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「おっかしいな」
「なに、どうしたのエ霞」
六合の皆元へ向かうタクシーの中、エ霞が不満げに呟いた。
その手には、携帯電話が握られている。
「真が出ねぇ」
「それはそうでしょ。真、携帯持ってないし、あいつらが取り次がなきゃ真は出ない……って、そういうわけでもなさそうね」
「どういうことだ?」
「電話番も出ねぇってこと自体、おかしいと思わねぇか」
「そうね……。まあ、行ってみればわかるでしょ。真には今日帰ってくるって言ってあるし、あいつらにも伝えてあるはずよ」
がたん、と上下に揺れてから、砂利道を走るタクシーが停まる。
このタクシーは、3体を迎えるために用意されたのだ。ゆえに、運転手も六合の皆元の者だった。
「つきました。どうぞ。合成人間の皆様方」
壮年の男が運転する車は3体をおろしてから、どこかへ去って行った。
「やっとついたな。俺らが走った方が早くなかったか?」
「まあね。早く行こ。真が待ってる」
「おう」
巨大な鳥居をくぐり、砂利が敷き詰められた道を進むと、少女が出迎えた。
彼女は見たことがある。「まるね」だ。
「お帰りなさいませ。合成人間の方々」
「……心拍数が異常値に達している。主に何かあったな?」
ぎくり、とまるねの肩が揺れる。
きつく結った髪の毛が震え、「申し訳ございません」と揺れる声でつぶやいた。
「私は……」
「真に会わせて」
「……かしこまりました」
睡蓮の険しい声色に、まるねは頭を垂れた。まるで懺悔をするかのように。
3体の合成人間を連れだって、まるねは真が住む居住区に入った。中には誰もおらず、しんと静まり返っている。
ただ、かすかに冷たい風がもの悲しい音をたてて通り過ぎていった。
真にあてがわれている部屋の前には、二人の黒服の男が立っている。
一人は知った顔である、枝藤だ。もう一人は知らない人間だった。ただ、枝藤よりも背が高く、がっしりとした体格をしている。
「ああ……あんたら、戻ってきたのか」
「何よ。なんかあんた、変ね。血圧値が下がっている。何か隠しているの?」
「皇のことか。見りゃ分かる」
そこで枝藤は、不自然な行動に出た。
自らの手で、真の自室の扉を開けたのだ。そして、真のことを「皇」と呼んだ。
嫌な「予感」――合成人間として言うのなら、今までの出来事を演算処理し、導いた答え、とでもいうのだろう――。
ぎい、と重たげな音をたてて、扉が完全に開かれた。
「真!」
その少年は、静かに座っていた。
座布団の上に、ただただ、静かに。
まるで、呼吸すら忘れてしまったかのように。
睡蓮の声が聞こえていないのか、ただ赤い瞳をぼんやりと天井に視線を上げている。
きし、と畳が押しつぶされる音が聞こえる。
「真に……何をした」
エ霞の底冷えするような声色が、まるねと枝藤を貫く。
まるねは目を伏せ、枝藤はその声色を真っ向から受け止めた。
「言わなかったのは、皇の優しさだ。責めるな。だが、それを伝えなかったのは、俺たちの責任だ。責めたければ好きなだけ責めろ。言い訳はしない」
「……ずいぶん、ずるい言い訳ね。いいから、言いなさい。真に何をしたか。それに、真を皇なんて呼ばないで」
「……主様が、真の心を封じた」
「どういうことだ」
籬が、かすかに動揺している。
腰に差した軍刀の柄を握りしめた。
「皇になるということは、こういうことだ。心や感情といったものを封じる。皇は神と戦うための存在。神はヒトの美しい心や感情を好んで食う。――神に喰われた心や感情は、戻ってこないし、廃人になって使い物にならなくなる。それを防ぐために、心を封じたんだ。封じた心は、もう戻っては来ない。こいつは、一生このままだ」
そう淡々と語る枝藤の目は、哀れみなどどこにもなかった。
「……真……そんな……。もう、笑ってくれないの? もう、一緒に笑ったり悲しんだり、できないの……? そんなの、嫌だよ。真……」
睡蓮は畳に膝をつき、何も反応しない真に向かって囁いた。
彼ら――合成人間は、理解してしまった。人間のように「逃げる」ことはできない。
理解したら、それは現実なのだ。どんなに残酷なことでも。
「……ぁ」
あ、と小さな声を呟いた真は、それさえも無意味なのだろう。だが、赤い瞳はエ霞らの方へ向かっていた。
その色。
あれだけ生気に満ち溢れていた瞳は、まるですりガラスのようにくすんでしまっている。
「真……」
エ霞の、ちいさな声。
そこには、枝藤と同じ――哀れみはなかった。
ただ、理解してしまっている自分に動揺しているようだ。
そっと、真に近づく。
「皇様に近づくことはまかりならん」
番人のように扉の前に立っていた体格のいい男が、エ霞の肩に手を伸ばそうとした、その時だった。
紅紫の、エ霞の瞳が「憎しみ」に染まったのは。
男の腕を逆に掴み、捻りあげた。
「ぐ……っ」
このまま、骨を折ってしまおうか、それとも腕をもぎ取ってしまおうかと思考しているエ霞に冷や水をかけたのは、真の視線だった。
真が「見ている」。「悲しんでいる」。そう夢想した。
いやー―もう、悲しむことなどできないと分かっている。だからこそ、ありもしない幻想にエ霞の人工脳が悲鳴をあげた。
「……皇なんて言うんじゃねぇ。真は真だ。他の何かでも、他の誰かでもない」
エ霞は、自覚しないまでに動揺していた。
あれほど、エ霞たちに笑いかけてくれていた真が、今や心を抜き取られ、感情を殺され、表情をもそぎ落とされた。
その事実を事実として認めたくない、とAIが言っている。




