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「主様」
誰もが寝静まったころ、枝橘は名もない少女に頭を垂れた。
緋袴と白衣を身につけた少女は、黒い瞳をそっと開く。
「真殿のことですね? 枝橘」
「はい……」
「彼は、間違いなくあのかた――皇の血を引いていることは確か」
「杜宇子様のことですね。たしかに、面影はあります」
それでも、あまりにも――弱い。
こころが。
すこし弱みをつつけば、壊れてしまいそうだ。
それでは、「皇」はつとまらないだろう。
皇――尊いお役目をその身に宿す子どもは、代々強い心を持っていた。
しかし今度の皇は――。
「杜宇子様はとてもお強かったというのに……」
「……たしかに、真殿は強いとは言えないでしょう。ですが、そのほうが都合がいい」
少女は、底の知れない色をした瞳を、枝橘にむけた。
ぞっとするほどの、黒い瞳。
枝橘は御簾の前で頭をふかく垂れ、畏れからだろうか――汗をにじませた。
「壊れてしまったほうが、楽でしょう。もっとも――そう時間はかからないでしょうね」
「は……」
それ以降、少女がなにかを言うことはなかった。
枝橘はそっと立ち上がり、広い部屋から出ていく。
金色の髪の毛をきつく揺った女は、青い瞳を伏せた。
あの少年の母であった「杜宇子」。
杜宇子は、強くうつくしかった。
そして――誰よりも優しかった。
よく似ている。あの目。あの輪郭。
あの少年はどこまでもつのだろうか――。
「……」
枝橘は少女の部屋の前から立ち去った。
朝食はひとりで食べた。
食事はとても豪華だったけれど、やはり味気なかった。
エ霞たちは、どうしているだろう。
扉を左手で押す。
右手で押しても、なかからいくら力任せに押しても、ぴくりともしなかった。
どうなっているのだろう。
考えてもしかたない。
「……!」
扉を押した先、そこには枝橘、枝藤、そして枝柊がいた。まるねはいない。
三人は真の姿を確認すると、枝橘は一歩足を踏み出して、青い瞳をすっと細めた。
「おはようございます。真様」
金色の髪の毛が、ぱらりと首筋をなでる。
全員が、黒いスーツを着ていた。まるで葬儀に行くように、神妙な表情をしている。
「これから、儀式の準備をさせていただきます」
枝藤の、有無を言わさない断定的な声色。
背筋が凍る。
「……こちらへ」
「儀式……なにをするの?」
「座っているだけで結構です」
突き放したようなことば。
息をのんで、真よりも年上である少年――枝藤を見上げる。
青い瞳。
それが、真には氷のように見えた。
真の背を軽く押したのは、枝柊だった。
ぐっとくちびるを噛んで、決意したように足を踏み出した。
やがて通されたのは、真四角な部屋。
畳が広がっているだけで、なにもない。枝柊と枝橘は、真が部屋に入ったのを見届け、すぐに出て行ってしまった。
「ったく、このガキを様づけって、ありえねぇし!」
出て行ったとたん、枝藤は勝手に怒り出した。
「あの……」
「儀式中は、動くな喋るな何もするな! いいな。怒られるのは俺なんだから、勝手なまねするなよ」
「う、うん」
儀式というものがどういうものなのかさえ、教えてもらえていない。
真自身、なにもしなくてもいいと言われてはいるものの、ほかの人はなにをするのだろう。
「儀式って、枝藤……さんたちはなにをするの?」
「別に、ただ主様が言葉をつむぐだけだ。まあ、俗に言うありがたいお言葉ってやつだな」
「……ふうん……」
「まあ、実際俺は儀式なんて見たことないけど。前の皇――杜宇子様って言ったっけ。結構前に亡くなったって話だし」
杜宇子。彼女が、前の皇だった。
杜宇子によく似ている真。
それは、きっと――。
考えることを諦めていた。
それはきっと、真にとって当たり前のことだった。
考えて、どうなるというのだろう。
答えは、真のなかにあるわけではない。
他の人のための答えなのだから。この問いも真にとって、正直どうでもいいことだった。
母が誰であろうと、構わなかった。
顔もなまえも知らない、女性。――他人だ。
そう思うのは、母というものがどんなものなのか分からないからだろう。
「母さん……やっぱり」
死んでたんだ。
そうだろうと思っていたけれど、実際つきつけられれ、真のこころは惑う。
うつむいて、畳をみおろす。
「な、なんだよ。知らなかったのか?」
「うん。でも、そうなんじゃないかって思ってた。なまえも顔も、知らなかったし」
「……悪かったよ」
「どうして謝るの?」
「どうして、って……。わかんねぇんなら、いいや」
後ろめたそうに頭を掻き、真から顔をそらせた。
枝藤はそのままなにもないと思っていた部屋の壁にふれ、そこを引いた。
「あっ」
まるで魔法のように、引き出しのように箱が飛び出してきた。背伸びしてそのなかを盗み見ると、うつくしい、薄い緑いろの着物と、金色にかがやく天冠が納められている。
「これを着ろ。それから儀式だ」
「え? これ……狩衣?」
「本当は、緋袴に白衣なんだけど。おまえ、男だろ」
「う、うん。でも狩衣なんて着たことないし、着方なんてわからないよ」
「だから俺がきたんだろ。着せてやるから、とりあえず脱げ」
枝藤の言うとおり、上半身に着ているシャツを脱ぐ。
かすかな、息をのむ音が聞こえた。
真の肩から腰にかけて、斬られた跡が刻まれている。父親――高峯に斬られた跡だ。
知ってはいたが、傷口と言うには生々しい。
枝藤はその傷口から目をそらせて、襦袢を羽織らせた。




