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なにも、特別なことなどなかったのだ。
真の父親――観世水高峯は、五室室長であるが故に強さも求められるが、上に立つものとしての精神性もあるのだろう。
心労か、それとも遺物に傷つけられたのかは分からない。
「父さんが……。どうして……」
「それが分からないのです。連絡してくださったのは真様の兄君。理由をお伺いしたのですが、どうしても教えて頂けなくて……」
「電話番号は分かる? おれが聞いてみる」
「それが非通知でして。なので、本当に真様の兄君だったのか怪しんだのですが、六合の皆元の真様へお伝えてくださいとおっしゃっていたので、お伝えした次第なのですが……」
「おそらく、それは本物の真様の兄だろう。いたずら電話……アヤナシだとしても、その意義が見当たらない。だが、真様は伊勢から出ることは、まかりならん」
枝柊がきっぱりと言い切った。
父のもとへ行くことができないと、どこかで分かってはいたけれど、言葉にされると悲しい。
「むこうから再び連絡が来ないかぎり、何も分からないってことか。なんでそんな用心してるんだ? こいつの兄貴ってのは」
「さあな。なにか後ろめたいところでもあるんだろう。だが、嘘と言うことはないだろうが」
「どちらにしせよ、真どのはここから出られません……。大変申し訳ないことですが。お父上の心配もありましょうが、どうか連絡を待ってください」
まるねが申し訳なさそうに目を伏せた。
「大丈夫。父さんも、おれが来ることを了承しないだろうし……」
父――高峯は、息子である真のことを道具としか考えていない。そこに、「父親を心配する」ということはないのだ。
求めてもいないだろう。
「うん。分かった。ありがとう、ヘスティアさん。知らせてくれて」
「とんでもありません。ちょうどこちらに来たときに、連絡があっただけでしたので……」
彼女は恐縮するように肩をあげて、身を縮こませた。
すこしだけ、頭が痛くなった。
これは、たとえ父が道具としか見ていないとしても、親子だ。心配することは、おかしくないだろう――。
「大丈夫ですか、真どの。すこし顔色が悪いですよ。もう、お部屋に戻ったほうが」
「平気。もうすこし、風に当たってる。きっと、父さんなら大丈夫だと思うから」
「……あなたは、お父様の事をどう思っていらっしゃるのですか? お父様は、あなたにつらく当たっていたということを知っています。けれど、あなたは……」
「……どうだろう。どう思っているかって聞かれると、分からない。でも、この世界でたった一人の父さんだから……嫌いにはなれないよ」
憎んだりできたら、どれだけ楽だろう――。
けれど、真の思いには憎しみという感情はなかった。
実の父親を心の底から憎むことなど、できはしない。
たとえ、真や琳のことを道具としか見ていなかったとしても。
「そうですか。おかしな事を聞いて申し訳ありません。私どもの両親はすでに幼い頃他界しておりますので……。どういうものかと思ってしまったものですから」
「……そうなんだ」
まるねは、そっとほほえんで隣にそびえ立っている大きな木に手を添えた。
まるで、愛しいものにふれるように。
「私たち姉妹は、前の主様に育てられました。主様は、姉様が十歳になった頃に亡くなり、それからはずっと姉様ひとり、六合の皆元を率いています」
「まるね。しゃべりすぎだ」
「……すみません。ですが真どの。私たちは誠心誠意、お仕えいたします。それだけは嘘偽りのないまこと……。どうか、信じてください」
まるねはすっと前へ出て、そのまま居住区へ向かっていった。
枝柊は動かず、ただその背を見つめている。
「仕える、なんて……そんなこと」
「まるねは、ずっと主様に仕えていた。今18になったばかりだが、5年間、ずっとだ。そして、今度は君に仕えようとしている。まるねは、誰かに使われて初めて価値があると思っているのだろう」
「……かなしい人だね」
「どこか君と似ているから、あんなに躍起になっているんだ」
真は、何も言えなかった。
違う、と言えなかったのだ。
すこしだけ、うつむく。大きな木のうねる根が、真の足下にあった。
この根のように、うねり、曲がり、ゆがむ。
どこか、彼女たち――名のない少女とまるねは、似ているような気がした。
性格が違うと思うが、根はおなじ――。
「おい、そろそろ戻るぞ。風が出てきた」
「――うん。枝柊は?」
「俺もそろそろ戻る。先に戻っていろ」
枝柊は木を見上げ、立ちすくんでいる。彼は何を思い、考えているのだろう。
まるねの付き人として、何をしようとしているのだろうか。
松葉杖をついてようやく自室に戻ったころ、枝藤は深くため息をついた。
どこか疲れているような吐息だった。
「どうしたの?」
「いや。主様とまるね様のことを聞くとな……」
きっと、こころが重たくなっているのだろう。
真自身も、まるねの思いを、まるねの真意であろうことばを枝柊から聞き、何も言えなかった。
「あと、おまえの親父のこともだ。まあ、心配ないだろうが――。気にするなってのも無理だろうが、あまり思い詰めるなよ」
「うん。ありがとう、枝藤」
笑ってみせると、彼はどこか唖然としたような表情をして、真から顔をそむけた。




