10
「あの少年を守ると? すでに心を殺された少年を? それになんの意味がある」
「エ霞が言っていた。命はあると。まだ、死んではいない。たとえ人間にとって、心というものがどんな存在であったとしても、主が死んでいない限り、我々は主を守る。そのためにここに来た」
その真摯な言葉は、枝橘の心を強く揺さぶった。
合成人間とはこれ程まで――人間の命というものを、心というものを分かっているのか、と。
「心がなければ、それは死んでいると同意だ」
「だが、心臓は動いている。たとえ感情がなくとも――それは、我々にとって守るための意味に過ぎない。祈祷中だというのなら、ここで待っていよう。どうせ、通れまい」
「それは君の自由だ」
空を見上げる。
一点の曇りもない、とはこのことだろうか。
籬の眼には、どこまでも青空が広がっているように見える。
その下に、琳も高峯もいない。
みな、固い建物の中に閉じこもっている。
それがどこか、むなしい。
「あら……」
平坦な、どこか確信めいた声色。
名のない主という存在が、そこにいた。
「籬殿でしたね。何か、ご用でもありましたか?」
「よく言う」
かすかに鼻で笑うようなしぐさをした籬は、鶴丸に手をかけた。
その直後――いや、同時だっただろうか、枝橘が札を取り出したのは。
「おやめなさい。枝橘。彼は私に害をなすつもりはありません」
「話が早い。なぜ主の心を、感情を殺したのかは分かった。我々合成人間はヒトを守るための存在。大を生かすために小を殺す。その理論も分からぬわけではない。ゆえに、今更……貴殿を責めるつもりはない」
「それで? 本題をお聞きしましょう。私も、こう見えて多忙ですので」
「何故、主の兄……琳と接触している?」
枝橘は息をのみ、少女を見下ろした。
おそらく、聞いていないのだろう。
そして珍しく、少女の表情が固まった。なぜ知っているのか――と。
「我々の情報網を甘く見ないでもらいたい。拒否権は貴殿にはない」
「……拒否権がないと?」
「貴殿は真実しか言わないということを、我々は知っている。言葉を濁らせることも、拒否することもない」
「私の性格をよく知っているようですね。いいでしょう。教えて差し上げます」
場所をうつさず、少女は頬に張り付いた髪の毛を払い――薄いくちびるを開いた。
冷たい風が、少女の緋袴を揺らす。
「新たな合成人間を要求したのは私です。それくらいはご存知かもしれませんが。我々六合の皆元の目標は神の殲滅。そして、琳殿の目標もまた同じ。それゆえ、神の影響をあまり受けぬ合成人間を製造するように通達したのです。そして私の最終目標は――人類の粛清」
いまだ幼さの残る表情が歪む。
まるで、己がヒトの心を踏みにじるように、歪んだ笑みを浮かべた。
「主……様……?」
「私は人類に失望している。そして、彼も。以上です。何か疑問でも?」
「……簡潔かつ、理解しがたい回答だな。疑問は多々ある」
「私は忙しい。その問いはいずれ答えることになるでしょう」
少女は颯爽とその場から去り、残されたのは、籬と枝橘だ。
彼女は真っ青な顔色をし、握られた拳はふるえている。
少女の「力」というものは、籬も分からない。
ただ、枝橘自身が「信じていた何か」が崩れ去ったのは事実だ。
「主様が……人類を……」
「あの主と呼ぶ女は人類に失望していると言った。前々から言っていたのではないか?」
「……そうだな。籬殿。君の言うとおりだ。このままでは……本当に人類が粛清されてしまう」
「止めることはできないのか」
「あのかたの力は……この世の全ての神羅万象、とでも言えばいいのか……それを遮断するというものだ」
「曖昧だな」
「言うなれば、光も酸素も、すべて遮断することができるということだ」
酸素や光がなければ、人間は生きていけないことは合成人間だろうとも分かっている。
そんな力を、あんな――真よりもすこし年上くらいの少女が持っているというのか。
「だからこそ、神の進撃を食い止め、封じることができる」
「あの女の事は分かった。他言するがいいな」
「……好きにするがいい。あのかたがそう仰るのなら――人類の滅亡も遠くはないかもしれない」
かすれた声でつぶやいた枝橘は、籬に背を向け、頼りない足取りで居住区とは反対の方向へ歩いていった。
ひとり残された籬は、再び空を見上げた。
酸素、光、風、動物、植物――この世には、ヒトがいなくとも滞りなく巡るものがたくさんある。
人間は、この世界に必要なのだろうか、と思うこと自体が籬たちにとって禁忌だった。
だからこそ、「その問い」はすぐに人工脳から消えた。
ただ、彼のことを思い起こしていた。
観世水真――。
籬たち合成人間の、守るべき存在。保護すべき存在。――守り切れなかった存在。
「君が……いなくなってしまったら、我々の存在価値はなくなるのだろうか……」
空に呟いた言葉は、すぐに消えてなくなった。
人類の滅亡は、合成人間たちにとってもよくない現象だ。
彼らがいなければ存在を保つことができないのは、彼らも知っている。
だが、合成人間は生死の意義を理解していない。何故なら、次の「ナンバー」が製造されるからだ。




