4
「絶望を感じたことがあるって、そんなことはないよ」
真は笑い、ちいさくかぶりを振った。
「そんな言い方だったけどな」
「でも、どうでもよかったんだ。おれが生きようと死のうと、どうでもよかった。でも死ねば、人類の役に立てると教わってきたけど、籬たちがね――おれがいなくなったら悲しいって言ってくれた。だから……それだけじゃないけど、生きたいって思えたんだ」
彼は恥ずかしそうに笑った。
しかし――枝藤はそれを笑うことができなかった。
自身とて、若くして死ぬ定めを背負っている。
そこまで至るに、どれほど苦悩しただろう。家に、死ねと言われているようなものだ。
だが、枝藤はそれを受け入れた。
それが、4年前のことだ。14歳のときだった。
「枝藤は――どうして、こんなにつらい役目を負ったの?」
「……別に、つらいとかそんなこと思っちゃいねぇよ。今はな。ただ――自分の生き方を自分で決めただけだ」
「そっか……。でも、うらやましいとは思えない。――枝藤が若くして死ぬなんて、おれはいやだ」
枝藤へのことばは、真にとって真実のことばだった。
だが、それが真にとって「あたりまえ」のことであっても、枝藤にとってはそれは禁忌だった。
彼に老いは訪れない――。
それがあたりまえだった。
「そうだな……。そういう人生もよかったのかもしれない」
「……」
金色の髪の毛が、きらきらと輝く。
きれいな髪の毛だ。
おそらく、染めていないのだろう――。
そうとは言っても、外国人というわけでもなさそうだ。
「まあ、なっちまったもんはしょうがねぇ。だが、俺は生きることを諦めない。死ぬまで生きる。それだけだ」
枝藤のことばは、重みがあった。
死ぬまで生きるということは、当たり前のように見えてひどく難しいことだ。
「死んだらそこでおわり。」それだけではいけないのだ。
生きた意味を見いださなければ、生きたことにはならない。
「そんなこと考えてたって、もう後戻りはできない。おまえも、俺もな」
「……うん。そうだね」
「今は適当に休んどけ。それとも、外に出るか? 天気はいいみたいだしな」
「うん、そうする。すこしは風に当たらないと」
枝藤は立てかけてあった松葉杖を真に渡し、自力で立つのを待った。
それが、真にとってありがたく感じた。
「風がきもちいいね」
砂利道をゆっくりと松葉杖をつきながら歩く。
枝藤はそれに合わせながら、神殿とは逆の方向を歩いた。
「もう夏もすぐそこだからな。風もあたたかい」
「うん。あっ」
大きな木があるその下に、まるねと枝柊が立っていた。日陰だからか、彼の黒ずくめの服装では、よく見なければ分からない。
「げっ、枝柊じゃねぇか……」
「枝藤、枝柊苦手?」
「苦手ってわけじゃねぇけどよ。何考えてるか分からないんだよな……」
「そうかな?」
真とて、枝柊のことを分かっているというわけではないが、苦手意識は持っていなかった。
「真どの。枝藤。どうされたのですか?」
「ちょっと、散歩。まるねたちも、散歩?」
「はい。いい天気でしたので」
黒い髪の毛をきつく結った彼女は、今日も白い着物に橙の帯を締めている。
枝柊は大きな木を見上げ、なにも口を出さない。
「もうじき、暑くなりますね。もっとも――暑さなど感じないでしょうけれど……」
「そうなの?」
「ええ。ここは何故かは分かりませんが、暑さは“外”ほど感じないのです。もちろん、この神域をでれば暑さは感じます」
「とはいえ、怠けられては困るがな」
枝柊がいつの間にか、こちらを見ていた。
その目は以前のような値踏みするような色はしていない。
気をつけます、とだけ呟くと枝柊は黒い革手袋で包んでいる手をぐっと握りしめた。
「枝柊……大丈夫ですか?」
「いつものことだ」
「……」
枝藤も黙り込んでいる。
彼の手に、何があるのだろう。そう思うけれど、口にする勇気はなかった。
ただ、枝藤とおなじく黙り込んでいると、枝柊はふっと笑った。
「気になるか」
「……気にならないと言ったら嘘になります」
「正直な少年だ」
枝柊はためらいなく、革手袋を脱ぎ去った。
そこには――まるで呪詛のように黒い手があった。
爪まで黒く染まりきっている。
「……君のように、武具を使わず直接的にまつろわぬ神を攻撃すると、こうなる。武具を使わず戦えることは、皇の証だ」
「あなたは……直接、手で、神を……。陰陽師は、武具を使わなくても戦えるんですか?」
「戦えん。だからこうなったのだ。もっとも、悪いことばかりではない。今やこの怨嗟もコントロールできる。受けた怨嗟を神どもに向けることも可能になった」
「……」
黒い髪の毛が生ぬるい風でゆらりと揺れる。
その神の怨嗟で神を穿つことを、枝柊はおそらくなんとも思っていないのだろう。
真とて、なにも言えない。ことばが見つからない。
まるねは、ひどくつらそうな表情をしていた。
おそらくだが、枝柊は怨嗟を受けたせいで、ほかの巫女たちよりも急激に命を吸い取られるだろう。
「真様!」
この場にいないはずの声が、鳥居のほうから聞こえてきた。
その声は、枝野ヘスティアのものだ。
「ヘスティアさん? どうしたんですか」
ひどく緊迫した表情をしている彼女は、おさげにした赤い髪が乱れていることも気にせずに、胸に手を当てて苦しそうに叫んだ。
「真様のお父上が……お倒れになったと、連絡が入りました……」
くらり、と、世界が逆転したような感覚が真を襲った。




