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夕食は、たったひとりきりで取った。
家にいたころは、いつもそうだったけれど、葵重工の世話になっていたころは、みんなで食べたというのに。
そのさみしさを、今になって痛感する。
ひとりきりで食べる食事は、どんなにおいしい料理だとしても、味気ない。
「そういえば……」
ここは、浴場があるという。自由に使っていいと言っていたから、入ってしまおうか――。
そう思っていると、厳重な扉から、控えめな音が聞こえてきた。
「しーん!」
エ霞の声だった。
あわてて左腕で開ける。
やはり、エ霞がいた。彼はどこか機嫌よさそうにわらっている。
「よう、どうせ暇だろ? だったら、風呂行こうぜ! なんかでっかいらしいんだよ」
「うん、行く! 籬はどうしたの?」
「なんかひとりでブツブツ言ってるぜ。色々計算が追いつかないんだろ。いちいち考えるからいけないんだよ」
「?」
どうしたんだろう、と思っていても、籬は籬で忙しいのだろう、という結論になった。
着替えをもって、扉を閉める。
大きな部屋にひとりきり。
まるで――。
そこまで思って、踏みとどまる。
ここは3人がいる。いてくれる。だから、辛いこともなにもないはずだ、と。
浴場までの間、だれかと行き違いになるということはなかった。
だれひとりいない。
死んだような静けさだった。けれど、時折窓枠からこぼれる月の光が、真の心をなだめてくれる。
「真」
「なに?」
エ霞はふと立ち止まって、真の顔をのぞきこんだ。
きれいな、紫色の瞳がこちらをそっと見つめている。
「俺たちは、何があってもおまえに味方だからな。睡蓮に先に言われちまったけど。俺らがここに来たのは、義務だからじゃない。おまえを、守りたいからだ」
「……うん。ありがとう。エ霞。けど、守られてばかりじゃやっぱり、だめだよ。だから、ここでも稽古を続けるつもり」
「そっか」
にっと笑ったエ霞は、大きな手で真の頭をなでた。おもわずつんのめりそうになったけれど、転びはしない。
手加減をしてくれているということも、知っている。
「遺物と戦うんだったら、稽古以上のこともしなくちゃいけないと思う」
「稽古以上?」
「実戦。エ霞が適任だと思うんだけど……」
「無理! 絶対、無理」
「どうして?」
真の赤い目が、心底不思議そうに揺らいでいる。
けれど、よく考えれば、そうかもしれない。
ヒトではない合成人間が、ヒトに手をあげることなどできやしないのだ。
そうプログラムされているのだから。
「あ、そっか。じゃあ、だれか頼めるひとがいればなあ……」
「……」
できるのなら、みずから稽古をしてやりたかった。
エ霞の本心だ。
だが、身体がいうことをきかない。
それに、合成人間にできることが必ず人間にもできるというわけでもないのだから、仕方のないことだろう、と、自分を納得させる。
「まあ、いいや。お風呂、行こう。どのくらい、大きいんだろう」
「そうだな」
脱衣所は、撥水加工がされた木材が使用されていた。
そして、広い。
「うわあ、広いね……」
「何人入れるんだ、こりゃ。ま、考えたって仕方ねぇな。俺は着替えるのに時間かかるから、先入ってろ」
「うん」
エ霞が身につけているライディングスーツは、素材一枚で出来ているというわけではない。
複雑に絡み合った繊維が、エ霞の身体に沿うように仕込まれている。
いわば、組み立て式なのだ。それに、滅多なことではこのスーツは脱がない。
ほこりやゴミなどがつかないような素材で出来ているから、風呂に入ることを想定していなかった。
ようやく上半身の皮膚部分がむき出しになったころ、真の悲鳴が聞こえた。
上半身裸のまま、浴場へつづく扉をおもわず力一杯引いてしまう。
そのせいで扉が吹っ飛び、ひどい音をたてて壊れてしまった。
「どうしたんだ、真!」
「あ、えっと……」
「なんだ、エ霞もいたんだ」
聞き覚えのありすぎる声の主は、睡蓮だ。
なぜ睡蓮が風呂にはいっているのか。そもそもここは男湯であったはず。
「なんで睡蓮が……ねえ、エ霞。ここ、男湯だったよね……?」
「そうよ、ここは男湯。間違えて入っちゃって、着替えてる途中で気づいて。でも、また着替えるのに時間かかるし、いっかって。面倒くさいし」
「よくねぇ! おまえな、真はまだお子様なんだぞ! 女の裸なんか見たら、精神衛生上よろしくない!」
「ええ? 合成人間が精神衛生上って、なにそれ。いいじゃない、それくらい。減るもんじゃないし」
「減る! 真の精神的な何かが減る!」
ふうん、と悪びれない声で肯定している睡蓮だが、男湯のはずの湯船に、まるで自分が主だとでも言うように、ゆっくりしている。
「まあ、入っちまったもんは仕方ねぇ。睡蓮、そっから動くなよ」
「あーはいはい。エ霞はさっさと着替えてきなさいよ。暑苦しい」
体温調節ができる合成人間に暑苦しいもなにもあったものじゃないが。
しぶしぶエ霞は脱衣所へ戻っていった。
扉を壊したおかげで、湯気がもくもくと脱衣所に入ってきている。
「エ霞、扉壊しちゃったんだね……」
「おう。おまえの悲鳴が聞こえたからな」
睡蓮をむこうがわに押しやって、ようやく入ってきたエ霞は、満足そうにうなずいた。どこか誇らしげに。
「あとで一緒に謝ろうね」
「なんで謝らなくちゃいけないんだ?」
「だって、扉壊しちゃったでしょ?」
「ああ、まあなあ」
湯船につかっているエ霞は、気持ちよさそうにうなずいた。きっと、よく分かっていないのだろう。
それでも、扉を壊してしまったことには変わりない。謝らなければ。
「あれ、エ霞。腕になにかついてるよ」
「ん? ああ、これか」
エ霞の右腕には、ステンレス製のプレートが埋め込められていた。
よく見ると、エ霞―壱拾号・伍番号と彫られている。
「これは、エ霞シリーズが今の俺で10番目。で、五番目の合成人間のシリーズってこと。睡蓮の腕にもついてるぜ。もちろん、籬の腕にもな」
「……ふうん……」
「まあ、んなことどうでもいいことだ。こんなの見ても、楽しくないだろ?」
「……」
今のエ霞は、10体目。ということは、9体のエ霞が今まで死んでいったということなのだろう。
そう考えると、どうでもいい、とは言えない。
「エ霞は、哀しくないの?」
「なんでだ?」
「だって、今までたくさんのエ霞が……」
「あーあー。そういうことか。いいんだよ、別に。俺は一代目の俺のことなんてメモリに記録されていないしな」
「真。私たちは、そういうふうにできてるの。戦うために生まれてきたんだから――って思ってた。あなたと出会う前まではね」
睡蓮の声が、ふいに聞こえてきた。
凜とした声色。
真はおもわずくちびるを閉ざす。
「あなたが教えてくれたのよ。私たちの、意味を」
「……意味……」
「私たちは、感情があるように見えても、そうするようにできているだけなの。計算して、演算して、導き出した答えしか知らないし、分からない。でもね、それでもいいって思えた。だって、それが私たちなんだもの」
意味。
真には、意味がない。
意味があるのだとしたら、それは自分自身のものではないのだ。
ヒトのため。ただ、それだけのためだ。
けれど、それだけではないことも分かっている。
そのままの真を、好きでいてくれるひとがいるのだ。
だからこそ、それでいいと思えた。
このまま、今のままでいい、と思えたのだ。




