよ。自分がフェルパーだからって負い目に感じなくていいんだ。貴女が頑張ってるのは私が一番知ってるんだよ? 貴女の価値は、貴女の経験と努力が作るんだ。あんな偏見だらけの物差しなんかじゃない」

「う、ん……!」

「だから、さっきあの人に言われたことは気にしなくっていいよ。酔っぱらいの戯言さ」

「ルニャ、頑張ってもっとお仕事覚える……! エリチェーンの役に、いっぱい立ってみせるから……!」

「うん。ルナならできる。私はそう信じてるよ……っとと」

 胸元に飛び込んでぎゅっと抱きつくと、背中を優しく撫でてくれる感触がした。

「寝よう? ……実のところ、私もかなり危ない。さっきから廊下が曲がって見える」

「……うん。ありがとう……」

「どういたしまして。……おやすみ、ルナ」

「おやすみ、エリチェーン」

 そうしてまた、一日が過ぎていく。

 その日見た夢にはエリチェーンが出てきて、自分に笑いかけてくれていた。

 ルナは彼女の胸に飛び込んで思い切り甘える。素敵な夢だった。



 ――しかし翌朝、ルナは鐘の音と共に起きてから驚くことになる。

「エリチェーン!? どうしたの!?」

 エリチェーンがベッドの中で身を縮こまらせ、頭を抱えて唸っていたのだ。

「うぅ……」

 その躰を掴んだ瞬間、エリチェーンははっきり拒絶するようにその手を払い除けた。

「あっ……!」

「ごめん、触らないで……。これは病気じゃないから、大丈夫。心配かけて、ごめん。いったぁ……」

「でも、でもっ。凄く苦しそうだよ!? お医者さん呼んだほうがいいよっ!」

 その苦しみようはルナから見ても相当なものだと判る。顔を青ざめさせ、その目は虚ろだ。寝返りをうつこともできないほど彼女は苦しんでいる。

 しかし彼女は片手で額を抑え、もう片方の手で待ったのサインを示しながら言う。

「いや、いいんだ……原因は判ってる。医者の出番じゃないんだ。昨日ガープさんと飲み比べ、したよね」

「う、うん」

「あれで飲んだお酒はね。飲みすぎると、こうなる」

「えぇ……!?」

 本心を曝け出す液体も万能ではないのだとルナは学んだ。代償にとても言葉では言い表せられない苦しみを持ってくる。

 やはりあれは許可をもらっても飲みたくないなと思った。あんな液体に頼らなくても、自分は本心で話せるはずだから。

「私がガープさんの所に居た時はいつもそうだったんだ……。ガープさんはいつも最後まで私を酒に付き合わせて、自分だけさっさと酔いつぶれて。私だってふらふらなのにガープさんに肩を貸して部屋まで戻る。次の日はいっつもこうさ……。私もガープさんもこうやって最悪の気分で朝を迎える」

 とてもそれが良い事とはルナには思えない。昨日の一件も重なって、ルナの中であの男の評価は最低に落ち込んでいる。

「あの人……。ルニャは、嫌い」

 きっとエリチェーンも同じことを考えているに違いないと思った。膨れ面を見せてそう言った。しかし彼女の反応は予想だにしないものだった。

「悪い人じゃないんだ。私の、恩人でね。それに、私もあの人に対しては後ろめたいところがある。……だからちょっと言い過ぎたんだと思う。本当ならあんなこと言わない人なんだ。そう嫌わないであげて……」

「そうにゃの……?」

 エリチェーンはあのガープという男を許したがっているように見えた。自分だったら二度と許さないのにと思いつつも、ルナは昨夜の飲み比べで彼女が激昂した時を思い出す。"師匠、恩人"といった言葉が出ていた記憶があった。

 よく考えれば、自分はまだエリチェーンという人物についてほとんど何も知らない。彼女の家族の話や、過去の話、いずれも聞いたことが無い。

「エリチェーンとあの人がどんにゃ関係だったのか、聞いてもいい?」

「うん、いいよ」

 まずはあの男と彼女がどんな関係だったのか、それを解き明かそうと思って単刀直入に訊いてみると、エリチェーンは小さく頷いてくれた。

 昔を思い出すかのように、彼女はここではないどこか遠くを見つめていた。しばらくして、彼女は口を開いた。

「私はもともと行商人じゃなくて、交易商人だった。ガープさんの商隊で世話になっていてね。私の商人の知識は全部あの人譲りなんだ。どんな交易品を運んで売っていくか、そういう計画も深く関わって、いつしかそれは私の仕事になって利益をずっと上げ続けた。才能があるって副隊長にまでしてもらって、沢山の人に期待と信頼をかけてもらった」

 エリチェーンは、苦しむ中にもどこか物憂げな表情を見せて続けた。

「――でも、私はそれを裏切った」

「えっ……?」

「商隊を辞めて行商人という、彼らから言わせれば地味な商売に落ち込んだんだ。ガープさんも、それをずっと怒ってたんだと思う」

 "信頼を裏切ってはならない"と口にしていた彼女が、過去にその禁忌を犯していたという事実にルナは驚く他なかった。

 何の理由もなしにそんなことをするはずがないと、ルナはエリチェーンに問う。

「で、でも。それはエリチェーンにも理由があったんじゃ?」

「……うん。理由はあった。だけど、それは商人にとって決して好ましくない理由だった。ガープさんも、周りの仲間も激怒したものさ……」

「聞いても、いい?」

 少し考える素振りを見せた後、彼女は口を開いた。

「沢山の利益、お金。それを求め続けるのに疲れたんだ。利益を上げれば商隊はどんどん大きくなっていくだろう。いずれは大商人とガープさんが呼ばれるようになって、私もそれなりの地位を得たのかもしれない。だけど……私にはそれが魅力的には映らなかった」

 虚ろな瞳で、痛むらしい頭を抑えながら彼女は続ける。

「私にとってお金は、生きていく上で必要な生活を保証するだけの物に過ぎない。発展のために求めるものじゃなかった。だから、ついていけなくなったんだ。商人としては失格だね……」

「で、でも。ルニャは、今の生活で満足してるよ。毎日美味しいご飯食べられるし、ぐっすりベッドで眠れるし。それが間違った考えだとは思わにゃいよ」

「私もそれがいいと思うし、それでいいと思ってる」

 エリチェーンはゆっくりと起き上がると、おいでと手招きをしている。

 近づいてみると待っていたのは優しい抱擁だった。夢の中と違っていい匂いじゃなく、なんとも鼻につく変な匂いが一緒だったが。

「私は貴女の親として今は生きてる。子供を馬鹿にされて怒らない親なんていないと思ってるし、実際、私はガープさんがあんなこと言うから頭にきた。だからあの時、私はガープさんを怒ったんだ。……でも、ガープさんをそんなに悪く思わないであげて。あの人は口は悪いけど、いい人だよ」

「でも……」

「きっと、わかるさ。……朝ごはんにしよう。多分ガープさんも起きてるよ。テーブルに突っ伏して、今にも死にそうな青白くてひどい顔をしてるだろうね」

 よろめくエリチェーンに肩を貸しながら階下に降りてみれば、果たしてそこには彼女の予想したとおりの光景が広がっていた。

 食堂ではガープがテーブルに突っ伏し、時折水を口にして、頭を抱えて悶えているのだ。その顔は青白い。

「おはよう、ガープさん」

 エリチェーンは迷わずガープの居るテーブルに着いた。昨日あれだけのことをしたのだから、普通は避けるところだと思っていたルナにとってそれは驚きの行動だった。

「おう」

 ガープは短く返事をするだけだが、自分達を目障りだとは思っていないようだった。ルナはおずおずと席に着く。

「オートミールに蜂蜜を入れたのを二人分と、お水2つ」

 銀貨1枚を宿の主に手渡して、エリチェーンも同じようにテーブルに突っ伏した。

 会話はない。というより、会話するほど余裕がないようだった。

「……昔を思い出すね」

 それでもしばらくするとエリチェーンが口火を切った。ガープは顔を上げてちらりと彼女を見やって、応じた。

「どっかのバカが喧嘩売ってきたせいで今日一日休みだよ」

「その喧嘩を自信満々に買ったのはどこの誰だったかな。私が喧嘩吹っ掛けなくても、どうせどこかの酒場で飲んだくれて同じことしてたでしょ」

「仕事終わりの酒ほど美味いもんはねぇんだよ」

「で、潰れる。目覚めは最悪。それだけなら良いけど介抱してる誰かが気の毒だな。どうせガープさんのことだし、最後まで誰か付き合わせてるんでしょ。ちょっとは学習しなよ」

「うるせぇ。……けっ。ちょっと見ねえ内に生意気になりやがって」

 会話の中に嫌な空気は一つもない。久しぶりの再会に、どこか喜んでいるような素振りさえ見えた。

「……あー。フェルパーのお嬢ちゃん。名前、なんだっけか」

「えっ?」

 突然声をかけられて、ルナはびくりと体を震わせた。まだ、この男のことが怖かった。

「ル、ルニャ、です」

「正確には、ルナ、だよ。まだ名前が上手に言えなくてね」

「そーかそーか。……あー。昨日は、悪かったな」

 自分を見つめるガープの青白い顔は、もう自分を嘲るような様子はなかった。

「こいつはよう、俺の自慢の弟子だったんだ。俺よりずっと才能がある。将来俺の後を継がせるならコイツしか居ねぇと決めてたんだ」

 後ろ頭を掻きながら、気恥ずかしそうに彼は続ける。

「だから、こいつが行商人なんざみみっちい商売に身を落としたのがずっと我慢ならなかったし、ましてやフェルパーを雇ったなんて聞いて、頭に血が上っちまってな。本当にすまん」

「い、いえ。えっと……その、もう気にしてにゃい、です。――酔っぱらいの言うことだったから」

「おぉ、そーか! お前さん意外と辛辣だな、はっはっは! ……いってぇ……」

 自分の返答が気に入ったのか、ガープは大きく笑って、それから頭を抱えて呻いていた。

「……俺ぁ、こいつがあんなに怒鳴り散らしたのは初めて見た。それだけお前さんがこいつにとって大事な存在だってのはよく解ったぜ」

 それから彼は懐から財布を取り出すと、テーブルの上にどさりと置いてみせる。結構な量の貨幣が入っているのは音からして明らかだった。

 エリチェーンは怪訝な顔をしてそれを見ている。

「……なんだい、それ」

「餞別だ。色々入用だと思ってな? お嬢ちゃんにはいずれ『アレ』が来る。そいつの費用にでも使いな。……ま、こんな援助は1回だけだ。あとはお前の腕で稼いでやれ。親になったんならそれぐらいできて当然だ。だろう?」

 ガープは歯を見せてにやりと笑っていた。

 エリチェーンは背筋を伸ばし、暫くその財布を眺めて受け取ったものかどうか悩んでいたようだが、やがて手を伸ばした。

「わかった、受け取るよ。ありがとう。……結局、私は貴方の側を離れても。世話になりっぱなしだね」

「ケッ。もうこれっきりだよバカ弟子が」

 ぷいとそっぽを向いてしまったガープの姿に、エリチェーンは俯いて黙っていた。

「……不甲斐ない弟子で、みんなを裏切ってしまって、ごめんなさい」

「エリチェーン……?」

 暫くそうした後、やっとのことでといった様子で絞り出した彼女の声に、ルナは思わずその顔を覗き込んだ。

 今までルナが見たことがない、泣き出しそうな、弱々しいものが見えた。

「もう過ぎたことだ、気にすんな。昨日のアレで手打ちにしようや」

 ガープは青白い顔を破顔させ、明るい調子で言った。彼女のたった一度の過ちと裏切りを全て許すかのようだった。

「……うん」

「オメーは、オメーが選んだ道を胸張って生きていけ。その子に惨めな思いなんて絶対させるんじゃねぇぞ? それだけ守ってりゃ俺はもうなにも言わねぇよ」

「うん」

「ま、オメーなら大丈夫だ。才能がある。金に困るようなことなんて無ぇさ。……女神メイマのご加護があらんことを」

 ガープが言葉を投げかけるごとに、エリチェーンの弱々しい表情が段々と元気を取り戻していくのがよく判った。

 二人のやり取りに、ルナは暖かいものを感じた。師匠と弟子という関係に収まらない、例えるならば家族のような暖かさだ。

 悪い人じゃないと言ったエリチェーンの言葉が、今なら理解できた。

「あ、あのっ」

「お?」

「ありがとう……ございます! 女神メイマの、ご加護があらんことを!」

「おう。頑張れよ、ルナ」

 満面の笑みを浮かべて商人たちが信仰する女神の名を口にして祈ってみせると、ガープは朗らかに笑ってくれた。

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