フェルパーと文明・2
"黄金の子鹿亭"。
それが懇意にしている宿の名前だ。
十分な数の個室と集団部屋を備えており、飯は美味く、宿代は平均的。
他の宿屋と大きく違う点を挙げれば、施薬院が併設されていることだろう。
街の中心から少し外れているものの、その利便性の高さから特に冒険者からの人気が高い。
それもそのはず、この宿はもともと冒険者向けの宿として長い歴史を誇る老舗なのだ。
「ただいまっ」
「あら、おかえりなさいルナちゃん」
食器を洗っていた女主人にきちんと挨拶をする。これももうルナにとっては日常だ。
女主人も、すっかり顔なじみになった自分ににっこりと微笑みかけてくれる。
食堂兼酒場のスペースの一角には絢爛豪華な旗が所狭しと貼られていて、それは全て冒険者達の旗だ。
依頼人は目当ての冒険者の旗に依頼書を貼り付け、彼らはその依頼書を見て仕事を選んで請け負う。ルナもそんな光景をもう何度も目にしている。
今日は冒険者達も仕事がなくて暇なのか、あるいは休みを取っているのか、この時間でも結構な人数が食堂で食事を取っていた。
「エリチェーン、いるかにゃ?」
「彼女なら……ほら。あそこよ」
エリチェーンの居場所を尋ねれば、女主人は食堂の片隅を示した。
見ればエリチェーンはテーブルに着いて、こちらに背を向けている。手の動きを見るに、何か書き物をしているらしい。
「ありがとっ!」
女主人に礼を言って、ルナは小走りでエリチェーンの着くテーブルへ近づいた。
「エリチェーン、エリチェーンっ」
「ん? あぁ、おかえりルナ。座りなよ」
声をかけると、彼女は振り向いて微笑んでくれる。それから空いた椅子を示して座るよう促してくれた。
「お金の計算?」
「うん。今月は特別注文が多かったからよく利益が出てるよ」
1枚の紙の片側には商品の仕入れに、毎月の生活費、給金などに使ったお金がびっしりと書き込まれていて、その反対側には商品を売り上げて手に入れたお金がこれまたびっしりと書き込まれている。
計算はもう終わったようで、ルナが見ても利益がどれだけ出たのかひと目で判った。
「6ゴールド……かぁ」
それはいつもの倍の稼ぎだったが、しかし今のルナにはそれでも少ないように思えた。自分がフェルパーだからだ。
いつ"発情期"を迎えてしまうのか。そうなったらどれだけのお金が出ていってしまうのか。行商人としての利益で賄い切れるのか。
ルナにその答えは出せそうにもなかった。
「……どうしたの? なんだか元気が無いようだけど」
「あ。えっと……」
その不安が顔に出たらしい。エリチェーンはそれを決して見逃さない人だった。
「実は――」
ルナは自分の尻尾を弄びながら、先程起こった出来事を正直に話した。
娼館の支配人、アルドに声をかけられたこと。色々あって彼にお菓子をご馳走になったこと。
そして、彼からフェルパーの事情を学んだこと。全て話してみせた。
「ルニャはまだ、発情期は来てにゃいと思うんだけど……。でも、いつかかにゃらず、絶対来る。それにすごくお金がかかるって聞いたから、今のままで大丈夫かにゃあ、って心配で……」
「なるほどね。そういう事だったか」
全てを聞いたエリチェーンは、静かに頷いている。
テーブルの上に広げた紙を片付けてから彼女は言った。
「ルナをもう少し仕事に慣れさせてからそのあたりの話をしようと思ってたんだけど……まぁいっか。少し早まっただけさ」
いつもの余裕を感じさせる口ぶりからすると、彼女はフェルパーの事情を全て知っていたように見えてルナは驚いた。
「エリチェーンは、発情期のこと知ってたの?」
「もちろん。お金が凄く掛かることも含めて知ってたよ。商人だったら常識だからね」
「じゃあ、大丈夫かそうでにゃいかも、知ってた?」
切り込んだ質問にも、彼女は動じずにすぐに答えてくれた。
「あぁ。……結論から言えば、ルナが発情期を迎えると今の稼ぎでは厳しいだろうね。きちんと発情期の処理をお願いすれば最低でも30ゴールドはかかる。馬車の整備とか、他にも支出があるだろうから、貯金を少しずつ切り崩さなくちゃならなくなるかな」
「やっぱり……」
しかしその答えはルナにとっては嬉しくないものだった。やはり行商人の稼ぎでは不足しているのだ。
「大丈夫だよ。解決策はきちんとある」
その言葉に、ルナはエリチェーンの顔をじっと見つめる。
彼女はいつものように涼しげな顔で微笑んでいた。まるで何の心配もしていないようだった。
「それは、どんにゃ?」
「簡単なことさ。もっと稼げる仕事をする。商人として、一段上の仕事をこなすのさ」
「一段上の、仕事……?」
ルナは首をかしげる。どんな仕事か想像がつかなかったからだ。
「ルナ。『交易商人』にならない?」
「こーえき、しょうにん?」
これまた聞き覚えのない名前を出され、ルナはもう一度首を傾げた。
「今、私達は村を回って日用品を売りさばく『行商人』だ。これはのんきな商売だけど、その分利益は少ないというのはルナも解ったと思う。交易商人は、街から街へ、国から国へ高価な品物を売りさばく商人なんだ。行商人とは比べ物にならないぐらい稼げる。ルナの発情期の対策費用だって十分捻出できるぐらいね」
「それににゃったら、お金の心配しにゃくていいの?」
エリチェーンの丁寧な説明に、ルナはそんな質問をする。
彼女は力強く頷いた。
「約束するよ。絶対にお金のことで心配はさせない」
「……ルニャでもできる?」
「もちろん。ちょっと力仕事が増えるけど、行商人よりある意味楽かもしれないな」
エリチェーンは財布から金貨、銀貨、銅貨を1枚ずつ取り出し、テーブルに並べていく。
「……商人について、もう少し詳しく教えておこう。商人には大きく分けて3つの商人がいるんだ」
まず彼女は銅貨を指差して言った。
「まず1つは、『露天商』。これは特定の店を持たずに、持ち運べる日除けと簡易テーブルがあればできる商売だ。広場とか門前市でよく見るでしょ?」
「散髪とか、代書屋さんもそうにゃの?」
「うん。彼らも露天商になるね。専門の技術が必要だから稼ぎはいいらしいけど。……ただ、商品を仕入れて売る、という商売に限っては大体駆け出しの商人がやってるんだ。ルナのお気に入りのお菓子の露店なんかがそう。彼らはお菓子をまずどこかのお店で仕入れて、それから広場で売りさばいている。だから利益はルナが思ってるよりずっと少ない」
続けて銀貨を指差して彼女は言った。
「次が『行商人』。今の私達だね。やってることは駆け出しの露天商と変わりないけど、街の中で商品を仕入れて、街の外、遠く離れた村へ売りに行くというのが大きな違いかな。馬車があるから露天商よりずっと多くの品物を扱えるし、街から離れた村ほど高く買ってくれるから利益は露天商より多い」
「街から村へ運んでくる手間賃……がかかってるもんね」
村によって微妙に品物の値段が変わっていた理由を聞いた時、そう教わったのを思い出してルナは言う。
エリチェーンは、それに満足そうに頷いてくれた。
「よく覚えてたね。その通り。露天商をしてお金を貯めた商人が、今度は行商人になって生活を安定したものにするというのはよくあることさ」
最後に金貨を指差し、彼女は言った。
「最後が『交易商人』。街から街へ、国から国へ品物を運んで売る商人だ」
「行商人と、にゃにが違うの?」
「説明するよ。街の生活は、その街だけで完結してるわけじゃないんだ。職人さんが使う木材やインゴットがどこから来てるか、考えたことはある?」
言われてみれば、どこからやってきているのだろうとルナは首を傾げた。
「考えたことにゃかった……」
「村の木こりを覚えてるね?」
ルナはすぐに思い出した。村には木こりがいて、付近の森の木を切り倒していたのをよく覚えている。
頷くと、エリチェーンは話を続けてくれた。
「木こりが木を切って、丸太を売る。丸太はどこかの街で加工されて使いやすい形の木材になる。そしてそれを商人が街から街へ運んでいく。インゴットも同じ。鉱山のある街で鉱夫が鉱石を掘り出して、それをインゴットに加工して、街から街へ商人が運ぶのさ」
「その、街から街へ運ぶのが、交易商人にゃの?」
「そういうこと。いろんなものを運ぶよ。挙げればきりがないぐらい。上手くやれば、一度運ぶだけで何百ゴールドって利益を出す」
「そんにゃに!?」
6ゴールドで十分利益が出たと喜んでいる行商人とは世界が違うと、ルナは目を丸くした。
「交易商人は、沢山の人を雇って、沢山の馬車を使って大量に品物を運ぶ。この商売で成功を治めたら『大商人』と持て囃されるだろうね。それだけ、交易商人は別格なんだ」
もう気持ちはすっかり交易商人に向いていた。それだけ利益が出せるなら、たしかにお金の心配をしなくて済む。
「……あれ? ちょっと待って!」
しかし、エリチェーンの説明をよくよく頭のなかで反芻してみると、一つ不安な材料があることにルナは気づいた。
「ん……?」
「沢山の人と馬車……って、ルニャ達、二人だし、馬車は一台しかにゃいよ……? 交易商人ににゃったら、増やすの?」
新しく雇うだけの、馬車を揃えるだけのお金があるのだろうか、ということだった。
エリチェーンはその問いに、静かに首を横に振った。
「あぁ、それはね。交易商人としては異色の立ち回りになるけど、増やさない。私とルナの二人で、馬車も一台だけだ」
「そ、それで大丈夫にゃの?」
「まだ確証はないけど、うまくいく気はしてる。……皆は少しでも多く売りさばいて利益を出そうと必死だけど、私は逆を考えてる。量は少なくても、輸送にかかるお金を極限まで削れば十分利益が出るんじゃないか、とね」
貨幣を財布に戻しながら、彼女は続ける。
「私の飼ってる馬、餌が要らないのは知ってるだろう?」
「うん。……えっと、魔法生物? にゃんだっけ」
自分達の馬車を引く馬は魔術を用いて生み出された存在で、普通の馬と違って餌が要らないとだけルナは以前聞いたことがあった。
便利な存在だが、その分値が張るらしい。
「そう。あの子一頭で働きは馬4頭分ぐらいの力はあるし、賢い。餌代もかからないといい事ずくめなのさ。馬車を増やしたらその利点を捨てることになる」
「人を増やさにゃいのはどうして?」
「目的は私とルナが不自由なく暮らしていける稼ぎを出すことだからね。人を雇えばその分稼ぎを上げなきゃいけない。そうしたら、幾らこのやり方が上手くいっても限界を迎えてしまう。だから護衛を付けることはあっても、新しくルナみたいに働く子を雇うつもりはないよ」
一つ一つ丁寧に説明してくれるエリチェーンのおかげで、ルナはようやく不安を胸の内から追い出すことに成功する。
「それにね」
そして続く彼女の言葉に、ルナは胸を弾ませることになった。
「交易商人になれば、今よりもっと多くの場所へ行ける」
南へ向かった先にあるランズベル王国には、"海"と呼ばれる巨大な水たまりがあるという。自分の想像する限りの何倍も大きいと聞いて、ルナは一体どれほど巨大な水たまりなのか全く見当がつかなかった。
「あちこち旅をしての生活さ」
このプレナス王国にも、まだ知らないことは山ほどあるとルナは知る。村の畑の何倍も広い薬草畑や、虫を使って生み出した上等な生地の話など、話を聞くだけで好奇心が大いに刺激された。
「どう、ルナ? 悪い話じゃないと思うんだけど」
その問いへの答えはもう決まっていた。
ルナは尻尾と耳をぴくぴくひくつかせ、満面の笑みを浮かべて答えた。
「ルニャ、賛成っ! 交易商人ににゃろうよ、エリチェーン!」
「よし。決まりだ」
ぱん、と小さく手を叩いてエリチェーンは微笑む。
「それじゃあ早速準備に取り掛かろう。順調に行けば秋には交易商人として活動できると思うよ」
「準備って、そんにゃにかかるの?」
やろうと思えば明日からでもできそうなものだがとルナは首を傾げたが、エリチェーンは人差し指を立ててこう言った。
「私達がすぐ交易商人になったら、今まで行商で立ち寄っていた村の人達が不便することになるだろう?」
そして彼女の言葉に、ルナは自らの浅慮を恥じることになる。
「あっ……!」
「だからまずは私達の行商を引き継いでくれる人を探すんだ。村にもきちんと挨拶回りをして事情を説明しておかないとね。『信頼』は裏切っちゃいけない。商人の鉄則さ」
「そうだよね……突然こにゃくにゃったらみんにゃ、心配するもんね。ルニャ、ちっとも気づかにゃかった……」
「でもこれで覚えた。……さ、商人ギルドに顔を出そう。引き継いでくれそうな、信頼できる商人を探しに行こう」
まだまだ商人としての心構えができていないと耳と尻尾を垂れ下げて反省するルナだったが、エリチェーンはすぐにフォローを入れてくれた。
決して甘やかしているわけでもなく、彼女は些細な間違いも怒ることなく丁寧に指摘して教えてくれるのだ。結果的にルナは気持ちを沈めることなく教訓のみ得ることに成功している。
「……うん!」
商人ギルドへ顔を出すのもすっかり習慣付いた。
行商へ出かける前日には必ず顔を出して、エリチェーンは天気はどうかとか、野盗の類が出ていないかを必ず確認していた。それで実際難を逃れたこともある。
「情報は商人の命なんだ。できる限り新鮮な情報を頭に入れておくほうが役に立つ」
彼女はそう教えてくれた。
商人ギルドの中は何人かの同業者らしい顔ぶれが屯していて、入ってきた自分達を見ると皆奇異の目を向けてくる。これも毎度のことだ。
「(フェルパーの商人が珍しいからってそんにゃみにゃくてもいいじゃにゃい……)」
理由は今のルナにはわかる。フェルパーである自分に向けてきているのだ。この居心地の悪さにはなかなか慣れなかった。
相変わらず受付には神経質そうな男性が座って何やら事務仕事をしている。
「おや、こんにちは」
顔をちょっと上げてこちらの姿を認めた男性が挨拶をする中、エリチェーンはいつものようにつかつかと歩み寄り、言った。
「こんにちは。ちょっとお尋ねしたいのだけど」
「なんでしょう?」
「行商人になりたがってる人はいませんか? 私達の使ってる販路を誰かに譲ろうと考えているのですが」
エリチェーンは自分と話す時以外は寡黙で、要件のみを手短に相手に伝えるのが常だった。
他人相手に饒舌になるのはたまに夜にエールを飲んだときぐらいだ。
「え……。行商人を辞めるのですか?」
最短距離を選んで相手に伝える彼女の気質は時折相手に困惑を招いたり、彼女自身が冷淡な人間という印象を周りに与えてしまうこともルナは見抜いていた。
受付の男性はまさに困惑した様子でエリチェーンに聞き返していて、しかし彼女はそういった反応にも特に対応の仕方を変えるといったことはしないのもいつものことだとルナは知っている。
「交易商人に復帰することにしたんだ。だから、あとを引き継いでくれる真面目な人を探してます。……心当たりありませんか?」
「あ、あぁ。なるほど。わかりました。復帰されるのですね……」
ちらりとこちらを見やる受付の男性の視線もやはりどこか懐疑的なものが感じられて、許されるならすぐにでも出ていきたかった。
しかし、今のルナは商人だ。エリチェーンにおんぶに抱っことはいえ、彼女の行うことを見届けて、少しでも商人を学ばなければならない。
「(我慢我慢……)」
そう言い聞かせながら、ルナは精一杯の愛想笑いを男性に返した。
彼はしばらく逡巡したのち、ギルド内に佇んでいた一人の青年に声をかける。
「レスパさん。ちょっとよろしいですか?」
「えっ? あ。はいっ」
レスパと呼ばれた青年が呼びかけに応じて、慌てて近づいてきた。彼はまだ若く、おそらくエリチェーンとそう変わらない年齢だろう。
垢抜けてない感じだが、誠実そうな顔つきをしている。
受付の男性はレスパを示しながら言った。
「ご紹介します。こちらのレスパさんですが、ちょうど露天商を辞めて行商人としてやっていこうとギルドに相談しに来られてたんですよ。行商の経験は皆無ですが、仕事ぶりは保証しますよ。非常に真面目で誠実な方です」
「はじめまして。私はエリチェーンだ。この子は従者のルナ」
「はじめましてっ!」
「は、はじめまして。レスパです。えっと……俺、なんで呼ばれたんですか?」
どうやらエリチェーンの話は彼の耳に届いていなかったらしい。受付の男性は、そんな彼にまた一から説明していた。
「こちらのエリチェーンさんですが、この度交易商人になられるそうです。それで、今まで使っていた自分の行商の販路を誰かに譲りたいと」
「は、はぁ」
「どうでしょう、レスパさん。彼女の販路をあなたが引き継いでみませんか?」
「えぇっ!? いや、でもそんな……俺、行商は初めてで……」
彼にとっては寝耳に水の提案だ。その表情は、期待に応えられる自信がないとはっきり出ていた。
忙しなく視線を動かし、こちらに合わせようともしないのが何よりの証拠だ。
そんな彼の不安を解きほぐすようにエリチェーンが言った。
「なにもいきなりあなたに全部丸投げしようってわけじゃない。私は行商人としてそれなりに経験を積んできた。自分の販路として開拓した村の情報も全て提供するし、慣れるまで同行して行商の知識は全て分け与えさせてもらうよ。もちろん村の人達にもあなたを紹介して、滞りなく商売ができる下地も保証する」
「ほんとですか? いや、でも……どうして俺なんかに?」
「仕事ぶりは真面目で、誠実。そんなあなたならきちんと引き継いでくれるんじゃないかと思った。……どうだろう? 私達の販路を引き継いでもらえないか?」
今まさに行商人として、手探りで参入しようとしていたところに手厚い支援と販路がまるごとついてくる。
戸惑いも拭いきれていないが、それ以上にレスパにとって、エリチェーンの申し出は降って湧いた幸運のように思えているに違いないとルナは思った。
「す、少し考えさせてください」
それでも、すぐに結論は出せなかったようだ。
エリチェーンはそんなレスパの反応に眉をひそめることなく、小さく頷いて告げた。
「わかった。突然のことだからね。……でも、三日後までには答えを出して欲しい。引き継ぐと決めたのなら、三日後の朝、『黄金の子鹿亭』へ自分の馬車に乗って来てくれ。……そのときにあなたが来なければ、この話は別の人に回す」
しかしきっちりと期限を定め、この機会を逃せば別の相手に振ると釘を刺している辺り、商人らしい振る舞いは健在だ。
販路の引き継ぎは、これぐらい割り切って振る舞わないとダメなのだろうとルナは思った。
レスパは悩んでいる様子を隠そうともしなかったが、やがて口を開いた。
「……わかりました」
「それじゃ、色好い返事を期待してる。紹介ありがとう」
「これもギルドの仕事ですから」
受付の男性は涼しげな顔でそう答えると、事務仕事に戻っていった。
「よし、帰ろっか、ルナ」
「うん!」
無駄話は一切なしの最短距離は駆け出し商人相手にも例外はなく、話は纏まったとエリチェーンは踵を返していた。
あとはレスパがどんな結論を出すか次第だから、留まっても意味が無いのだろう。
ルナも彼女とともに、商人ギルドを後にする。
「あの人、来てくれるかにゃ?」
帰り道、ルナはエリチェーンに訊いてみた。
彼女は少し考えてから、こう答えてくれた。
「女神メイマだけが知ってるよ」
「女神、メイマ? ……大地の女神様、だっけ」
この世界は、たくさんの女神の手によって作られたとルナは里で学んだ。全ての女神の名前は覚えていなかったが、辛うじてメイマの名は頭に残っていた。
「うん。今は商売の女神様にもなっちゃってるけどね。彼女が微笑むと富が約束されると言われてる。私達の新しい商売の道が順調に開かれるかどうかは、彼女だけが知ってるんだ」
「へぇー……。でもにゃんで大地の女神様が商売の女神様にもにゃっちゃったの?」
「もともとは農民や鉱山労働者が強く信仰してたらしい。作物を作ったり、鉱石を掘り起こす彼らにとって、大地の女神の加護ほどありがたいものはないってね。……銅や銀や金は鉱山で掘り起こしてるわけだけど、この3つと商売は強い関わりがある。何か判る?」
ルナは少し考えて、思い当たった。自分の財布の中にもある。
「……あっ。お金!」
「そう。そこから転じて、メイマ様は商売も司る女神になったらしいよ。もう数百年も昔の話らしいけど」
「へぇーっ! にゃんか、面白いね!」
「今なおその信仰が続いてるってことは、メイマ様もそう崇めることをお許しになったってことだろうね」
また一つルナは賢くなって、なんだか嬉しい気分になった。
「えへへ……メイマ様、微笑んでくれるといいね!」
「うん。そうだといいね」
自分達の商売の道が順調に開かれますように。
そんなささやかな願いを胸に、ルナはエリチェーンと一緒に宿に帰り着くのだった。