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第十八話

 針金入りの大きなガラスには、室内から見ると裏返しの状態で『テナント募集』と書かれた紙が貼られていた。事務所や店舗にしては幾分小さな二十畳ほどの部屋には、今現在三人の人間が入り込んでいたが、隣接した幹線道路の騒音とヘッドライトによる光の乱舞は、本来の照明が点いていない室内に誰かがいる様子を打ち消してしまっていた。

「セッティング完了。これであたしがあのドアから出るとシステムが起動する。そして次に誰かがドアを開けた時、引火用のスイッチが起動して電流が走り、この容器に入ったガソリンに火花が散る。さぞ盛大に燃える事でしょうね。」

 部屋の中央に置かれたポリエチレン容器に取り付けられた発火装置のボタンを押しながら、その女は薄笑いを浮かべた。ポリエチレン容器から延びた一本のコードが、玄関のドアに取り付けられたスイッチに接続されていた。その細工を指差しながら、女は得意げにその仕掛けを説明した。

「これがあなた達の携帯の電源を消さない理由。微弱電波が、あの目障りな警察を釣る餌に使えるからよ。この仕掛けによって彼らがあなた達の命を奪い、同時に彼ら自身の命も奪うという訳。大したものでしょう。この機械も、貴方に渡したビーコンも、そして貴方達をここに連れてくる時に使ったスタンガンの改良も、全部あたしが手がけたのよ。元々は左菜海の家に盗聴器や監視カメラをセットするために学んだ技術だけど、思ったよりも役に立ったわ。」

「亜矢、もうやめろ。これ以上罪を重ねてどうするんだ。」

 既に拘束されてはいたが、まだ口までは塞がれていなかった七尾一朗は、務めて冷静な口調で相手の行為を制する言葉を発した。だが汐見亜矢は、やめるどころか七尾一朗の言葉に傷ついた様子を表した。

「気やすく呼ぶなと言った筈よ。まだあたしが自分の女だとでも思ってるの?」

 肉食獣の咆哮の様な声で怒鳴りちらした汐見亜矢の目に、さらに猟奇を思わせる色が浮かんだ。

「なんだったら、今すぐ殺す事だって出来るのよ。でも、あなたから受けた裏切りの傷は、土山みたいにスタンガンの一撃で殺して癒せるほど浅くは無い。悩み、傷つき、恥をかき、そして生きながら焼かれて、苦しんだあげく死んで貰わなければね。だからこそ、あんな危ない橋を渡ってまであなたを銚子までおびき寄せたのよ。今さら楽に死なせはしないわ。」

「………」

「それに、犯罪は警察が認めて初めて犯罪になる。認めなければ犯罪も犯罪者も存在しない。かつてあたしの父親を殺しながら罪に問われなかった左菜海蓮司たちの様にね。」

 冷酷さと残忍さに彩られたその瞳に、怒りと嘲笑の色が混入した。

「ただし、もうこれで終わり。緋賀も左菜海も甲田も土山も死んだ。後は貴方達を片付けてから、怜奈と新しい生活を始めるわ。」

「怜奈…左菜海怜奈の事か。昼間、見荻野さんが言っていた…」

「夫が死んだから旧姓の小野に戻る事になるけど、その通りよ。彼女はあたしの大事なパートナー。」

「一体どういう事だ?」

「そうね。最後だし、教えてあげるわ。あたしがあなたの前から消えた後、何をしてきたか…」

 汐見亜矢は腕を組み、能面のような表情で語り始めた。七尾一朗も小出貴美恵も、その声を耳にした瞬間、何か不快なものに接した様に眉をひそめた。

「父親の遺産を全部売却して金に換えたあたしの進む道は、その金を使って復讐する事だけだった。ただ、左菜海の事だけは分かっていたけど、他の二人が誰なのか分からない。一人だけを殺してもあたしの気はおさまらないから、まず左菜海を徹底的にマークし、何とか他の二人の正体を突き止めようと考えた。自分でも調べたし探偵会社にも随分調査費用を使ったわ。でもさすがに身を潜めているだけあって、これという特定は出来ずにいた…そんなある日、左菜海がある女性と付き合いだした。」

「それが小野怜奈か。」

「そう…もっとも付き合い出したと言っても、事の始めから彼らを観察していたあたしには、その本当の関係が克明に見て取れたわ。」

「本当の関係?」

「怜奈が左菜海と付き合ったのは、怜奈の本意では無いのよ…もっと分かり易く言えば、最初の時『合意』ではなかったの。」

「!」

「あなた達は見た事が無いでしょうけど、怜奈の美しさは女のあたしが見ても惚れ惚れする程のものなの。金が欲しければ盗んでも手に入れる様な左菜海にとって、怜奈はどんな手段を使っても手に入れたい存在だった。そしてそれをネタに左菜海は怜奈に度々関係を迫り、とうとう結婚にこぎつけたという訳よ。」

「ひどい…」

 それまで黙って聞いていた小出貴美恵が、憤激の声をあげた。

「ふうん、なかなか話が分かる娘ね。そう思うでしょ。まあ男なんてみんな…」

「違う!」

「え?」

「それを傍で見ていながら、あなたは助けようともしなかった。同じ女なら、それがどれほどつらくて苦しい事か分かる筈でしょ。それなのに…あなたが他人を非難する資格の無い人間だという事が、よく分かったわ。」

 僅かな時間、沈黙が部屋を支配した後、不意にけたたましい笑い声が発せられた。

「言ってくれるじゃない。さすが世の中の闇を覗いた経験の無いお嬢ちゃんだけの事はあるわね。」

「……く」

「話は戻るけど、とにかくこれは利用出来ると思い、あたしは近所の住人のひとりとして彼女に接近した。不本意な結婚で落ち込んでいた怜奈を手なずける事など簡単だったわ。やがてあたしは彼女から結婚生活の真相を聞かされ…本当は知っていたけど、知らなかったふりをして彼女に同情するそぶりをみせ、彼女の信頼を得た。怜奈が左菜海にこれ以上無い怒りと憎しみを持つ様に煽ってあげると、やがて怜奈は左菜海を殺したいと考える様になった。こうして彼女を協力者に仕立て上げる事が出来たのよ。」

 得意そうな口調で語り続ける汐見亜矢に対し、二人は苦虫を噛み潰した様な表情しか出来なかった。

「機会を伺っている内に、左菜海が事業に成功し、それにつられて遂に緋賀と甲田が左菜海の家に現れた。二人の素性と生活状況を調べあげたあたしは、その状況を利用する計画を思いついたのよ。」

「計画?」

「まず怜奈に緋賀を誘惑させた。夫が構ってくれずに身をもてあました女、というありがちなシチュエーションでね。まあ、ありがちでも何でも、あの怜奈に迫られて断る男なんていないわよ。案の定、緋賀は怜奈に夢中になってしまった。そして左菜海の留守を狙って家に誘い込み、油断したところを二人がかりで捕まえ、真相を吐かせたという訳。三人があたしの父の金と命を奪った経緯の全ては、この時に知ったのよ…まあ大体は予想通りだったけど、それでも緋賀を絞め殺す手に、より大きな力が入ったのは、その話が原因だった。緋賀を殺した後、打ち合わせ通りあたしは左菜海の家から退去した。家に帰って来た左菜海には、襲われそうになったので夢中で絞め殺したと怜奈に嘘をつかせたわ。同類の左菜海は無条件で信じたそうよ。」

「………」

「左菜海が警察に通報せずに、緋賀の死体を処分してすべてを隠そうとしたのも予想通りだった。『お前は何も心配しなくていい、俺が全て引き受けてやる。俺が全力を挙げてお前を護ってやる。』なんて言ったものだから、怜奈は笑いをこらえるのが大変だったそうよ。でもまあ、これなら自分がやった訳でもない緋賀殺しの隠蔽のために甲田を殺すだろう…と思って計画を推し進めたんだけどね。まったく男ってのはどいつもこいつも…」

 せせら笑いの後、汐見亜矢は腕を組みなおしながら話を続けた。

「死体が奥多摩に埋められた後、場所の連絡を受けたあたしはそこで死体を掘り返し、首を斬りおとしてからあらためて胴体を埋め、その首をクーラーボックスに入れて銚子まで運び、貴方に手紙とビーコンを渡して見つけさせたという訳。」

「俺が見つけられなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「そんな筈ないでしょ。こういう謎解きはあなたが最も得意とする分野だったもの。まあ、万一ダメだった場合はあたし自身が警察に通報するつもりだったけど、結果的には見事に劇的な演出を施してくれた。さすが期待されてる推理作家の先生だけの事はあるわね。」

「………」

「あのニュースを見たあいつらはさぞ驚いたでしょうよ。あらかじめ手紙を受け取っていた左菜海はもちろんの事、強盗の仲間である緋賀の首が突然自分達の故郷で見つかったなんていうニュースに接した甲田も同じ。嫌でも耳目に入ってくる大騒動の様子に震え上がった筈。頃合いを見計らって、あたしは甲田に電話でこう伝えたの。自分は全ての事情を知っている人間だ。左菜海が過去の清算の為に緋賀と貴方を殺そうとしている。このニュースも貴方の動揺を誘い、家に招きいれて殺そうとする計画の一環だ。助かる方法はただひとつ、貴方が先に左菜海を殺す事だけだ、とね…」

「そうやって殺し合わせたのか。」

「ええそうよ。もっとも後で怜奈に聞いたんだけど、争いが終わった後も左菜海の方は死ななかったから、怜奈自身がとどめをさしたらしいわ。それまでの恨みを込めて、思い切り刺し殺してやった…と大喜びしていたわね。」

「………」

「やがて警察が来て怜奈を保護した。用意していたシナリオ通りに証言したはずだから、仮に実刑になったとしても服役期間はたかが知れてるし、さらにその証言が報道されれば『汐見和宏は自殺した』という警察の発表が捏造だったと世間に知らしめる事が出来る。一方あたしは、この一連の事件の原因となった土山とあたしを裏切ったあなたを『整理』して、全てを『清算』する事になるわ。」

 そこまで話し終えた汐見亜矢は、タオルと布テープを用意しながら、もう一度二人に向き直った。

「さて、これからあなた達の口を塞ぐ事になるけど、最後に何か言い残す事はある?」

「…ではひとつだけ。小出貴美恵だけは助けてやってくれないか?」

 その発言を耳にした二人の女性が、それぞれ別の感慨を顔に表した。

「俺はともかく、彼女は何の関係も無いはずだ。ここで死ななければならない理由はどこにも無い。」

「冗談でしょ。今のあたしの話を聞いたのだから、それだけで十分理由になるわ。」

「七尾さん、もう結構です。」

 いつもはアニメ声と評される小出貴美恵にしては珍しく落ち着きはらった声が、他の二人に軽い驚愕をもたらした。

「こんな下種に頭を下げてまで生きていたいとは思いません。まして七尾さんが死んであたしだけ生き残るつもりもありません。」

「下種とはよく言ったわね。あんたが一緒に死のうとしているその男が、あの頃のあたしにどれほど下種な言葉を投げつけたか知りもしないで。」

「聞かなくても分かるわ。今あたしの頭に浮かんでいるあなたへの評価が、そのまま転用出来るはずだから。」

「偉そうに言わないで。あんたにあたしの何が分かるっていうのよ。あんたに、この男の何が分かるっていうのよ!」

「分かるわ。今のあたしは、あの頃のあなたよりずっと七尾さんを理解している。今のあたしは、あの頃のあなたよりずっと七尾さんを愛している!」

 一台の大型トラックが隣接した幹線道路を通過するだけの時間、室内が凍りついた。やがて汐見亜矢が苦笑しながらかぶりをふり、口を開いた。

「これ以上不毛な会話を続ける必要は無いわね。どちらもせいぜい苦しみながら仲良く焼け死んでちょうだい。そんなに愛してるのなら本望でしょう。」

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