13
「……そうですか」
そっとひとり、呟く。
「私が知らぬ合間に……」
名のない少女は歯を強くかみしめ、すっと目を細めた。
真が戻ってきたことを知った少女は、ため息をつく。
まさか、杜宇子が真に暗示をかけていたとは予想外だった。
無論、もう一度奪えばいい話なのだが、少女の願う粛清には真が戻ってこようとこまいと、関係のないことだ。
少女は手元にあった携帯電話で、観世水琳に電話をかける。
しばらく待っていると、琳のかすれた声が聞こえてきた。
「私です。あなたの大事な真殿が目覚めたようですが、いかがされますか」
平坦な声が聞こえてくる。
彼は放っておいてよい、と彼は答えた。
「そうですか。分かりました。では、そのように」
籬という合成人間が、琳と少女がつながっているということに気づいていたが、琳自身からはなにも言われることはなかった。
そのままでもよいということなのだろう。
もう少しで、少女の、琳の悲願が成就する。
少女はひとり、くちびるをゆがめた。
本当の安らぎがくるのは、もうすぐだ――。
五室がある地下で琳はひとり、執務室にこもっていた。
大量の点字を打ってある書類を見つめながら、先刻、あの少女からの連絡に、そっと息をつく。
真が戻ってきたと。
「……真。もうすこしです。もう少しで、あなたは自由になる……」
ゆがんだ笑みをうかべ、琳は顔を片手で覆った。
すべては真のため。
彼だけのために、この世界は一度死ななければならない。
ひとり、執務室にこもる琳は肩をふるわせて笑う。
盲目の彼は目を閉じたまま――いずれ必ず来るはずの、大いなる終わりを夢想した。
「どういうことだ」
枝柊が枝藤を睨むように見下ろす。
朝一番に皇である真が心を取り戻したと聞いて、枝柊に報告をしたのだが、やはり、驚くべきことだったのだろう。
「俺にも分からねぇよ。そんなことがあるのかどうかも分からなかったんだから」
「そんなことはありえないはずだ。失われたものは、けっして戻らない」
「枝藤、枝柊」
「師匠!」
枝橘が駆け足で走ってくるが、やはり表情は険しい。
「主様は……」
「枝柊、主様は何もおっしゃらない。だが、気づいているはずだ」
「このままでいいってことか?」
「分からない。もう一度……」
枝橘は、そこまで言いかけて、ぐっと言葉を飲み込むように息をつめた。
こぶしが、かすかにふるえている。
「おまえたちに、言わなかったな」
「なにをだ?」
枝柊がうながすと、彼女は決心した表情で、とてもではないが信じられないことを言い放つ。
「主様は、この世界を粛清される」
「なんだと!」
枝柊の顔色がざっと青ざめた。
この世界の粛清。
彼女の力というものは、この世のすべて――森羅万象を壊すほどの力を持っている。
無論、壊された世界で人間は生きていくことはできない。
植物や動物さえない、がらんどうの世界。
「師匠。主様は一体何をお考えで」
「おまえはいつもどおり、皇――真殿についていろ」
「……分かった」
「私は枝柊と、打開策を考える。……無駄だと思うがな」
「……」
枝藤は去っていく二人を見据えて、真がいる居住区へ向かった。
手がふるえる。
あの少女があつかう力が強大すぎて、たかが一人の人間に、何ができるのだろう。
この六合の皆元全員かかっても、ただの非力な虫に過ぎない。
真がいる巨大な扉の前に立つ。
ノックをする手がふるえ、無様だった。
「……」
しばらくして、真がおそるおそる扉を開ける。赤い目が、軽く見開かれた。
「……!」
声が出ないということを聞いていたため、ここに来る前にノートとペンを持ってきている。
それを真に押し付けると、彼はうれしそうに笑った。
真の部屋は、相変わらず物がなかった。
「合成人間の奴らは?」
真はうなずき、さっそくノートにペンを走らせる。
『外に出て、葵重工のひとと通信しているみたい』
「……おまえ、恨まないのか」
「?」
ことり、と首を傾けている真は、本当になんのことか分かっていないのだろう。
枝藤はちいさくため息をついて、真の頭に手を置く。
かすかにおびえたように肩をすくめたが、すぐにくすぐったそうに笑った。
『誰かをうらむことは、とてもつらいことだから』
「……そうか」
『だから、おれは、だれもうらまないよ。だって、笑っていてほしいから』
「……」
こんな少年に、この世界がおわる、などと。
誰が言えよう。
けれど、言うしかない。この世界はじき、終焉をむかえると。
真はおだやかな表情をしていた。
「おまえに、言わないといけないことがある」
頭に手をのせたまま。
深呼吸をする。
彼に、残酷なことばを伝えなければいけない。
「……この世界は、じきに終わる」
「!」
「それだけの力が、あのひとにはあるんだ」
誰のことか、真は分かっているようだった。
呆然と、かすれて聞こえない声で「どうして」と呟いた。
「あのかたのことは、誰もわからない。なにを考えているのか、なにを思っているのか」
『止めることはできないの?』
「……無理だ。あのかたは……」
『わかった。おれが、話してみる。今は声が出ないけど、きっとそのうちもどるから』
真はあきらめていないようだった。
そのすがたに、もしかすると、という思いもある。
もしかすると、少女に真の声が届くのではないか、と。
彼女がいちばん憎んだ少年だからだ。
『だいじなひとたちを、絶対に死なせない』
「……そうだな。おまえなら」
おまえなら、もしかすると。




