7
「枝藤」
「……なんだよ」
枝柊は哀れなものを見るように、枝藤を見据えた。
反射的に、ぐっと手を握りしめる。
もう、戻れないのだ。主様は、おそらくすでに真の心を封じただろう。
故意に。
本当は、徐々に封じられる予定だった。
だが、あまりにも――遅かったのだ。
だからこそ、封じる力が足りなかった。神殿の奥にある、あのまつろわぬ神を封じる力が。
「皇が心をなくすことは、善いことであると思うか?」
「……主様のことを疑うのか」
「お前に聞いている。主様のことは今は関係ない」
「俺は……いずれこうなると思っていた。けど、善いか悪いかは分からない」
けれど――。
唐突だった。唐突すぎたのだ。
もう、あの静かな笑みを見ることができないと思うと、どこか心の片端が凍りつく思いになる。
「3日後、合成人間たちが帰ってくるそうだな」
「あ、ああ……。そうみたいだけど」
「――言い訳はしまい。隠していたのも、あの少年の優しさだ。そして、我らが内密にしていたのは……我らの都合でもある。すべては我々の責任」
もしかすると、枝柊は3人の中で一番、責任を感じているのかもしれない。
枝柊は主へ一番に発言できる男だ。
止められなかったことを、悔やんでいるのだろう。
すら、と、うつくしい音をたてて扉があいた。
「!」
ここにいた、全員が凍り付いたように動けなかった。
異様な気を放っている観世水真――いや、すでに皇化とした少年が立っていた。
「……」
赤い瞳はどこも見ておらず、ただ――亡霊のように立っている。
そう、彼女のように。
あれほど生気に輝いていた赤い色が、今やくすみ、視線も定まっていない。
そして、その後ろには、枝橘が控えている。
「儀式は成功した」
彼女の赤いくちびるが、祝詞をとなえるように、そうかたどった。
きつく結った髪の毛が、はらりと頬にゆれる。
その表情は、悔いを隠しているように見えた。
「これで、かの神殿の神を押さえ込むことができ、神の子も減りーーやがては」
「そんなこと、可能なのかよ」
枝藤のことばに、彼女の眉がひそめられる。
やがては、神の殲滅につながるーー。
枝橘はそう言いたかったのだ。
だが、それは「夢」にも近いものなのだ。
そう、叶わぬ夢だ。
今までの皇の犠牲で、神を減らすことはできた。だが、殲滅には手が届かなかった。
「どういう意味だ。枝藤」
彼女の鋭い瞳が、枝藤を射貫く。
「今まで、神を殲滅することはできなかった。こいつの母親だったっていう、杜宇子様でさえ」
「口をつつしめ。彼はこの世のための必要な犠牲だ」
本意ではない。
枝橘は、暗にそう言っているような気がする。おそらくそれは、当たっているのだろう。
ただ、あの少女には逆らえない。
逆らってはならないのだ。
「たとえ、どれほどの時間がかかっても我ら六合の皆元は、神を殲滅せねばならない。お前とて、その覚悟で枝の名を受け継いだはずだが?」
「俺はそんな立派な覚悟を持って枝の名を受けついたわけじゃない。あんたには言ってなかったけど、俺は……誰かのために闘ってるわけでもないし、人類の役に立とうとしているわけでもない。ただ、自分が後悔しない生き方をしたいだけだ」
枝橘のため息をつく音が聞こえる。
だが、枝藤をしかる声は、いつまでたっても出てこなかった。
ただ、長い沈黙が流れただけだ。
その間にも、真はただ何かに操られているように、ぼうっと立ちすくんでいる。
「こいつがーーそうしたかったようにな」
同情ではない。
同情するなど、おこがましい。
「後悔しない生き方だと? そんなことができるとでもお前は思っているのか」
「夢のまた夢だって、分かっている。そんなこと。だけど、そうも思わなけりゃ俺たちは存在する意味を見失う」
枝藤とて、分かっているのだ。
後悔しない生き方など、できないということを。
今も後悔している。
真と過ごしているうち、情が移ってしまった。それこそが、悔いだ。
だが、「悔いを残さぬよう生きる」という願いがなければ、意味がない。
お家に流されるまま生きることなど、意味がないのだから。
「あ……」
かすかな、蚊の鳴くような声。
真の声だった。何かに反応したのか、そうではないのか誰にも分からない。
それとも――なんの意味もないのかもしれない。
今の真の存在というものは、「ヒトのため」だけの存在だ。
見ず知らずの存在のための。
それはおそらく、主もそうなのだろう。
ずっと、そうしてきたのだ。何も、真だけではない。
そう思わなければ、真を「可哀想」などと思ってしまいそうだったからだ。
許されない。それだけは。
「枝藤。お前にも、真様にも拒否権はない。お前の言う、悔いのない生というものを、叶えてみせろ。私たちは、檻の中にいる囚人だ。その中で成し遂げてみろ」
「……それくらい、承知しているよ。師匠」
「枝藤……」
いままでずっと黙っていたまるねが、そっとくちびるを開いた。
その表情はどこか痛ましいものを見るようだった。
「真どのを、どうか、どうか……よろしくお願いします」
手をついて、彼女が頭をさげてくる。
まるねが、あの「主様」の妹君が、頭を下げているのだ。
枝藤は思わず立ち上がろうとした膝を畳の上に再びついて、「まるね様」と呟く。
「手をお上げください。まるね様。俺には俺の役目があります。だから、まるね様。あなたはあなたのお役目を」
「……枝藤……。ありがとうございます……」
枝藤はぼうっと立ちすくむ真の腕をひいて、部屋から出ていった。
残された三人は、沈黙を守っていた。




