7
神殿内に入ることは、合成人間たちも枝藤も禁じられている。
睡蓮が不平を訴えるが、枝藤は「それが決まりだ」の一点張りだった。
「行ってくる。睡蓮、心配しないで。大丈夫だから」
「なにかおかしなことが起きたら、この偉そうにそびえ立ってる神殿、ぶっ壊してやるからね」
「う、うん……」
彼女は本気だ。
エ霞と籬は口をつぐんで、神殿の奥をじっと見つめている。彼女を止めることもしなかった。
「さっさと行けよ。主様が待ってらっしゃるんだからよ」
「わかった」
真は靴をぬぎ、暗い神殿内を歩いた。
まだ昼過ぎくらいだろうか。日光が入ってくるとばかり思っていたが、ここは完全なる闇だった。
おそるおそる足を出してきたが、ぼんやりと炎が浮かんでいて、その長い影が真をはっとさせた。
長細い影が、妙におそろしく見えた。
「真殿。こちらへ」
以前とまったくおなじトーンで、前をむいたままの少女に誘われる。
彼女のとなりに座ると、ぐっと顎をあげた。
自分は「これ」と戦わねばならないのだ。それから、目を背けてはならない。そのときに、敗北がきまるのだから。
「私になにか言いたいことがあるでしょう。今ならば、答えられます。どんなことでも、なんでもお聞きください。ここには、誰もいないのですから」
「心をなくすって、どういうこと?」
「心をなくしたほうが楽だということです。善意なのです。これは」
「善意? そんなことが善意だというの」
「では、去勢と言ったほうがよろしいでしょうか。神と戦うことがおそろしい。苦しい。辛い。そんな無駄なことを思うことはありませんから」
「……そんなの」
「あなたにはまだ分からぬのです。そのうち、分かるようになるでしょう。神々との戦いがどれほど辛いものか。その身にかせられた呪いがどれほど憎らしいものか……」
この少女も、心をなくしてしまったのだろうか。
だから、こんなにおそろしく思えているのだろうか。
彼女が逆に呪い、怒っていると分かっているのに、その声に凹凸がない。
だからだろうか。
彼女のいうことを、すこしでも分かりたいとおもうのは。
「……皇ってなに? なにをするの?」
「その身をもって神から人類を守るための存在です。お聞きでしょうが、あなたのご母堂――杜宇子様も皇であらせられました」
「でも、神と戦うのはおれだけではないでしょう」
「そうです。ですが、神と戦えば祟られる。寿命が縮まります。ですが皇は寿命は縮まず、かわりに心をなくす。それだけのことです」
「……枝橘たちも……」
「ええ。彼女たちも神と戦うことを義務づけられた哀れな者たちです。寿命は縮み、おそらくそれほど生きられません。もっとも、神と戦って死ぬのが先かもしれませんが」
何事もないように、彼女は話す。
視線は、おそろしい神へとそそがれている。
黒い触手が注連縄にふれると、光を発してボロボロと崩れ去った。
「そんな言い方ないじゃないか。あのひとたちは、心をもった人間だよ」
「ですから、そういういらぬ心を去勢しようとするのです。彼女たちを尊ぶ気持ちは立派です。ですが、その気持ちを持ち続けることは重荷になるでしょう。心が潰されるほどに」
「だからあなたも、心をなくしたの?」
「そうですね。私は辛くもありませんし、哀しくもありません。ですが私は皇ではありません。いえ、皇のなりそこない。だから、ひとつだけ、感情が残っています。それは憎むこと。正直に言いましょう」
すぅっ、と、彼女は真を見据えた。
そして、悟ったのだ。
彼女がただ一つ憎んでいる人物が――。
「私はあなたが憎い。この手をとった、あなたが」
「……どうして……」
「あなたがもしもこの手を取らなかったら、私は人間として死ねた。逃げられたというのに」
「死にたいの、あなたは」
「別に。そういうことではありません。ただ、ヒトとして死にたかっただけ。唯一の夢でした。でもそれは叶わず、今もこうして身を削り、人類のために結界を張り続けねばならない。そして――死ぬのです。人類のために。それは、ヒトの死とはいいません。ただの、偶像が壊れたというだけ」
「そんなことない! 人を守って亡くなったひとは、五室の中にもいた。哀しんでた。そのひとの家族も、五室のみんなも。おれはよく知らないけど、兄さんが言っていた。偶像だなんて、誰も思ってない!」
「どうでしょうね。私はヒトの感覚は分かりません。どうでもいいことです。ただ私は結界を張り、壊れるだけ」
このひとは、本当にそう思っているのだ。
まだ18にも満たない少女は。
遺物にならなかった真を、ひとつだけ残った感情で憎み、そして――壊れるのを待つ。
そんなことが赦されていいのだろうか。
真はただ、途方に暮れるだけだった。
でも、もう遅いのだ。
彼の心もいずれは遠い場所へ追いやられるのだ。
知らなかった、というのは簡単だ。
だが、生きることはつねに責任を問われる。それが足りなかっただけなのだ。
「おれは、いつ心をなくすの」
「徐々にです。すぐに、というわけではありません」
その答えに安堵する、というわけではなかったけれど、息をちいさくついた。
まだ時間があるのだ。
「ご安心ください。心をなくしても、戦えます。本能のように」
「そう……」
「あとは、何かありますか。問いたいことがあるならば、何でも答えます」
その声つきは、平坦だった。
なだらかでさえなく、コンクリートで固められたように、真っ直ぐで、真っ平らだった。
「あなたたちが呼んでいる神は、どこにいるの? 伊勢にしかいないの? おれは、伊勢でしかみなかったけど」
「どこにもいます。人間が認識していないだけ。太古から伝わる神隠しなどと呼ばれるものは、認識していないから神々が隠したと呼ばれるのです。もし人間が神を認識すれば、襲いかかるでしょう。ただ、気づかなくとも気を喰われればたまに自殺というかたちで殺されるようですが」
「……おれは、認識してしまったから、襲われるということ」
「その通りです。あなたが認識したというだけ。杜宇子様も伊勢に来てから、認識したと聞いています」
「母さんも……」
少女はまっすぐおぞましい神に視線をあげたまま、淡々とこたえた。




