フェルパーと文明・4
「……ルナ。ルナ、起きて。朝だよ」
「うぅ、ん……」
肩を揺さぶられ、ルナは深い眠りからゆっくりと覚醒する。
「おはよー……」
「おはよう」
「よく寝たぁ……」
寝床から這い出してゆっくりと躰を伸ばせば全身に血が巡り、纏わりつく眠気はすぐどこかへ吹っ飛んでしまう。
朝の空気を取り入れるため、窓を開いた。小鳥のさえずりだけが響く静寂に、少しずつ人の声や車輪の音、馬の嘶きが混じり始める様子が耳に届く。
けれども視界に飛び込んでくる風景は、ルナの見慣れた王都レネリスのものではなかった。
ここは"エルフィト"の街。
王都から馬車で半日かけた場所にある街で、エリチェーンが交易品を買い付けるために選んだ場所だ。
門出を祝う宴が済んだ翌日、ルナ達は朝早くに"黄金の子鹿亭"に別れを告げ、この街への移動にほとんどを費やした。
到着した頃には市場はとっくに閉まっていたので、宿を取って早めに就寝。そして現在に至る。
「ねぇ、エリチェーン」
「うん?」
「街の目が覚める姿は、一緒にゃんだね」
見慣れぬ風景に、聞き慣れた音。その組み合わせにルナはどこか安心する。
エリチェーンに感想を述べると、彼女は微笑んだ。
「あぁ、そうだね。……いい匂いがしてくるところも一緒だ」
「あとはエリチェーンのおにゃかがぐ~ってにゃるのも一緒~」
「えー。ルナだってよく鳴らしてるじゃないか?」
「そうだっけ~? えへへ~♪」
とはいえ、昨日は殆ど御者台に座りっぱなしで大して動いてもいない。いい匂いに釣られて腹が鳴り出すことはお互いに無かった。
朝食もそんな状態だから控えめだ。パンとチーズの盛り合わせ、そして水で十分満足してしまう。
「交易品の買い付けは朝の内に終わるから、早く済ませてこの街を色々見て回ってみよう」
「うん! この街にゃんだよね? すごく上等にゃ生地を作る虫がいるのって!」
「あぁ、そうだよ。作業場を見学できたらいいんだけど……こればっかりは職人さんの気分次第かな」
兎にも角にも、まずは交易品の買い付けだ。エリチェーンの操る幌馬車に乗って、ルナは市場へと向かう。
エルフィトの街はじっくりと見渡してみると、王都に比べるとまだ貧相な感じがした。石造りの建物に混じって木造の建物の姿も多く、広場や通りの数もずっと少ない。
とはいえ、包み込む盛況は王都にだって負けてはいない。露天商から食べ物を買って美味そうに食べる人々や、忙しなく馬車を走らせる商人。ハーピーの郵便屋、ラミアの代書屋だっている。
「いずれはこの街ももっと発展していくよ。大規模な計画が立って、あの城壁のどこかが一旦崩されて、街が広がっていくんだ。そこにまた家が建って、職人の工房ができて……そうして街は広くなる」
「ねぇねぇ! エリチェーンはそれ、見たことある?」
「一回だけあるよ。4、5年前だったかな……。もちろん見届けたわけじゃないよ、ちらっと城壁の解体作業を見ただけさ。ルナも見ることができるかもね。これからいろんな街へ立ち寄るんだから」
「うんっ。見れるといいにゃ~」
市場に乗り入れ、エリチェーンがまず向かったのは材木を取り扱う店だった。
「ルナ、お願い」
「うん!」
均等な大きさに切り分けられた材木の束を彼女は買い付け、ルナは一緒になってそれを車内に運び入れた。数にして25束。
長さはちょうど車内にぴったり収まるぐらいで、それをなるべくうず高くならないように均等に積み重ねる。
ひと束が随分な重さで、全部運び入れた時にはルナはぜぇぜぇと息を吐きだしていた。
「もうひと頑張り。いけそう?」
「う、うん……」
御者台に乗り込み疲れた躰をエリチェーンに預けると、彼女はそっと頭を抱き寄せて撫でてくれた。
次に彼女が向かったのは薬草を取り扱う店だ。すっかり乾燥した薬草を詰め込んだ麻袋はとても軽く、エリチェーンが投げ渡してくる袋を車内で受け取り、材木の上に横たえて並べるだけで積み込みが終わった。全部で15袋だ。
「~♪ らくちんらくちん♪」
あまりに軽いから、この積込みの間は殆ど休憩時間のようなものだった。躰の疲労もすっかり取れた。
最後に向かったのは、美しい光沢を放つ白い生地と糸を取り扱う店だった。
「……?」
その店に近づくと、独特な香りがするのにルナは気づく。悪臭ではないが、嗅ぎ慣れたものでもない。
「ありがとうございます」
取引を成立させたらしいエリチェーンが持っているのは、一抱えもある布袋だ。自分も同じものを持たされる。ずしりと確かな手応えがあるが、木材を思えば軽い方で、そして中身は薬草袋と違ってカサカサとした音もせず、柔らかい。
「エリチェーン、このお店、にゃんか不思議にゃ香りがしにゃい?」
「虫除けの香りだね。この袋の中には『シルク』が入ってるんだ。ほら、虫が生み出してくれる生地。これがそうさ」
「へぇー……!?」
「虫の世界じゃご馳走らしくてね。虫除けを一緒に入れておかないとだめになってしまうことがあるんだ。大丈夫? 匂いは平気?」
「大丈夫!」
生地に仕立てたものと、糸のままのもの2種類。どちらも布袋入りで、それぞれ5袋仕入れた。これは薬草の袋の上に横たえて並べる。
「よし、買い付けはこれでおしまい」
車内はすっかり交易品で満たされた。交易商人としてここで行う仕事はこれで終わりだ。
一仕事終えて満たされた気分になりつつも、ルナの心は少しだけ不安を抱えていた。
エリチェーンが買い付けの購入費用として商人に出していた手形――金貨の代わりだ。これがあればいちいち大量の金貨を持ち運ばなくて済む――に書かれていた金額はかなりのものだった。行商人の稼ぎなんて霞むような額だ。
それを彼女は顔色一つ変えず出していくのだから、いくらお金にまだ疎いルナでも心配になるというものだ。
「(……大丈夫だよね。だって、約束してくれたもん)」
けれど彼女は"お金のことでは絶対に心配させない"と約束してくれたし、この交易品を然るべき場所で売りさばけば凄い利益が出るに違いないと信じることにして、一抹の不安は胸に仕舞うことにした。
「さ、馬車を宿屋に預けて街を見て回ろう。シルクを生み出す虫、気になってるでしょ?」
「うん! 凄く気ににゃる! どんにゃ虫にゃんだろー……?」
宿に戻り馬車を停めて、目指すは職人通りだ。
エリチェーンに連れられたそこは、王都にあったような様々なこじんまりとした店が集う、といった様相ではない。
一つ一つの建物がものすごく大きい。中を覗けば、たくさんの人が同じ仕事に従事している。
「おはようございます」
布地を運んでいた人間の女性にエリチェーンは声をかける。女性は首を傾げたものの、布地を運び終えると駆け寄ってきた。
「おはようございます。何か御用でしょうか?」
「突然すみません。私達は商人です。どのようにシルクが作られているのか興味がありまして、皆さんのお仕事の様子を見学したいのですが……」
女性はその頼みに、にっこりと微笑んでくれた。
「まぁ! もちろん喜んで! どうぞ見学していってくださいね。……あ、でも一つだけ。皆集中して仕事に取り組んでいるので、お喋りはしないようにしてくださいね」
「わかりました。ありがとうございます」
快く受け入れてくれた女性は、また忙しそうに自分の仕事へ戻っていく。
ルナはエリチェーンと一緒に作業場の中に入って、彼らの仕事ぶりをそっと眺めてみた。
「(すっごい……)」
木で作られた複雑そうな道具を巧みに操り、かしゃんかしゃんと音を立てているのを見ていくと、糸が少しずつ少しずつあのシルクの生地に変貌していくのにルナは驚愕する。
そして何より、その仕事の美しいことはただならぬものだった。
道具を扱う職人は皆、リズミカルに音を刻んでいる。手足を動かす姿はまるで踊っているようだ。
時折背伸びをしてその音を止める物もあるが、ものの数秒すれば再び道具と向き合い全く同じ調子で動き始める。
このような無駄のない動きを、この建物の中にいる全員がやっているのだ。
出来上がった生地は脇に置かれて、ある程度溜まったら所定の位置に積み上げに持っていっている。
感嘆のため息しか出ない。時間を忘れて魅入ってしまう。
「そろそろ次の場所へ行ってみようか」
どれだけ彼らの仕事の様子を眺めただろうか。エリチェーンが小声で提案してきて、ルナは小さく頷いてみせた。
見学の申し出を快く受け入れた女性が一息ついているのを見つけたエリチェーンが、素早く彼女に駆け寄っていく。
「ありがとうございました。大変貴重な経験になりました」
「いえいえ。どういたしまして」
建物を出て、ルナは興奮を抑えきれずにエリチェーンの手をギュッと握った。
「す、すごいよエリチェーン。よくわかんにゃいけど、皆がかちゃんかちゃんってやってると、糸がどんどんあの生地ににゃっていって……!」
「あれは織り機っていう道具なんだ。詳しい仕組みは私も流石に知らないけど、ああやって糸を織り込んで一枚の生地にしていくんだよ」
「みんにゃが手足を上手に使ってね、と、とにかく……すっごい! 職人さんすっごい!」
「……しー」
声が大きかったらしい。エリチェーンは人差し指を口の前に立てている。
慌てて口元を覆って建物の中を見てみると、これまた驚きの光景が広がっていた。
「……!」
職人の何人かがこちらを見て、嬉しそうに手を振っていたのだ。
ルナはエリチェーンと一緒に手を振って、彼らに応えた。
「次はあの糸がどうやって作られてるか見に行こうか?」
そうして連れられてきたのは、また別の大きな建物だ。そこには大きな鍋に火をくべながら白くて丸いものを茹でつつ、木製のよく判らない道具をくるくる回している職人達がいる。
鍋はいくつも用意されていて、皆熱心に中身をつつき回しているようだった。
エリチェーンが同じように見学を申し入れ、職人が快く受け入れて、ルナはまたその謎の作業の様子をじっくりと眺めることができた。
「嬢ちゃん達、わしらの仕事に興味あるのかい?」
眺めていると、鍋の中身を細い木の棒でかき回していた年老いた職人に突然そう問いかけられて、ルナは尻尾を振ってどぎまぎする。
「あっ、いえ、その……。シルクがどんにゃ風にできるのか知りたいって言ったら、見学させてもらおうって……。あたし達、商人にゃんです。あたしはまだみにゃらいですけど」
「後学のためにも、ぜひ見学したいと思いまして。お忙しい中、すみません」
「ほぉ!? そりゃ珍しいなぁ! 商人はわしらの作った糸や生地を売ることには関心があっても、どうやって出来てるのかなんて気にもしないってのに! いやぁ、勉強熱心な嬢ちゃん達だ! 好きなだけ見ていきな!」
老職人は随分喜んだ様子で、座る場所までてきぱきと用意してくれた。
「あ、あの。気が散ったりとかしませんか? 静かに見学したほうがいいんじゃ……」
恐る恐るルナが尋ねてみるも、老職人は笑顔のままだ。
「はっはっは! 気にすることはないぞ! この仕事は根気が大事ではあるが、そんなに気を張ったりはする必要ないんだよ。折角だ、何をしているか嬢ちゃん達に教えてあげるとするか」
老職人が木の棒で白くて丸っこいものをつつきながら言った。
「コイツは『シルクワームの繭』だ」
「シルクワーム? ……あ! シルクを作ってくれる虫のことですか?」
「あぁそうだ。別の工房にいけば見れるが、そこでシルクワームを育てて、あいつらが繭を作るまで面倒を見るんだ。できた繭はこうして茹でてやるとほぐれてきてな、それをこうしてうまい具合に絡め取って、この糸巻き機で巻き取る、というのがわしらの仕事だ。出来上がった糸はもうちょっと加工して、初めて商品になるな。もちろん生地にするために向こうの工房に送ったりもする」
乾いた植物の茎を束ねた物で糸を手繰り上げながら、老職人はどんどん糸巻きを進めていっていた。
「へぇー……!」
「すごいぞこれは。一見細すぎて頼りないがものすごく強靭で、しかもだ。なんと繭一つがたった一本の糸でできている!」
「えぇっ!? この丸っこいのが、一本の糸で!?」
「見ての通り繭は沢山あるし、全部巻き取るにはかなりの時間がかかるがな。だから根気の必要な仕事というわけだ」
ぐるぐると糸巻き機を回しているのを暫く眺めていると、確かに白い糸が巻きついてその密度を増やしている。
「……? あの、黒っぽいのが浮いてるんですけど、これは?」
鍋の中をよく見れば、白い繭とは対象的な黒い変なものが浮いていた。何かとルナが尋ねてみれば、老職人は事も無げに答えてくれた。
「ん、これか? これはシルクワームの蛹だよ」
「さにゃぎ……? え、それって――」
「うむ。繭ごと茹で上げるんだ。中の蛹は死んじまう」
「……かわいそう」
シルクを生み出して、それが終われば茹で殺される。それがとても残酷なことのように思えて、ルナは率直な感想をポツリと呟いた。
「確かにな。わしらはこいつらの命を使ってシルクを作っている。だが……そうさな。おーい! 誰か! ちょっといいか!」
「はい親方。なんでしょう?」
老職人は適当な職人を呼び出して、自分達を示して言った。
「この勉強熱心な商人さん達をシルクワームの寝床に案内してやってくれ。そこでシルクワームの生態も説明してやってくれな」
「わかりました。ご案内しますよ、どうぞこちらへ!」
ルナ達は案内されるがまま、別の建物へと向かう。そこでまた別の職人に引き継いでもらって、シルクワームの生態を学ぶことになった。
「よーこそよーこそ! いやぁ、商人さんがわたし達の仕事を見学したいだなんてびっくりしましたが嬉しいですよぉ!」
説明を請け負ってくれたのは、ラミアの職人だった。彼女は感動した様子で手を組み合わせて目を輝かせている。
「それにそれにフェルパーの商人さんだなんて! わたし、初めて見ました! ふふふ、同じ亜人同士です、誠心誠意隅から隅まで教えますよぉ! ……あ、いえ、そうでなくても仕事は果たしますが!」
「よ、よろしくおねがいします」
「貴重な勉強の機会を設けていただき感謝します。よろしくお願いしますね」
「はい! はい! それじゃあ早速見てもらいましょうか! こちらへどうぞぉ!」
建物は2階建てで、ルナ達は2階へと案内される。そこはいくつかの部屋で仕切られていて、どの部屋にもぎっしりと大きな棚が据え付けられていた。
「ここがシルクワームちゃん達の生活するお部屋ですよぉ。そしてこの箱の中にいるのが……シルクワームちゃんです!」
棚の中の木箱を覗き込んでみれば、白い芋虫が何十匹も居てのんびりと這い回っている。緑色の葉っぱをもしゃもしゃ食べていて見るからに元気そうだ。
「これが……」
「ふふふ、可愛いでしょう! 特にこの……くねくねくねっと動き回るのがたまんないですよねぇ!」
ラミアの職人が指先にそっと一匹のシルクワームを乗せて、ルナの手のひらに置いてくれた。
「……うん。にゃんかとっても元気で、可愛いかも?」
「でしょう! 可愛くて、素敵なシルクを作ってくれて……。わたし達はこの子達に頭が上がらないのでぇす!」
そっとシルクワームを箱の中に返してやる。
「シルクワームの生態について、詳しく教えて頂いていいですか?」
エリチェーンの頼みに、ラミアの職人は自慢気に胸を張った。
「もちろんお教えいたしますとも! シルクワームは温かい気候を好み、餌は『シルクリーフ』という葉っぱを食べます。街の外にはシルクリーフの畑があるんですよぉ。ある程度成長すると、口から糸を吐き出して自分を繭で包んで、更にしばらくすると羽化して、交尾して卵を産みます。こちらの箱に繭がありますよ!」
そう言ってラミアの職員が別の木箱を見せてくれた。そこにはシルクワームの姿はない。
「わぁ……! 綺麗……!」
代わりにあったのは、純白の繭だ。マス目に区分けされた箱の中の一つ一つに、美しい繭が収まっている。
「この時期の繭は一番品質がいいんですよー。暑すぎず寒すぎず。シルクワームちゃん大喜びです! ……この繭は、明日にはあっちの工房に出荷されますねぇ」
「出荷って……あの、茹でちゃうんですか?」
「はい」
「ご飯を食べて、繭を作って、茹でられて……うぅん……」
「むむ、かわいそうだというお顔をしていますね? お気持ちはわかります。わたしもこんな可愛いシルクワームちゃんを最期には茹でちゃうというのは悲しいものがあります。でもこうしなければ良質なシルクは取れないのです。繭を破ってしまうと、うまく糸になってくれないんです」
ラミアの職員は木箱を戻しながら言った。
「とても儚い命です。だけどですね……それは決して繭のまま茹でられるから儚いというわけではないんです。シルクワームは他の虫とは決定的に違う特徴があります! 弱点と言ってもいいかもしれません!」
「それは、どんにゃ……?」
「はい。――わたし達の手助けがなければぜーったいに生きて行けない虫なんです、この子達。外の自然に出そうものならすぐ死にます」
「えぇっ!?」
人の手がなければ死ぬ虫など聞いたことが無い。ルナは驚きに尻尾を膨らませた。
「で、でもおかしいじゃにゃいですか!? それじゃ、今までシルクワームはどうやって生きてきたの!?」
「そう、ごもっともな疑問です! これはふるーい歴史を遡ることになるのですが……。シルクワームちゃんにはご先祖様がいました。同じようにシルクを生み出すご先祖様が。こちらは自力で大自然の中でも生きていける逞しいご先祖様だったのですが……」
ラミアの職人はぐるぐると周囲を這い回りながら話し続けている。
「ある時シルクの有用性に気づいたかしこーい人が、これはと思ってそのご先祖様を飼いならしたのです。それが長いこと続いていく内に……シルクワームちゃんとわたし達は切っても切れない関係になってしまい。シルクワームちゃんは自力で生き延びるということを綺麗サッパリ忘れてしまったのですよぉ」
「え、えぇー……」
「いえ、実はこの説が正しいというわけではないんです。というか、どうやってシルクワームちゃんが生まれたかよく解っていなくてですねぇ……。とりあえず間違いなく言えるのは、この子達はわたし達がお世話しないとすぐ死んでしまいます! 餌がなくなっても逃げ出そうともしないし、そもそも外の自然に離そうものならその日の内に鳥さんに食べられます! こんな真っ白けな躰、すーっごく目立つじゃないですか」
「家畜のようなものだね。人々に飼いならされて、野生を薄れさせてしまった。……シルクワームは薄れさせたというより完全に失くしてしまっているようだけど」
「更に更に、このシルクワームちゃん、繭を破って羽化しても……!」
「しても……?」
「……すぐ死ぬんです」
「えぇぇぇっ!?」
どこまで生きる気がないのか。あまりのやる気の無さにルナの尻尾は膨らみっぱなしだ。
「にゃ、にゃんで!? どうして!?」
「答えはとっても簡単でして。羽化したシルクワームちゃん、口がなくてご飯食べられないんです。なので餓死ですねぇ。卵を産んだあとはぱったりです。もうほんっとに、シルクワームちゃんという生き方そのものが儚い命なのですよぉ」
「そ、そんにゃ生き物がいるにゃんて……」
「ですから、わたし達はあえて羽化させて次の世代を担ってくれる子を生み出すのと、繭が破られない内に茹でて良質なシルクを取る、この2つをお仕事にしています。もちろん自力で生きられないからじゃあいっそ輝けるうちに殺してしまおう、なんて傲慢だと思います」
"こちらへどうぞ"と招かれた先には祭壇があり、石造りの小さな彫像が2つ置いてある。いずれも背中に翼の生えた女性の彫像は、女神のものだとルナは思い当たった。
「だからわたし達は。我々は。彼らシルクワームへの感謝を忘れない。彼らの命、彼らの紡いだ糸。その全てを余すことなくわたし達は使い、彼らの生きた証を未来のために使うことで、彼らの命に報いているつもりです。この像は、創命の女神アルテラ様とメルテラ様。お二人の生み出した命を決して無駄にはしない、その誓いを皆が持って、誇りを持って仕事をしています」
「シルクワームに捨てるところなし。そうでしたね?」
エリチェーンがそう言うと、ラミアの職人は微笑んでみせた。
「よくご存知ですね! あの子達の糸は言うまでもありませんが、茹でて死んでしまった蛹の彼らも捨てることなんてありません! 鶏や豚の餌として利用価値があるんですよぉ」
「……すごい」
「ふふふ、そうでしょう! シルクワームちゃんはすごいんですよぉ!」
説明を一通り受け終えたルナ達は、ラミアの職人に見送られて建物の外に出た。
「今日はありがとうございました! わたし達の仕事を知ってもらえて嬉しかったですよ! シルクを取り扱う時には……シルクワームちゃんのこと、ぜひぜひ思い出してあげてくださいねぇ♪」
「ありがとう。とてもためになるお話でした」
「ありがとうございました! これからも、頑張ってください!」
「はーい! ではではまたぁ♪」
別れを告げて、ルナはエリチェーンと一緒に職人通りを戻ることにした。
「どうだった? シルクワームの事を勉強してみて」
エリチェーンの質問に、ルナは強い決意を持って答えた。
「すっごく、面白かった! どんにゃ商品も色んにゃ人の手が関わって、もしかしたらにゃにかの命が犠牲ににゃってできている。……今日仕入れた商品は、絶対に無事に売り捌かにゃいとね、エリチェーン!」
エリチェーンは驚きの表情を見せていた。そして彼女は心底嬉しそうに笑みを浮かべる。
「シルクワームの頑張りも、職人さんの頑張りも無駄にできない。彼らの命と努力の結晶、それを無事に送り届けること。それが私達の誇りある仕事さ。……それがわかったのはすごいよ、ルナ。偉い」
「うんっ! えへへっ♪」
昼を告げる鐘の音が街中に響いた。
「あっ。お昼だ! ねぇエリチェーン、今日は露店でにゃにか買って食べよ!」
「いいよ。何食べたい?」
「うーん……」
暫く考えて、ルナは笑った。
「にゃににしよっか! 露店をじっくり見て回って考えようよ!? 時間はいーっぱい、あるんだから!」
「あはは。それも悪くない」
背後で響く織り機のカタカタという音が、少しずつ少しずつ、遠ざかっていった。