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神の咆哮が真の耳朶を襲った。
まるで地鳴りのようなその声でもっても、真の集中力は途切れなかった。
地面に降り立った彼は、唸るまつろわぬ神を見上げる。完全に、真を敵と見なしたのだ。
殺気だっているのは神よりも、むしろ真のほうだった。
「生き残る」ということを脳の足りない神よりも強く願っているせいだろう。
緋色の目を鋭く細め、神の動向を見守っている。
やがて神は牛のように頭を振って、真に飛びかかった。
真の体術をまるでへたくそに真似たようだった。
しかし、真は3メートルはあるであろう神よりも高く飛翔し、今度は額を蹴り上げた。
神は咆哮をあげながら後ろに一歩、二歩足をよろめかせる。しかし、それだけだ。
致命傷には至らない。
体術の弱点はそれなのかもしれない。
鋭利な刃物で切り裂くことこそが、致命傷になり得るのだろう。
ずん、と、神は足踏みをした。枝藤たちがいる場所まで、足がしびれるほどのそれは、立っているのがやっとだった。
神のそばにいた真も例外ではなかった。
ちょうど地に足をつけていた彼は倒れたのだ。
枝藤が一歩、足を踏み出す。しかし、枝柊はそれを制した。
神の足踏みは、反閇も似た「足踏」をしている。
反閇とは、悪鬼を清め、祓うための歩行による呪術だが、神自身はなにも考えていないだろう――。
陰陽道を扱う枝藤はその動きに驚いたものの、枝柊は目を細めただけだった。
それよりも――倒れた真は起き上がるまえに神に捕らえられた。
巨大な手で真を軽々と掴み上げたのだ。
「ぅ……っ」
真のかすかなうめきも、神には関係がなかった。
彼を飲み込もうと、大きな口をぽっかりと広げた。だが、真のなかに生まれるはずの「恐れ」というものを感じなかった。
それを不思議に思うひまもなく、仕方なく真は左手に力をこめた。
ここでは死ねない、という思いのせいだろうか。
肉を裂く、嫌な音が聞こえた。
神は悲鳴をあげて、真を捕らえていた手をあっけなく放す。
だが、真はうまく着地ができなかった。
なぜか――。
まさか、とはおもうが、反閇のせいではないかと枝藤は思考する。しかし彼は悪鬼ではない、邪鬼でもない。
真は慎重に立ち上がって、神をにらみつけた。
枝藤の、真の異変を思考することはもうなかった。
彼は傷ついた体を引きずることなく、ただ動いた。
よく見ると、頬や腕に血が滲んでいた。もしかすると、内蔵も傷ついているのかもしれない。
だが彼はそれを意に介さず、反閇が脅威となったと考えたのか、真は神の足の正面――臑を掌打する。
護身術としてつかわれる掌低打ちだが、真のそれは違った。
護身術というよりも、相手を殺すための掌打のようだった。
武術に疎い枝藤でも分かる。これは殺人術だ。
殺すための武術なのだ、と。
そのせいか――神は片足を無くした。
ばっさりと、まるで刃物で切られたかのように。
消え去ったのだ。それ自身は決して珍しいものではない。
神は、消え去るものだからだ。
驚くべきは、やはり「右手」だけで足を消し去ったことだ。
神は片足をなくし、立っていられなくなったのか、まるで虫のように地べたでうごめき始める。
真はそれでも油断なく見下ろし、神の上に乗りこみ、そして――喉のあたりを、まっすぐに伸ばした指で、そこを貫通させた。
実際には神の首は太いので貫通させたわけではなく、突っ込んだ、と言ったほうが正しい。
真はそのまま、なにかを探るように喉に突っ込んだ手を動かした。
その光景は枝柊も目を見開く。
「なにをしているのか」を考えることができなかった。
真の表情は髪の毛が顔にかぶさって分からない。
「あった」
ただ、それだけを二人は聞き取る。
さらに真は腕を喉に突っ込んだ。神はびくり、と体を動かして、やがて――動かなくなった。
そしてまつろわぬ神は、徐々に融けるように消えていった。
「……」
それを見送ると、ぐらりと真の体がゆれ、倒れるその寸前で枝柊がその体を支えた。
喉笛を穿った右手は、黒ずんでいる。これは、神の怨嗟だ。儀式をし終えた体だからこそ、その怨嗟に命を吸われることはないが、ふつうの巫女だったなら一瞬で亡骸になっていただろう。
「ずいぶん、無茶をする戦い方だな」
枝柊はぼんやりと目を伏せる真を見下ろし、そのまま抱きかかえた。
「お、おい、どうすんだよ」
「そば屋だ」
「そば屋って、そいつどうするんだ? 怨嗟に中てられてるじゃねぇか」
「知らないのか。あのそば屋の店主は同胞だ」
まつろわぬ神を殺す際、慣れぬものは時折神の怨嗟に中てられる。清めればよいのだが、枝柊はそば屋の店主に頼みたいらしい。
おそらく、顔見せをさせたかったのだろう。
「あーあ、こんなんしちまって、合成人間どもが何て言うか」
「俺が知りたかったことは知れた。あとはどうとでもなる」
「どうとでも、って、俺が全部片付けなけりゃいけないんじゃねぇか!」
「おそらく、この少年は言わんはずだ。俺の見解が正しければな」
「まあ、それならそれでいいんだけどよ」
文句を言っても仕方ない。
そば屋があることは知っているが、何故かそこの主人を見たことがなかった。
アルバイトの店員ならば見たことはあるのだが。
「なあ、枝柊。そいつ、大丈夫なのか?」
「皇の儀式を行ったんだ。大丈夫だろう。すぐに気を取りもどす」




