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第七話

 程なくして、銚子駅から歩いて十分ほどの距離にあるファミリーレストランに三人の姿が見られた。

「二人とも腹が減ったろう? わたしのおごりだ。何でも遠慮無く頼んでくれ。」

 いまだ腑に落ちないという面持ちの七尾一朗は、それでも空腹である事には同意した。もっともストレスのせいか胃の具合が良いとは言えない様子を示し、結局は少量のクラブサンドイッチと紅茶だけを頼んだ。憔悴した様子で隣に座っている小出貴美恵は、何も食べる気がしないと言ってドリンクバーだけを注文した。

「それにしても、随分と待遇が良くなりましたね。一体何が目的なんですか?」

 遠慮の無い七尾一朗の問いかけに対し、見荻野は眉ひとつ動かさずに返答した。

「まず、君が不満を感じているであろう件だが、今時の警察の取調べなど大体あんなものだよ。まして今回の事件の特異性とマスコミの注目度に警察側はかなり神経質になっている。一刻も早く犯人を挙げて真相を究明したいというのが正直な処だからね…もっともそれとは別に、あの刑事の凡庸さはわたしもいささか閉口したが。」

「………」

「わたしがあの署に到着した時、上では君たちを証拠不十分で釈放すべきという見解でまとまりかけていたんだが、あの刑事はもう少し粘れば自分で白状させられると言って時間延ばしをしていたそうだ。無能ゆえに功績にこだわる、非常に分かり易いタイプだが、それゆえ君達をすぐに釈放するための『呪文』も簡単に思いついた。」

「呪文?」

「君が新進気鋭の小説家で、出版社から目をかけられている。そしてその出版社の社長が元警察のキャリア…つまりエリート階級からの天下りだと耳打ちしてやったのさ。評価と昇進しか念頭に無い様な俗物が、そんな『権威』と事を構える訳がない。結果はご覧の通りだ。」

「なるほどね。からくりは理解しました。しかしそんな嘘がばれたら、後で問題になりませんか?」

「あの雑誌を出してる出版社の社長がキャリア出身というのは本当だよ。その前の句はともかくとして。」

「…それで俺は貴方に涙を流して感謝すべきですか? それとも交換条件は何だと質問すべきですか?」

 見荻野は僅かに苦笑した様な表情をうかべながら、目の前に運ばれて来ていたコーヒーに一包のダイエット甘味料を入れ、スプーンでかき回した。

「君には今のところ二つの進路が用意されている。『加害者』と『被害者』だ。前者は先ほどの刑事が説明したと思うが、発見に至る経過が君の説明通りなら、君は真犯人の罠にかかった哀れな被害者という見方が成立する。君にわざわざ列車の切符やホテルのクーポンを渡し、推理作家としてのプライドをくすぐる様なケレン味たっぷりの謎を用意し、結果的に濡れ衣をきせるように仕向けたという事だ。」

「…その通りですね。」

「ただ、今のところ君たちの事は単なる死体発見者としか発表していない。名前も住所も伏せている。だが今後の捜査の進展次第ではどうなるか分からない…そこで、君にも捜査に協力して貰いたいと思っているんだ。君が被害者であるとしても、大学の部室に置かれた品物や手紙の文面からして、全く無関係とは思えないからね。だから君が知っている限りの事を教えて欲しい訳だ。君だって本当に潔白ならそれを証明したいだろ?」

「おっしゃりたい事は分かりますが…」

 七尾一朗は隣に座っている小出貴美恵に視線を投げかけた。

「今日のところは勘弁してもらえませんか? 二人とも疲れてますし、これ以上遅くなると帰りの列車も無くなりますから。」

「なんなら都内まで車で送ろうか? パトカーか護送車ならすぐに用意出来るが。」

「…謹んでご遠慮申し上げます。」

「冗談だよ。では今日のところは四つだけ質問に答えてくれ。そうすれば帰りの切符代は特急券も含めて捜査協力費として進呈しよう。」

「それは有難いですね。で、質問というのは?」

「まずあの被害者の件だが、実はもう正体が判明している。緋賀利康という都内在住の男性だ。」

「随分とまた早くわかりましたね。まだ半日しか経ってないのに。」

「警察の優秀さの賜物だよ…と言いたいところだが、実はあのクーラーボックスの中に、被害者の名前と住所が印字された紙が同封されていた。君に届いた手紙と同じ紙と印字でね。」

 ポケットから取り出したメモ帳を見ながら、見荻野は説明を続けた。

「緋賀利康、二十八歳、都内のマンションに一人暮らし。何か心当たりは?」

「いえ、全く知らない人物です。職業は何ですか?」

「無職だ。ただし三年前までは、都内の田那架倉庫という会社に務めていた。勤務態度は真面目な方だったらしいが、ある日突然辞めてしまったそうだ。その後どこかに正規に務めたという形跡は無い。」

「田那架倉庫…初耳ですね。少なくとも知り合いに務めている者はいません。」

「そうか。では次に、君にこういう罠をかけそうな者に心当たりは?」

「いいえ。そもそも今まで一度もこんな事は起こりませんでしたから。」

「部室には鍵が掛かっていたそうだが、普段鍵を持っているのは?」

「ここにいる部長の小出君と、後は学生課で保管されているスペアだけです。」

 見荻野の視線が、一瞬だけ小出貴美恵に向いた。

「ですが、小出君が部長に就任して鍵を管理するようになったのは一週間前の事で、その前の一年間は元部長の俺が持っていました。鍵の管理は歴代の部長が引き継いでいきますし、誰かが以前に合鍵を作ったという可能性もあります。第一あの鍵は普通のシリンダー錠ですからピッキングで簡単に…」

「分かったよ。そうムキにならなくてもいいから。」

 微かにせせら笑うような口調でそう返答された七尾一朗の口もとが僅かに歪んだ。

「では最後の質問だが、『銚子』という場所で何か思い当たる事は?」

「…いえ、何も。来たのは生まれて初めてです。」

 この時、小出貴美恵の表情が僅かに変化したが、見荻野は気がつかなかった。

「そうか。実は今回の事件は『銚子』がキーワードになりそうなので、心に留めておいて欲しいんだ。死体の発見現場というだけではなさそうなのでね。」

「といいますと?」

「被害者の緋賀利康だが…実は高校を卒業して東京で就職するまで銚子に住んでいた事が分かったんだ。どんな暮らしぶりかまでは調べがついていないけど、偶然にしては出来すぎている。」

「なるほど…わかりました。覚えておきます。」

「まあ、いずれにせよこれだけ大量に物的証拠が残っているんだ。手紙、列車とホテルのクーポン券、ビーコンのシステム、クーラーボックス…おそらくはそれほど時間もかからず真犯人にたどり着けるだろう。君の証言の真偽が判明するのも、遠い未来ではなさそうだ。」

「………」

「またいずれ話を聞かせてもらうと思うが、その時は協力をお願いする。では、今日はお疲れ様。」

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