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「私にとってはどうでもいいことだけどね。真を守れれば、私はそれでいい」
睡蓮は吐き捨てるように呟くと、すっと音を立てずに立ち上がった。
ポニーテイルがゆれて、睨むように真四角にはめ込まれたガラス戸をみすえる。
「おかしいわね。私たち、どうしてこんなに真のことが大事で大切なのかしら」
ずっと、不思議だった。
睡蓮たち現存する合成人間は、みな真のことがほんとうに大切だ。大切で、いとおしい。
それが何故なのか。今までは、人間とは護衛する対象としか見ていなかった。しかし、真は違う。感情がある。実際には、感情に似たようなものだが。
「俺も考えてみたんだが。不思議なんだよな。なんでこんなに――」
「エ霞? どうした」
「いや、何でもない。まあ、考えたって仕方がねぇこともあるってことだ。ちっと真の手伝いしてくるわ」
思考をきりかえて、エ霞は部屋を出ていく。睡蓮も籬も、止めることはなかった。
「真」
いつきても暗い部屋だ。窓がなく、光がはいってこない。明かりは、電気にたよるしかなかった。
まるで、座敷牢だ。
「あ、エ霞! どうしたの」
「おう、ちっと手伝おうと思ってな」
「ありがとう。でも、よく考えたら持って行くものなんてもう、ほとんどなにも残ってないんだ」
「そうなのか? これは?」
エ霞がもったのは、畳の上においてあった古いフィルムカメラ。
ところどころ傷がついているが、動くのだろうか。黒く、今のデジタルカメラよりもはるかに重たい。
「カメラは、持っていかない。持って行くものは、このペンとノートと、着るものだけって決めたから」
「そうか……。ま、おまえがそう決めたってんなら、俺はなにも言わねぇよ」
「うん。だから、今は整頓してるだけ」
カメラを文机の引き出しにしまい込んだ真の横顔は、どこか寂しそうにも見えた。白い髪の後れ毛がくびすじにはらりと落ちる。
主がいなかったというのに、異様にきれいになっている部屋。
この屋敷の人間が掃除しているのだろうが、生活感がない。
もとから整理されているところを、真はみずからの手でつくりあげたかったのかもしれない。
自分がいたというあかしに。
そんなことをしなければ、真がいたあかしにはならないというわけではないと思う。
エ霞は、そう考えている。
たとえそれが人工的につくられただけの思考だとしても、かまわなかった。
いま、たしかに感じているのだから。
「ねえ、エ霞」
「ん?」
「杜宇子って人、しってる?」
「トウコ? 誰だ、それ」
「やっぱ知らないよね。おれに似てるって、枝柊ってひとが言ってたから」
「そりゃ……」
似ているというのなら、肉親なのだろう。だがエ霞はそれを伝えることはなかった。
それは真が気づかなければならないことだろうから。
だが、真は興味がなくなったのか、部屋のなかを見渡すように顔をあげた。
「……なんか、ほかのひとの部屋みたい」
ただ、広いだけの部屋。
この部屋の主がそう言うことは、それが真実なのだろう。
すみれの色にも似た、その声。
あわい声色は、すぐにきえてしまった。
「けど、おまえが暮らしてきた部屋だ。これは変わらねぇよ」
「うん……」
細い首筋だ。
すぐに手折ることが出来るような。
「あと三日……」
「そうだな。あと三日だ」
「おれ、ちゃんとできるかな」
「おまえ次第だ」
「うん、そうだよね」
エ霞のことばに強くうなずいて、そっとあごを上げた。
部屋のなかを見渡す。数え切れないほど、この部屋で過ごした。
真の部屋は、鳥かごだ。
外に飛びたてる日を夢みることさえ許されなかった日々。
それでも今は違う。
今は自由に飛びたてるのだから。
「さて。今日はもう遅いから、明日にしようぜ。持ってくもんは一応、まとめておいたんだろ?」
「うん。そうする……」
真の白い髪が、ふっとゆれる。
細い身体のどこに、あんな「決意」を飲みこめる力があるのだろう。
死ぬまで戦い続けなければならないという呪い。
世界を守るという呪い。
それを受けてなお、今、立っている。
だが、それは合成人間とておなじだった。壊れるまで、人間を守るために戦い続けねばならないのだから。
いや――壊れてからも、その次のナンバーで造られるだろう。
今のエ霞はすでに壱拾号まで出ている。
初号機のエ霞が破壊されてから、10番目のエ霞が、いまの彼だった。
今のエ霞が破壊されても、また11番目のエ霞が製造されるだけだ。
おわりがない。
遺物という存在が消滅しないかぎり。
そう、思っていた。
けれど、今は――。
この子どもを、守りたいと思った。
使命だからではない。命令というだけではないのだ。
合成人間に「こころ」というものがないことは知っている。
そうインプットされ、そう計算するようにしているだけなのだ。
性格というものも、個性というものも。
なにもない。
人間ではないのだから。
「……なんだと?」
五室本部のなかで、真の父である高峯が眉を寄せる。
書類には、政府公認の「印」が押されていた。
そして、内容は――「合成人間新規製造を認可する」というものだった。
琳の報告に、高峯は目尻のしわを深くさせ、渡された書類をみおろす。
「どういうことだ。誰の許可だ、これは」
「見てのとおり、六合の皆元からです」
「……それは分かっている。六合の皆元の、誰だと聞いている」
「名前は分かりません。書いていないのですから。その意味は分かるでしょう。――室長」
実の父親に、冷めた声で伝える。
琳は高峯を「父親」として見たことがなかった。
あまりにも、冷めていた。家族へむけるべきことばも、態度も、なにもかも。
「真の護衛に現存するすべての合成人間を費やすのですから、当たり前です。五室の兵力では、遺物の処理に間に合いませんから」
「……」
「いくら五室室長とはいえ、六合の皆元からの要請には逆らえないはずです。でなければ、何のために真を……」
憎らしかった。高峯が。
息子であるはずの真は「道具」であり、琳は「跡継ぎ」である。
それ以上でもないし、それ以下でもない。
ただ、二人はそれだけの存在だった。
「何のために真を、生贄に出したというのですか……っ」
「人類のために必要な犠牲だ」
表情を変えずに、男は吐き捨てた。




