第九話
「それはまた災難だったわね。」
事情を知った高宮浩子が小出貴美恵を都内のエスニック料理店に誘ったのは、それから数日後の事だった。濡れ煎餅をお土産に貰ったお礼として、その店の人気料理であるナシゴレンを小出貴美恵にご馳走した高宮浩子は、小出貴美恵の身にふりかかった一件を、けだるそうな様子でそう論評した。
「ここ数日のワイドショーはあの事件ばかり採り上げてたけど、まさか貴女達が関わっているとは思わなかった。それで、少しは持ち直した?」
「ええ。まあ…」
「それにしても七尾のやつ、まだ亜矢に未練があるのかしら。別れてもう三年にもなるんだから、いい加減諦めればいいのに、どうも『男』っていう生き物は、あたし達『女』とは違う思考原理で生きているみたいね。」
「あの…高宮先輩は、汐見亜矢さんという方と個人的な連絡があるんですか?」
「…『女』にもよるか。貴女は貴女で七尾に対する想いはゆるがないみたいだし。」
「………」
「残念だけど、あたしも今は連絡が取れてないわ。一年生の時に中退して、それまで友人関係だったあたし達にも、いなくなるから探さないで欲しいと言って…とにかく見事なくらいに消えてなくなったわね。もっとも、あんな事があったんじゃ無理もないかも知れないけど。」
「あんな事? あの…差し支えなかったら教えて頂けませんか?」
「そうね、この間は言わなかったけど…その顔は事情を聞かないと納得できないという感じだものね。」
微かに首肯した小出貴美恵に対して、高宮浩子は二秒ほど考えこんだ上で口を開いた。
「七尾と亜矢は、高校時代から恋人どうしだったらしいわ。あたしは北南大学に入学して初めて二人にあったんだけど、本当に仲が良くてね。クラブの先輩達から冷やかされ続けてた…あの事が起きるまではね…」
高宮浩子は一旦言葉を切り、デザートに頼んだカットフルーツ入りのカクテルを口にした。
「三年前、ちょうど今頃の季節だったけど、亜矢のお父さんが死んだの。自殺だったそうよ。」
「自殺…」
「自宅のバルコニーから飛び降りたらしいのよ。原因までは知らないけど。」
「………」
「亜矢のお父さんというのは、『汐見ホールディングス』という会社の社長だったの。今は別の投資会社に売却されて名前も残っていないけど、当時はかなり注目されていたらしいわ。ただ、きわどい方法で事業を拡張しているという風聞もあったそうよ。その社長が死んだものだから、幾つかの経済紙やゴシップ誌が背後関係とか騒ぎ立てた。でも警察が自殺だと断定したので、一応騒ぎは収まったの…ところがそれから程なくして、亜矢は突如として退学届けを出し、七尾やあたしの目の前から姿を消したのよ。その後はさっき言った通り、連絡がまったく取れない状態になったの。」
「一体、何故…」
「さあねえ、そこまでは分からないわ。父親が自殺して生命保険が下りなかったから、亜矢自身が働くしかなかったなんて無責任に推理していた者もいたけど、加入時期や条件によっては下りる生命保険もあるのよ。亜矢の父親がそれに該当したかまでは分からないけどね。それにもし生命保険が下りなかったとしても、伝え聞くところによれば遺産はかなりの額だったそうよ。案外それが身を隠す理由じゃないかという者もいたけど…どっちにしても憶測の範囲でしかない話なのよ。」
「………」
「ただ、亜矢が姿を消すと同時に七尾は亜矢の事を一切口にしなくなった。明らかに二人の間に何かあったという事は読み取れたわ。それが何かまでは分からない。ま、これ以上は本人に訊くしかないわね。七尾からはあの後連絡が来たの?」
「いえ、何も。」
「電話もメールも寄越さないの? まったくあの男は…」
つとめて軽い調子でそう言った高宮浩子だが、目の前で懊悩の海に沈みかかっている後輩を放っては置けない、と感じさせる表情も浮かべていた。