フェルパーと文明・5
手の甲で何度顔の汗を拭っても、後から後から湧き出してくる。躰を撫でる熱気は焚き火のそれとはまるで違う。
周りには同じようにこの熱気に耐える女性の姿がいくつもあって、その中にはエリチェーンも居る。彼女も時折眉をひそめ、汗を拭ってはじっと座って熱気を受け続けていた。
ルナは両手で顔を覆って項垂れた。顔に受ける熱気を遮断するだけでも随分と楽になる。
暑さに耐える。それは苦しくもあるが、気持ち良かった。この後に控えている事を考えると楽しさもひとしおだった。
「ルナ、そろそろ出ようか?」
「うん!」
エリチェーンに声をかけられて、ルナはいよいよ待ち望んだ時間を迎える。
「ひゃっ……! つめたーい! きもちいー……!」
高温多湿のお風呂の中で汗を流した後に、水の張った浴槽で体を冷やす。
それは何度経験しても素晴らしい気持ちよさで、思わずくつろぎの吐息を漏らしてしまう程だ。
昼食の後、街も一通り回ったルナ達はお風呂へ訪れていた。備え付けの運動場で遊技に興じていた人々の中に混ぜてもらい、大いに汗を流した後の入浴。
それはエリチェーン曰く"庶民の最大の贅沢"だと言う。
こうすることは王都に居たときに何度もあったが、なるほど確かに飽きの来ない素晴らしい贅沢だとルナも感じていた。
「泳げにゃいのがちょっと残念だけど……」
「別の街に行ってのお楽しみだね。ここはちょっと小さかった」
冷たい浴槽に躰を沈めるのは最初こそ勇気がいるが、えいやと思い切って入ってしまえば後は心地よいだけだと知っている。
火照った躰が冷やされ引き締まる感覚を覚えながら、ルナはエリチェーンとの雑談を楽しんだ。
「ねぇねぇ、次はミルローネ達と一緒にどんにゃところへいくの?」
「ランズベル王国の『ヘイズベルト』って街に行くよ。王都から二週間弱ってところかな。海の話をしたのは覚えてる?」
「うん! こーんにゃ、こーんにゃおっきにゃ水たまりだよね!?」
思い切り両手を広げてその広大さを表現してみせると、エリチェーンは頷いてくれた。
「そう。ヘイズベルトは港街だから海を見ることができるんだ。きっとルナも気にいるはずだよ」
「おさかにゃも美味しいんだよね!?」
「うん、とってもね。港町のお魚料理は格別だよ」
「うん! えへへ~……。おさかにゃ……♪」
「ルナはお魚、好きかい?」
「大好き! 浅い川に入って、こう! 手掴みで獲ったりするの得意にゃの!」
鋭く弧を描いて手を水面に滑り込ませて飛沫を上げると、エリチェーンは笑っていた。
「凄く想像しやすかった。……クマみたいだ」
「この季節にゃら、クマとおさかにゃの取り合いっこしてたよ!」
「あ、してたんだ?」
「ふふーん。海にいったらルニャのかれーにゃ狩りをエリチェーンに見せてあげるから!」
「それは……。あぁ、いや。楽しみにしておこうかな。ふふ……」
「にゃに? にゃんかエリチェーン、その笑い方怪しいよ!?」
「いや、なんでもないよ。……あははっ」
「また笑ったー!? にゃんかあるでしょ! 教えてよー!」
想像がつかないほどでかいだけの水たまりなのだから、いつものように魚だって獲れるはず。ルナの認識はそうなのだが、エリチェーンは違うらしい。
「ごめんごめん。でも実際にルナがその目で海を見た時の楽しみや驚きを損ないたくないから、私からはあえて何も言わないでおきたいんだ」
「むー。そういうことにゃら……」
結局彼女は笑った意味を決して教えてくれなかったが、ヘイズベルトという名の街にたどり着けば全てが解決すると納得して、それ以上ルナも追求することはなかった。
お風呂を後にすると、もう空は夕暮れを描いている。たっぷり運動したおかげで腹もぺこぺこだ。
「もう一回シルクベリーのパン買おっかにゃー……」
「よっぽど気に入ったんだね?」
「うん!」
シルクリーフが成長して付ける実をこの街の人々はシルクベリーと呼んで重用していた。夏に差し掛かる頃はそのまま瑞々しい実を食べて楽しみ、その季節が終われば予め干しておいたものをパンに混ぜて食べる。
甘酸っぱい実がパンの仄かな甘さを引き立てるようで、ルナは一度食べただけですっかり気に入ってしまった。もともと果物は好きなのだ。
「あ……」
広場に出れば見物人が集まっていた。リュートの音色に乗せて、若い女性の美しい歌声が広場に響いている。旅芸人の一座が歌を披露しているのだ。
「にゃにを歌ってるのかにゃ?」
「……。『誠実と勇気を剣に込めて、真の愛を貴女に誓う』……多分、騎士と貴族の恋愛をテーマにした歌だろうね」
「へぇー……」
聞こえてくる歌の内容を呟いてエリチェーンが教えてくれたが、残念なことにルナにはその歌の魅力を全て理解することは難しかった。
歌声はとても美しいけれど、その内容に自分の感情がついていかないのだ。意識は近くの露店にすぐ向いてしまう。
「ちょっとお買い物してくるね?」
「ん、わかった。私はここで待ってるよ」
歌声に耳を傾けていたエリチェーンを残し、ルナは露店を見て回ることにした。目当てはもちろんシルクベリーのパンだ。
露店の商人も旅芸人に配慮してか客引きの声を止めている。見て回るだけですごい勢いで商品を勧めてくる商人もいるので、静かな今はじっくりと商品を見定めることができてありがたかった。
お目当ての露店をさっさと見つけてしまえばそれで済むのだが、腹が減っているとどうしても他の食べ物にもつい気が向いてしまう。夕食は宿屋で取るから露店で食べ過ぎる訳にはいかないのだが、ルナは目にした商品の味を想像しては口の中に涎を湧かして、その都度ごくりと飲み込んでいた。
歌声を聞き流しながら露店を見回ってしばらくの事だった。
「なぁ」
「っ!?」
いきなり腕を掴まれて、ルナは驚きに尻尾を膨らませる。何事かと掴む手の先を見れば、見たこともない男がニヤニヤ笑って立っていた。
「にゃ、にゃんですか!?」
腕を振り払い、ルナは男に警戒の目を向ける。それから咄嗟に周りを見渡してエリチェーンの姿を探し、辛うじて彼女のいる場所から自分が見えることを確認した。
男は相変わらずニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「今晩空いてるかい? 俺と遊ばねえか?」
「は……!?」
「金なら心配すんな、今日入ったばかりだからな。お嬢ちゃんどこで働いてるんだ?」
「いや、あの……?」
一体何を言っているのかルナにはさっぱり解らなかった。戸惑い男を眺めることしかできなくて、そうしているとだんだん男が苛立ちを見せ始めたのを察知する。
「なんだよ、俺とじゃ不満だってのか」
「そうじゃにゃくって! あにゃたがにゃにを言ってるのかわかんにゃいんです!」
「はぁ? わかんないって、お前フェルパーだろ?」
どこか人を小馬鹿にしたような様子で男は続けた。
「――男と寝るしか能がない」
「にゃっ……!?」
その一言は、ルナの神経を逆なでするのに十分すぎた。
「ふざけにゃいで! ルニャは商人だ! この『従者の証』が見えにゃいの!?」
"従者の証"を男の眼前に見せつけて睨みつけるが、男は相変わらずだ。
「そんなもんが商人の証になるわけねぇだろ。娼婦だって付けてるぜ」
「それでもルニャは商人にゃの! とにかく! ルニャはあにゃたと遊んだりしにゃいからね! ほっといて!」
せっかくの楽しい気分がすっかり台無しだった。ルナは一刻も早く目の前の男を視界から消したくて踵を返そうとした。
しかしそれはできなかった。再び腕が強く掴まれて引き止められてしまったのだ。
「はにゃしてよ!?」
「……俺と遊びたくねぇんだな? 分かり易い嘘までつきやがってよぉ」
「違う! 嘘にゃんてついてにゃいもん! ルニャは商人にゃの! はにゃして!」
何事かと旅芸人を見物していた人々や露店の商人がこちらに視線を向け始めたのを肌で感じる。何とかして引き離そうと身を捩るが、男の腕力には敵わなかった。
「金ならあるって言ってんだろ!!」
「そんにゃのルニャには関係にゃいってば! はにゃしてよ! はにゃせ――!!」
突然横から女の手が伸びてきて男の手をがっしりと掴んだ。ルナはその手を伸ばした人物を見て、ぱっと笑みを浮かべた。
「あっ……!」
もちろんそこに居たのはエリチェーンだ。騒ぎを聞きつけてすぐに駆けつけてくれたらしい。
男は暫く呆然と彼女を見ていたが、やがてまた下品な笑みを浮かべて言った。
「なんだ。アンタこいつの知り合いかい? 言ってやってくれよ、客を選ぶなってよぉ。……そうだアンタも俺と一緒に遊ぶってのはどうだ? アンタみてぇな綺麗な女と楽しめるなら高い金払ったって――」
その男の言葉を遮り彼女は言った。
「私は商人だ。この子は私の、従者だ。……証をよく見ろ。娼婦が付ける証とは別の物だ。そんなことも知らないのか、田舎者」
それは冷たい響きを伴った声だった。彼女の持つ"主人の証"が男の眼前にぶら下げられていて、彼は目をまんまるにしてしまっている。
「……それで、この子に何の用かな? この子が何か貴方に失礼を働いてしまったのだろうか?」
「え、は……? いや、その……だな……」
男は手を恐る恐る離す。腕に残る嫌な感触を消し去ってくれるように、エリチェーンが抱き寄せてくれた。
「い、いや、悪気はねぇんだ。フェルパーが商人だなんて……なぁ? 冗談にしか聞こえなかったもんで――」
すっかりしどろもどろになって言い訳を続ける男の頭上に拳骨が降ってきたのはそんな時だった。
「がっ!?」
その拳骨の持ち主は見上げるほどの大男だった。厳つい顔をしていて、恐ろしい印象を抱いた。
「なにしやがるっ……!?」
殴られた方の男はすぐさま振り返り、殴った相手を睨みつけようとして、数歩後ずさった。
「こんな広場で女引っ掛けてんじゃねぇ。周りに迷惑だってのがわかんねぇのか? 遊ぶなら歓楽区へ行け馬鹿野郎」
「す、すいません隊長……」
威勢が良かったのは一瞬だけで、大男の姿を認めると嫌な男はすっかり萎縮してしまった。
大男の重々しい声は威圧感を伴って腹の奥底に響いてきて、ルナは思わずエリチェーンの後ろに隠れてしまう。
「……?」
それきり会話がなくお互い無言を貫くものだから、ルナは些か奇妙に思った。おそらくこの大男は、あの嫌な男の上に立つ人間なのだろう。ならばこちらに謝罪の言葉一つでもあるはずだと考えたのだ。
エリチェーンの様子を窺ってみれば、大男と見つめ合っていた。彼女は暫くすると小さくため息をついてから言った。
「部下の躾がなってないよ、ガープさん。『従者の証』に種類があることぐらい、教えておきなよ」
「あとで叩き込んでおく。さっきのはあの一発で許せ。……で、オメーはこんなところで何してんだ?」
「交易品を仕入れに来た」
「交易品……? お前、交易商人に復帰したのか?」
「そうだよ」
「その娘は」
「私の従者」
どうやらこの二人は見知った間柄らしい。しかし、あまり良い関係ではなさそうだというのはすぐに判別がつく。
彼女はいつものように感情の読めないあの顔でガープと呼んだ大男を見上げて喋っているが、向こうは彼女が交易商人に復帰したと知った途端苦虫を噛み潰したような顔をしていたのだ。
「それじゃ失礼するよ。ルナ、帰ろう」
「えっ? あ、うん……」
「あ、おい!」
ガープは何か言いたそうだったが、エリチェーンは決して振り返らなかった。
ルナは彼女に手を引かれるまま宿屋へと帰ることになる。
「気分はどう?」
食堂のテーブルに着いてもルナの怒りは冷めてはいなかった。エリチェーンの前でも口を尖らせてしまうのは抑えきれない程に。
「……まだムカムカしてる。やにゃ男だった。ルニャのこと『男と寝るしか能がにゃいフェルパー』って言った!」
シルクベリーのパンを買い損ねた上に見知らぬ男に嘲られれば流石に怒りも覚える。別に男に身体を売る仕事が不名誉なことだとは思わない。フェルパーのほとんどはそういう仕事をしているとは王都で学んだばかりだ。
「ルニャがフェルパーだからって決めつけることにゃいじゃにゃい。……ふん」
ただ、"フェルパーだから"という理不尽な理由で勝手に自分の価値を決めつけたような男の態度にルナは腹を据えかねていたのだ。
「まったく失礼な相手だったね。拳骨一発じゃ足りなかったかな」
「いいの。もう二度と会わにゃいだろうし」
「それじゃ、美味しいご飯を食べてさっさと忘れよう。もしかするとここにもシルクベリーがあるかもしれない。注文のついでに聞いてくるよ」
「うん、行ってらっしゃい」
注文に向かったエリチェーンを見送り、ルナはぼんやりと辺りを見渡した。この宿は繁盛している。様々な人がテーブルに着き会話に花を咲かせ、朗らかに笑っていた。
腕枕を作ってその上に頭を乗せぼうっとしていると、怒りが収まるに連れて眠くなってきた。散々お風呂に併設された運動場で躰を動かしすぎたせいだろう。
食事が終われば、すぐにでもベッドに潜り込んで眠れそうな微睡みに身を任せていたところだった。
「……?」
誰かが自分と同じテーブルに着いたのに気づいて、ルナはなんとなしにその人物を見た。
「っ!?」
そして驚愕に尻尾を膨らませる。ついさっき会ったばかりの大男、ガープが目の前に座って自分を見ていたのだ。
相手は無言だ。ただ自分を見やるだけで話そうともしない。
「こ……こんばんは」
「おう」
ルナは勇気を振り絞って挨拶をする。しかしガープは短く返事をするだけで自分を見続けていた。どこか値踏みをするような、威圧感が感じられる。
どんな話を切り出していいのかわからない。ルナは居心地悪く感じながらガープから目をそらすことにした。
「あれ」
エリチェーンが戻ってきた時には思わず安堵のため息を漏らしてしまう。しかし彼女もガープの姿を見て驚いていたようだった。
「奇遇だね、同じ宿を取るなんて。……あ、ルナ。シルクベリーあったよ。注文しておいたから」
「別に奇遇でもなんでもねえよ。俺はお前達の後を追ってきたんだからな」
シルクベリーを食べられる喜びが、自分達を追ってきたというガープの言葉にかき消されてしまう。この厳つい大男が何の目的で追いかけてきたのかわからないのだから。
「それはどうして?」
椅子に座りながらエリチェーンが訊くと、ガープは険しい顔をして答えた。
「……お前、どういうつもりだ?」
その声には微かに怒気が孕んであった。ルナは嫌な予感がして、そして恐ろしく感じた。
「質問の意味がよくわからない。交易商人に復帰したこと?」
「それもある。だが一番解せないのはその娘だ」
ガープの視線が自分に突き刺さっている。ルナは目を合わせることができない。
「従者だと言ったな? ……フェルパーを従者に? 何の冗談だ。お前何を考えてる」
「私は冗談でこの子を従者にしたわけじゃないよ。行商人の稼ぎじゃ厳しいからもっと稼げる商売に鞍替えしたのは事実だけど、この子を従者にした時からそれは決めていたことだから」
「……おい、そこのお嬢さん。お前なんで商人になろうと思った」
質問を投げかけられ、ルナは恐る恐るガープと視線を交わした。しかし彼の顔は未だに険しく、責めるような感じさえある。
「そ、それしか……にゃかったから」
「ほお? じゃ、商人の才能があるってことか? 何ができる」
「え……。まだ、あたしはみにゃらいです。才能はよくわかんにゃい、です。勉強してる途中で――」
「あ?」
ガープの顔がより一層険しくなった。
「ま、毎日頑張って勉強してます。一日でもはやくエリチェーンの役に立てるように」
「おい、エリチェーン。もう一度訊くぞ。……なんでそんな娘雇った?」
彼はもう自分の言葉を無視してエリチェーンに意識を向けていた。もう話すことなどないと言わんばかりの横柄な態度に理不尽すら感じる。
「この子は『亜人狩り』の被害者なんだよ、ガープさん。私が奴らから命からがら逃げてきたこの子を偶然助けた。帰る場所もない子を、私が引き取ることにした。母親代わりになることにしたんだ。理由はそれだけだ」
「馬鹿かお前は。娼館に連れていけばよかっただろうが。あそこなら手厚く保護してくれる。なんでわざわざ商人に、才能があるわけでもない、フェルパーの娘を雇う必要があった?」
「そんな選択肢は端から捨てたよ。私がこの子を引き取るのが一番いい選択だと確信したんだ」
「お前なぁ。フェルパーがどういう種族か知らないわけないだろうが? 俺は全部お前に教えたぞ。そんな情に絆されて取った選択が一番いい選択だと? 笑わせんな」
ガープは自分が従者であることにひどく腹を立てているようだった。しかし、それはルナも一緒だ。この男も"フェルパーだから"という理不尽な理由で自分を責めている。
「あ、あの! さっきからにゃんですか!? あたしが悪者みたいに言って! みにゃらいで、仕事も半人前だけど、でも、迷惑かけるようにゃことはしてません! 発情期のことは知ってるけど、でもそのために交易商人ににゃってもっとお金を稼ごうって二人で決めたんです! にゃんであたしがフェルパーだからってそんにゃこと言われにゃきゃ――」
「うるせぇ」
ドスの利いた声が割り込んできて、ルナは言葉を詰まらせた。
「フェルパーだから。理由はそれで十分だ。才能もない、仕事も半人前、それはな、商人にとってなんの得もねぇってことなんだよ馬鹿野郎」
「にゃんで……! にゃんでそう決めつけるの! あにゃたもさっきの嫌にゃ男と一緒だ!」
「決めつけじゃねぇ、事実なんだよ。フェルパーは無駄金遣いってのは俺たち商人の間じゃ常識だ。他を雇うほうがよっぽど安上がりだ。オメーは商人に向いてねぇよ」
「っ……!!」
「オメーもオメーだよエリチェーン。ちっと才能があるからって他と違うことでもしたくなったか? 寝惚けてんじゃねぇぞ」
ここまで真正面から悪意をぶつけられてしまうとルナは頭の奥底がかっと燃え上がり、その怒りは涙となってぽろぽろと零れ始めてしまう。
「にゃんで……にゃんで!? フェルパーっていうだけでそんにゃ酷いこと、にゃんで言えるの!! あたしは一人前目指して毎日頑張ってる! 勉強して、少しでもエリチェーンの役に立てるようにっ……!!」
「ケッ。んなお涙頂戴の話なんざ聞きたくねえよ。どう頑張ろうがお前が無駄に金を使うフェルパーだってのは変えられねえんだ。男相手の商売してる方がよっぽどそいつにもいいだろうよ。……久しぶりに顔を見りゃあこんな胸糞悪いことしやがって。テメーなんざ死ぬまで行商人に引っ込んでりゃいいんだ」
言いたいことだけ言ってガープは席を立った。何か言い返したくても、感情が頭の中で渦巻いてルナは言葉が出てこない。
周りの客は何事かとこちらを見ているが、そんなものを気にする余裕はなかった。
「テメーの面倒を一度は見てきたから言っておく。今からでも遅くねぇからその娘は娼館に預けろ。何の得もねぇんだ」
ガープは背中を向けて、この場を去ろうとする。
「待ちなよ、ガープさん」
「あぁ?」
それを呼び止めたのはエリチェーンだった。
彼女は手を組み、ガープを見上げていた。
「色々と助言してもらってありがとう。でもそれだけではいさよならは味気ないと思わない?」
「……何が言いたい?」
「数年ぶりに再会したんだ。久しぶりに一緒に食事してお酒でも飲もう。仕事、一段落したんだろう?」
この不愉快極まりない男と、酒と食事を共にする。その提案がルナには信じられなかった。
「そ、そんにゃのやだっ――!!」
「あぁそうそう。ここで飲み食いした分は『先に酔い潰れたほうが全額支払う』っていうのでどう?」
しかし、彼女もただ彼と食事をしたいわけではないことはすぐにわかった。
目が、笑っていない。
「へぇ?」
ガープはその提案をひどく気に入ったらしい、にやりと不敵な笑みを浮かべると、もう一度席に着いた。
「それはオメー、俺と飲み比べの勝負をしたいってことでいいんだな?」
「他に解釈のしようがあるかな?」
「ハッ。いよいよもってオメーも馬鹿げてやがるな。俺に気持ちよくただで飲み食いさせてご機嫌でも取ろうってか?」
「さぁ、どうだろうね?」
「ま、いいだろう。付き合ってやるよ。ご馳走になるとするか」
自信満々の笑みを浮かべたガープに、エリチェーンは相変わらず表情の読めない顔を向けている。
「うん。ご馳走してあげるよ。――たっぷりと」
しかしその声は、先程あの嫌な男に掛けたものとは比べ物にならないほど、冷たかった。