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「琳がこわい。すごく、すごくこわい」
「そうか……」
「だから俺たち、逃げてきた」
「近江たちには言ってきたのか?」
「いってない……」
エ霞は心中で頭を抱えた。
今頃葵重工は大混乱になっているかもしれない。
鏡埜と槻乃が二人そろって音信不通になったのだから。
これはすぐに、近江たちに連絡を入れなければならないだろう。
「ちっと待ってな。近江たちに無線入れるから」
「う、うん……」
言わなかったのは、大方怒られるからだとか、そう言ったところだろう。
「このお二方は、真様とお知り合いなのでしょうか……?」
年若い巫女がおそるおそる、尋ねてくる。
問われたエ霞は、何と答えればいいか、わずかに唸った。
直接的な知り合いではないのだし。
ここは、素直に言っておくことにする。
「いや、直接的な知り合いじゃねぇが、俺たちの仲間だ。悪さはしない」
「か、かしこまりました。……入場を許可いたします」
「そりゃどうも」
深くこうべを垂れた巫女は、回廊がつづく階段を昇って行ったようだった。
まだぐずついている二体の頭をとん、とエ霞の手をのせる。
「いいか。これから真がいる場所に移動する。行儀良くしてるんだぞ」
「しん? あ、睡蓮おねえちゃんが言っていた、大事なこ?」
「そうだよ槻乃。睡蓮おねえちゃん、いいこって言ってた」
二体はすこし落ち着いたようで、エ霞は安堵した。
おそらく、話題をそらしたせいだろう。
「行くぞ」
「はぁい」
エ霞のあとをくっつくように歩く二体は、物珍しそうに居住区を見回していた。
珍しいのもうなずける。
葵重工はリノリウムの床、頑丈な人口壁でできているし、六合の皆元のような、木でできた床や壁ではなかったのだから。
「鏡埜、みてみて。つるつるしてる」
「ほんとうだ、槻乃。それに、いいにおい」
「木のにおいだな。葵重工ではまず嗅いだことはなかっただろ」
二体は物珍しそうに木の木目を熱心に見つめている。
それを辛抱強く待っているエ霞は、そういえば、と思い出した。
九体目から今までのエ霞の記録をさらうと、エ霞自身はそういったことはなかったと思う。
一体目の記録はすでに消去されているため、自分もこういったことがあったのかもしれない。
今そう思考すると、なぜか感慨深い。
「ここだ」
かなりゆっくりとしてしまったが、ようやく真がいる部屋にたどり着く。
「……あ! ねえ、槻乃。睡蓮おねえちゃんと籬おにいちゃんがいる!」
「ほんとうだ。へへ、久しぶりだね!」
「ほいほい、さっさと入った入った」
「おじゃまします!」
真の目が軽く見開かれた。
二体とは、初めて会うのだから、当たり前だろう。
「やっぱり、あなたたちだったのね」
「おねえちゃん!」
「槻乃、鏡埜。おまえたち、任務はどうした?」
「籬おにいちゃん。私たち、こわくて」
「怖い?」
「籬。俺から説明する。睡蓮にもあとで共有するから、おまえは槻乃と鏡埜とそこで待ってろ」
あわただしくエ霞は籬と部屋から出ていってしまう。
置いていかれた真は、ぽかん、とその光景を見送った。
「ごめんなさいね、真。あいつ、落ち着きなくて」
「ううん。だいじょうぶ。あ、あの……おれ、観世水真、っていいます。よろしくお願いします」
鏡埜と槻乃に頭をかるく下げる。
それを見た二体は、顔を見合わせて「観世水、真」と確認するように呟いた。
「真。私、鏡埜」
「真。俺、槻乃」
「鏡埜と、槻乃。よろしく、ね」
「睡蓮おねえちゃんが、真はいい子だって言ってた。おねえちゃんの言っていたとおりね。槻乃」
「うん。そうだね、鏡埜」
うれしそうに二体ははしゃいでいるようだった。
「こわい」とおびえていたときよりも、幾分か落ち着いている。
「……? 真、げんき、ない?」
「そんなこと……ないよ」
ちいさくかぶりを振るが、父親が兄に殺されたことは変えようがない事実で、心が沈むのは仕方のないことだ。
強がってみせても、真はまだ立ち直ることはできないだろう。
鏡埜の手が、ぎこちなく真の頭にそっとふれる。
「にんげん、元気ないと、こうするって聞いた」
「……ありがとう。鏡埜」
「えへへ。どういたしまして」
頭ふたつ分高いところにある鏡埜に笑いかけた。
心配してくれていることは、十分にわかる。
分かるけれど、心にのしかかる事実が晴れることはない。
睡蓮が先ほどから黙っているのは、おそらくエ霞と籬の話を聞いているからだろう。
表情も、わずかに険しい。
「真、あそんだらげんきになる?」
「?」
「にんげんは、息抜きもひつようだって、言ってた。ね、鏡埜」
「うん、そうね。槻乃」
三人が楽しそうに話をしていると、エ霞と籬が帰ってきた。
表情は先ほどより幾分かやわらいだが、いまだ緊張感は保ったままだ。
葵重工はやはり、というべきか、大騒ぎだった。
二体に搭載されているGPSで位置情報は分かっていたが、その理由が分からなかったのだ。
無線を飛ばしても結局出なかったのだし。
百合子たちは胃を痛めるほどだっただろう。
結局エ霞が百合子へ琳の関係でこちらに来てしまった、と弁解したのだが。
「おーい、鏡埜、槻乃。葵重工に連絡しといたからな。とりあえず、明日また連絡来る。それまではここで待機だ」
「うん。わかった」
二体はうなずいて、安堵の表情をうかべた。
本当に、琳におびえていたのだろう。
エ霞はそっと息をついて、真の目の前にあぐらをかいた。
「真。おまえ、ここから出られないんだよな?」
「う、うん。そうみたい」
「そうか。なら逆に安全かもしれねぇ」
「?」
今現在、ここには合成人間が五体いる。
これほど安全な場所はおそらく、ないだろう。
東京では、遺物によって人間が毎日のように殺されているのだから。
「いいか、真。おまえがここにいることで、おまえ自身を守ることになる。つらいだろうが、六合の皆元の連中の言うとおり、ここにいてくれ」
「……うん。分かった。エ霞の言うとおりにする」
「よし、いい子だ」
エ霞の手が、とんとんと真の肩を叩くけれど、真の表情は明るくはなかった。




