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そば屋は、真が戦った空き地のすぐ近くにあった。
まるで木々に隠れるように、ひっそりとたたずむそば屋は、まるで丸太小屋のような形をしていた。
まだ正気を取り戻していない真を抱きかかえた枝柊は、器用に木で出来た扉を開ける。
しんとした店内は、枝藤が見たことがあるアルバイト店員さえ、いなかった。
「いるんだろう。ヘスティア」
ヘスティアとはギリシア神話のかまどと家庭の女神の名だ。
店内は静かだったが、ぎし、と軋んだ音で、ようやくそこにだれかがいるということを、枝藤は知った。
それは驚愕に値するものだった。
枝藤は、若いからか三人の中でも特に感覚が鋭い。しかし、そこにだれかがいるということを検知出来なかったのだ。
「ど、どなたですか……」
怯えた声をした女性が、カウンター席のむこうがわからこっそりと出てくる。
彼女はまるで赤毛のアンのような見事な赤毛をしていた。染めているのか分からないが、根元まで真っ赤だ。
「ああ! 枝柊さんではありませんか!」
ひどい劇を見ている感覚だ。
「それに、枝藤さんも。それと、知らない方がお一人いらっしゃいますね?」
そろそろとカウンターの向こう側から出てきたヘスティアと呼ばれる女性は、白い、職人が着るようなコックコートを着ている。
髪の毛は、きつく結ばれていて、どこか野暮ったい印象を受ける。
だが、温和だった目はすぐに鷹のように鋭く細められた。
「この方が、今回の皇ですね?」
「そうだ。お前が察知したまつろわぬ神を倒した」
「……そうですか。その様子ですと、お一人で倒したようですね。さすが、皇の血脈です。さあ、こちらへ」
ヘスティアは厨房とは逆の部屋へ案内した。
通された部屋は彼女の部屋のようだったが、本棚のほかにベッド、机に椅子しか家具はなかった。
ベッドに寝かされた真は、目を閉じていた。
ただ眠っているようだったが、右の肘まで覆われた黒い傷から煙が出ている。
ヘスティアは机の引き出しから小さな桐箱とピンセット、そして和紙をとりだすと、ベッドの横にすわった。
彼女はなにも言わず、ピンセットで和紙をつまみ、その傷を包むように置いた直後、すぐにまたピンセットでつまみ、桐箱のなかに入れた。
「!」
真の腕の黒い傷はすでにもうなく、アルビノ特有の白い肌に戻っていた。
「ふう。これでいいでしょう」
「なにをしたんだ」
「簡単なことです。神の呪いをこの特殊な和紙に移したのです。移したあとは、この桐箱ごと荼毘にふします」
「死体でもないのに荼毘か」
「なにを仰います。これは神自身が呪いをかけたものですよ。荼毘に付すのはおかしくないでしょう」
「……ふうん」
実際よく分かっていないが真が目を開いたので、相づちだけを打った。
「あれ……」
まだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりとした顔でヘスティアを見上げた。
彼女は畏まった様子で頭をたれた。
「初めまして。私、枝野ヘスティアと申します。真様」
「枝野……さん? おれ、たしか……」
「ええ。まつろわぬ神を立派に倒されたとお聞きしています」
「……」
ようやく頭が冴えてきたのか、ベッドから起き上がる。だが、どうやってここまで来ることができたのか、分からなかった。
「ここ、どこ?」
「そば屋だ」
「おそば屋さん? ここが?」
「店主の部屋だ」
枝柊は淡々と答えて、真が立ち上がるのを待った。
彼はすぐに立ち上がったが、不思議そうに自分の右腕を見る。
「腕を神の内部を穿つなんて、聞いたことがないぞ。まったく、無謀すぎるだろ!」
「ご、ごめんなさい……。でも、弱点っていったら、内部くらいしか思いつかなくて」
「だから体術なんてやめろってんだよ」
ぶつぶつと文句を言っている枝藤には、心配をかけてしまっていたのだろうか。
再び謝ると彼は、決まり悪げに顔をそらした。
「まあまあ。枝藤さん。目が覚めて、怨嗟の念も取り除けたのですから、いいじゃありませんか」
「あの、何だか迷惑をかけてしまったみたいで、すみません。えっと、ヘスティアさんも」
「私の仕事のうちですから」
「仕事……? おそば屋さんだけじゃないということですか?」
説明が面倒くさい枝藤は、口を閉じている。
ヘスティアもなんと言えばいいのか分からないのか、答えなかった。
よって、枝柊が説明をすることになる。
だが彼は特別面倒ということもないのか、淡々と再び答えた。
「君も分かっているであろうが、我々の名前には枝、という漢字がついている。そこは分かるな?」
「はい」
「この枝の意味は、主様が木の主幹であるならば、そこから出るのは枝だ。主幹を外敵から守るのが枝だ。主様を助ける家系が、枝の名を戴く。それが、枝柊、枝藤、枝橘の三家であり、そこからの分家が枝野家になる。分家といっても、枝野家一代しか今はいないがな」
「知らなかった。そうだったんだ……。名前は、世襲制なの?」
「ああ。三家すべてが世襲制だ。古代より、当主はすべて柊、藤、橘という植物の名になっている」
ということは、この三人は生まれたときからあの少女の助けになる定めを担っているのだ。
苦しいのは真だけではないのだと言い聞かせ、ぐっときつくこぶしを握りしめた。
あのまつろわぬ神に呑まれそうになったとき、「恐怖」がなかったことの疑問をも、真は口を閉ざしていた。




