3
あと期限が三日と迫ったころ、真は自分の部屋の片付けをしていた。
本棚に収められた本。
引き出しの中に入れっぱなしだった古いフィルムカメラ。
ずっと使っていたペン。愛着があるかと問われれば、分からない。
それでもこのペンでないと、何となく違和感がある。
そして、分厚いノート。忘れないように書き留めていたものが綴ってあった。
籬がこの家にやってきたときに、教えてもらった遺物のこと、合成人間のことが書かれている。
これを書いていたときの真は、生きていたとは言えない。
自分の意思で、生きてはいなかった。
だから、これは置いていこう。
これは、過去のことだから。
ノートを引き出しのなかに入れて、座敷牢のような部屋を見渡した。ここには、窓がない。だから、いつも暗い。
暗くて、寂しい場所だと思う。
自分の部屋なのに、どこかよそよそしい。
「真様」
襖のむこうがわから、小さな声が聞こえる。
反射的に返事をして襖を開けると、初老の女性がこうべを垂れていた。すぐに顔をあげたが、ひどく怪訝そうな表情をしている。
「真様に、お目にかかりたいというかたがいらっしゃるのですが……」
「……だれ?」
「まるね様……というかただそうですが」
「まるねさん?」
聞いたことがない名前だ。
忘れているだけなのかもしれないと、思い出してもそんな名前の人は見たことがないし、話したこともないだろう。
黙っている真を不思議がった女性は、「お知り合いではないのですか?」と尋ねてくるが、真はかぶりを振るだけだった。
「おれに用事なら、会ってみるよ」
「それがよろしいかと」
彼女はふたたびこうべを垂れて、暗い廊下を歩いていった。
見送ってから、真も廊下を歩く。暗い、灯りさえない廊下を。
真がアルビノだという理由で暗いのだろうが、妙に窮屈な思いになるのは、いつものことだ。
「え……」
玄関先には、真とだいたいおなじ年の白い着物を着た少女が立っていた。
見たことがないが、どこかで見たことがある。矛盾しているが、どこかで――会った気がする。
「あなたが、真どの、ですね?」
「は、はい。あの、あなたは?」
「申し遅れました。私は“まるね”。六合の皆元の者です。昨晩は遅くに大変申し訳ありませんでした」
「きのう?」
彼女はそっとほほえんで、「昨晩、枝柊というものがお邪魔したのです」と囁いた。
「枝柊……さん? おれ、昨日早く寝ちゃったから、知らなかったよ」
「さようでしたか。では、あいさつをせねばなりませんね。枝柊。いるのでしょう」
玄関先に、ゆらり、と黒いコートがゆれる。真っ黒な人影が、まるねのうしろにぼうっと、亡霊のように立った。
黒い髪の毛を持つ枝柊は目を細め、真を見下ろした。
「きみが観世水真か」
「は、はい……」
「なるほど。よく、似ている。あのかた――」
「?」
まるで、まぶしいものでも見るかのようなその目に、真はわずかにひるむ。
強面の顔をしているが、目はやさしい。悪い人ではないということは、分かった。
「杜宇子さまに」
「とう……こ? だれ?」
「……俺が伝えることではない。だが、想像は自由だ」
「真どの。いずれ、分かることです。私たちも、きちんと説明をするつもりですから」
なにかを、知っている。
真が知らないなにかを。それでも無理に聞くことはしない。
「あの、話は変わるんだけど……。まるねさん、どこかで、その……会った?」
「ああ……。私の姉でしょう。よく、似ていますから」
「そう、なんだ……」
それ以上は言わないという表情をしている。真もそれ以上言わなかった。まるねはふたたびほほえんで、「やさしいかた」とため息をつくように呟く。
「聞かないでいてくださるんですね」
「……いやなことなんでしょう」
「そうですね。いいことではありません」
ほほえんだまま、少女は言う。
かなり身長が高い枝柊は、なにも言わずにただ沈黙を守っていた。
「よかったら、あがって」
「よろしいのですか?」
「うん。籬たちがいるけど」
「合成人間さんたちですね? 私、初めてお会いするんです。噂には聞いていたのですが」
まるねは、うれしそうに手を合わせて笑ってみせる。笑うと、大人びた姿が年相応に見えた。
「枝柊さんも、よかったら……」
「ああ――。では、失礼する」
黒いコートをひらりとなびかせて、玄関に入り、つられるようにまるねも草履を脱いだ。
玄関の先には花が生けてあり、高そうな壷に入っている。玄関にあるのだから実際高いのだろうけど、真は興味がない。
「しーん。荷物の整理終わったの?」
睡蓮の声が聞こえる。
廊下をまっすぐ歩いてくる彼女は、上がってきたふたりを見て、怪訝そうに目を細めた。
「……枝柊?」
「前の晩はすまなかったな」
「私は別に……。真があげたんなら、別になにも問題はないわよ」
「あなたが合成人間さんですか? 私、まるねと申します」
「私は睡蓮。あなたも、六合の皆元の人なんでしょ?」
「そうですね」
うなずく少女を見下ろして、ふうん、とさして興味なさそうにまるねを視界から外した。
枝柊は影のように彼女に寄り添っている。おそらく、まるねの護衛なのだろう。何となく、そんな気がした。
ふたりを座敷に通すと、きれいな所作でまるねは座布団の上にすわった。
「エ霞と籬は?」
「ああ、あいつらなら最後のメンテナンスについさっき行ったわよ。伊勢に行ったら一ヶ月に一度くらいしか東京に戻れないからね」
「そっか。あ、お茶持ってくるよ。ちょっと待ってて」
「真どの、すぐに帰りますので……」
「すぐ持ってくる」
遠慮するようにまるねが膝をたてたが、それを制して真は客間から出て行った。
睡蓮はそれを見送って、襖の近くにどかっと座る。
「いい子でしょ」
彼女はまるで自分の子どもを誇るように笑う。まるねはわずかに驚いたように目を開いて、すぐに頷いた。
「そうですね。とても、おやさしいかたです」
「でしょ。結構見る目あるのね。まるねも」
「あ、ありがとうございます」
何故褒められたのか分からなかったが、まるねはとりあえず、礼を言う。睡蓮は満足そうにそのことばを受け取って、襖のむこうを見るように顎を上げた。
「でもね、いろいろ無理してるみたい。そりゃそうよね。東京から急に伊勢に行けなんて」
「……」
「まあ、仕方がないか……。私たちにはよく分からないけど」
肩をすくませた睡蓮は、その直後に茶を持ってきた真を笑顔で出迎えた。