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第一話

 北南大学のキャンパスは、都心から私鉄東洋線の特別快速で約一時間ほどの郊外に位置している。

 元々は教養学部…つまり一/二年生の為の施設であり、三/四年生と短大生は都心のキャンパスを使っていたが、少子化のあおりで北南大学も学生の数が次第に減り、数年前に全学生が郊外のキャンパスを使用する事になった。交通の便の悪さを不満に思う学生は多かったが、学舎のデザインや居住性はそれほど不評ではなかった…ややセレブ趣味とは言われていたが。

 その学舎の一角に、クラブ活動のための部室が整然と並んでいる区画があり、時間によっては講義以上に頻繁に学生達が出入りしていた。ただしその日は前期試験の最終日であり、国文学部三年生でつい先週からミステリー研究部の部長を務める事になった小出貴美恵が、最終課目である『近代文学史』を終えて部室の前まで来た時、その区画には人影はほとんど無かった。

 管理していた鍵でドアを開けて部室に入った小出貴美恵は、部屋の中央のテープルに無造作に置かれた紙袋に目をとめた。

「あれ、何だろう?」

 何のへんてつも無い手提げ式の白い紙袋に近づきながら、小出貴美恵は首をかしげた。

「誰かの忘れ物かな…でも、昨日最後に部室を出る時には無かったよね…」

「どうかしたのか?」

 不意に背後から声をかけられた小出貴美恵は、それまでより明確に華やいだ表情を浮かべながら、声の主がいる方向に振り向いた。

「あ、部長、おはようございます。」

 小出貴美恵が部長と呼びかけた相手は、七尾一朗という、同じ国文学部の四年生だった。

「部長は君だろう?」

「あ、そうでした。ついクセで…」

「まあ引継ぎをしてからまだ一週間しか経ってないし、仕方が無いとは思うけど。」

「ところで、七尾さんも今日は試験だったんですか?」

「ああ、午後に一科目だけ。午前中は内定の出ている印刷会社に行ってたんだ。」

「就職するんですか? 小説家としてデビューしてるのに…」

「短編が何本か雑誌に載った程度で喰っていける訳ないって。まあ、もちろん今後も創作は続けるけど、当分は会社務めをしながら、色々書き溜めていくつもりなんだ。」

「んー、やっぱり現実は厳しいんですね。でも生活の安定は確かに必要だと思います。そうでなけりゃ結婚も出来ないですし。そもそも女の子と付き合うのだって、ある程度の経済力は…いえ、恋愛と金銭を同じ次元で語るのは不適切かも知れませんけど、長いスパンでしっかりとした関係を築くのに、生活設計をないがしろにする事は出来ないでしょうから…」

「ところで、さっきはなぜ首をかしげてた訳?」

「え…あ、ああ、実はあんなものが…」

 小出貴美恵が指差した先にある紙袋を見た七尾一朗は、小出貴美恵と同じ様に不審の面持ちを浮かべながら紙袋に近づき、警戒した様子で上の口から中を覗き込んだ。

「誰のものか分からないのか。中を見て構わないかな?」

「そうですね、封がしてある訳じゃありませんし。」

 七尾は紙袋の口を広げて中身を取り出した。角型六号というやや大きめの封筒を使った一通の封書と、一辺が十五センチ程の箱がひとつ入っていた。封書に書かれた宛名を読んだ七尾の顔に、不審の表情が浮かんだ。

「北南大学ミステリー研究部元部長・七尾一朗様…」

「なんだ、七尾さん宛てですか。」

「うん、そうらしいけど…でも誰が置いたんだ? 昨夜、君が部屋を出て戸締りをした時、ここには無かった訳だろう?」

 小出貴美恵に浮かんた不審な面持ちもまた、七尾一朗のそれと同質のものだった。

「昨日の夜から、さっきあたしが部屋の鍵を開けるまでの間に、誰かが部屋に入ってこれを置いた…という事ですよね。」

 手に持っていたままの鍵をみつめながら、小出貴美恵は気味が悪そうにつぶやいた。

「開けても構わないだろうな?」

「ええまあ、明確に七尾さん宛てですから…でも気をつけて下さいね。」

 その言葉とは裏腹に、小出貴美恵の表情は『さっさと開けろ』と言わんばかりの好奇心に満ちていた。微かに笑みを浮かべながら無言で首肯した七尾一朗は、部屋の片隅に置かれた事務机の引き出しからハサミを出して、中身を切らない様に慎重に封書の上端を切り取った。

「何だ、これ?」

 テーブルに広げられた中身を見ながら、二人はまた首をかしげた。印字されたPPC用紙が二枚、それに加えて何かのクーポン券が入っていた。七尾一朗は印字されたPPC用紙を手に取り、その文章を読み上げた。

「えーと…北南大学ミステリー研究部・七尾一郎様。貴兄の作品をいつも拝読させて頂いている一ファンです。先ごろ掲載された『クリムゾンの目覚め』も、とても良い出来でした。ただ、序盤の伏線に少し無理があると感じましたが…」

 脇で聞いていた小出貴美恵が、少し眉をひそめた。

「さて、貴兄がこの度、ミステリー研究部部長を引退なさると聞き、是非ともプレゼントを贈らせて頂きたく、この手紙を差し上げた次第です。しかしながら、ただお渡しするのでは面白くありません。そこで、ひとつゲームをやってみませんか。この手紙に同封したいくつかのヒントを解き、プレゼントがある場所を突き止めて頂きたいのです。もちろん、お受け頂くかどうかは貴兄次第です。貴兄には推理作家としてのプライドと好奇心がある、というわたしの考えが間違っていない事を祈ります。一ファンより…」

「また随分と『上から目線』の文面ですね。とてもファンレターとは思えませんけど。」

「確かに、どちらかといえば『挑戦状』だが…で、ヒントというのはこれか。」

 七尾一朗は二枚目の紙に視線を走らせた。

「プレゼントは、ここでお受け取り下さい。犬吠駅は一時。君ヶ浜駅は五時。灯台は十時…何故三箇所も書いてあるんだ? それにこの駅名は…」

「あ、最初の二つは銚子電鉄の駅です。そこから考えると、灯台というのは銚子電鉄沿線にある犬吠埼灯台の事じゃないかと思いますけど。」

「…銚子?」

 七尾一朗が発した短い返答には、疑問とは別の微粒子が混入されていた。

「何か思い当たる事でも?」

「いや、そうじゃ無いんだけど…それにしても、よく知ってるね。」

「あ、ご存知ありませんか? ここしばらく、インターネットの掲示板やマスコミで話題になってるんです。経営不振に陥った銚子電鉄が、ホームページに『濡れ煎餅を買ってください。電車修理代を稼がなくちゃいけないんです』と載せたんですよ。濡れ煎餅というのは銚子電鉄の副業だそうですけど…そうしたらそれが大評判になって、今では通信販売も滞る程売れまくってるそうです。」

「なるほどね…」

 小出貴美恵の説明を半ば受け流しながら、七尾一朗はクーポン券を手に取り、印字された内容に視線を走らせた。

「これは、切符みたいだな。」

「そうですね。JRの乗車券と特急券…それとこっちは宿泊クーポンですね。七尾さんの名前で申し込まれています。」

 横から覗き込んだ小出貴美恵が、さらに詳細な情報を口にした。

「東京都二十三区内と銚子間の往復切符、特急『しおさい』の指定席券…往路が明日で復路が明後日です。それと銚子市内のホテルの、明日チェックインの宿泊クーポン。それぞれ六人分が、料金支払済みで予約されてます。」

「六人分…ミステリー研究部全員分という事か? また随分と大盤振る舞いだな。」

「そうですね。このホテルならどう見積もっても一人一泊一万円は下らないでしょうし…」

「ところで、これは何だろう?」

 最後に残った箱から七尾一朗が取り出した中身を目にして、小出貴美恵は再び好奇心に満ちた表情を浮かべた。やや粗雑な作りの、手のひらに乗る位の大きさの機械だった。表面には、現在は点いていない幾つかのLEDがはめ込まれ、その他にもスイッチらしい幾つかの突起が存在した。

「小型のラジオみたいな雰囲気だけど、具体的に何なのかはよく分からないな。どうみても自作っぽいし…」

「七尾さん、機械の裏に何か書いてありますよ」

 小出貴美恵に指摘された七尾一朗は、手に持っていた機械を裏返した。数センチ四方の紙が貼り付けられており、短いメモが印字されていた。

「えーと…ビーコン受信機。有効範囲は発信源から半径五十メートル以内。」

「ビーコンって…えーと、つまり…『プレゼント』の在り処に近づいたら、これが誘導用の電波を受信して教えてくれるという事でしょうか。なんか、異様に手が込んでますね。」

「………」

「どうするんですか? 中身からして相手が冗談でやってるとは思えませんけど、それはそれで何か気味が悪いという感じもしますし…」

「そう言ってる割には、随分と乗り気な様子だな。」

「そ、それはまあ、旅行は大好きですし、さっき言った銚子電鉄の事もあって、銚子には一度行ってみたいな、とは思ってたんですよ。観光地として凄く良い所だそうですし、明日と明後日はあたしは何も予定がありませんし、それに…」

「それに?」

「それに、七尾さんや、部のみんなと旅行が出来るのは、やっぱり嬉しいです。」

「うん…まあ確かにそうだな。秋になれば、俺が部に顔を出す機会も殆ど無くなるし。」

「……そうですよね。」

 小出貴美恵の表情に一瞬だけ陰りが浮かんだが、手紙を読み直している七尾一朗はそれには気がつかなかった。

「いずれにしても、こんな風に挑戦されて逃げるのは嫌だからな。俺も、明日と明後日は特に予定は無いから行く事にする。後は今日みんなが集まった時点で予定を聞いてみよう。」

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