第十六話
その夜の合同捜査会議では、七尾一朗と左菜海怜奈の証言、及びそれに関連した事項が主な議題となった。出席していた本部長は、汐見ホールディングスの政治献金に対する点が挙げられた時に微かに眉間にしわを寄せたが、それ以外はおおむね表情を変えず、多田倉や鑑識係の報告に耳を傾けていた。
「まず、左菜海怜奈の証言に基づいて捜索した奥多摩の山中で、ついさきほど首の無い死体が発見されたと報告がありました。DNA鑑定はこれからですが、外見上は首と同じく成人男子の様です。次に、左菜海邸の書斎で発見された『手紙』は、用紙も印字の状態も、七尾一朗に宛てられたものと一致しました。文面はこうです…あなたが緋賀を殺した証拠を握っている。暴露されたくなければ、甲田麻砂鬼を殺せ。そうすればあなたは見逃してやろう。信じるか信じないかはあなたの自由だが、これが嘘や冗談で無い証拠は、明日からでもテレビや新聞で嫌という程流れるから、楽しみに待っていろ…」
「左菜海が甲田を殺そうとした理由はそれか。とすると、甲田も似た様な理由で左菜海を殺しに来たのかも知れないな。甲田には手紙は届いていないのか?」
「家の中をくまなく捜索しましたが、発見は出来ませんでした。」
「手紙の主に関しては何かつかめたか?」
「残念ながら、まだ何も。ただ、左菜海宛ての手紙には、七尾のものは検出されていません。一方、七尾が受け取った手紙や紙袋を再鑑定しましたが、左菜海のものは見つかりませんでした。」
多田倉の報告に続いて、見荻野がここまでの捜査結果を総括した。
「これまでの捜査結果から、この一連の事件は全て汐見ホールディングスの社長の死が発端になっていると考えられます。七尾や左菜海怜奈の証言から、自殺と断定された汐見社長の死が、実は左菜海達三人が起こした強盗殺人によるものであると分かっており、その三人が次々と死んでいるんです。もはや無視出来る状況では無いと考えます。」
「だがどちらも又聞きだな。物的証拠に基づいている訳では無い。それに当事者が全員死んでしまった今となっては、汐見ホールディングスの件も再捜査は難しい。社長の自宅も既に他者の手に渡っているのだから、現場検証をやりなおしても何も出ないだろう。」
本部長の見解を聞いた見荻野が、机の下で拳を握り締めた。
「それよりも、今は手紙を書いた人物の特定と逮捕を優先するべきだ。直ちに捜査方針の見直しにかかれ。では、解散。」
会議が終了した後、見荻野と多田倉はロビーのソファーに座り、僅かな時間ながら休憩をとる事となった。
「戦わなければならない相手が内部にもいるというのは厄介ですね。」
自動販売機で買った缶コーヒーを見つめながら、苦笑の面持ちで多田倉がそうつぶやいたが、見荻野はそれには明確に返答せず、小さくかぶりをふっただけだった。
「いずれにせよ、捜査方針を根本から見直す必要は確かにありそうだ。このままでは手紙の主の身柄拘束など全くおぼつかない。少しでも手がかりを探さないとな。」
「具体的にはどうするんですか?」
「まず、汐見亜矢を探し出して事情聴取を行う。さっきも言った通り、この状況ではどう考えても無関係とは思えないからな。明日、もう一度北南大学のあの三人に会ってみる。ある程度の事情を打ち明け、汐見亜矢が立ち回りそうな場所をひとつでも多く教えてもらうつもりだ。それとあの三人以外に汐見亜矢と交遊があった者が見つかれば…」
「高校時代の友人とか?」
「それもあるな…そういえば七尾は高校時代から汐見亜矢と交際していたそうだから、汐見の高校時代の友人関係も知っている筈だ。今のうちに連絡して用意しておいて貰うか…」
携帯電話を取り出した見荻野は、メモリーの『な』行から『七尾一朗』を検索しコールを開始した。
「…ん?」
見荻野の顔に不審の色が浮かんだ。
「どうかしましたか?」
「いや、呼び出しはしているんだが、出ないんだ。」
「今すぐ連絡がつかなくて良い用件なら、メールしておけば後で読むんじゃありませんか?」
「昼間の修羅場の一件もあるしな。出来れば様子を聞いておきたい。」
「修羅場?」
「いや、気にしなくていい…やっぱりダメだな。小出貴美恵の方にかけてみるか…」
しばしの沈黙の後、見荻野は再びかぶりをふった。
「こっちも出ないな。二人して呼び出しに気が付かない様な状態なのか?」
「そうかも知れませんよ。今回の事で七尾一朗が落ち込んでいて、小出貴美恵が『元気だしてよ、あたしが慰めてア・ゲ・ル』なんて言って、そのままベッドイン!」
「…楽しそうだな、多田倉。何か最近いい事でもあったのか?」
「い、いえ…そういう訳ではありませんが…」
見荻野に指摘された多田倉は、今日事情聴取を行った相手の顔を思い浮かべながらも、言葉と身振りで慌てて打ち消した。
「…ん?」
見荻野の手にあった携帯電話が鳴り始めたのはその時だった。部下の一人である一枝からの着信である事を表示窓が知らせていた。
「もしもし…土山さんが死んだ?」
見荻野がつぶやいた言葉に、多田倉も瞬時にその重要性を理解した。
「土山元警部補が?」
思わず問いかけた多田倉に手のひらを向けて制した見荻野は、電話から聞こえてくる報告に何度か相槌をうち、愕然とした表情で電話を切った。
「近所の人が、庭先で倒れている土山さんを発見した。」
「死因は何ですか?」
「まだ分からないらしい。とにかくすぐに行ってみる。後は頼んだぞ。」
多田倉への返答ももどかしそうに、見荻野は駐車場に向かって駆け出した。その後ろ姿を見送りながら、多田倉は首をかしげた。
「…一体どういう事なんだ…」
「多田倉さん、こちらでしたか。」
背後から呼びかける声に、多田倉は困惑した表情のまま振り向いた。本庁でも凄腕と評判の鑑識である猪野という男がそこに立っていた。
「お取り込み中のところを申し訳ありませんが、実はすぐにでもお知らせしなければならない事実が判明しました。一緒に来てくれませんか?」