13
「くるぞ!」
じじっ、と、耳朶をゆさぶる嫌な音がする。
それは、上から聞こえてきた。春雷がくる直前のような、不安定な雲の動き。
そこから、神が降臨してきた。
巨大だった。
型は、恐れ多くも――三面六臂の――阿修羅。
目は開いたままで、そのまだ幼いくちびるをも閉じ、ただ体だけが黒い。
「阿修羅……。こりゃまた、大物が釣れたなぁ、おい」
枝藤が歯を軋ませた。
真も油断なく阿修羅を見つめている。精神を随から集中させて、いつ動いてもいいようにさせている。
「鬼魔駆逐」
阿修羅が地面に足をつけたと同時に、枝藤が札を投げつけた。
二体の巨大な金剛力士が出現する。陰陽師が何故金剛力士を召喚出来るのか分からなかったが、今考えている時間が惜しい。
敵は、阿修羅だけではなかった。
ヒト型の、細やかな神の子が阿修羅の足もとでうごめいている。
それを7、8メートルはあろうかという阿修羅に、金剛力士の二体は三メートルほどだ。
それほど高くない。
真は足に力を入れ、飛んだ。
阿修羅は、きれい事で済まされるものではない――。そう、反射的に悟っていた。
ここで死ぬわけにはいかない。
皇にまだ、なりきっていないのだ、と、自分で言い聞かせる。
自らの肉体のみで戦うことを、自身に命じてきたのは、左手を使わない、ということでもあった。
左手は義手であり、肉体の一部でもある。
だが、脳がそれを「敵」とみなした時点で、その左手は肉体で出来た武器にも成り代わるのだ。
決して敵を切り裂く「武器」ではなく、肉体だが、「そのため」に真は訓練をしてきた。
血が滲むような訓練を。
真が飛んだその先に、20はいるであろう神の子たちが、数メートルまで近づいていた。
彼の上空では、金剛力士と阿修羅が、本来手にしていないはずの武器を持ちて攻防を続けている。
呼吸を乱すことを恐れないわけではない。
これは、時間との闘いでもある。
黒服の男性がなにをしているのか分からないが、気づかぬ間に終結させなければならない。
真は左手のみを最大限に広げ――思い切り、天敵たちを横へなぎ倒すように、振り払った。
「!!」
それは鎌鼬となり、20もの神の子たちを一瞬でその言葉通りなぎ倒した。
光景を見た三人は息をのんだ。
武器を持たず、肉体のみで切り裂く。
そんなものがあったのか、と。
たしかに、彼の左腕は義手だ。だからといって、「そんなこと」ができるという確信はない。
真は20の神の子たちを蹴散らした後、うしろに飛翔した。
さすがに阿修羅の足もとでこれ以上戦う気はない。踏みつぶされるのがおちだ。
阿修羅の5メートル先に飛翔した真のとなりには、枝藤がいた。
彼は真を認めたが、すぐに自ら召喚した金剛力士を見上げる。二体をもってしても、仏を守る天龍八部衆のうちのひとつには苦戦しているようだ。
「……ちっ」
枝藤は苦戦を強いられている金剛力士に全精神を注いでいるが、どこか焦った様子も見受けられる。
式神を維持するには、精神をすり減らすほかない。
三面六臂の阿修羅は、それぞれ六つの武器を持ち、金剛力士に傷をつけている。
ばきっ、ばきっ、という、木が根こそぎ削られる音が聞こえた。
「ここまでか」
脂汗を滲ませた直後だった。枝柊が枝藤に向かって呟いたのは。
「まだやれる!」
真は黙って枝藤を見つめていた。
彼の精神力はすり減り、限界が近いところまで来ているように見える。
「真どの。思い切り飛んで頂けませんか」
軋む音を聞きながら、まるねはそっと囁いた。
悔しそうに枝藤は一歩、下がった。六つの腕からそびえ立つように構えた槍や薙刀、剣を総動員させて、戦意を喪失させた金剛力士たちをとうとう砕け散らされた。
その直後、枝藤は地面に膝をついた。
「枝藤!」
まるねの言葉を無視したわけではないが、枝藤に駆け寄ろうとする、が、すぐに枝柊に制された。
「俺の式神を使う。……君は戦え。まるね。準備はいいか」
「はい」
まるねは一歩踏み出して、そっと手を合わせた。
とたん、真の体がすっと軽くなったような気がし、ほんの少し、戸惑う。
だが、「戦え」という枝柊の言葉を強く心を揺さぶった。
そして――その場から飛んだ。
違和感を感じる間もなく、真は阿修羅の目の前まで一度の蹴りでたどり着く。
真が巨大な横顔に驚愕するひまもなく、自我を取り戻した。
そして、阿修羅が気づく寸前に、真は左腕の「鎌鼬」を見舞う。阿修羅は三面中の一面を切り裂かれ、咆哮をあげた。
三面のうちの一面を切り崩したせいなのか、六つの腕が四つに減る。
重力に逆らわずに降下する最中、阿修羅の腕が真へと振りかざされる。阿修羅の手は鈍い。が、その分、力があることは十分承知している。
真は宙で半回転すると、阿修羅の腕に着地した。
腕はまるでごつごつとした岩のようだった。おかげで、すべりおちる心配はない。
そのまま、ただ走る。腕を壊すためだ。
阿修羅にしてみれば、虫が一匹、腕に止まったくらいにしか思っていないだろう。
そのむずむずとした感触が気持ち悪いのか、四本のうちの一本の腕が、真に向かって振り下ろされる。
だが、体が軽くなっているような気がする真は、そこから軽く飛んだ。
耳元で風の音がし、もう一本の足に着地する。
ずしん、と下で音がしたが、おそらく腕と腕がぶつかった音だろう。
気にせずに、真は剣を持っている手首のほうへ走った。
顔を切り裂けたのだから、手首ごと切断できるはずだ。
「真様ッ!」
枝柊の声が響いた――。




