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その儀式は、厳かにおこなわれた。
御簾のむこうがわにいるのは、――枝藤たちには「主様」と呼ばれている少女が座っている。
その前に狩衣を着せられた真が座った。
真のうしろには、ざっと数えて50人はいるだろうか――。「巫女」と呼ばれる女性たちが頭をたれている。その中には、黒服の男性も数名いた。
少女は、詔のように、何かを囁いている。
けれど、なにを言っているのか、真には聞き取れない。
(指一本……動かない……。)
冷や汗のような、冷え冷えとした汗がこめかみに滲む。
喉を鳴らして唾液を飲み込み、頭の中に霧がかかるような幻覚に襲われた。
少女のことばは、真のこころを喰うように、静かに、ゆっくりと紡がれる。
耳をすましても、なにを囁いているのか分からない。いや――。耳をすますこともできず、ただ自身の指先を見ることしか許されていないように感じる。
御簾のむこうの名もない少女は、そこでそっと――真がわかる「ことば」で囁いた。
「あなたは、心をなくすのです。辛いことも哀しいことも何も感じない、人間であるまじきものにならねばならない――」
そのことばが分かっても、真は――何も言えなかった。
なにかをいうことを許されなかったのだ。
ただ、ぞっとした。
それがほんとうのことだと分かったからだ。
「そのほうが、よいこともあるのです。ご安心ください。あなたのお世話は、私どもが行いましょう。生涯かけて」
心をなくす。
その意味を考えることすら、今の真にはできなかった。
ただ、空洞だった。
彼女が真にわかる言葉で言ったのはそれだけだった。
あとは真言のような、よく分からない言葉を彼女は続けている。
冷や汗がどっと吹き出て、おそろしくて、顔を上げることが出来なかった。
自分はここで死ぬのではないかと、馬鹿な妄想までも頭に浮かんでくる。
だがそれは、それこそが生きているのだということだ。その恐れを手でつかむように、真はただ耐え抜いた。
儀式は、それほど長いものではなかったが、真にとっては何十時間も座らせられているように感じていた。
ほとんど呆然と着替えさせてくれたあの部屋へもどると、枝藤は言葉を交わさずにまた着替えるのを手伝ってくれた。
着替えたのは、ごくごく普通の白いシャツと、ベージュのチノパンだ。真が持ってきたものの一着だった。
「これで儀式はおわりだ。ご苦労だったな」
「う、うん……」
「主様からなにか言われたか」
え、と真は顔を上げた。
まさか聞いていたのだろうか。あの広さで、あの小声。聞こえるはずもない。
「どうして?」
「まあ、勘みたいなもんだ」
枝藤はそれ以上、なにも言わなかった。
部屋からでると、黒服の枝橘と枝柊が待っていて、ふいにこちらを見据える。
「上手くいったようだな。儀式は」
「ああ、まあ、よく分かんねぇけど。で、こいつが皇になったってことか」
「まだだ。皇になるには時間がかかる。枝藤。おまえはこの方の付き人になれ。しってのとおり、私が主様、枝柊がまるね様の付き人になっている。年も近しい。ちょうど良いだろう」
枝橘は腕を組んで真をもういちど、見下ろした。
その目は、どこか哀れんでいるような色を滲ませている。
「真様。これよりご用は枝藤に申しつけください。私どもも、全力でサポートする次第でございます」
そっと、呟くように枝橘は頭を下げた。
真は、もう後戻りができない場所にいるのだと理解してしまう。
もう、逃げ場がないのだ。
枝橘と枝柊は背をむけて去っていき、枝藤は大きくそれみよがしにため息をついた。
「ったく、どうして俺がこんなガキを……」
「え、えっと……。自分で自分のことはできるから」
「そうしたら俺が怒られるだろ!」
一人で怒っている枝藤は、それでも真が動くまで動くことはなかった。
「真!」
鋭い声が、すぐ近くで聞こえた。エ霞だ。まわりに睡蓮も籬もいる。
「みんな。どうしたの」
「どうしたのじゃないわよ。どこにいってもいないんだもの。どこに行ってたの? 私たち、すべての部屋をみたのよ」
「え? おれは……」
「どうせおまえらだったら儀式の邪魔をするだろ。主様が特殊な封印を施したのさ。合成人間だって、脳がある。疑似だろうが何だろうが、それがある限り、ヒトとおなじく騙すことが出来るんだよ。俺たちはずっとそこの広間にいたんだからな」
「封印? なんだそれは」
籬がエ霞に尋ねるも、彼は肩をすくめただけだった。おそらく、分からないのだろう。
真にしてみれば、今見える広間が合成人間たちの目に映らなかったことが不思議だった。
「合成人間にはわからないだろうよ。術ってのは人工生命体よりヒトにずっと近いものだからな。効きはしても、理解はできない」
「可愛くないガキねえ」
「俺はガキじゃねぇ!」
「まあ、術なんかどうでもいいが、儀式ってのは何だったんだ」
「言っただろ。皇になるための儀式だ。それ以上は言う義務はない。こいつに聞いても無駄だぞ。口が裂けたって言えねぇだろうからな」
「枝藤……」
枝藤はやはり知っていたのだ。
彼女がなにを言ったのか。
勘だと言っていたが、きっとそれは嘘だ。
たしかに、あの少女が言ったことは合成人間たちにも、無論兄にも言えやしない。
「あんた……枝藤って言ったっけ。私たちは真を守るために来たんだから、真になにかあったら容赦しないわよ」
「へえ、合成人間って、ヒトに手をあげることができるんだ。たいしたもんだな」
「おあいにく様。私たちの意思で、それは決められるの。アヤナシとだって戦ってるんだからね」
「アヤナシ……。ああ、あの野蛮な連中か。まあ、どうでもいいけどよ、俺たちの邪魔はするんじゃねぇぞ。おい、行くぞ」
「どこに?」
「あの神殿だよ。主様が待っていらっしゃる。おまえらは気になるんだったら神殿の外で待っとけ」
「あの神殿」とは、「あれ」がいる場所だろう。
あの、六合の皆元が神と畏れるものが。
真が動くまで、枝藤も動かなかった。
あのおぞましく、おそろしいものが神と呼ぶのは憚った。
なぜ、あんなものを神と呼ぶのだろう。
なにを考えているのだろうか、六合の皆元という団体は。
考えれば考えるほどわからない。
無意識に足を動かしていたのか、気づけばあの神殿の前だった。




