11
真がいる部屋にはエ霞と睡蓮が控えている。
籬は通信をこころみるも、やめておいた。
実際に顔を合わせて彼らと話しておく必要があると考えたからだ。
玉砂利を踏みしめ、真がいる部屋へむかう。
籬の照準器がわりの目には、いつもと同じ、青空が広がっていた。
ただ、
真のあの笑顔がもう見られないと思うと、青空が曇って見える気がする。
気がするだけで、無論青空は変わらないのだが。
「……主」
合成人間らしくないではないか。
籬はひとり、くちびるの端をゆがめて、真がいる居住区へ足を踏み入れた。
「ここはどこ?」
真はひとり、ただただ白いだけの場所にいた。
ぽつんとひとりきり、誰も何もない場所だった。
「……籬? エ霞、睡蓮……みんな」
誰もいない。
応えてくれるひとも。
自分がどうなったのか分からない。
ただ、あの名前のない少女が真を指さした直後から、記憶がない。
気づいたらここにいたのだ。
こんな、さみしいだけの場所に。
これが現実ではないということは分かっている。
「?」
ふいに、髪の毛がゆれた。ほんの、わずかだが。
風があるということだろうか。
上を見上げるけれど、白いだけでなにもない。
「――ん」
「え?」
かすかな声。
やわらかで、敵意のまったくない、きれいな声が確かに聞こえた。
目の前に、うすい色をした花びらが横切る。
真が手を差しだすと、花びらが手のひらに落ちてきた。
――桜だ。
うすい桃色の、きれいな。
「桜……?」
「し……ん」
誰かが、真の名を呼んでいる。
周りを見回しても、真を呼ぶひとはだれもいない。
「真……わたしの……」
「だれ?」
「わたしの、かわいい……」
聞いたことのない声。
きれいな、鈴の音のような声が、真の名を呼ぶ。
「かわいい……子」
「子……? あなたは、もしかすると」
かあさん?
そっとつぶやき、無意識に上を見上げた。
先刻までなにもなかった空間に、桜の木が浮いている。
根も空間に伸びており、花も満開に咲き誇っていた。
「きれい」
ほんとうに、うつくしかった。
宙に浮く桜の木から、いくつもいくつも花びらが落ちてゆく。
「真」
はっと真が目の前に視線をむけると、そこに桜の色をそのまま写し取ったような色の着物を着た、女性が立っていた。
「かあ……さん」
「そうよ。けれどこれは、過去のわたし」
「過去の? 母さんは、もういないから?」
黒く長い髪の毛を横に流して、彼女は真にそっとほほえみかける。
真の母は、もういない。
いないことを、どうとも思えなかった。
「あなたが皇になることを、わたしはいちばん忌避していた」
「知っていたということ?」
「そうね。わたしには、わずかだけれど、未来を予知することができていたから。皇になるならないは分からなかった、けれど、もしなってしまった場合、わたしはあなたに結界を貼っていた」
彼女は悲しそうに、真をみつめた。
まるで、望んでいない、というように。
「結界?」
「そう。完全な皇になるには、こころを失わなければいけなかった。それをわたしは知っていたから、あなたに結界を施したの」
「こころを失う……母さんも、そうだったの?」
そっとうなずいた彼女は胸に手をあて、浅く息をした。
彼女も心をうしなった。
それは、つらいことも悲しいことも、嬉しいことも楽しいことも分からなくなるということ。
ただの、神を殺すだけの人形になってしまう、ということ。
そんなことがつらいとも思えない。
「だから、あの子がもし真。あなたに皇のお役目を負うことになったとき、あなたにつらい思いをさせないように、と」
「……じゃあ、今のおれは……?」
「今のあなたは、自失状態にあるけれど、大丈夫。ちゃんと戻るわ」
「でも、あのひとは、苦しい思いをしてる……」
「主様のこと?」
うなずく。
彼女は苦しみ、憎んでいる。真を。人間を。
それはきっと、彼女にしかわからない痛みだろう。
人間に対しての失望や絶望も、きっと計り知れない。
「真、あなたは優しい子。けれど彼女はもう、憎しみに囚われ、人類の滅亡を望んでいる」
「そんな……」
「彼女にはもう、届かない。どんなことばも、行動も。だから、終わらせてあげることが、唯一、人間にできることよ」
「母さんは、あのひとの命を、とりあげることが救いだっていうの?」
真の母は、すっと目をほそめ、伏せる。
どうしようもないのだろうか。
ほんとうに。
彼女は今はどうあれ、人間を守ってきた。神から、ことごとくの災いを守ってきたのだ。
「わかった。あのひとが、人間の敵になったら、おれも、容赦はしない」
「真……ごめんね。あなたひとりに押しつけて」
「ちがうよ」
彼女は「ひとり」といった。
けれど、真のまわりにはたくさんの優しいひとがいる。
ひとりでは、決してない。
「母さん。おれ、ひとりぼっちじゃないよ。おれに優しくしてくれるひとがたくさんいるんだ。だから、そのひとたちの為にも、戦いたい」
「……そう。あなたは、あの時のあなたじゃ、ないのね」
あのとき、と彼女は言う。
いつ、母が死んだのか真はしらない。
けれど、それほど真が小さいころに死んだのだろう。
「おれの、ちいさい頃のこと、知ってる、の?」
「ええ。あなたは覚えていないでしょう?」
「う、うん……」
「いいの。わたしが、忘れさせたのだから」
「え?」
忘れさせた。
いま、彼女は確かにそういった。
「わたしが死んだのは、今から2年前よ。あなたが13歳のとき」
「2、年前? どうして……おれ、2年前のこと、ちゃんと知ってるよ」
「わたしが、わたしのことを忘れるようにしたの」
「どうして……」
「あなたは優しい子だから。きっと、苦しめてしまうと思ったの」
宙に浮いている桜の木から、とめどなく桜の花びらが落ちてゆく。
真は茫然と、彼女を見つめるしかなかった。




