第十九話
窓に写る光の具合が、それまでと異なるゆらぎを見せたのは、汐見亜矢が逃走してかなり経ってからの事だった。あきらかに外で人が動いている事がみて取れ、やがてドアの向こうに誰かが立った様子が感じられた。
(来た…これで終わりか。)
七尾一朗も小出貴美恵も、次に出現する豪炎のシーンを想像して全身を硬直させた…だが、ドアは開かなかった。二人が首をかしげながらも推移を見守っていると、今度は窓ガラスに懐中電灯の光が当てられ始めた。やがてガラスをコッ、コッ、コッ…と叩く音がしたかと思った次の瞬間、ガシャッ、という鈍い音と供にガラスの一部が打ち砕かれ、不規則な形状の穴が穿たれた。その穴から懐中電灯の明かりが室内に投げかけられ、縛り上げられた二人の姿を照らし出した。
「七尾一朗君と小出貴美恵さんだな?」
それが昼間にも耳にした私服警察官の声である事に気づいた二人は、自分達でも驚くほどの勢いで塞がれた口から何とか声を出そうとうめき、さらに首を振って危険である事を伝えようとした。
「やっぱり何か仕掛けがしてあるのか?」
「んん、んん」
二人は可能な限り大きく頷いた。
「そうか。ドアから入らなくて正解だったよ。窓を大きく壊して入っても大丈夫か?」
二人は再び大きく首肯した。
「一枝、本庁に連絡して爆発物処理のチームを呼んでくれ。それとここでドアを見張っていてくれ。くれぐれも開ける事が無い様にな。」
隣に立っていた部下にそう言いながら、見荻野は手に持った車両点検キットのスパナで窓ガラスの穴を広げていった。やがて人が通れる程の大きさにまで広げると、見荻野は懐中電灯で足元を照らしながら二人に近づき、口を塞いでいたタオルと布テープを外した。
「…助かりました。」
「いや、無事で何よりだ。それで、君たちを拉致監禁したのは誰なんだ?」
二人の顔に僅かな陰りが差した。
「…汐見亜矢です。」
見荻野もまた複雑そうな面持ちで小さく首肯し、表で待機していた一枝に汐見亜矢の指名手配を要請する様に告げた後、二人の拘束を解き始めた。
「それにしても、罠があるとよく気がつきましたね。」
「いや、それほど難しくは無かったよ。相手がやたらに作戦好きなのは分かっていたからね。その上で、こんなメモを残して君たちを探させるようにしむけているから、何かあるなとは思っていた。」
土山の服から発見された五人の名前が列記されているメモをかざしながら、見荻野はそう説明した。
「君たちの携帯の微弱電波がこの空き家から出ている事はおおよそ見当がついたが、外から様子をうかがっても誰かがいる気配は無い。とすれば君たちが逃げない様に拘束されているとも考えられる。それなのにドアの隙間から覗いたら鍵がかかっている様子が無い。誰かを監禁するのなら鍵ぐらい閉める筈なのに、一体何故だろう…まあ確信があった訳じゃ無いが、こういう場合は相手の用意してくれた道を避けて通る方が生き残れる確率が高いからね。」
七尾一朗と小出貴美恵がようやく拘束から逃れられた頃に、爆発物処理班が到着した。
翌朝、左菜海…既に旧姓の小野に戻る事が決まってはいたが…怜奈の病室に担当医と多田倉が揃って顔を出した。担当医は左菜海怜奈に、もう退院しても差し支えない事を告げ、後は警察に任せると言って多田倉に行動をうながした。
「ご迷惑をおかけします。もし、多田倉さんがおっしゃる様な情状酌量が認められなくても、わたしは自分の罪を悔い、司法の判断に従おうと思います。」
相変わらずの美しい面立ちに余裕さえ感じられる笑みを浮かべながらそう述べた左菜海怜奈に対し、多田倉は逮捕状をかざしながら、つとめて感情を抑えた表情と声でこう返答した。
「左菜海怜奈。左菜海蓮司並びに緋賀利康の殺人、及び甲田麻砂鬼の殺人幇助容疑で逮捕する。それと汐見亜矢との関係についても事情を聞かせてもらうぞ。」
「………」
左菜海怜奈は何ら表情を崩さず、僅かな時間の後に小さく頷き、多田倉に連行されて行った。汐見亜矢が都内のビルから飛び降りたのは、その数日後の事だった。