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真が門の前に行くと、すでにそこには枝橘が立っていた。
「遅れてごめんなさい」
「お気になさらず」
彼女は相変わらず黒いスーツを着ている。
膝丈のタイトスカートからは、すらりとした足が出ていた。
「ここに来るように言われたんですけど……」
「たしかに」
枝橘は言葉少なく、そっとうなずいた。
「あなたの戦いを拝見させて頂きました」
「え?」
「式神を通じて見えずとも、見えるのです。私も枝藤とおなじ陰陽師ですので。正直に申し上げます。あなたは、たしかにお強い。しかし、武具を扱わないことに異を唱えます」
「なぜですか?」
「武器は、天敵を貫くだけではなく、身を守ることにも使えるものです。それを扱わないのはいかがなものかと」
「心配してくれてありがとうございます。でも、おれはおれの信念があるんです。だから、武器は使いません」
薄化粧をしただけでも、はっきりとした顔をしているが決して嫌味を感じさせない枝橘は、青い瞳を大きく見開いた。
まるで、なにを言っているのか分からない、という表情をしている。
「信念、とは……」
「相手が神でも何でも、相手がいるという以上、武器は使いません。命をかけているからこそです」
「……どういう意味ですか」
「命をかけるということは、相手にも敬意を払うということです。それに武器はいりません。それがおれの信念です」
「誰がそんなことを」
「おれの唯一の誇りです」
きっぱりと言い張った真の緋色の瞳は、ひどく真摯だった。
本気でそう思っているのだと、枝橘は理解した。
そして、以前主に弱い、と言ったことをすこし訂正しなければ、とも。
「敵であるものにも敬意を表すとは……。私どもは、敵を敵としか見なしていません。殺すべきものだと。そして、私もそれを正しいと思います。あなたのように、敬意を払うことはできないでしょう」
「いいんです。人と人はみんな違うんですから。おれはおれの考え方がある。それでいいと思います」
ほんとうに、この子どもは16歳なのだろうか、と枝橘はふいに思った。
彼の家のことはよく知っている。
五室室長の息子とは言え、六合の皆元に調べられぬものはない。
この子ども――真は、大人たちに囲まれて育った。同い年の子どもと接したことがないのだ。
その結果なのかもしれない。
「枝橘は、おれを心配してくれたの?」
「……そうかもしれませんね。我ら――枝橘、枝藤、枝柊はそれぞれ武器は持たないものの、陰陽師です。己の体で戦うことはしません。……式神こそが我らが武具なのです」
「うん」
彼女は自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
だが、どこかで後ろめたさがあったのかもしれない。
けれどすぐに思考を切り替える。
この少年は、ゆっくりと心をなくしてゆくのだ。
こうして心配することなど、無駄なことなのだ、と。
「就寝前にお呼び立ていたしまして、大変申し訳ありませんでした。私はこれで失礼いたします」
「うん。おやすみなさい」
ありがとう、と真は言った。
そして、枝橘は真がきびすをかえした後、くちびるをそっと噛みしめた。
枝橘は、はっとした表情をし、そのまま、おのれの主の元へむかった。
少女の部屋は、真の部屋よりもさらに厳重に警備されていた。扉の左右に巫女が立ち、槍を持っているが、彼女の姿を見るとすぐに頭をたれた。
おもたげな音をたてて、扉が開かれた。
部屋は、それほど広くはない。しかし、御簾がかけられているせいで、余計狭く感じる。
枝橘はその前に膝をつくと、御簾のむこうがわにいる少女がことばを紡ぐのを待った。
「真殿と接触したようですね」
その声色はほんのわずかだけ、憎しみが存在していた。
枝橘は目をそっとつむり、「はい」と答えたが、それ以上主の声は聞こえない。
次のことばを発するまでの時間は数秒だったのだが、枝橘にとっては数十分ほどにもおもえるほど、おそろしかった。
「こたびの皇に、あなたは随分深入りするのですね? 杜宇子様の時はそれほどではなかったというのに」
「滅相もございません……」
「私に、真意を打ち明けられないと?」
その言葉は、絶対だった。
言霊を操るような、霊妙なことばだった。
「真様が武具を使わないことに疑問を覚えまして、呼び立てした次第でございます。主様」
「たしかに、彼は武具は使いません。そのことに何の疑問があるのでしょう」
「武具は、身を守るにも使うことができます。真様は、それをご存じでした」
「それで、どうしたというのです」
「相手がいるこそ、敬意を表さなければならない、とのことでした」
「敬意、ですか」
少女は、なにかを考えあぐねているようだった。
それが愚かだと思っているのか、それともそれこそ敬意を表すことなのか……。
「愚かですね」
少女が出した答えは、前者であった。
「愚か」なのが真であるはずなのに、枝橘はびくりと肩を揺らした。
「実に愚かしい。神々に敬意を表すなど、あってはならないことです。神々は人類の天敵。それであればよいのです。たしかに畏れはしますが、尊敬することなど、一生ないでしょうね」
「同意はいたしました」
「なにか言いたいことでも?」
汗がにじむ。
少女の言葉は威圧があり、まるで見えぬ思い石が枝橘の背に乗っているようだった。
「いいえ。主様」
「なにがどうであれ、私は真殿のその思いは永遠に理解出来ないでしょう。……まあ、その前に全て終わるでしょうけれど」
それこそどういう意味なのか――。
問おうとするが、見えぬ主に視線に制された気がして、枝橘は口をつぐんだ。




