12
「どういう、こと?」
「わたしは、皇として戦い、そして――負けた」
「……それで……どうして、記憶を」
母が神に殺されたということなら、つらいけれど、13歳の真でも、受け入れられただろう。
記憶を消すくらい真がつらいと感じるのなら、もっと、ちがったはずだ。
「それは……あなたが、つらいだけよ」
「おれは、今まで生きてなかった。母さん。おれ、今知ってもきっと、ちゃんと生きていけると思う、から」
そっと目を伏せた彼女は、痛ましいものを見るように、真をみつめた。
「わたしが、あなたを守ったの。まつろわぬ神から」
「え……」
「その時から、皇の素質があったのね……」
目の前がゆがむ。
真が、母を殺したも同意。
どくん、どくん、と、心臓の動く音が聞こえてくる。
母――杜宇子が、そっと、真のほおに体温のない手をふれた。
「いいの。真。子どもを守るのは、母親の仕事。あなたはなにも悪くない」
「でも、おれが」
「わたしのほうこそ、謝らなければいけないわ。辛い思いをさせてごめんね。真」
「……おれは、つらい思いなんて」
杜宇子はそっとほほえんで、真の頭をなでる。
「あなたは、いまを生きているの。過去は変えられない。けれど、未来は変えられる。あなたは、未来を生きるの。真。あなたは、どうしたい?」
「おれの……したいこと?」
「そう」
真の視線は、足もとにあった。
桜の花びらがあとからあとから落ちてくる、白いだけの床。
真がしたいことなど、それほど多くはない。
けれど、いちばん、したいことがある。
「また、みんなに会いたい……」
「そう。それがあなたがしたいことなのね? ……いいひとたちに、出会えたのね」
「うん。みんな、すごくやさしいんだ」
杜宇子は安堵したようにほほえみ、桜の花びらが散らばる白い床に、ひざをついた。
「真。あなたを今から帰します。けれど、わたしの力はこれきり。もう一度、あの子にこころを取られてしまうと、わたしももう、助けられない。今のわたしは、あなたの夢に入った、ただの魂の残滓。あなたにかけた――いわゆる、暗示よ」
「暗示……?」
「そう。あなたの母であるわたしを認識しない。その代わり、あなたの心が現実から離れた場合、この空間にあなたの魂を呼び寄せる。そういった暗示。これで、本当にお別れよ」
魂の残滓。
本当にお別れ。
ぐっと、真はくちびるをかみしめた。
忘れていてごめんなさいと言えばいいのだろうか。
けれど、それは違うと、感じた。
彼女の表情はどこまでもおだやかだ。
のどが痛い。目の奥があつい。
「かあ、さん……ありがとう」
たえきれず、真は涙をこぼした。杜宇子のことを忘れていたことも、身代わりのように殺されてしまったことも。
真はこれから背負って、生きるのだ。
未来を。
「いいのよ。わたしのかわいい子。琳にも、かなしい思いをさせてしまった。そして――」
「母さん?」
彼女は痛ましい顔をして、いえ、とかぶりを振った。
ひざをついたまま、杜宇子は人差し指を真の目の前にさしだす。
「?」
「わたしの指をよくみて。いい? ちゃんと、見るのよ」
「ん……」
涙をこすって、杜宇子の指を見つめる。
たしか、ここから帰す、と言っていた。そのままの意味で、現実へ帰す、ということなのだろうか。
指を見ていると、頭がぼんやりとしてくる。
視界がゆがみ、そして、最後の彼女のことばを聞いた。
「真。どうか、しあわせに」
はっ、と重たくなっていた目を開く。
高い天井。
重たい毛布。
窓のない、家具も最低限のものしか置いていない、部屋。
ゆっくりと起き上がり、時計を見上げるが、部屋が暗くて見えなかった。
部屋のなかは誰もいない。
朝なのか夜なのかもわからない。
そうっと、布団からぬけだして、部屋の外を出ようと扉に手をかけた。
きしむ音をたて、扉をあけると、ぎょっとした表情をする黒いスーツの男性が立っていた。
「どうかされましたか?」
「……」
なんでもない、と言おうとしたが、言葉が出てこない。
かすれた、ひゅう、という音が漏れ出ただけだ。
喉におもわず手をあてたが、やはり声を出すことはかなわなかった。
暗くてわからないが、目の前の男性は青ざめた顔で、真にかしずいている。
何も答えられないので、真はとなりの部屋にいるはずの籬に会うために、そうっと男性に背を向けた。
「……」
「真様……?」
籬がいるとなりの部屋の扉をノックする。
すぐに扉が開いて、籬の顔を見上げるが、なんだろうか。久しぶりに見たような気がする。
「主……!?」
ひどく驚愕したような表情をした彼は、膝をつき、真の両腕をそっととった。
「……」
「主、なぜ……。自分のことがわかるか?」
こくん、と真がうなずき、笑ってみせる。
声が出ないことをのぞけば、健康そのものだし、受け答えもできた。
ほんとうに、「戻って」これたのだろう。
「……!」
「主? 声が」
「真!」
エ霞と睡蓮の声が聞こえてくる。真っ暗な廊下だから、表情は分からないけれど。
「真、私たちのこと、分かるの?」
「真……」
「だが、声が出ないようだ」
三人にかこまれ、ひさしぶりに高揚感を得るが、声がでないことで少し、もどかしい気持ちもある。
ひどく驚愕している、真の部屋の前にいる男性を睡蓮が見やった。
「あんた。これは他言無用よ」
「は……。ですが、主様はすでにお分かりになられているかと……」
「……ちっ、そうなるか」
睡蓮が舌打ちをするが、今は真が戻ってきたことを喜ぶことにしようと思う。
「きっと声がでないのは、長い間声を出さなかったからだろうな」
「のどに異常はないみたいだしね」
こくん、とうなずく。
すれたような呼吸音が出るだけで、たしかに喉に違和感はない。
「よかった……真……」
睡蓮のあたたかい声。そっと抱き寄せてくれるやさしい腕。
そっと息をついて彼女から離れると、ふいに気になることがあった。
エ霞が言っていた「長い間」と言っていた。
あの時からどれくらい、たっているのだろう。
「……大丈夫だ、真。今度こそ、俺たちが守る」
エ霞は真の頭をくしゃりと撫で、笑いかけてくれた。
三人のやさしい人たち。
そして、真を引き戻してくれた、やさしい母。
真は、幸せ者だと思う。たとえ、ほかのだれもが真を傷つけても、決してひざを折らない。
決して。




