翠緑に抱かれて・3
村に戻った頃には日が沈みかけ、オレンジ色の空が広がっていた。
「た、ただいま」
「ラフィ!」
「あぁ……おかえり!」
「みんな心配してたんだよ。大丈夫だろうかって」
村人はラフィの帰りを待っていたようで、口々に彼女を心配する言葉を掛けていた。
「あれだけ止めろと言ったのに森へ入ったのか!!」
「ご、ごめんなさい! 反省してます……」
しかし唯一、彼女を叱る人物が居た。髪に白いものが混じり始めた、老練な狩人だった。
こちらにも狩人の怒りの矛先が向きそうになったが、それはラフィが全て自分に責任があると怒りを引き受けてくれた。
「この大馬鹿者ッ!!」
「ごめんなさい! ごめんなさいっ!!」
狼の姿を認め森での出来事を知った狩人は、更に怒り出して村中に響く声で彼女を叱りつけ始めてしまう。
居ても立ってもいられずルナは彼女を庇おうとしたものの、それはエリチェーンに制された。
「彼女はこうなるのを覚悟の上で依頼したんだ。ここは叱られるべきところだよ」
「でもっ」
「彼女のことを大事に思ってるからこそ、あの人もあんなに怒ってるんだ。……辛いかもしれないけど、見守ってあげよう?」
頭を撫でられるも、やはり見ていて気分のいいものではない。ルナは耳と尻尾を垂れ下げて俯き、できるだけ叱られる声が届かないように努めた。
その後もラフィはひたすら叱られていたものの、狩人が村人達になだめられ、ひとまず落ち着いたらしい。
顔を上げてみると、そこには諦めたようにため息を付いている狩人が居た。
「……もう二度とこんな危ない真似をするんじゃない。わかったな?」
「はい、約束します……」
ラフィはぽろぽろ涙を零している。
「あ……」
ルナはすぐにでも駆け寄って慰めてやりたいと思って足を踏み出そうとしたが、その必要はなかった。
「泣くな、泣くな。私も叱りすぎた、悪かった」
今まで叱り飛ばしていた狩人が、彼女を抱きしめて慰めていたのだ。
「……薬の作り方は私が知っているから、すぐにその薬草を使ってお母さんを治してやろう」
「は、はい! お願いします! ……あっ」
薬草の入ったバスケットを狩人に手渡してから、ラフィはこちらへ振り返り懐から革袋を取り出した。
彼女はその中から金貨を6枚取り出すとルドリアに手渡す。
「ありがとうございました……! 皆さんのお陰で……母も、すぐ良くなると思います」
満面の笑みを浮かべながら目尻に涙を溜めるその姿は、ルナには狩人にものすごい剣幕で叱られた名残と、心からの喜びが入り混じったものに見えた。
金貨を受け取ったルドリアがいたずらっぽく笑いながら言う。
「また立ち寄らせてもらうわ。何か困ったことがあったら、アタシ達『太陽の槍』をよろしくね?」
「はい! 皆さんのこと、決して忘れません!」
ラフィの顔がこちらにも向いてくる。
「エリチェーンさんもルナさんも、ありがとうございました! この子はわたしが大切に育てます!」
いつの間にやら、狼も足元で尻尾を振っていた。
その頭をエリチェーンがひと撫でしてから言った。
「私達もまた立ち寄らせてもらうよ。……お母さん、お大事に」
「ラフィ、また会おうね! その時は……その子のにゃまえ、教えてね!」
「はいっ! ……さ、行こう!」
ラフィは新しく増えた家族に声をかけ村を駆けていく。すぐに狼が彼女の後を追いかけ始めた。
その光景を見届けて終えて、ミルローネが大きく伸びをして言う。
「報酬は少なかったけど、いい事すると気分がいいねーやっぱり!」
屈託のない笑顔を浮かべる彼女に、ルドリアとクリフも頷いていた。
「冒した危険と釣り合ってるかと言われたら間違いなく釣り合ってないけど、ま、無事に終わったし良しとするわ」
「狼、村に馴染むといいですね」
疲れた体を引きずって、ルナ達は宿駅へと帰り着く。
「んじゃま、無事に生還したことを祝って」
その日の夕食は少し豪華にして、全員でささやかな祝杯をあげた。
美味そうに皆がエールを飲み干す中、ルナだけは"まだ早いから"と水を飲んでいるのだが。
「あー、おいしー。生きててよかったー」
「ほんとな……。エリチェーンさん達が居なかったらどうなってたことか。……っていうか、エリチェーンさんの弓の腕、ほんとすごいですよ。あの時ヤツの片目を潰したの、あれ狙ってやったんですよね?」
「ルナのおかげだよ。立ち止まってたから楽に射抜けた」
「俺にはまだあの場面で咄嗟にあんなところ射抜ける自信は無いです……。一体どうしたらそんなに上手になれるんですか?」
クリフはエリチェーンに羨望の眼差しを向けている。
向けられている本人はといえば、いつもと変わらぬ微笑みを湛えてこう答えた。
「練習。それとどんなときでも平常心を保つことかな」
その答えに、クリフは目を丸くしている。
「……えっ。それだけですか?」
「それだけだよ?」
「あの……。ルニャ、エリチェーンが練習してるところ、見たことにゃいんだけど……?」
「してるよ? 王都に居る間はできるだけ訓練所に通ってる。ルナが怪我を治してる間も通ってたよ」
「……それであの腕? ちょっと信じられないわね」
「エリチェーン、実は夜中にこっそり特訓してない? ボク達に隠れてさぁ~」
ルドリアやミルローネも、その弓の腕前には秘訣があるに違いないと食いついてくる。
ルナも同じ気持ちだったが、やはりエリチェーンはきっぱりとこう答えた。
「してないよ。しっかり寝ないと仕事ができないからね」
「……やっぱ才能って、あるんだろうなぁ」
それはクリフの自信を少々無くさせてしまったらしい。彼は額を抑えて羨ましそうに呟いた。
「元気出せよークリフー!」
そんな彼の背中をばんばん叩きながら励ますミルローネは、今度は輝く瞳をこちらに向けて言った。
「才能と言えばさ、ルナもすごかったじゃん!? 完全にボクより上の動きだったよ!?」
「そ、そうかにゃ?」
「あんな魔獣相手に真正面から立ち向かって無傷じゃん! ボクじゃまだ無理だよ! ……っていうかボク、フェルパーが戦ってるとこ初めて見たんだよね。フェルパーってみんなああして戦うの?」
「弓矢を使う子もいたけど、大体あんにゃ感じだよ。一気に距離を詰めて、急所を切り裂いてすぐにはにゃれる。それがフェルパーの戦士にゃの。ルニャはまだ、一人前じゃにゃいけど」
「あれで一人前じゃないの!? もうどこ行っても通用するレベルだと思うんだけどなぁ」
「同感ね。それに、敵を一番よく見ていたのはルナじゃない? アタシに『離れろ』って警告した時あったでしょ。あれ、アイツが何をしようとしてるのか判ったのよね? すごいと思うわよ、ホント」
「そ、そう言われると照れるにゃ~」
"太陽の槍"からの評価は上々のようだ。
エリチェーンはどうだろうかと、ルナは彼女の様子を伺ってみる。
すると彼女はすぐに気づいて、口を開いてくれた。
「正直言うと『引き付ける』って言い出した時はかなり心配だった。……杞憂に終わったけどね。まさかルナがあそこまで戦えるとは思わなかったよ。不測の事態に見舞われたけれど――」
ソーセージにフォークを刺して、彼女は口元に持ってきてくれる。そして、微笑んだ。
「いい『経験』が積めたと思う。よくやったね。大手柄だよ、ルナ」
それはルナが何より望んだもので、胸が熱くなって顔にまで伝播していくのが判る。
「やったぁ♪ あ~ん♪」
ぱくりとかぶりついたソーセージの味が一段と良くなった気がして、ルナは喜びと一緒にそれを飲み込んだ。
楽しい夕食が済んだあとは、あとはもう寝るだけだった。
これまでの道中、夕食の後にルナはエリチェーンや"太陽の槍"の3人と雑談をしたり、勉強を手伝ってもらったりしていたのだが、今日はそんな余裕はなかった。
皆疲れた顔を隠そうともせず、荷物を備え付けの長持ちに放り込んだあとはベッドに潜り込んであっという間に寝入ってしまったのだ。
疲労が溜まっていたのはルナも例外ではなかった。
久しぶりのベッドの感触にうっとりしていたかとおもえば、あっという間にまぶたは重くなり、目を開けていられなくなった。
今日起きた出来事、その最中の興奮を思い返す暇もなく、ルナは寝入ってしまう。
――その日見た夢は、戦いの夢だった。
森で見せた自分の戦いが児戯に等しく思えるほど華麗に立ち回り、恐ろしい魔獣をやっつけて、エリチェーンを始めとした仲間達に賞賛の声をかけてもらう、そんな楽しい夢をルナは見た。
「昨日の戦いを思い返すと、やっぱりまだまだ課題が多いわ。アタシもミルローネも、クリフもね」
明けて翌日、ルナ達は今度こそ帰る準備を整え、朝食を取っていた。
どんな攻撃も、どれだけの攻撃も受け止めなければならない。自分は盾としての役目を果たさなければならないとルドリアは真剣な顔をして言った。
「悔しいけどぱーって稼ぐのはまだまだ先かなぁ」
身軽さで翻弄はできたけれど、その体力が続かなかったとミルローネは浮かない顔だ。
「少しずつ身に着けていけばいいさ。慌てず行こう」
エリチェーンのように正確無比な射撃ができればと、クリフは目標ができて晴れやかな顔をしている。
森での戦いは、"太陽の槍"の3人に確かな成長をもたらしたようだった。
「(ルニャは……とりあえず、上手くできた、のかな)」
ルナの戦いぶりは、自分で考える限りは反省点はない。皆褒めてくれたし、自分でも上手くやれたと思っている。
あの森の中で蘇らせた戦士の勘を失わないように気をつけることにして、ルナはオートミールを口にしていた。
「――み、みなさんっ!」
「っ!?」
このまま穏やかに時間が流れると思った矢先、背中から知った声がかかってきたので、ルナはびっくりして尻尾を膨らませた。
「よかったぁ……。まだ出発されてなかったんですね!」
振り向けば、ラフィが立っている。
「ラ、ラフィ!? またにゃにかあったの!?」
「いえ、そうじゃなくってあの子が……あっ!? こらっ!」
ラフィの側をすり抜けて何かが駆け込んできて、ラフィは"それ"を叱りつけた。
それでも駆け込んできたもの、狼は構うことなくエリチェーンの側に近づいて、ちょこんとお座りしている。
「もう! やっぱりエリチェーンさん達のところへ行きたかったのね!」
聞けば朝早くから狼がラフィをせっつき始めて、終いにはこの宿駅まで駆け出してしまったのだという。
「ご主人様の言うことを聞かないなんて悪い子だ」
事情を聞いたエリチェーンは狼を静かに叱るが、狼は嬉しそうに舌を出して尻尾を振っている。
「やっぱりわたしじゃダメなんでしょうか……」
自信を無くしたように困った顔で呟くラフィを見て、ルドリアが言った。
「ラフィにもよく懐いてくれていたように見えたけれど……。狼って義理堅いのかしらね。怪我の手当をしたのはエリチェーンだったし」
エリチェーンは床に膝をついて、狼をしっかりと見据えて言う。
「お前を連れて行くことはできないんだよ。昨日言っただろう? お前のご主人様はあの人だ」
しかし狼は、隙あらばエリチェーンの服に鼻先をこすりつける。
この様子では宿駅を発っても着いて来かねないとルナは思った。
「せっかく名前も考えて付けたのに……」
「にゃまえ、付けたの? どんにゃにゃまえにしたの?」
ラフィはちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめて、答えてくれた。
「プリム、です。この子女の子だから。可愛い名前が良いかなって……どう、ですか?」
「すごく良いと思うにゃ!」
「うん。俺も良いと思います。……だったらなおさらこの状況は良くないな」
クリフの言うとおりだとルナは頷いた。
エリチェーンは狼、プリムに待てを命じつつ、言った。
「……プリム、か。うん、いい名前だ。ここまでしてくれたご主人様を裏切るなんて、いけないことだ、プリム」
それからラフィの方を向いて彼女は訊く。
「昨日も勝手に出たがったり、騒いだりしたの?」
「いえ……。吠えたりはしなかったですし、家の中で大人しくしてくれてました。寝るときも自分から一緒にベッドに入ってきたし……。本当に今日の朝からなんです。落ち着かない感じで……」
「それなら、なんとかなるかもしれない」
エリチェーンがこちらを向く。
「ルナ、馬車からハサミを取ってきて欲しい。あと、新しいスカーフが馬車のタンスに入ってるからそれもお願いできる?」
「えっ? いいけど……にゃにするの?」
「この子はどうもまだ、私の匂いがなければダメらしい。だから、この子に少しプレゼントを送るとするよ。多分それで落ち着くんじゃないかな?」
エリチェーンがラフィを手招き、プリムとできるだけ触れ合わせる光景を尻目に、ルナは一旦宿駅を出て、言われたとおりハサミとスカーフを持って戻る。
「持ってきたよ。これでいい?」
「ありがとう。それじゃ、取り掛かるとするかな」
エリチェーンは注目を浴びながらハサミを手に取り、自分のスカーフを外すと裁断を始めた。
「……ほら、これでどうかな?」
少し短めに切り詰めたそれをプリムの首に巻くと、彼女は満足げに微笑んでいた。
プリムはスカーフに鼻先を埋めて何度か匂いを嗅いでいたが、やがて甘える対象をラフィへと変えた。
「わ、わたしでいいの?」
移り変わりにラフィは驚いていたが、同時に嬉しそうな表情も見せる。
新しいスカーフを首に巻き付けながら、エリチェーンが言った。
「この子はきっとまだ不安なんだろう。だから私にも甘えに来た。でももう大丈夫。そのスカーフを身につけてる限り、私が側にいると安心する。それも直にラフィだけでも大丈夫になるよ。一時的なものさ」
「もう、わたしだけでも平気ね? 大丈夫、ね……?」
恐る恐る問いかけるラフィにプリムは鼻先をこすりつけると、宿の入口まで自分で歩き、それから振り向いて一声鳴いた。
早く行こう、と言わんばかりの姿だった。
「大丈夫だってさ。……へへっ。なんか子供みたいだね、あの子」
ミルローネの言葉に、皆が思わず笑ってしまう。
「もうっ。あの、ありがとうございました! 本当に良かったです……!」
「うん。プリムと仲良くね」
「はいっ! プリム、待ってよ! すぐ行く!」
ラフィがプリムと一緒に駆けていく後ろ姿を見送った後は何も起こることもなく、ルナ達は無事に王都レネリスへ帰り着く。
2週間と少しぶりの盛況がどこか懐かしい。最初はただただ圧倒されるばかりだったのに、今は居心地が良かった。
「それじゃ、送ってもらってありがとう。助かったわ」
「二人とも元気でね! ボクらうーんと頑張って、もっともっと有名になるからさ!」
「俺も貴重な経験ができました。ありがとうございました!」
“太陽の槍”とは門前市でお別れだ。彼らはここでまず宿を確保して、それから街中に入って装備を整えるのだという。
「こちらこそ。またどこかで出会った時はよろしく」
「みんにゃ元気でね! また会おうね!」
手を振って別れを告げて、ルナ達は税金を払って門を通る。
「商人ってすごいんだね、エリチェーン?」
まだ興奮が収まらなくて、ルナはエリチェーンに話しかけた。
「うん? 例えば、どんなところが?」
「色んにゃ人と出会えるところ! 村の人達でしょ、ルドリアにミルローネにクリフにラフィに、プリムって狼のお友達までできちゃった!」
フェルパーの里は、フェルパーだけで完結している。
訪れる人間はあくまで取引相手に過ぎず、友人といえば同じフェルパーだけだった。
それが、こうしてエリチェーンと一緒に商売をして回るだけで数え切れないほどの友人ができた。
ルナにとっては新鮮さと驚きに満ちた2週間の行商だったのだ。
「だから、ルニャは商人ってすごいと思うし、エリチェーンもすごいと思ったの!」
「ふふ。ありがとう。……そうだね、この仕事をやってると、色んな人と出会うよ。それはきっと、ルナにとって忘れられない経験になる」
少しだけ考えた様子を見せて、彼女は続ける。
「もちろん、私にとっても」
「うん!」
いつもの宿が見えてきた。馬車で乗り入れ、いつも食事を取っていた食堂への扉を開ける。
「あら……」
自分達の姿を認めた宿の女主人が、嬉しそうに顔を綻ばせた。そして、言った。
「おかえり、エリチェーンちゃん、ルナちゃん!」
「ただいま」
「ただいま!」
こうして、ルナの初めての行商は終わりを告げたのだった。