10
居住区につき、合成人間たちがいないさみしい廊下を歩いているときには、もう枝柊はいなかった。
すでに自室と呼んでも違和感がない部屋にはいると、早々に枝藤は救急箱を持ってきた。
どこから持ってきたのだろうかと思ったが、最初から自室にあったらしい。
真自身、部屋のものに執着しなかったので、あったことに驚く。
「腕、見せろ」
「うん、ありがとう」
素直にシャツをめくると、意外と傷は広かった。
ヘスティアの店では頭がぼうっとしていたからか、よく見えなかったせいだろう。
おそらく、足もおなじくらいのはずだ。
「まだまだだな。あのまつろわぬ神は大人しいほうだ。勝てたのは、当然の結果だな」
「うん。あれはたしかに攻撃的じゃなかった。もっと攻撃的だったら、おれひとりじゃ勝てなかったと思う」
「当然だ」
手際よく消毒液にひたした脱脂綿を傷口にしみこませる。
痛んだが、目を伏せて痛みを紛らわせた。
金色の髪の毛がふいに揺れて、青い目が真を見据えた。
「?」
「だが、まあ、最初にしてはよくやったほうだ」
目を合わせたのは一瞬で、すぐに彼は目をそらす。
最初から気になっていたのだが、彼は真と目を合わすことはほとんどない。
「枝藤は……」
「なんだ」
今度は足の傷をみてくれた。彼の手当ての手腕は相当なものだ、と真はおもう。
「おれの目の色も、肌の色も、髪の色もきらい?」
はっとしたように、枝藤は真を見据えた。その目は、悪気がなかったことを表している。
真はそれだけで十分だったけれど、枝藤は気まずそうに目をそらせた。
だが、それではいけないと理解している彼はすぐに目を上げる。
「別に、嫌いなわけじゃねぇよ」
「そう……。なら、いいんだけど」
真はそれ以上なにも言わなかった。
枝藤のことばに安堵した反面、それはお世辞なのかもしれない、と思わざるを得なかった。
それでも真はすぐに思い直す。そのことばを素直に受け取ろう、と思う。
包帯を巻くまでもなかったけれど、ガーゼにはすこし血が滲んでいた。
「ありがとう。枝藤」
「これも付き人の仕事だからな。これくらだったら数日で跡も残らなくなるはずだ」
「……傷口、気になる?」
「あ、ああ?」
傷口とは、真の父親――高峯との決闘の時につけられたものだ。
肩から腰までばっさり斬られ、傷はふさがったが傷跡は生々しく残っている。
それは無論、枝藤も知っているが、それほど「ひどい」ものとは思わなかった。
えぐられたような跡。
薙刀のような、大きな獲物のせいだ。それは、相手を殺すことをためらわないという意味なのだろう。
「枝藤も知ってるだろうけど……」
「知ってるさ。AIを持った機械とおまえが接続して、人類の礎にしようとしたこともな。六合の皆元はそれを危険だと判断して、破壊した。全てを知ってるさ。おまえが知らないこともな」
「……」
真はそれ以上なにも言わなかった。
自分が知らないことを知っている、と言われても教えてくれないのは目に見えている。
それほど、真を重要視しているのだ。
脅威、と言っても過言でもない。
なぜなら、真が五室室長の子どもだからだ。どこで漏洩されるか分かったものではない。おそらく、皇である真でさえ完全には信用していないのだろう。六合の皆元も。
「おれは、全てを知ろうなんて思わないよ。だから、大丈夫」
「……そうか。ま、それならいいけどよ。あまり詮索するなよ」
「詮索する前に、そんなことに興味をなくすとおもうよ」
それは、心をなくすということを前提とした言葉だった。
枝藤はばつが悪そうな表情をすると、真を見据えた。そこには真を案ずるような色が滲んでいる。
「おれはもう、諦めてるから。ひとの命って、大事だよね。だから、そのためにもおれは完璧な皇にならなくちゃいけない」
「犠牲になる気か」
枝藤は、思ってもないことを言ったつもりではなかった。
真に情が移った、と言われてしまえば決して否定はできない。
だからだろうか、失態を犯してしまったと、枝藤は後悔をした。
「犠牲とか、そんなこと思ったことないよ。それに、犠牲というのは自分が認識するものじゃないから……。心配なのは、籬たちのこと」
「ああ――まあな。合成人間はおまえを溺愛しているからなぁ」
「……でも、まだ時間があるみたいだから」
あのまつろわぬ神と対峙したとき、恐怖という感情がなかったことは、誰にも言わずにいよう、と固く誓う。
「怖くないか」
「怖くないよ」
怖くない、というのはほとんど虚勢だった。
けれど、以前より怖くはない。それも、彼女から「去勢」を受けたからなのだろうか――。
「あ、そういえば」
真の声色はひそやかだった。
それでも今までの話題を切り捨てるな声色だったので、枝藤はすこしだけ驚いた。
「エ霞がお風呂場の扉、壊しちゃったこと、謝ってなかったね……。ごめんね、枝藤」
「今更かよ。誰がやったのか最初分からなかったぞ。エ霞だったのか」
あきれたように枝藤は苦い表情をした。
――そのときだった。
枝藤と真は同時に、扉の先に視線をあげた。ふたりにははっきりと見えた。
まるで色がついているように分かる、殺気。
それは二人にとってひどく拙いものであったが、ここまでたどり着けたのは、それ相応の腕があったからであろう。
「おい、動けるか」
「大丈夫」
「いや――待て。枝橘が動き出したようだ。あの人が動けば相当の手だれでも殲滅できる。おまえはじっとしていろ」
「え、でも……」
「心配しなくても俺はここにいる。合成人間どもに護衛も兼ねろときつーく言われているからな」
真が言いたかったことはそういういことじゃないんだけどな、とおもうが、口を閉ざしておくことにする。
「それともなにか。あの人の戦い方を見たいのか?」
表情に出さなかった、と思っていたのだが、出てしまっていたらしい。
またしても「そういうことじゃない」と思ったが、陰陽師の戦い方も見ておくことに越したことはないだろう。
枝藤の戦い方は見たが、彼が「師匠」と呼ぶくらいの存在なのだ。
やはり彼らは違うのだろう。
真はためらいもなくうなずいた。




